思い出と平手
強張った顔をそのままに、先輩が言った。
「ひとまず、会社に戻らないか?」
大皿で運ばれてきたピラフを取り皿に分けていたあたしは、先輩のやっぱりな発言に、ちらりと視線を上げた。
平静を装ってるみたいだけど、端正な顔立ちのあちこちが引き攣ってます。先輩。
動きを止めたあたしの手から、クロウくんがお皿を取る。
あたしは彼が、綺麗な仕草で取り分け始めるのを横目に、口を開く。
「会社からの指示なら、戻りますけど・・・」
撤退するのは、なんとなく嫌で。でも会社の決定だったら、従うしかない。
心の中にさっぱりしない何かを感じつつ、あたしは呟いた。
「指示は出てない」
苦虫を噛み潰したような顔をして、先輩が唸る。
「・・・でも、俺はお前が心配で来たんだ」
「それは、その・・・ありがとうございました」
ストレートな表現を前面に押し出されると、反応に困ってしまう。
嬉しいけど、口の中は苦い。
複雑な気持ちでお礼を言ったあたしに、横からピラフのお皿が差し出された。続けざまに、グラスに水を注がれる。
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるクロウくんを振り返って、お礼を言う。
甘い笑みが返ってくるのを見届けて、あたしは先輩に向き直った。
「先輩が心配して来てくれたのは、嬉しいです。
でも、これがあたしの仕事なので・・・」
「通信範囲から外れて、捜索が必要な仕事が?」
「今回は、たまたまです。
てゆうか、初めてですよ。2年目ですけど」
「1人で大丈夫なのか?」
「ひとりじゃ、ないです」
ぽんぽんと言葉を投げ合って、クロウくんを一瞥してから、あたしは言った。
「クロウくんに、たくさん助けてもらってます。
土地勘もあるし、旅慣れてるし。
それに彼、お医者さんなんです。ね?」
小首を傾げれば、かち合った視線が溶ける。
頷いたクロウくんが、あたしの頭を撫でて立ち上がった。
「部屋に戻ってるね」
「え?」
思わぬ言葉に、心配になる。
確かに、仕事の話でクロウくんは居づらい雰囲気だったとは思うんだけど。
・・・突然席を立つなんて、やっぱり気を悪くしてるんだろうか。
そんなことを考えていたのが、顔に出ていたんだろう。
クロウくんは、ふっと笑みを浮かべた。
「ちゃんと話した方がいいよ、アイリちゃん。
話聞いてる限り、アイリちゃんは行方不明になってた、ってことでしょ?
センパイが心配するのも、もっともだと思うしさ・・・」
「あ・・・うん・・・」
曖昧に頷くと、彼がまた頭を撫でる。
その口元に浮かんだ笑みが、深くなった。
「そんなカオすることないでしょ。
部屋で寝てるから、戻ってきたらノックして」
なんかこれじゃ、いつもと立場が逆な気がする。
なんだか、甘やかされてるような・・・。
いつもと違う雰囲気に落ち着かなくなって、あたしが口を開こうとした時だ。
クロウくんが、先輩に視線を投げた。
「あー、センパイ?
悪いんだけど、話が終わったら彼女のこと部屋まで送ってもらえますか?
迎えに来てもいいんだけど、水差しちゃうのもアレなんで」
今度は、にっこり綺麗な笑顔を貼りつける。
もしかして、わんこくん怒ってるの?
首を捻りたくなる挙動にあたしが戸惑っている間に、先輩は頷いて。
なんかよく分かんないうちに、話は終着したらしい。
「あ、それからいっこだけ・・・。
俺、騎士団の付属医師団に籍置いてて。
コネもあるし、アイリちゃんの仕事の役に立てると思います」
最後に言葉を置いて、クロウくんは踵を返した。
こっちを一瞥すらしなかった彼の背中を、あたしは追いかけたくなって。
そんな自分に、また戸惑ってしまったのだった。
半分は、仕事の話。もう半分は、思い出話。
仕事で、とはいえ1年ぶりに再会した男女がする話なんて、そんなもんだ。
「今の仕事、楽しいか?」
結局一度もこっちを振り返らずに、クロウくんが食堂を出て行った時。
先輩が、何の脈絡もなく尋ねた。
「え、あ、はい。
・・・ちょっと大変ですけど、楽しいです」
そして、あたしは気づく。
自分の手のひらが、ほんのり汗ばんでることに。
・・・緊張してやんの。
久しぶりに会った先輩は、やっぱり男前だ。
ドッキリ要素の強い再会だったから、今になって心臓が煩く騒ぎ出したらしい。
クロウくんが隣にいる間は、冷静に言葉を紡いでいられたのにな。
もういない彼のことを思い出して、唇が緩む。
すると、先輩が息を吐いた。
「そっか、まあ、楽しいならいいんだけど。
・・・急に異動したから、びっくりして心配してた」
「すみません」
沈んだ声に、俯いて答える。
「・・・相談くらい、して欲しかったなぁ。
まあ、そうしたら引き留めてただろうけど」
「うーん・・・」
言葉に迷って、曖昧な頷きを返したあたしは、グラスを口に近づけた。
・・・話題、変えた方が良さそう。
そう思ったあたしが、何を話そうかと考えを巡らせて。
無難に、最近の日本のニュースなんかを聞いてみるかと、含んだ水を飲みこもうとしていた、その刹那だった。
「お前は気づいてなかっただろうけど、俺、お前のことが好きだったんだぞ」
特大の爆弾発言をふっかけられた。
しかも、口に水が入ってる、っていう地味に危ない状況で。
早鐘を打つ鼓動に、胸をばしばし叩きながら嚥下して、あたしは呼吸を取り戻す。
血が逆流してるんじゃないかと思うくらい、体が熱い。
やばい、発火する。
いざとなったらピッチャーの水を頭から被るつもりで、手を伸ばしてみた。
その瞬間に、先輩の手があたしの手を捕まえる。
自分の手なのに、手首に巻かれた白い布が目に眩しくて。
あたしは、爆弾発言に吹き飛んでいた気持ちが、少し落ち着くのを感じていた。
「この手、どうした?」
先輩の意識も、白い布に向けられたらしい。
「先輩が思いっきり掴んだとこ、大丈夫だって言ったんだけど・・・クロウくんが」
肩を竦めながら、その時のことを思い出す。
クロウくんが、血相変えて湿布みたいなのを貼ってくれたんだっけ。
・・・寝不足だから、今頃すっかり寝入ってるかも知れない。1人で大丈夫かな。眠気が寂しさに勝ってくれてるといいんだけど・・・。
ほんのり浮かぶ笑みに気づいたのは、先輩の指が、あたしの指に絡まった時だった。
はっとして視線を上げる。
「・・・こんなにすんなり言えるなら、もっと早く言っとくべきだったな」
指と同じように絡まった視線が、熱を含んでる気がした。
ここは異世界だ。
この世界に、先輩を取り巻くイケジョの存在はない。
だから、この状況ですぐにトラブルがやって来るわけじゃない。
分かってるのに、あたしは、絡まった指を引っ込めた。
ゴツゴツした先輩の指の感触が、生々しく貼りついてる。
「あの・・・?」
指を擦りながら、あたしは目の前で固まってる先輩を呼んだ。
すると我に返ったらしい先輩が、気まずそうに視線を逸らす。
「少しは脈があると思ってたんだけど、今さらか・・・?」
「ええと・・・その・・・」
困り果てて、あたしは口ごもった。
何の話をしてるのか、ちゃんと理解してる。
自分が告白されてることに、ちゃんと戸惑ってる。
視線を彷徨わせるあたしを、先輩が見つめてるのが分かった。
じっと、息を潜めて。固唾を飲んで。
他のテーブルから聞こえてたはずの喧騒が、遠くなる。
テーブルの上には、中途半端な食事の痕跡があった。
あたしの取り皿には、ちゃんと彩りよく料理が載せられてて。
グラスにも水が満たされてるし、フォークやナイフも手元に置かれてる。
でも良く見たら、クロウくんの席に置かれた取り皿は、ほとんど綺麗なままで。
あたしは、そっと息を吐いた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「あたし・・・」
ここは異世界だから。
旅の恥はかき捨て、みたいな勇気が出せる。
瞬きもしないで、先輩があたしを見つめた。
「あたしも先輩のこと、好き、でした」
「・・・まじかよ」
返ってきた小さな声に、あたしは頷く。
手首の白い布を引っ張ったりして、気を紛らわせながら。
「だから、異動させてもらったんです。
・・・いろいろ、騒がしくなっちゃって。働きづらくて」
真っ赤になって口元を手で覆っていた先輩が、眉根を寄せた。
「は?」
「先輩、モテてましたから。
あたしの教育係になったの、良く思わなかったみたいで」
旅行会社の支店なんて、狭い社会だ。
女性は、相手の矢印がどこに向かってるかなんて、3分で読み取れる。中でも恋をしちゃってる女子なんか、一瞬あれば十分だ。
「どういう意味?」
真っ赤になってたはずの顔が落ち着いて、怪訝そうなカオをした先輩に、あたしは言った。
「分かりやすく言うと、お姉さま達の癇に障ったみたいで。
・・・だから、すっぱり諦めました」
紆余曲折は省いて、結果だけを口にする。
そんなあたしを、先輩はまた、苦虫を噛み潰したような顔で見つめた。
「そんなの、全然知らなかったぞ。
お前、普通に仕事してじゃねぇか」
苛立ってるんだろう、先輩の口調がちょっと荒れる。
でもあたしの心に、波風が立つことはなかった。
もやもやしてたものを吐き出して、なんだかスッキリしてるくらいだ。
「そういうの、当事者に相談しちゃったらダメなんですよ。
よっぽど気が利いて堂々としてる人じゃないと、地獄のスパイラルに陥るので」
ぱたぱたと手を振って、苦笑混じりに返す。
これでもあたし、イケメン絡みのトラブルは百戦錬磨だからね。
危険回避のスキル、社会人になるまでに磨けてて良かった。
だって、仕事は簡単には辞められないもん。ごはん食べられなくなっちゃう。
すると、一瞬きょとん、として先輩が口を歪めた。
「・・・俺じゃ頼りなかった、ってことかよ」
そして、がくん、と先輩の肩が落ちる。
・・・なんかそれ、最近良く見るんだけど。
それでも、会計の時に財布を出した先輩は、やっぱり大人の男の人で。
あたしみたいにドタバタしなくても、領収書をちゃんと貰ってて。
しかも、クロウくんにお土産まで買ってくれた。
「あれと、これと、そこのパイ包みも」
「・・・そんなに食わせて、胃もたれしねーか?」
「うーん・・・でも、全部クロウくんの好きなものだから」
「・・・もう勝手にやってくれ・・・」
なんて、やり取りがあって。
買ってもらったものを載せたトレーで両手が塞がったまま、慎重に階段をあがる。
「あれ、封を切ったら無効だからな」
「分かってますよ~」
会社から、国王への手紙を預かったのだ。
話を聞くと、先輩はどうやら、あたしの無事を確認して手紙を預ける、という業務命令を受けてやって来たらしかった。
内容は知らないけど、まあ、あたしの仕事を後押ししてくれることを願おう。
「先輩も、皆さんによろしくです」
「ああ」
部屋の前まで来て、立ち止まる。
どちらからともなく、目が合って、見つめ合った。
ふいに訪れた緊張感と気まずさに、思わず言う。
「あの、ノック・・・お願いします」
すると、先輩はわずかに目を細めた。
その瞬間に、背中がむず痒くなる。
トレーの上で食器が、かちゃ、と音を立てた。
さっき財布を掴んで、お札を摘まんでた手が、あたしの頬に触れる。
手首から、ふんわり甘い匂いが漂って、それに気を取られた刹那。
「せんぱ・・・」
呼ぶ声が塞がれて、い、の音を飲みこんだ。
1年前に想像してたものが、どんなもんだったかなんて覚えてない。
だから、突然の口付けの熱さに、頭の中で何かが爆発した。
そういう人形みたいに必死にトレーを掴んで、あたしは立ち尽くす。
そんなあたしを小さく笑った先輩は、ドアをノックして体を屈めた。
そして、あたしに耳打ちする。
一瞬見えた横顔が、物凄く意地悪で。
「ぬか喜びさせてくれたお返しだ。
今夜くらい、頭の中俺でいっぱいにしとけ」
そう囁いた先輩は、口をぱくぱくさせるあたしを置いて、帰っていった。
先輩の気配が遠ざかるのとほとんど同時に、ドアが開く。
寝起きのクロウくんが、ぎっしぎしに固まったあたしを見て、覚醒した。
部屋に入ったあたしから、トレーを取り上げる。
それをテーブルの上に置いた彼は、そのままあたしの頬を挟み潰した。
・・・ぐえぇ。
「なんでこんなに真っ赤なの?」
冷え冷えする声は、もはや寝起きとは思えない。
ドアを開けた時の無防備感、どこに行っちゃったんだ。あっちの方が、今よりも百万倍可愛かったのに・・・。
そんな呟きすら許されない雰囲気に、あたしは言葉にならない声を絞り出した。
挟み潰されては、言葉を紡ぐこともままならない。
それに気づいたのか、クロウくんがやっと手を離す。
「・・・うぇぇ、痛い・・・」
じんじんする頬を擦り擦り、あたしは彼を見上げた。
ぶつかった瞳が、これまた寝起きとは思えない鋭さを纏っている。
「あいつと何かあったんだ」
むっすりした唇から、言葉が零れた。
何かあった、と断定する口調に、あたしは途方に暮れる。
正直に話すか、それとも誤魔化すか。
どっちにしても、クロウくんの興奮状態からすると、あんまり良くなさそうだ。
「ちょっと、落ち着いてよ」
いろいろ考えて、まずは落ち着くことを選ぶ。
あたしだって、いろいろ落ち着きたいんだよ。
頬を擦って言ったら、今度は腕が伸びてきた。
ぐるん、と巻き付いたそれが、あたしを引き寄せる。
「や、ちょっ・・・?!」
抗議の声が自然に上がって、あたしは腕で彼の胸を押し返した。
細いクセして力のある彼が、くすくすと笑みを漏らす。
「何かあったんだ。
だから真っ赤だったんだ」
顔を上げたあたしは、自分の顔が引き攣るのを自覚した。
クロウくんの笑顔が、物凄く意地悪だったから。
・・・てゆうか、その笑顔、ついさっき見て・・・。
あたしが、その笑顔に気を取られていた刹那、ふいにクロウくんの顔が近づいてきて。
「じゃあ俺も。
アイリちゃんは、俺のだもん」
べちん!
次の瞬間、あたしは思いっきりクロウくんの顔面を叩いていた。
・・・やっちゃった。
・・・いやいやいやいや待て、正当防衛だ。
「叩くことない~・・・」
「ごめ・・・両手が空いてたからさ・・・」
しょぼん、と肩を落としたクロウくんの頭を撫で撫で、あたしはひたすら謝った。
理由はどうあれ、叩くのは良くないよね。ごめん。
・・・でもアレはダメです。




