第十二章 新たな男たち
第十二章 新たな男たち
――一九八四年十月。
ラッシャー木村と剛竜馬が、UWFを離れた。
グラン浜田が去ったのは、その少し前だった。
花嵐にとっては、短い期間のうちに三人の顔が消えたことになる。
木村。
剛。
浜田。
それぞれに違うプロレスを持っていた。
木村からは、パワーボムという技を教わった。
剛からは、UWFだけがプロレスではないということを感じさせられた。
浜田からは、自分とは正反対の、軽く、高く、速く動く身体の使い方を見せてもらった。
その三人が、もう道場にはいない。
だからといって、翌日から急に別の選手が現れたわけではなかった。
むしろ。
しばらくの間、何も起こらなかった。
*
一九八四年十一月。
道場は静かだった。
「……減りましたね」
花嵐が言った。
「ああ」
前田が答えた。
「かなりな」
マットの上にいる人数そのものが減った。
練習の声も少ない。
以前なら、誰かがスパーリングをしている横で、別の誰かが受け身を取っていた。
木村の大きな声が響き、剛が若手に何かを教え、浜田が独特の動きを繰り返していた。
今は違う。
前田。
佐山。
藤原。
花嵐。
そして、残った若手たち。
それだけだった。
「でも」
前田が言った。
「ここで終わりじゃない」
「はい」
「人が減ったなら、これから入ってくる」
花嵐は頷いた。
だが、その時点では。
まだ、その「これから」がいつ来るのか、誰にも分からなかった。
*
一九八四年十二月。
年末になった。
UWFは興行を続けていた。
しかし、花嵐の頭の中には、別のことがあった。
若手がいない。
正確には、いる。
だが、自分たちの世代の後ろを走ってくる人間が、まだ少ない。
自分は二十七歳。
前田も、佐山も、同じ時代を生きている。
藤原もいる。
その下に、これからUWFを支える人間が必要になる。
「前田さん」
「ん?」
「若いの、入ってきますかね」
「入るだろ」
「いつ頃?」
「さあな」
前田は笑った。
「俺たちだって、最初からここにいたわけじゃない」
「そうですね」
「待つしかない」
花嵐は、その言葉を聞いてマットを見た。
空いている場所がある。
そこには、まだ誰もいない。
*
一九八五年一月。
年が変わった。
それでも、花嵐の周囲に大きな変化はなかった。
二月。
まだだった。
三月。
まだだった。
春になっても、道場の中心にいるのは、ほとんど同じ顔だった。
だが。
少しずつ、練習生の姿が増え始めた。
まだ試合には出ない。
リングにも上がらない。
ただ、隅で先輩たちの練習を見る。
受け身をする。
スクワットをする。
ロープを走る。
そして、何度も倒されては立ち上がる。
花嵐は、そういう若者たちを時々眺めていた。
自分が入門した頃とは違う。
UWFのリングそのものが、すでに変わっている。
打撃。
投げ。
関節技。
立ち上がる技術。
相手の足を狙う技術。
それらを組み合わせた、新しいプロレス。
若者たちは、それを最初から見ている。
花嵐は思った。
自分たちが作っているものを。
この若者たちは、最初から学ぶのだ。
*
そして。
一九八五年夏。
ようやく、その時が来た。
七月。
花嵐は控室で、一人の若者を見ていた。
まだ身体は完成していない。
しかし、目が違った。
「誰です?」
花嵐が聞く。
「安生洋二」
前田が答えた。
「安生……」
「今年入ってきた若手だ」
花嵐は安生を見る。
安生は、先輩たちの動きを黙って見ていた。
特に藤原の動きに強い関心を持っている。
「柔道経験者ですか?」
「そうらしい」
「なるほど」
花嵐は笑った。
「じゃあ、ちょっと試してみるか」
「え?」
安生が振り返った。
「こっち来い」
「はい!」
安生が近づく。
花嵐は自分の胸を指差した。
「ここを押してみろ」
「……胸ですか?」
「そうだ」
安生が両手を当てる。
押す。
花嵐は動かない。
「なるほど」
「何がですか?」
「柔道の押し方だな」
「分かりますか?」
「分かる」
花嵐は笑った。
「俺も、似たようなことをずっとやってきた」
今度は花嵐が構える。
「俺が押す」
「はい」
「受けろ」
安生が身構えた。
花嵐は腕を大きく引かなかった。
腰を落とす。
足を踏み込む。
身体全体を前へ送る。
そして――
ドンッ!
「うわっ!」
安生の身体が後ろへ動いた。
花嵐は追わない。
「今のは胸だ」
「……はい」
「頭には行かない」
「はい」
「胸でも十分効くだろ」
「……はい!」
安生の目が輝いた。
「面白いか?」
「はい!」
「なら覚えとけ」
花嵐は自分の足元を指した。
「腕じゃない」
「足ですか?」
「足と腰だ」
安生が頷く。
その様子を、藤原が遠くから見ていた。
「花嵐」
「はい?」
「お前、いつの間にか若手に教えるようになったな」
「俺もまだ教わってますよ」
「それでもだ」
藤原は笑った。
「悪くない」
*
そして。
安生がリングに上がる日が来た。
一九八五年七月八日。
広島県立体育館。
安生洋二のデビュー戦だった。
相手は星名治。
デビュー戦らしく、安生は苦戦した。
しかし。
花嵐が控室から見ていたのは、勝敗だけではなかった。
倒された。
それでも立とうとした。
もう一度、前へ出た。
花嵐は、その姿を見ていた。
自分が藤原に何度も倒された時と、どこか重なった。
試合を終え、安生が戻ってくる。
「どうだった?」
花嵐が聞いた。
「……怖かったです」
「そうか」
「でも」
安生が息を切らしながら笑った。
「もう一回やりたいです」
花嵐も笑った。
「それなら大丈夫だ」
この日。
安生洋二という名前が、UWFのリングに刻まれた。
だが。
それで終わりではなかった。
*
その夏。
もう一人の若者が、花嵐の前に現れた。
「中野龍雄です」
「中野か」
「はい」
花嵐は中野を見る。
安生とは、少し違う。
身体の使い方も。
目つきも。
動きも。
違う。
だが。
共通しているものが一つあった。
前へ出ようとしている。
「組んでみるか?」
「お願いします!」
二人が組む。
花嵐が押す。
中野が受ける。
花嵐が足を動かす。
中野が横へ回る。
花嵐が追う。
中野が低く入る。
「おっ」
花嵐の身体がわずかに浮いた。
すぐに足を踏み直す。
「今の、何だ?」
「分かりません!」
「自分で分からんのか」
「はい!」
花嵐は笑った。
「じゃあ、もう一回だ」
「お願いします!」
再び組む。
今度は花嵐が少し力を抜く。
中野が踏み込む。
花嵐の腰が崩れる。
片膝。
だが。
そこで終わらない。
転がる。
膝を立てる。
腰を起こす。
立つ。
そして――
ドンッ!
胸への突っ張り。
中野が後ろへ飛んだ。
「……速い」
「何が?」
「立つのが」
花嵐は笑った。
「藤原さんに散々やられたからな」
藤原が横から言う。
「まだ遅い」
「またですか」
「まただ」
前田が笑う。
道場に笑い声が響いた。
*
花嵐は、二人を見た。
安生。
中野。
木村たちが去ったのは、一九八四年十月。
そこから約九か月。
その間、UWFは人が減ったまま止まっていたわけではない。
前田たちは自分たちのスタイルを磨いていた。
佐山が加わり、UWFの方向もさらに変わっていった。
そして今。
そのリングに、新しい世代が入り始めている。
安生は一九八五年七月にデビューした。
中野も、その夏には試合の場へ姿を現すようになった。
花嵐は思った。
人が去った。
だから、人が入ってくる。
単純なことだった。
だが。
新しく入ってくる人間は、去っていった人間の代わりではない。
木村の代わりに安生がなるわけではない。
剛の代わりに中野がなるわけでもない。
彼らは彼ら自身のプロレスを作る。
花嵐は、そこに自分と同じものを感じた。
自分もまた。
誰かの代わりではない。
相撲取りだった身体を持って、UWFという新しい場所へ来た。
そこで自分の技を作った。
喉輪ボム。
胸への突っ張り。
小手投げからの関節。
立ち上がるための身体の使い方。
全部、自分で作り直してきた。
ならば。
この若者たちも同じだ。
花嵐は、二人を見る。
「安生」
「はい!」
「中野」
「はい!」
「まだ始まったばかりだぞ」
二人が顔を見合わせる。
「はい!」
「はい!」
「なら、明日も練習だ」
「お願いします!」
若い声が響いた。
花嵐は笑った。
一九八四年の秋。
道場から人が去っていった。
一九八五年の春。
まだ、空いた場所は埋まらなかった。
そして夏。
ようやく、新しい世代がリングへ上がり始めた。
UWFは、同じ場所に立ち止まっているのではない。
去っていく者がいる。
残る者がいる。
そして。
新しく入ってくる者がいる。
花嵐はマットの中央を見た。
そこには、安生と中野がいる。
まだ若い。
まだ未完成だ。
だが。
それでいい。
自分たちだって、まだ完成していない。
だからこそ。
ここから先は。
この若者たちと一緒に、作っていけばいい。
花嵐は拳を握った。
新しい時代の音が。
少しずつ、道場に響き始めていた。




