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 風呂場とトイレがある廊下を抜けると、ダイニングキッチンがある。その手前、廊下に隣接するように一部屋。その一部屋に曽根ちゃんはいた。フローリングの上で洋服を剥ぎ取られるように乱れていて、さぞかし床が冷たいだろうと頭の片隅で考える。そこに馬乗りになる富樫充は、デニムの前だけを開けて腰を振り続けている。

「お前、インターフォン、しつけぇんだよ、帰れ」

 息を切らせながら言う富樫に近づき、俺はそいつのすぐ傍に立った。ぴしゃっと音がして、富樫が曽根ちゃんから離れた事が分かる。

「帰れっつってんの。チビ」

「子供はママの乳首でもしゃぶってろカス」

 自分でも驚くぐらい淀みなく罵る言葉が流れ出てきて爽快だった。ママがいない事は知っている。それでも曽根ちゃんにしている事は許される事ではなくて、俺がママをネタにして富樫をいじる事なんて、曽根ちゃんがされていることの数パーセントにも満たない苦痛しか与えないはずだ。

 富樫はデニムのファスナーを上げたので、逆に俺はダウンのファスナーを下げてそれを脱ぎ、曽根ちゃんに投げた。次の瞬間に、俺は胸ぐらを掴まれていた。そいつの右手が頬に向かってきた事に気付き、俺は寸でのところでそれをよけると、残念な事に蹴りを食らった。まぁ、大事な顔にキズがつかなくて良かったのだけれど。

「こうの彼氏は俺だ。てめぇは後から来て何なんだよ」

「何なんだって曽根ちゃんの彼氏だ。気が合うな」

 妙に落ち着いていられて、それは相手が落ち着いていないからだと分かる。富樫はとても苛ついていて、軽挙妄動、決まりが悪そうで、見ていて居たたまれなくなる程だった。胸ぐらにあった手はひとまず外され、富樫は上着を着始める。

「悪いけど富樫君、曽根山さんは君の事を愛してねーからな」

 ダウンのファスナーから目を俺に向け「あ?」と怪訝な顔をする。

「誰かに愛されたかったらもうちょい努力しろよ。親がいない事は理由にならねえよ。俺だって曽根ちゃんに愛されようと目下努力中なんだよ」

 再び俺の胸ぐらに手が掛かったけれど、俺は何をされても構わなかった。この瞬間だけでも曽根ちゃんから富樫の目が逸れている、それで十分だった。

「お前ぇに何が分かんだよ糞野郎」

「意外と分かるんだよ、ガキはおうちに帰りなさい」

 富樫の瞳は怒りに揺れていたが、何かを悟ったような顔に変わり、俺を突き放すようにして曽根ちゃんの家を出て行った。ドアを閉めた瞬間に部屋の中に圧が掛かったようになった。凄い力だこと。

 曽根ちゃんは、俺が上着を投げた時のまま動いていなかった。叩かれたのか、左の頬が赤くなっている。曽根ちゃんの傍にしゃがむと、彼女の手の温度を確認し、「こうしてな」と左の頬に手の平をぴたっとくっつけさせた。氷の代わりになりそうな程、彼女の手の平は冷えていた。

「あのさ、ストーカーなんちゃらとか、レイプとかで、警察に相談したら?」

 横たわる彼女の頭を俺の膝に乗せ、髪を撫でると、彼女は首を横に振った。

「駄目だよ、そんな事したらあいつ、一人になっちゃう」

 彼女の考えている事は大筋で分かる。富樫には家族がいない。頼れるのは自分しかいない。そういう事だ。だからってあんな乱暴な方法で、曽根ちゃんの愛を独り占めにしようとするのはおかしいし、そもそも曽根ちゃんはダッチワイフじゃないんだ。血の通った人間なのだ。こんな事許されていい筈がない。

「一人にしたらいいんだよ。そうすれば曽根ちゃんの他に愛してくれる人、探すんじゃない? つーか曽根ちゃん、もしかして富樫の事、愛してんの?」

 残像しか残らないぐらいの早さで首を横に振る。

「じゃぁ放っとけよ。誰かに愛してもらう為には、努力しなきゃ。暴力で愛情を勝ち取ろうなんてね、甘いんだよ」

 膝に乗っている曽根ちゃんの目から、こめかみに向かって涙が流れ落ちた。それにはどういう意味があるのか計りかね、俺は狼狽する。狼狽を悟られまいと、視線を外した。鼻をすする音が部屋に響く。ふと目をやった作業台には、彫りが施された指輪と器具が転がっていた。作業をしていた途中だったのかも知れない。今後もこんな事が続くのかと思うと、どうにかしてやりたい。

 突如、曽根ちゃんが口を開いた。

「塁は、充が怖くないの?」

 随分とおかしな事を訊く子だなぁと思い、苦笑する。

「怖くないよ、んな子供」

「暴力振るわれたのに」

「そこで怯んだら、相手の思う壷なんだって」

 すくっと身体を起こした曽根ちゃんの背中には、まだ真新しい赤い痕がある。これだけの暴力を受けたら、怯むよなぁ。俺は無責任な事を言ってしまったと内心反省する。

「とりあえずは、何かちゃんとした服、着なよ。塁君は目のやり場に困るぞ」

 口の端っこだけきゅっとあげて、笑顔にはほど遠い、顔の一部だけで作られたような笑顔を向けられ、妙に悲しくなる。

 俺はその日、そのまま曽根ちゃんの家に泊まった。「充が怖い」と言う彼女が少しでも安心していられる時間を作りたかったし、落ち着くまでは傍にいようと思った。パソコンを借りて、師匠にメールを送信して仕事を終わらせる事にした。

 それから智樹に電話をかけた。

『おう塁か、明けましておめでとう』

「ありがとう。明日家にいる?」

『何だ出し抜けに。新年の挨拶ぐらいちゃんとしろ』

「明けましておめでとうございます。それで明日は家にいるのかって訊いてんだ」

『俺も君枝もいるよ。どうした?』

「うん、ちょっと。曽根ちゃん連れてそっち行くかもだから」

 ちらりと目を遣った曽根ちゃんは、不思議そうに頭を傾げている。

『おう。来るとき連絡くれれば茶でも用意しとくから』

「コーヒーで頼む。甘いカフェオレね。矢部君に伝えて」

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