第三十四章 巨体が飛ぶ
第三十四章 巨体が飛ぶ
橋本真也と花嵐一美がタッグを組んでから、しばらく経った。
二人の連携は、少しずつ形になっていた。
橋本が蹴る。
花嵐が突く。
そして二人で刈る。
それだけではない。
橋本の蹴りから花嵐のかち上げへ。
花嵐の突きから橋本の蹴りへ。
二人で同じ方向へ力を出す「二人で決める」も、すでに観客には知られるようになっていた。
だが、花嵐には一つだけ、まだ試合で十分に使っていない武器があった。
自分の身体そのもの。
――150キロ。
その重さだった。
「……これ、使えると思うんだよな」
道場で花嵐が言った。
橋本が振り返る。
「何が?」
「これ」
花嵐は、自分の腹を叩いた。
「ボディプレス」
「……お前がやると洒落にならねえんだよな」
「だから考えてる」
花嵐は笑わなかった。
真面目な顔だった。
「俺が普通に飛び乗ったら、相手も危ないし、俺も危ない」
「そりゃそうだ」
「だから、落ちない」
「落ちない?」
「飛んで、支える」
花嵐はマットの上に手をついた。
「手と足を先につく。そこで身体を止める。最後に胸と腹を乗せる」
橋本はしばらく花嵐を見た。
「……それでも重いだろ」
「重いよ」
「じゃあ意味あんのか?」
「ある」
花嵐は立ち上がった。
「重いから」
橋本が吹き出した。
「結局それかよ!」
「150キロあるんだから、使わない方がもったいないだろ」
その発想は、実に花嵐らしかった。
問題は、どう使うかだった。
花嵐は何度も試した。
低い位置から飛ぶ。
手をつく。
膝をつく。
そして身体を落とす。
何度も繰り返すうちに、花嵐は自分の身体を止める感覚を掴んでいった。
見た目は派手だ。
だが、実際には無茶をしていない。
自分の体重を、自分の腕と脚で受ける。
相手に伝わるのは、その残った圧力。
そして何より――。
大きい。
花嵐が倒れた相手の上へ飛び込む。
それだけで、観客には「150キロが落ちてきた」ように見える。
「これなら試合で使えるな」
橋本が言った。
「だろ?」
「でもよ」
橋本が少し考えた。
「もっと凄いのもできるんじゃねえか?」
「もっと?」
「ロープからじゃなくてよ」
橋本が上を指差した。
花嵐も、その方向を見る。
コーナーポスト。
二人とも黙った。
「……あそこから?」
「お前ならできるだろ」
「できるかどうかと、やるかどうかは別だぞ」
「そりゃそうだ」
橋本は笑った。
「だから、ここぞって時だけだ」
その言葉が、花嵐の中に残った。
*
最初に試合で使ったのは、普通のボディプレスだった。
タッグマッチ。
橋本が相手を蹴りで追い込む。
相手がよろめく。
花嵐がリングへ入る。
そして、倒れた相手を見下ろした。
一瞬だけ、観客がざわめく。
花嵐がロープへ走った。
巨体が動く。
それだけでリングが狭く見えた。
そして――
跳んだ。
「うおおおおっ!」
150キロの身体が宙に浮く。
花嵐は着地寸前に両手と両足をマットへついた。
身体を支える。
そのまま胸から腹を相手へ覆い被せた。
ドンッ!
リングが揺れた。
観客が一斉に声を上げる。
花嵐はすぐに身体を起こした。
相手の無事を確認する。
そして立ち上がった。
橋本がリングの外から叫んだ。
「効いてんじゃねえか!」
「だろ?」
花嵐が笑う。
だが、それだけでは終わらなかった。
その試合から、花嵐は時々ボディプレスを使うようになった。
橋本の蹴り。
花嵐の突き。
二人で刈る。
そして――ボディプレス。
二人の連携に、新しい終わり方が生まれた。
それは、これまでの「投げる」「蹴る」「突く」とは違った。
花嵐自身が、最後の一撃になる。
*
そして、その日が来た。
IWGPタッグ王座を狙う戦いの中でも、特に重要な一戦だった。
橋本と花嵐は、試合終盤まで苦戦していた。
橋本が蹴る。
しかし相手のパートナーが割って入る。
花嵐が突く。
だが、二人がかりで止められる。
何度も流れを切られた。
橋本の額から汗が流れる。
花嵐も息が上がっていた。
「花嵐!」
「おう!」
橋本が相手を蹴り飛ばした。
相手が前へ崩れる。
花嵐が入った。
――かち上げ。
胸へ叩き込む。
相手の身体が浮く。
そのまま後ろへ倒れた。
花嵐は一瞬、相手を見た。
そしてコーナーを見る。
橋本が気づいた。
「……おい」
花嵐がロープへ向かう。
「まさか」
コーナーへ登る。
観客がざわめき始めた。
「花嵐!」
橋本が叫んだ。
「やるのかよ!」
花嵐はコーナー最上段に立った。
150キロ。
その巨体が、リングの上から見下ろしている。
花嵐自身も、少しだけ怖かった。
普通の選手とは違う。
落ちれば、自分自身にも大きな負担がかかる。
だからこそ、何度も道場で練習した。
飛ぶ。
身体を開く。
落ちる直前に手足で受ける。
そして――相手の上へ乗る。
花嵐は一度だけ深呼吸した。
「……ここだ」
そして跳んだ。
巨体が宙へ出る。
一瞬だった。
観客の視界いっぱいに、花嵐の身体が広がる。
両手。
両足。
身体を制御する。
そして――
ドンッ!
リングが大きく沈んだ。
花嵐の身体が相手を覆う。
歓声が爆発した。
「うおおおおおおおっ!」
橋本がすぐに相手のパートナーを蹴り飛ばす。
花嵐は相手の上から転がるように離れた。
自分の身体を確認する。
相手も動いている。
大丈夫だ。
花嵐は立ち上がった。
橋本が肩を叩く。
「……お前」
「ん?」
「飛べるじゃねえか」
花嵐は息を切らしながら笑った。
「飛べるよ」
「150キロが?」
「150キロだから飛ぶんだよ」
「意味わかんねえよ!」
二人で笑った。
だが、その笑い声の向こう側では、観客がまだ騒いでいた。
今まで花嵐が見せてきたものとは違う。
突きでもない。
かち上げでもない。
喉輪でもない。
投げでもない。
ましてや「二人で刈る」でも「二人で決める」でもない。
――花嵐一美自身が、空から降ってくる。
それだけだった。
それなのに、凄かった。
*
試合後。
控室へ戻る途中、橋本が言った。
「名前、どうする?」
「何の?」
「今の」
「ダイビングボディプレスだろ」
「そのまんまじゃねえか」
「じゃあ何て呼ぶんだよ」
橋本は少し考えた。
「……二人で決める」
「それは俺たちの別の技だろ」
「じゃあ『二人で刈る』」
「俺一人で飛んでるだろ」
「じゃあ――」
橋本が笑う。
「『花嵐が飛ぶ』」
「技名じゃねえよ」
二人はまた笑った。
結局、その日は名前を決めなかった。
だが、花嵐には分かっていた。
ボディプレスは、単なる見せ技ではない。
自分の身体を知っているからこそできる技だ。
150キロだからこそ、飛ぶ。
150キロだからこそ、落とし方を間違えてはいけない。
だから、普段は普通のボディプレス。
ここぞという場面では、コーナー最上段から。
そして最後の最後に――。
自分の身体そのものを、必殺技にする。
花嵐はコーナーを振り返った。
まだ、あそこから飛んだ感覚が身体に残っている。
「……もう一回くらい、試してみてもいいか」
その呟きを聞いた橋本が、すぐに言った。
「お前、調子に乗るなよ」
「分かってるよ」
花嵐は笑った。
「必殺技ってのは、毎回やるもんじゃないからな」
その言葉通りだった。
ダイビングボディプレスは、花嵐にとって「ここぞ」という時だけ飛ぶ技になった。
そして観客にとっては――。
150キロの巨体が、コーナーの上から宙へ舞った瞬間こそが、試合最大の見せ場の一つになっていった。




