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わんこの背中








米俵な担ぎ方をされて大暴れしたあたしを、丁寧にベッドに寝かせたクロウくんは、バスローブを羽織って戻ってきた。

良かった。ほぼ全裸から、ようやく見られる格好に戻った。

ほっとした瞬間に、それまで爆発を繰り返していた恥ずかしさが、怒りに変わる。





「信じらんない。

 ほんっと、信じらんない!」

憤慨中のあたしに、クロウくんがクスクスと忍び笑いを漏らす。

「ごめーん」

「全然悪いと思ってないでしょ」

「だってアイリちゃんの慌てっぷり、可愛いんだもん」

「ぐっ・・・!」

恥ずかしがりながら怒るなんて高度な芸当をしていたあたしは、思わぬカウンターに咽返りそうになってしまった。

病み上がりをからかうとは。わんこめ。

睨みつければ、ふにゃりと笑みを浮かべられる。

「良かった、喚けるくらい元気になって」

「・・・それを言われると怒るに怒れないじゃん・・・」

その笑みに毒気を抜かれたあたしは、小さく呟いた。


クロウくんが献身的な看病をしてくれたことは、テーブルの上に散らかった医者道具や、洗濯されたあたしのワンピースを見れば分かる。

きっとまた、ちゃんと眠れてなくてシャワーを浴びたんだろうな、ってことくらい、病みあがりのあたりにだって分かってるのだ。

「・・・ありがとね、いろいろ。

 今回だけじゃなくて、最初から、ずっと」

毛布を目元まで手繰り寄せて、もぞもぞとお礼を言う。

「あたし1人で王都まで戻ろうとしてたら、きっともっと大変だった。

 ・・・だからクロウくんが一緒に来てくれて、ほんとに助かってる」

「アイリちゃん・・・」

クロウくんの瞳が、きゅるん、と潤む。

そして次の瞬間には、泣き笑いのような笑顔を浮かべて言った。

「俺も・・・アイリちゃんがいたから、ここまで来れた。

 1人じゃ、人目が気になって出歩けなかったと思うよ。

 あの街に身を隠して、呪いを解こうなんて思いもしなかっただろうし・・・」

伸びてきた手が、毛布をずり下げる。

覗き込んでくる瞳が柔らかく細められて、あたしの鼓動が跳ねた。

顔に走る稲妻模様をなぞりたくて手を出したら、あっさり掴まれて、手のひらに頬を寄せてくる。

「うん、手のひらも熱くなくなった」

・・・医者が頬で検温するだなんて、聞いたことないぞ。

そう思うのに、気持ち良さそうに目を閉じたクロウくんに、何も言えなくて。

ところが彼は目を開けた次の瞬間、にんまり笑んだ。

「アイリちゃん、ひと晩中、俺の手離してくれなかったんだよ~」

覚えてないでしょ、と笑みを刻む唇で囁かれて、あたしは目を瞬かせる。

そして、はた、と気がついた。

「あ・・・!」

「思い出した?」

「・・・思い出したっていうか・・・おぼろげだけど。

 そういえば、何かに掴まりたかった気がする・・・」

熱に浮かされて、目を閉じてても眩暈がして気持ち悪くて、クロウくんの手を探してた・・・ような記憶がある。

いかんせん記憶が曖昧に濁ってて、はっきりしないけど。

思い出しながら呟いたあたしに、彼が頷いた。

「そうそう。

 “くろーくん、て、つないでて・・・”とか言っちゃってさ」

わざとらしく鼻にかかる声で、甘えた口調を再現してくれる。

・・・あたし、絶対そんな声出してないと思う。別人だよそれは。

思わずジト目で睨んだら、クロウくんが声を落とした。

「アイリちゃんの手、凄く熱くて・・・心配したんだからね」

しょぼん、と肩を落としたそのカオを見ちゃったら、ほんの少しふざけられたことなんか、どうでも良くなって。

あたしは息を吐き出して、そっと囁いた。

「ご心配おかけしました」

「・・・うん」

「あー・・・クロウくんに感染しちゃったら、ごめんね」

これだけ、べったり一緒に過ごしてるんだから、その心配もある。

いくら彼が医者だからって、医者の不養生っていうくらいだから、あり得るだろうし。

もう感染してしまった気分で言ったあたしに、彼はゆるゆると首を振った。

そして、ちょっと身を乗り出して囁く。近い。

「アイリちゃんの風邪なら、感染されてもいいんだけどな。

 ・・・なんなら、今すぐ貰ってあげたいくらい」

鼻先をくすぐるのは、ボディーソープの匂いか。それとも、あたしのために用意してくれた、ハーブ入りのブーケの香りか。


「そ・・?」

不可思議な申し出に小首を傾げれば、クロウくんが楽しそうに目を細めた。

「それとも、風邪をやっつける体操でもしよっか」

「体操・・・。

 異世界の医療って、不思議だね・・・」

得体の知れないものに呆然と呟いていると、がっくり肩を落とした彼がため息をつく。

「クロウくん?」

「あー・・・うん、今のはなかったことにして下さい。

 ・・・とりあえず・・・」

あたしの呼びかけに視線を上げた彼は、ため息混じりに微笑んだ。

そして、頬ずりしていた手を離して握る。

それまで甘え上手なわんこの頬を撫で、包んでいるつもりだったあたしは、ふいに大きな手に指を絡められて戸惑ってしまう。

おかしいな。呪いのことを知ってから、甘やかすのはあたしの方だと思ってたのに。

・・・背中がむず痒い。落ち着かない。

「もうちょっと眠る?」

「う、ん・・・」

口の中が乾いてるわけでもないのに、声が上手く出てこなかった。

だってそれ、眠るのを提案してる割に声が甘くないか。

クロウくんは、戸惑いに相槌がおかしくなったあたしを、小さく笑う。でも、その目は笑ってはいなくて。

あたしは彼のカオを見て、いつかテレビで見た、待ち伏せていた獲物を追う肉食動物を思い出してしまった。


そんなことを思い浮かべているうちに、ゆっくりと顔が近づいてくる。

近過ぎて、顔に浮かぶ稲妻模様に焦点が合わなくなってしまうくらいに。

背中のむず痒さは増すばかりで、あたしはどうしたらいいのかと視線を彷徨わせる。

何か喋ったら、ひと思いに噛みつかれそうな気もする。

でも、ただ黙って変な緊張感に晒されてるなんて、耐えられない。

「くろ、くん・・・?!」

何してるの、カオが怖いよ、近過ぎるんじゃないの、なんて。

言いたいことは、炭酸の気泡が空気に溶けるみたいに次から次へと湧いてくる。

それなのに、彼の意識を捕まえようと、切羽詰まった声を上げることしか出来なくて。

あたしの言葉に、笑みを浮かべたクロウくんが、ゆっくりと唇を動かす。

「ん、いいカオしてる」

「ど・・・、」

褒められたのがどんなカオなのか、訊こうとしたあたしは、言葉を失った。


「ふぁぁっ?!」


びっくりして、体が跳ねた。

喉が震えて押し出された、悲鳴ともつかないものが部屋に響く。

驚かされて出たんだから仕方ない、と思うのに、どうしてかその声が他人様に聴かせて良い種類のものだとは思えなかった。

変な自分を意識した途端、つむじまで熱が上がって沸騰しそうになる。

耳が熱くて、燃えそう。今すぐ消えちゃいたい。

熱に飲まれてぼーっとしていると、音を立てた唇が離れていくのが見えた。

それに続いて、クロウくんの黒い髪が、さらりと名残惜しそうに離れていく。

手を離そうとしたら、絡めた指に力を入れられた。地味に痛い。

でもその痛みに、我に返る。

「くっ・・・くろ・・・っ?!」

何するの、なんて言うつもりはない。だって、何されたのかなんて分かる。

でも、どうしてかは知りたい。理由は欲しい。出来れば真っ当なやつ。

そんなことを頭のどこかが冷静に考えてるのに、血液が逆流してるかのように心臓がばくばくして、背中がぞわぞわする。

どんなカオをしたらいいのか、分からない。

そうやって、あわあわしてるあたしに向かって、クロウくんがにっこり。

「ん?」

小首を傾げた彼が、今度は絡めた手に音を立てた。

音の発生地点から痺れが伝って、体が跳ねる。

「・・・ぎゃぁ!」


「ぎゃあ、って・・・」

衝撃的な刺激に目を見開いて固まっていると、彼が肩を落とした。

しょぼん、と萎れて上目遣いにあたしを見つめる。

「もしかして俺、今ので嫌われちゃった・・・?」

呟きが、尻すぼみに消えていく。

萎んだ肩に、小さな声。物凄く落ち込んでるように見える。

「・・・そっか、そうだよね・・・。

 今の俺の顔じゃ、アイリちゃんも嫌だよね・・・。

 ごめん・・・ちょっと調子乗った・・・」

クロウくんは、おもむろに絡ませていた手を離して、ベッドの隅で背中を丸めた。

急激に周囲の湿度が上がって、うじうじジメジメしてる・・・。

あたしは音のした部分・・・耳の下、顎の付け根辺りを擦りつつ体を起こす。

若干大げさに振舞うのがクロウくんなんだって思うのに、気づけばあたしは、慌てて彼の言葉を否定していた。

「ごめん、あの、別に嫌いにはなってな・・・」

言いながら頭の中に浮かぶのは、なんであたしが謝ってんだ、という冷静なツッコミ。

するとクロウくんが、あたしの言葉に噛みつくようにして振り返った。

「嫌いじゃない?ほんとに?」

肩越しに、目をうるうるさせてる。

これも演技なんだろうな。大げさだもん。

薄っすら気がついてるのに、彼にそんなカオをさせてるのが自分なのかと思うと、良心にチクチクとした痛みを感じてしまって。

結局あたしは、わんこに甘い。

・・・違うか。クロウくんに甘いのか。

さっきのキスも、別に唇にされたわけじゃないんだし・・・なんて思ってしまってる。

「うん、ほんと」

頷いたあたしに、彼は少し考える素振りを見せてから、小さな声で尋ねた。

「・・・じゃあ、好き?」

「え?」

小首を傾げれば、クロウくんが目を伏せて、再びあたしに背を向ける。

確実にあたしより大きい体してるはずなのに、その肩が頼りなく揺れた。


「俺は、好き。アイリちゃんが好き。

 ・・・お客さんが、逃げ続けてくれればいいのにって、思ってる」


ごめん、と零した声が、小さく萎む。

その瞬間に、あたしはその声は演技じゃないってことに、気づいてしまった。

あの時・・・呪いのことを打ち明けた時に、良く似ていたから。








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