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稲妻とあたし








片方の手だけが、頼りなく風を掴む。


あまりの臭さに、呼吸が苦しい。

暑いし。

痛いし。

このままじゃ、あたし、死ぬかも。

ゴミに埋もれて、死んじゃうかも。

そしたら・・・あいつら絶対呪ってやる。








「死体・・・?」

意識が朦朧とし始めた頃、ふいに男の声が聞こえた。

あたしは、声を振り絞る。

「・・・ふ・・・っ、むぅぅぅーっ」

助かるかも知れない。

そんな思いで、必死に声を上げた。

息を吸い込むたびに、きつい生ゴミ臭に吐き気がする。

「生きてるのか・・・?」

自問するような呟きが、聞こえた。

そして、唐突にあたしの腕が、容赦なく引っ張られた。


がぽっ。べしゃっ。


ゴミ山から救出されたあたしは、酸素をありったけ、肺に送り込む。

さっきまで、かろうじて肺に入れてたのは毒ガスか何かだったのか。全然味が違う。


「・・・うっ・・・」

呻き声。

あたしのじゃなくて、男の。

視線を送ったら、あたしを引っ張り出してくれたらしい男が下を向いて口を押さえていた。

・・・苦情をぶつけられる前に、謝っとこう。

「ごめんなひゃい」

わき腹の辺りが軋んで痛くて、語尾がふらつく。

下げた頭が湿っぽくて、すごく重かった。

気分転換に美容院にいったばかりだったのに。

来週まで待てば良かった。


視界に入り込んだ男の靴先が、一歩、後退する。

あたしのつむじ、今、どうなってるんでしょうか。


さすがに目も当てられない感じになってるなら、この人の前から早いとこ消えた方がよさそうだ。

「どうも、あり・・・」

言いながら頭を上げたあたしは、顔が強張るのを止めることが出来なかった。

見上げた男の顔に、斜めに黒い線が走っているのを見てしまったから。

・・・稲妻にでも打たれたみたい・・・。

眼光鋭い男の口元が、きゅっ、と引き締まる。

「・・・がと、ございました・・・」

かろうじて絞り出した言葉に、彼は目つきを険しくしただけだった。

あんまりよく思われてないのは、一目瞭然。

過剰に反応したあたしが悪いんだって分かる。

けど、謝ったら余計に拗れる気がして、結局何も言えなかった。


そうして考えを巡らせた末、あたしは静かに尋ねることにした。

「ほんと、助かりました。

 あの、ここらに宿とか、あったら教えていただけませんか」

辺りを見回しても、土埃の舞う通りが伸びているだけだ。

その向こうには、通りの両側に建物が並んでいるのが見える。

探し回るだけの気力はないから、出来たら名前と外観の特徴だけでも教えて貰いたいんだけどな。

・・・それにしても、すっごいニオイ・・・。

自分の体から漂うゴミ臭さに、鼻が曲がりそう。

「宿は、この時期は営業してないよ」

無慈悲なひと言に、情けない悲鳴が出た。





・・・バッシャァァ!

「わぶぅっ」


・・・バッシャァァ!

「あのっ、うぶっ」


「待っ、あっ」

・・・バッシャァァ!


「ちょちょちょちょちょー!」

ふざけてるんじゃなくて。

もうね、奥歯がカチカチ鳴って言葉にならないんだよ。

ちょっと待て、って言いたいんだけど言えなくて必死に首を振ってるわけ。

稲妻男が、飲食店用のでっかいポリバケツみたいなのに水を用意して、あたしの頭の上でひっくり返そうとしてる。

もうすぐ秋も深まる夕暮れ。

赤とんぼ、飛んでるだろ。


普通の人は、この時期のこの時間に水なんか浴びないんだってば!


「心配ない、良い考えがある」みたいなことを言ったから、素直に待っていたらこの展開だ。

思えばそれが間違ってた。

そういえば小さい頃、お母さんに「初対面の人を簡単に信用しちゃダメよ」って口酸っぱく言われてきたのにな。

ゴミ山と一緒に捨てられたとこから、いや、今回の案件があたしに回ってきた時から、運は完全に尽きてたんだろうな。

足元はぐちゃぐちゃだ。

あたしの髪や服にこびりついてたらしい生ゴミも一緒に、足元にぬかるみを作ってる。


ぱっと見、決して力持ちには見えないクセに、男には力があった。

でっかいポリバケツを5つも用意して、今、4つ目を持ち上げたまま小首を傾げている。

「ぐだぐだ文句言わないでくれるかな」

あたしの唇が震えてることとか、青ざめてることとか、見えてないのかコイツ。

有難迷惑って日本語、懇切丁寧に教えてやりたい。

そこに水置いといてくれたら、自分でなんとかするよ!

・・・とか、今喋ったら舌噛みそうだけど。

「いいから、じっとして。

 じゃないと家にあげられないでしょ」

「・・・は、ぶぅっ?!」

言い放たれた言葉に反応した瞬間、またしても滝修行が敢行されたらしい。

ものすごい水量で、頭に圧力がかかる。

簡単に、膝が折れた。

・・・ああもう、ゴミ山で窒息の次は滝修行で凍え死にか。


キンキンに冷えた水に打たれたあたしは、今日2度目の覚悟をした。







肌寒さに、毛布を手繰り寄せる。

肩までくるまったあたしは、深い息をついて、もう一度眠りに堕ちようとして・・・。

がばっ、と飛び起きた。


ほんとに驚いたり恐怖した時、人は声が出ないって聞いた。

確かに。

びっくりしすぎて、頭が真っ白だ。


生ゴミの山で窒息しそうになってたあたしを、稲妻顔の男が引っ張り上げてくれて。

それから、親切なのか分からないけど、冷たい水を頭から被せられて。

・・・そっか、それで気が遠くなったんだった・・・。


思い出したあたしは、息を殺して辺りを見回す。

ぼんやりとした蝋燭の明かりが、テーブルの上で揺れていた。

遠くで、獣が吠えているのが聞こえてくる。

天井を見上げると、そこにはプロペラみたいなものが回っていた。

なんだか監視されてるみたいな気味悪さに、あたしは視線を戻す。

ここはどこ、なんて呟く気はない。

あの台詞を思い出す限り、ここは男の家なんだろう。


戸口に人影が現れる。

稲妻顔の男だ。

ぶつかった視線が、鋭い。

銃を手にしているのかと思うような、そんな見据え方をして近づいてくる。

そして、間近までやって来た男は唐突に、ふにゃりとした笑みを浮かべた。

「なんだ、起きちゃったの」

若干がっかりしたような声に、思わず身構えてたあたしは、なんだか拍子抜けしてしまう。

一瞬前までの研ぎ澄まされた感じは、どこに消えたんだ。

あたしは、おそらく男のものであろうベッドのシーツを握りしめて、生唾を飲み込む。

着てるものが変わってるのは気になるけど、体の違和感はない。

だからきっと、大丈夫。

ばくばく煩い心臓を宥めるつもりで、深呼吸する。

そう言い聞かせて、まずは、と口を開いた。


「お世話になったみたいで、すみませんでした。

 今すぐ出て行きますんで・・・」

「だーめ」

言いながら足を下ろそうとしたあたしを、男は押しとどめる。

にっこり微笑む顔に走った稲妻が、歪んで見えるのは気のせいか。

「俺、医者だからね。

 患者に勝手を許すわけにはいかないよ。

 悪いけど・・・えっと、何て呼んだらいい?」

「医者?」

しゃあしゃあと並べた男に、あたしは眉をひそめた。

信じられるわけがない。

医者的な判断のもと、あたしに水をぶっかけたんなら、こいつは絶対ヤブ医者だ。

「・・・そ。

 王立騎士団の付属医師団で、医者やってたんだ」

そう言って、ほら、と指差す。

蝋燭の明かりだけが頼りの部屋の壁に、額縁が飾られているのが分かる。

文字までは見えないけど、きっと医師免許なんだろう。

「・・・それは、わかりましたけど・・・。

 医者の割には、やることが無茶すぎません・・・?」

助けて貰った身分だと分かってるけど、やるせない気持ちが収まらなかった。

あたしの言葉に、男は肩を竦める。

「だって、あんな汚い格好で家に上げるとか、無理でしょ。

 医者みんなが、まるっきりの善人なわけないじゃん」

「・・・はぁ・・・そ、ですか・・・」

男は一点の迷いもなく言い切って、あたしを見下ろしてる。

真っ黒な髪が、艶やかに揺れた。

「で、何て呼べばいいの?」

ほっそりした体から伸びる影が、蝋燭の明かりに揺れている。

あたしは乾いた唇を湿らせて、腹を括った。

「・・・アイリです」

「アイリね。

 俺、クロウ」

「クロ?」

・・・犬みたいな名前だね。

思わず心の中で呟いたあたしを、クロウさんがジト目で見てる。

「なんかよく分からないけど、あんた今俺のこと馬鹿にしたでしょ」

「・・・してないです」

つ、と目を逸らしたあたしに、彼はため息をついた。

「足首とわき腹、手当しといた。

 着替えは、させてもらったよ。風邪引いちゃうし。

 ・・・念のため言っとくけど、医者だからね、俺」

最後のひと言を噛んで含むように言って、彼がベッドに腰を下ろす。

咄嗟に足を引いて、枕を抱き込む。

そんなあたしを見て、彼は頬を引き攣らせた。


体温計を渡されて、わきの下に挟む。

その間に問診をした彼は、ふぅ、と息を吐いた。

「これで熱がなければ問題なし。

 足とわき腹の薬を塗り直すから、ここを出ていいのは明日の朝になるね」

「・・・分かりました。

 診察代、領収書貰えます?」

頷いたあたしの言葉に、クロウさんは訝しげな視線を寄越す。

「・・・もしかして、仕事中に生ゴミの山に放り込まれたの?」

どんな仕事だよ、とぶつぶつ言うのを聞き流して、あたしは首を振った。

「今も仕事中です。てゆーか、出張中・・・?

 とにかく、やらなくちゃいけないことがあって、その途中でこうなってます。

 ・・・あー・・・」

ばふん、と枕に顔を突っ込む。

自分の陥った状況に、途方に暮れた。


・・・そうなんだよ。仕事中なんだ。

もうやる気出ない。

職場放棄しちゃいたい。

でも、でもでもでも。

この案件片付けないと、冬のボーナスにひびくんだよ。

頑張れ、あたし。負けんな、あたし。


ひと通り心の中で葛藤したあたしは、そっと顔を上げた。

「・・・あたし、旅行会社の人間なんですけど。

 うちのパッケージ利用者が、最終日に指定された集合場所に戻ってこなくて。

 そんで、お迎えに来たんですよね」

「・・・ふぅん・・・?」

相槌と一緒に、彼の手のひらが差し出される。

その手が求めているものが分かったあたしは、取り出した体温計を置いた。

手にしたものを摘まんで、体温を確認した彼が頷く。

どうやら熱はないらしい。

「異世界の人間だったんだ」

「はい」

こくん、と頷いたあたしを見て、彼は呟いた。

「そっか・・・。

 普通に診察して、処置したけど・・・こっちの人間と変わらないんだね」

「そりゃ、まぁ・・・あ」

「ん?」

何とも言えない感想に、曖昧な相槌を打ったあたしは、はっと我に返った。

確認しなくちゃいけないこと、あるんだ。

自然と肩に、力が入る。

「あの、ここってファルア・・・ですよね?」

クロウさんは、体温計をケースにしまいながら答える。

「うん、そうだけど」

彼の肯定に、思わず安堵の息を吐く。

「・・・よかったぁ・・・。

 お隣の国とかだったら、どうしようかと思った・・・。

 長いことゴミ山の中だったから、どこまで来ちゃったのかと」

「・・・隣国だったら、どうなっちゃってたの?」

薄暗い部屋では、彼の顔に走る稲妻はよく見えない。

「山岳都市国家クライツとは、観光協定を結んでないんですよ。うちの会社。

 あの国って、標高が結構あるでしょ。

 協定結ぼうとして出向いた社員が、高山病になっちゃって。

 登山が趣味のお客様には、魅力的な国だと思うんですけどねぇ」

「なるほどね・・・そんなとこだったんだ、クライツって」

「知らなかったんですか?」

「興味なかったから。

 ・・・この辺の人達は、みんな、そんなもんじゃないかな」

「このへん・・・」

彼の手の中にある体温計をぼんやりと眺めていたあたしは、彼の表情を窺うようにして、そっと尋ねた。

「ここ、ファルアのどこですか・・・?」

「え?

 ・・・東の端の、“朝日の街”だけど」

その言葉は、あたしを絶望させた。







あたし、林愛梨は、異世界観光地を専門に扱う旅行会社【トリップ・オア・トラベル】で働き始めて、今年で3年目になる。

新人時代は支店事務だったんだけど、いろいろあって、本社の【調査部・お客様課・お迎え係】への転属を志望して聞き届けられて。

だから、お客様のお迎え係は実質2年目。

うちの会社が取り扱ってるパッケージのリゾート地で、悪気なく迷子になる方も、意図的に迷子になる方も、探し出して無事に連れ帰ることが、あたしの業務。


うちのお祖母ちゃんが言うには、「異世界に行くなんて、あたし達の時代には神隠しって言って、そりゃあ怖いもんだって言われてた」そうだ。

確かに、短大の授業でも教授が言ってた。

ひと昔前までは、ある日突然、人が別の世界へと転送される現象が、ごく稀にあったそうで。

それを、その時代の人達は“異世界トリップ”と呼んだらしい。

未知の世界だし、なんか格好いいし・・・みたいな感じで、若い子達の目には魅力的に映ったというけど・・・あたしはその“異世界トリップ”の被害者たる人物を、3人知ってる。

うちの、ひいばあちゃん、お祖母ちゃん、お母さんである。

3人共、ある日突然違う世界に飛ばされたり、迷い込んだりで、散々な目に遭ったんだと。

詳しいことは省くけど、「甘いこと考えてると、泣きを見るよ」とのことで。


ともかく。

そういうわけで、ひと昔前までの異世界体験は、今では“ゲリラトリップ”と呼ばれてるわけ。

突然身に降りかかって、避けようもなく、何の準備もないままに異世界体験させられる、って意味だ。


今は違う。

いろんな技術が進歩して、ゲリラトリップは発生前に抑えることが出来るようになって、そのうえ異世界への旅行が可能になった。

ただし、観光協定を結んでる国や地域のみに限定されてるし、異世界のものは基本的に持ち帰ることは出来ない決まり。映像、画像に記録することもダメ。

でも、人は日常からの逃避を求めて、うちの会社を利用する。

いつの時代も、どんな社会でも、毎日の生活に追われる人達にとって、異世界とはとっても魅力的な場所なのだ。


・・・だけど。家に帰るまでが旅行なんだよね。

今回みたいに、お客様が帰りたくなくてゴネるなんてこと、しょっちゅうある。

そこで、あたし達【お迎え係】が出動するわけだ。

抵抗したら首根っこ掴んででも、連れ帰るのがあたしの仕事。なんだけど・・・。



転送されて、着地したのが槍を持った騎士達の前って、一体どういうことなんだろうか。

「今回は特別、お客様の目と鼻の先に降ろしてあげるからね♪」なんて、最近出来たらしい彼氏のおかげで鼻唄混じりにのたまった先輩が、手元を誤ったんだろうか。





稲妻顔の医者がいなくなった部屋で、途方に暮れる。

彼の腕がいいのか、足首もわき腹も、すっかり痛みは引いていた。








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