第2章 死線の中で目覚める異変
【レベル情報】
マルス:16
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森は、
朝靄に包まれていた。
湿った土の匂いと、
腐葉の匂いが鼻を刺す。
マルスは、
一人で歩いていた。
誰の足音も、
背後にはない。
それが、
今の現実だった。
灰等級冒険者向け依頼板。
最下段に貼られた紙を、
彼は選んだ。
「森周辺に出没する
小型魔獣の討伐」
報酬は安い。
危険度も低い。
だが、
ソロの自分には十分だ。
マルスは木の幹に背を預け、
弓を構える。
呼吸を整える。
白夜の羅針盤にいた頃、
何百回と繰り返した動作。
それだけは、
体が覚えている。
周囲を見渡す。
鳥の鳴き声。
風に揺れる枝。
異常はない。
……いや。
わずかに、
空気が淀んでいる。
鼻の奥が、
つんとする。
毒だ。
マルスはすぐに膝を落とし、
低い姿勢になる。
視線を走らせる。
前方、
倒木の陰。
ぬるり、と。
灰色の粘液の塊が、
姿を現した。
《灰喰い(グレイイーター)》。
下級魔獣。
毒霧を吐く。
群れで出れば危険だが、
一体なら対応可能。
マルスは息を止め、
矢を番える。
弦を引く。
静かに。
狙いは、
中央の核。
――放つ。
ひゅ、と小さな音。
矢は一直線に飛び、
魔獣の胴体に突き刺さった。
しかし。
ぐにゃり。
弾かれた。
「っ……!」
硬い。
想定以上だ。
灰喰いは体を震わせ、
口を開く。
黒紫色の霧が、
一気に噴き出した。
マルスは横へ跳ぶ。
だが、
完全には避けきれない。
霧が、
腕と肩を包む。
皮膚が、
焼けるように痛む。
「ぐっ……!」
毒が、
回る。
視界が、
歪む。
まずい。
マルスは歯を食いしばり、
後退しながら矢を番える。
もう一度。
今度は、
目。
放つ。
矢は魔獣の眼球を貫いた。
甲高い悲鳴。
だが、
倒れない。
灰喰いはのたうち、
さらに霧を吐く。
マルスの肺に、
毒が流れ込む。
胸が、
苦しい。
立っていられない。
膝をつく。
意識が、
遠のく。
「……ここで、
終わりかよ……」
白夜の羅針盤。
リード。
ティファー。
悔しさが、
胸を締め付ける。
――嫌だ。
まだ、
何も成していない。
その瞬間。
体の奥が、
熱を帯びた。
じわり。
ゆっくりと。
皮膚の痛みが、
引いていく。
息が、
できる。
「……?」
毒が、
消えている。
完全に。
灰喰いは、
こちらを見ている。
マルスは、
ふらつきながら立ち上がる。
矢を番える。
今度は、
心臓部。
放つ。
矢は、
核を貫いた。
灰喰いの体が、
崩れ落ちる。
地面に、
溶けるように消えた。
森に、
静寂が戻る。
マルスは、
しばらく動けなかった。
自分の腕を見る。
傷は、
ない。
さっきまで、
焼けるようだったのに。
「……耐性上昇?」
自分のスキル。
毒や炎への被害を軽減する、
地味な能力。
だが。
軽減、
ではない。
無効化、
に近い。
胸の奥で、
何かが蠢く。
言葉にできない、
違和感。
マルスは首を振る。
考えても、
わからない。
結果だけを見る。
生きている。
それが、
すべてだ。
素材を回収し、
街へ戻る。
足取りは、
まだ重い。
だが。
心の奥に、
小さな火が灯っていた。
――やれる。
一人でも。
もっと、
強くなれる。
冒険者ギルド。
受付のポリーが、
マルスを見つける。
「あっ……
お帰りなさい」
その言葉に、
少しだけ救われる。
素材を提出。
確認。
「討伐、
問題ありません」
銅貨が数枚、
カウンターに置かれる。
少ない。
だが、
自分で稼いだ金だ。
マルスは受け取る。
「……次の依頼も、
ください」
ポリーは、
一瞬驚いた顔をする。
すぐに、
笑顔になる。
「はい。
気をつけてくださいね」
マルスは頷く。
外へ出る。
空を見上げる。
雲が、
ゆっくり流れていた。
まだ、
何者でもない。
最底辺だ。
それでも。
一歩目は、
踏み出した。
マルスは、
弓を握りしめた。




