あたしのトラウマ
“朝日の街”というだけあって、部屋に満ちる朝の光が清々しい。
静寂の中、小鳥の声が耳に優しく響く。
目を開けたあたしは、ただひたすら、昨日の衝撃的な出来事を回想していた。
・・・どうしよう、とかじゃないんだよ。
どうにかしなくちゃ。
なんとか見つけて帰らないと・・・!
考えても考えても分からないことに苛立って、そう結論付ける。
騎士達がどうして話を聞かずに、運搬中のゴミ山にあたしを放り込んだのか・・・そこがサッパリ分からない。見当もつかない。
まさに問答無用だった。
あたしが何か言う前に、彼らが動いたのだ。
・・・考えると怒りばかりが先行して、はらわたが煮え繰り返りそうになる。
「あーっ、もぉぉぉぉっ」
むくりと起き上がって、一心不乱にぼさぼさになった頭を掻き毟っていたあたしは、ふと視線を感じて顔を上げた。
「・・・あ」
木箱を片手に戸口に立って、稲妻の走る顔を引き攣らせたクロウさんに気づく。
「うん、なんか、元気そうで良かった」
「あ、あはは・・・」
取り繕ってみても、すでに時遅しだった。
足首に薬を塗り直して、包帯を巻く。
その手つきには無駄がなくて、とっても事務的だ。
ああ、この人ほんとに医者だったんだな、なんて。
そんなことを思いながら呆けていたあたしに、クロウさんが言った。
「足首は、もう日常生活には支障ないよ。
ああでも、治ったと思って走ったり、ジャンプしたりしないようにね。
高を括って無理すると、前よりも酷くなることもあるんだから」
「はい」
「うん。
あ、わき腹も見るから横になって」
彼は言われるままに横になったあたしの服をちょっと捲って、布を取る。
薬を塗りなおして、また布で蓋をして、服を直す。
とっても事務的で無駄のない動きに感心してると、あたしの視線に耐えかねたのか、彼が自嘲気味に顔を歪めた。
微笑みのような、泣いてるような・・・。
「はい、おしまい。
・・・ごめん。このカオじゃ、触られるのは嫌だよね」
言いながら、彼は木箱の中身を片づけ始める。
体を起こしたあたしからは、彼の表情は分からない。
「すみません、じろじろ見ちゃって・・・でもあの、そういうことじゃ、」
「いや、いいよ。
自分でもこのカオじゃ、凶悪犯にしか見えないと思うし」
遮って告げられた言葉が、傷ついてる、って言ってる。
正直なところ、最初に顔を斜めに走る稲妻模様を見た時は、得体の知れない不気味さというか、怖さというか、そんなものを感じたのを覚えてる。
でも次に彼の顔を見たのが暗い室内だったからなのか、昨夜はあんまり気にならなかった。
今は明るいから、彼の顔の模様が良く見えるけど・・・。
・・・でもやっぱり、窮地を救ってくれた人だからなのか、稲妻の走る顔が自分に向けられても、何を思うでもなく、普通に接することが出来てる。
不思議だけど、もう見慣れたってことなんだろうか。
あたし、実は順応性に富んでたんだな。
少しの間に考えを巡らせたあたしは、思った通りを口にすることを選んだ。
「そりゃまあ、最初は怖かったけど・・・今はなんとも。助けて貰ったし。
今思えばあたしをゴミ山に放り込んだ奴らの方が、よっぽど悪人面してました。
・・・あんな連中が騎士だなんて、ほんと、ああもう、ムカつく!」
素直な言葉を並べて、最後に怒りが再燃する。
すると彼は、手を止めて顔を上げた。思わず、といったふうに。
「騎士が・・・?」
自分の顔の話はもういいんだろうか。
・・・機嫌が直ったなら、それでいいんだけど。
あたしは彼の驚きようにびっくりしつつ、こくん、と頷いた。
「本人達に確認したわけじゃないけど・・・。
でも降りた場所が、王城の近くだったみたいだし。間違いないと思うんです」
沈黙が満ちる。
空を渡る鳥の声だけが聞こえてくる。
唐突に、彼が何も言わずに立ち上がった。
そして木箱を持って、あたしを振り返る。
「アイリちゃんの服、持ってくるね」
一瞬でも取り乱したのが、嘘みたいな笑顔だった。
クロウさんが持ってきてくれた制服に袖を通して、息をつく。
濃紺のワンピースは、“お迎え”用に会社から支給されたものだ。
海洋王国、というだけあって地図上のファルアは、湾を抱えるような格好をしている。海に面した土地が多いから、うちの会社でも最近人気のリゾート地だ。
現地の人間は、水着みたいにカラフルな下着の上に、さらりとワンピースを着てることが多いらしい。
下着の紐が、日焼けした首や肩を彩っていて、皆サーファーに見える・・・というのが、初めてこの地を訪れた時のあたしの感想。
・・・ちなみに、マリンレジャーはクルーズくらいしかないんだけど。
ぼさぼさの髪でポニーテールを作って、紐で結わく。
それにしても、クロウさんはマメな性格をしてると思う。
ご丁寧に、あたしが身につけてたものは即日洗濯、乾いたものを綺麗に整えて保管してくれていたらしい。
パリっとしてないのは、この土地に吹きつける風が海を渡ってくるせい、なんだろうな。
小さく笑ったあたしは、籠の一番下に置いてあったポシェットを肩にかける。ちなみにこれも、会社からの支給品。
そして丁寧に着せて貰っていた服を畳んで、籠の中にしまった。
着替えの最後に、これまた業務用のぺたんこサンダルを履いて、トントンと床を打つ。
すると、にわかに痛みが走った。
「・・・無理するなって、こういうことか」
顔をしかめながら呟いて、痛かった部分を擦る。
これだと、小走りも出来なさそうだ。
「まいったなー・・・」
ため息混じりに独りごちたあたしは、腕に嵌めたバングルを撫でた。
これも“お迎え”に必要な機能が満載の、会社からの支給品である。
あっちとこっちを繋ぐ、あたしにとっては命綱のようなものなんだけど・・・。
「ダメだよねぇ、そうだよねぇ」
目の前で振っても反応する気配のないことに、分かっているものの落胆してしまった。
やっぱり、王都辺りまで行かないと使えないらしい。
協定で、あたし達がこの国で自由に出歩いていいのは、王都とその周辺の観光名所のみに限定されているのだ。
それに合わせて、このバングルを使えるのも、王都辺りに限定されてるわけで。
要は、本社からの手助けも期待出来ない状況ってことだ。
「・・・だから、頑張るしかないんだぞ、と・・・」
約束通り、診察代を払って領収書を貰おうとしたあたしを、クロウさんは笑い飛ばした。
聞けば、彼は医者として生計を立ててるわけじゃ、ないらしい。
そう言えば、騎士団付属の医師団で「働いてた」って言ってたっけ。
昨日は頭の中が沸騰したり混乱したりで、物事をちゃんと考える余裕はなかったんだな。
いくら医者だと言っても、見ず知らずの男の家で、着替えまでしてもらってたなんて。
異世界だから受け入れられてると思うけど、本来の生活で同じことが起きてたら、絶叫ものだ。
這ってでもその場から逃げ出したに違いない。
・・・そう考えると、旅の恥はなんとやら的な魅力も、異世界にはあるのか・・・。
・・・なんて、いっちょまえに旅行会社の社員ぽいことを考えてみたり。
クロウさんの家は、小高い丘の上にあった。
少し歩いて振り返ったあたしの前で、空と海の青が混ざっていて。
雲も海鳥も白くて、なんだか不思議な気持ちになる。
「これが、街道。まっすぐ王都まで続いてる。
街中は舗装されてるけど、大体はこんな感じだね」
そう言って彼が指差したのは、土埃の舞う道だ。
・・・サンダルじゃ、歩いてるうちに汚れちゃうなぁ。
どうしたもんかと彷徨ったあたしの視線を察したのか、彼が肩を竦めた。
「どっちにしろ歩ける足じゃないんだし、定期便に乗ったらどう?」
「うん、そうします。
非常時だし、きっと怒られたりしないはず・・・。
・・・あ、クロウさん」
「ん?」
昨日は気づかなかったけど、彼はとても背が高い。
見上げたあたしを見下ろして、彼は瞬きをした。
「食堂に用があるんですよね。
あたしもそこでゴハン食べますから、一宿一飯の恩ってことで、払わせて下さいね」
結局無償で助けて貰ったんだから、これくらいのことは当然だ。
「うーん・・・でもさ、アイリちゃんに払わせるのも、なんか気が引けるよ」
「これでも社会人3年目なんで、問題ないですよ。
ちゃんと自分で稼いだお金です」
「え?」
胸を張ったあたしに、彼、きょとん。
もしかして、意味分からなかったのか。
それは不親切だったかも知れないと、あたしはもう一度口を開いた。
「だから、もう23だし、大人な労働者としてお給料もらってるから大丈夫です。
1人暮らしもしてるし、金魚とカメを養うくらいは稼いでますよ」
ぴっ、と人差し指を立てて微笑んだら、クロウさんは大きく目を見開いた。
・・・でもなんで、そこでちょっと頬が赤くなるんだ?
不思議に思いつつ首を傾げると、狼狽した様子の彼が、あたしを見た。
「アイリちゃん、何歳だって?」
「23ですけど」
あたしが視線を投げると、彼がそれから逃げるように目を逸らす。
なんか、挙動不審。
「クロウさんは?」
尋ねると、彼はさらに目が泳ぐ。
「・・・21・・・今年で」
ぼそりと答えづらそうに口にした数字に、あたしは息を吐いた。
年下だと分かった瞬間に、自分の中にあった壁が崩れる音がしたのだ。
「なんだ、年下だったんだ。
大人っぽいから年上かと思ったけど・・・そっか、こっちの人って、そうなんだもんね」
「・・・そっか、23だったんだ・・・」
あたしが頷いていると、同じように、彼も何やら呟いて。
そして、ちらりと視線を寄越した。
ところで顔がちょっと赤いのは、お日さまのせいなのか。
「13くらいかと思ってたよ・・・。
アイリちゃんて、あの、ほら・・・」
そう言った彼の手が、胸の前でふらふらと揺れる。
「ん?」
小首を傾げたあたしは、ややあってからそのジェスチャーの意味に気づいた。
・・・そうかそうか、いい度胸だ。
「すみませんね胸ちっさくて!」
気色ばんだあたしに、彼は慌てて言葉を並べる。
「違うんだよ!
ほら俺、医者だから!
体つきで年を計っただけで!」
そんなにじろじろ見たっていうのか。
てゆうか、胸がそんなに判断を左右するのか?
「うっさい!」
それでも医者か!
そのあとの彼の、おろおろうろうろした感じ・・・犬かと思った。
この期に及んでカワイイとか許されると思ってんのか。
顔に走る稲妻に横線引いて、フランケンみたいにしてやろうか。
「着きました・・・」
ちら、と様子を窺う瞳。
一喝されて、あたしの機嫌をこれ以上損ねないようにしてるんだろうけど・・・。
そんなに恐かったんだろうか、あたし・・・。
「うん」
あたしは頷いて、感情のままに声を荒げた後ろめたさを誤魔化す。
何もなかったふうに振る舞えば、クロウさんの肩がまた少し下がった気がした。
カラン、コロン
ドアの開閉に合わせて、小気味良い音が響く。
先に入ったのはクロウさんで、何やら片手を上げているのが見える。
あたしはそんな彼の後ろに続き、ゆっくりと店の中を見渡した。
正面にはカウンターキッチン、そのそばにはウェイトレス。
金髪ベビーフェイスに巨乳ときた。
こっちの下着に、寄せて上げる機能なんかない。
ということは、彼女は本物だ。
・・・なんだろう、この、言い知れない敗北感。
「アイリちゃん、こっち」
手招きされて、カウンターから視線を剥がす。
その一瞬前、ウェイトレスの視線が強くなった気がしたけど、あたしは内心首を傾げただけで、クロウさんの向かいに腰掛ける。
「ええっと・・・釈然としないものがありますけど、ご馳走します。
受けた恩は利子がつく前に返す、が家訓なもので」
「えー・・・でもなぁ、女の子に払わせるのはちょっと・・・」
頬杖をついたクロウさんが、眉間に皺を寄せて呟いた。
そこへ、さっきのウェイトレスが水を持ってくる。
ドンッ
・・・ちゃぷん
あたしの目の前に、グラスが勢いよく置かれ・・・叩きつけられて、中の水が跳ねた。
テーブルに、水玉模様が出来上がる。
乱暴なベビーフェイスに唖然としたあたしは、我に返って視線を投げた。
そして飛び込んできた光景に、またしても唖然としてしまった。
「クロウくーん?
昨日来るって言うから、わたし待ってたんだよ?」
「うん、ごめんなさい。
昨日は急用が出来ちゃったんだ」
攻撃的な巨乳が、ねちっこくクロウさんの肩を撫でている。
くね、と体の芯が抜けたような、変な動きだ。
うん、自分に正直になろう。気持ち悪い。女に嫌われるオンナだ。
いいスペックしてるのに残念。
・・・違うもん。ひがんでないもん。
「急用ってなあに?」
心の中でゴニョゴニョ呟いたあたしをよそに、彼女はにっこり微笑む。
「ひみつー」
小悪魔的スマイルをさらりとかわした彼は、そう言ってあたしの目を見据えた。
「ねー」
ねー、じゃねぇよ!
内心で絶叫したあたしは、目を剥いて彼を見つめ返す。
なんであたしを引き合いに出すんだ。
しかも思わせ振りに。
彼女の顔から、笑顔が消えた。
そして、その口が不愉快そうに歪む。
あたしは、美女・・・イケジョが苦手だったりする。
理由は思い出したくもない。
とにかく苦手で、関わらないで済むように、異動を願い出たくらい。
イケジョのぷっくりとした唇から、どんな言葉が浴びせられるのかと、あたしは身を硬くした。
これは経験からくる、本能的な反応。
その時だ。
「おおいウェイトレス!
色気振りまく前に注文取れって、何回言えば分かるんだ!」
怒鳴りながら、1人の男があたし達の方へやって来た。
「ああん、お兄ちゃん!
今注文を聞いてたとこだったのに~」
イケジョが、なんで来るのよぅ、なんて可愛らしい声を上げる。
その変わり身の早さに驚き呆れて、あたしは気が付いた。
彼女の兄も、相当なイケメンであることに。
ちなみにあたし、イケメンにも良い思い出が1個もなかったりする。