ヤキモチと美少年
クロウくんの横顔が、精霊ランプの明かりに照らされてる。
普段見るのとは違う、お医者さんのカオだ。
「先に着替えさせたいんだけど・・・着替えは?」
医者鞄に手を突っ込んで、ガチャガチャやってたクロウくんが、美少年を見る。
すると美少年は、眉を八の字にして沈んだ声で答えた。
「それが・・・手持ちのものは、すでに雨にやられてしまって・・・」
「じゃあ脱がせて、その辺の布でも巻いといて」
患者を前にしてるとは思えない容赦のない発言に、美少年が固まる。
まさかそんな雑な扱いを受けるとは思ってなかったんだろう。
あたしだって、初めて見るクロウくんに驚いてる。
居た堪れなくて、おずおずと口を開いた。
「・・・あの、あたしの服ならあるよ。
サイズが合わないかも知れないけど・・・」
「えっ・・・い、」
あたしの申し出に、いいんですか、とばかりに目を輝かせた美少年が何か言おうとしてるのを、しかめ面したクロウくんが遮った。
「あげちゃうの?」
物凄く嫌そうだ。
そりゃそうか。あげた物が自分の目の前で他人に横流しされたら、嫌だよな。
でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないんだよ。
「そんなカオしないの」
「アイリちゃんはお人好しなんだよ。
・・・そういうとこも、いいんだけどさ」
口を尖らせたクロウくんに、あたしは言えなかった。
どっちにしろ、あっちの世界には持って帰れないんだよ・・・なんて。
男2人に後ろを向かせて、彼女を着替えさせる。
濡れた髪もタオルで水気を吸い取った。
服のサイズも、多少小さそうだけど問題なさそうだ。
ぱつんぱつんなの、胸と腰のあたりだけだしな。腰、ってとこが嫌味だな。お尻じゃなくて腰。どんだけメリハリきいた体してんの。
・・・違うもん。ひがんでないもん。
葛藤を飲み込んで、あたしは2人に声をかけた。
「終わったよ」
振り返ったクロウくんが、医者道具を手に彼女に近づいてくる。
広げた布の上に横たわる彼女の胸が、せわしなく上下していた。
着替えたら、さっきよりも苦しそうになっちゃった気がする・・・。
「お願いします」
「うん」
美少年の言葉にクロウくんが頷いた。
彼女の服に彼の手が伸びて、指先が、あたしが留めたばかりのボタンを摘まんだ。
どうせ外すなら、最初から留めなければ良かったな。
・・・なんでだろ、気持ち悪い。
胃の底の辺りが、物凄くムカムカする。吐き気とかじゃなくて、なんだろう・・・気持ち悪くて苛々する。
あたしは思わずクロウくんの手から目を逸らして、息を吐き出す。
何かが自分の底に沈殿していくのが分かる。
苛々して仕方がない。気持ち悪い。
・・・どうしよう、ミカンのとこにいようかな。
自分に剣を向けた人間がいる場所に戻るのも嫌だけど、ここで診察の様子を見てるのも嫌だ。
嫌悪感が頭の中を埋め尽くしかけた時、クロウくんがあたしを呼んだ。
「アイリちゃん、」
「・・・ん?」
間を置いて目を合わせたあたしに、苦笑混じりに言う。
「ごめん、ボタン外して貰えるかな」
「え、あたし・・・?」
聞き返すも、曖昧に微笑んだクロウくんはそれ以上何も言わなくて。
あたしは内心首を捻りつつ、彼女の服のボタンをいくつか外した。
聴診器で心音を聴いていた彼が、今度は首の付け根や喉のあたりを触診している。
なんとなく見ていたくなくて、あたしは美少年と一緒に少し離れた場所で、クロウくんの作業が終わるのを待っていた。
時折、彼女が咳込む様子が伝わってくるたび、美少年が苦しそうにしていて。きつく握り込んだ拳が、痛々しい。
「あの、そんなに力まなくても・・・」
「・・・変わって差し上げられたらいいんですが・・・」
あたしの言葉に、綺麗な顔が綺麗なまま歪む。
「やはり、お止めすれば良かった」
「・・・何か、無茶でもしたんですか?」
言動から察するに、美少年も男達も、彼女よりも下の者であるらしい。
あたしには縁のない世界だけど、やっぱり上の者には絶対服従だったりするんだろうか。
美少年は、困ったように微笑んだ。
・・・眩しくて、何より甘い。
美少年の放つキラキラ、あまあましたものが、彼女に向けられていることは一目瞭然で。
「一度決めたら意固地になる方なので・・・そこが可愛らしいんですが」
言って、ほぅ、と息をついた彼は、我に返ったのか若干顔を赤らめた。
そして、こほん、と咳払いをして、頬を引き締める。
「すみません、個人的な内容になってしまいましたね。
・・・貴女は、王都に向かっているのですか?」
「あ、はい。仕事で・・・」
少し離れた場所で、カチャカチャ、と音がしてる。
今頃クロウくんは、何をしてるんだろう・・・。
音に気を取られながら答えたあたしに、美少年はふんわり微笑んだ。
「なるほど、そうでしたか。
ところで・・・不躾なことをお尋ねしますが・・・」
翳った表情で声を潜め、彼はちらりとクロウくんを一瞥する。
あたしはその雰囲気に、なんとなく嫌な予感がした。
先を聞きたくない気持ちが、態度に出てしまう。
「はぁ・・・なんでしょうか」
「・・・彼が恐ろしくはないんですか?」
「全然ないです」
間髪入れずの返答に、美少年が目を大きく見開いた。
どうやら、驚いているらしい。
・・・この人にも、クロウくんは気味の悪い男として捉えられてるんだ。普通に接してるのかと思ってたけど、近寄りたくない人間に見えてるんだ。
悲しいやら悔しいやら。
でもそれは、あたししか知らないクロウくんがいるってことなんだけど・・・。
複雑な気持ちを抱えていると、美少年が呟くのが聞こえてくる。
「そうですか・・・。
貴女さえよければ、王都までお連れしようかと思っていましたが・・・」
「え?」
その言葉に耳を疑った瞬間、声が飛んできた。
「何言ってくれてんの」
憮然とした声に振り返れば、クロウくんが渋いカオをして戻ってくるのが目に入る。
彼はあたしの隣に腰を下ろすと、その腕を伸ばした。
「俺に聞こえるように口説くのやめてくれる?」
美少年に向かって言うのと同時に、あたしの脇の下に手が入って来る。
かと思えば次の瞬間には、ひょいっ、と体が上に引っ張り上げられた。
自分の体が地面から離れる感覚は、初めてじゃない。
だからなのか、あたしは特に驚くこともなかった。
そして、流れるような動作の末、ちょこん、とクロウくんの胡坐の上に横抱きに収まる。
「このコは俺のなの。
あんたのは、あっちでしょ」
「く、」
聞き捨てならない台詞に口を開いたあたしより早く、美少年が身を乗り出した。
「どうですか」
「結局ただの風邪。
薬も飲ませたから、あとは水分摂らせて寝かせとくしかない。
まだ動かさない方がいいだろうね・・・少なくとも、明日の朝までは」
「そうですか・・・」
美少年の顔に、安堵の色が滲む。
医者のカオをしたクロウくんを目の前に、あたしは口を挟むタイミングを失っていた。
「どこに行くのか知らないけど、ちゃんと病院に行った方がいい。
俺の持ってる薬は、このコに合わせて作ってるから効きが弱い」
「分かりました。
・・・様子を見てきても?」
「どーぞ」
クロウくんがぱたぱた手を振って、美少年が立ち上がる。
そして訪れた沈黙にあたしは微笑んで、彼の頬に手を伸ばした。
「いひゃい・・・」
情けないカオで小さく呟いた彼に、あたしはにっこり微笑む。
抓って伸ばせば、びよん、と柔らかい頬がよく伸びた。
「あのねぇ、クロウくん」
「ひゃぃ」
今は落ち着いているのか、咳込んでいる気配はない。
あたしは、彼女の所に行った美少年に聞こえないように、クロウくんの耳元に口を寄せた。
すると彼が、小さく体を震わせる。
「口説くなんて言っちゃダメでしょ。彼に失礼だよ。
・・・あんな美少年、トラブルになったらどーしてくれんの」
言って、頬から手を離す。
ちょっと力を入れ過ぎたのか、クロウくんが口を尖らせた。
「・・・なんだ、気になるのはそこか」
「なに?」
「なんでもないデス」
ぼそぼそと良く聞こえない声に少し語気を強めると、彼はちょっとだけ目を逸らす。
あたしはそんな彼の、赤くなった頬に手を伸ばした。
「・・・まあでも、」
そっと頬を撫でれば、彼が気持ち良さそうに目を細める。
その姿がわんこみたいで、とっても可愛い。
「お疲れさま。
それから・・・さっきはあたしの代わりに怒ってくれて、ありがと」
囁きに、彼は嬉しそうに頷いた。
「ねぇ、クロウくん」
緩やかな駆け足で進むミカンの背に跨って、あたしは肩越しにクロウ君を振り返った。
思ってたよりも至近距離にいた彼が、あたしの肩に顎を乗せる。
・・・なんか、洞穴を出る頃から懐き方が露骨になったような気がするけど・・・。
「んー?」
甘えた声を気にしないようにしつつ、あたしは言った。
「あの人達、ほんとに置いてきちゃって良かったの?」
「あのねぇ・・・仲良くする必要性、これっぽっちもなかったよね?」
肩の上で喋ってるせいで、クロウくんの顎がかくかくしてる。
ため息混じりの言葉を耳元で紡がれては、腰の辺りがざわついて仕方ない。
あたしは落ち着かない気持ちを宥めながら、口を開いた。
「それは・・・」
「ちゃんと薬も置いてきたし、アイリちゃんの服もあげたし。
ついでにミカンのために買っておいた果物も、いくつか分けてあげたよね。
十分だよ。これ以上いても、お互い精神的にも休まらないだろうし」
表現に気を付けながら、病人に対する態度について言うつもりが、彼の方が先に言葉を紡ぐ。
その声は硬くて、なんだか冷たかった。寒さを感じるくらいに。
「そっか・・・そうだよね・・・。
せっかくクロウくんが買ってくれたのに、ごめんね」
「・・・いいよ、もう。
アイリちゃんの元気がなくなるのは、もっと嫌だし・・・」
・・・ああ、やっぱり服あげるの嫌だったんだ・・・。
彼の言葉に、心の中で呟く。
背中越しに暖かいはずなのに、くっついていても寒い。
ふるり、とやってきた震えを、彼が後ろから抱き込んで。
「大丈夫?
なんかさっきから、グラグラして危なっかしい・・・」
「ん・・・」
平気、と言おうとしたのを遮って、彼が大きな手をあたしの額に当てた。
ああ、冷たくて気持ちいい・・・。
うっとりと目を閉じたあたしの手が、鞍の取っ手から浮く。
途端に、ぐらり、と上体が傾いだ。
「え、あっ、ちょ・・・っ?!」
がっしりした腕が、腰を囲んで固定する。
でも腰から上は、頭の重さにつられたのか、大きく傾いていく。
ぐらぁ、とやたらとスローな動きをしたはずのあたしの体は、次の瞬間、クロウくんの胸に沈んでいた。
自分の体が、こんにゃくみたいに頼りなくなっているのは、さすがに分かってる。
コントロールのきかない体は、萎れた切り花みたいに重力に逆らえなくなっていく。
時折霞みのかかる意識をどうにか保とうとして、あたしは息を吐き出した。
けど、吐き出した分の酸素を吸い込むことが出来ない。
思い切り吸い込んだつもりが、すぐいっぱいになって咳込む。
気づけば、呼吸がままならないくらいに苦しくなっていた。
「もしかして、アイリちゃんも熱出しちゃった・・・?」
その瞬間、彼の手が再び額に貼り付いた。
・・・そんなんじゃ、ちゃんと体温計れないのに。気持ちいいけど。
ガチガチと歯の根が合わない。
それでも、あたしはクロウくんの名前を呼んでたんだと思う。
「くろ・・・」
「うん、傍にいるよ。
・・・俺がなんとかするからね」
その言葉にあたしは、ああやっぱりクロウくんは怖くなんかない、わんこみたいな優しいひとなんだな・・・なんて。
朦朧とする中で、頬が緩んでしまった。
真っ暗なところへ引きずり込まれる意識の中あたしが感じていたのは、クロウくんの手の温かさと、それすら飲み込みそうな寒さ。
それから、少し速くなってるクロウくんの鼓動の音。




