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偽悪の勇気  作者: ゆうき あさみ
第5章 票の街
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第5章5話 議場の天井と語る声

 議場に入ったとき、いちばん先に耳に入ってきたのは、人の声じゃなくて、時計の音だった。


 壁際の高いところに掛けられた大時計の振り子が、静かに左右へ揺れている。

 針は、さっきセマフォ塔の下で合わせた刻から、いくつか目盛りを進めていた。


 円形ともコの字とも言い切れない卓が、段差のついた床の中央に据えられている。

 外側の席には、各港の代表や、連合本部の事務方、規約局の人間が並び、

 一段高い正面には、連合側の議長が座っていた。


 ミナトラア、カムイアオ、ワクミアオ――

 見慣れた港の名が書かれた札が、卓の縁に等間隔で並んでいる。

 そのほかにも、沿岸の港の札がいくつも立っていた。


 紙の擦れる音が、あちこちからかすかに響く。

 誰かが票をめくるたびに、その音と、大時計の振り子のリズムが、やけに大きく聞こえた。


「こちらに」


 リティの上司が、短く目で合図を送る。

 俺とリティのための席が、卓の端に一つずつ用意されていた。


 座ると、正面に広がる紙の山がよく見えた。

 三港分の報告と票の束。その隣には、他港からの数字をまとめた一覧表。


(港が一つ一つの樹や石じゃなくて、紙の束になって並んでる部屋だな)


 そんなことを思ったところで、議長が軽く咳払いをした。


「では、黄昏沿岸運転の連絡会を始めます」


 落ち着いた声が、静かな空気を一段、締める。



 まずは、本部側の担当官が、前回までの整理を読み上げた。


「ミナトラア――感応出力ゼロのまま。

 生活維持は、現地の人力と簡易設備による仮運転」


 紙を一枚めくる。


「カムイアオ――高原延長ペースの減速。暗がりの刻の配分調整中」


 また一枚。


「ワクミアオ――祈り枠の一部縮小。祈り以外の支えの試行を開始」


 数字と短い文で、港の顔が並べられていく。


「これらを踏まえまして――」


 そこで、規約局の上席官が言葉を引き取った。


「本日は、今後の運転をどの範囲に収めるかについて、現場の方も交えて意見を伺いたい。

 特に、ミナトラア・カムイアオ・ワクミアオの三港を続けて見てきた技師として――」


 視線がこちらに向く。


「ヴァルさん。まずは、これまで見てきたことを、あらためて簡潔に聞かせてください」


 呼吸をひとつだけ深くしてから、俺は立ち上がった。



「……ミナトラアでは、樹が止まりました」


 いきなり本題から入ると、数人の代表がわずかに眉を動かした。


「公の票では、“過負荷による自動停止”って書かれてますけど、

 止まったあと、港じゅうで時間を組み替えて、止まったまま暮らすほうを選びました」


 樹が動いていたときには気にしなくてよかった作業が、どれだけ残ったか。

 誰が、自分の刻をどこまで空けたか。


「樹の出力は、票の上では“ゼロ”って一行です。

 でも、あの一行のために、どれだけの刻の並びを変えたかって話は、票の端にしか入ってません」


 俺は、横目でリティの手元を見る。

 彼女のメモ帳の片隅には、三港の名と短い言葉が、すでにいくつか刻まれていた。


「カムイアオは、高原をぎりぎりまで伸ばしてきた港です。

 今は、その伸ばし方をゆるめて、暗がりの刻の配分を見直し始めている」


 高原端で杭を打っていた、あの人たちのことを思い出す。


「伸ばすのをゆるめた分、いつかここに建つはずだった家の話が、何件か霧の中に置かれました。

 票には、延長ペース減速って短く書かれてますけどね」


 軽く自嘲気味に言い足すと、何人かが苦笑に近い反応を見せた。


「ワクミアオは、祈りで石を冷やし続けてきた港です。

 この前、祈り枠を一部だけ短くして、祈らない時間に何をするかを、少しずつ決め始めたところです」


 あの広場の冷え方が、ほんの少しだけ変わった感触が、掌に戻ってくる。


「祈りを減らすってことは、祈らない時間に何をするかを決めるってことでもあります。

 列からこぼれかけていた人たちが、別の支えを見つけられるかどうかは、まだ途中です」


 そこまで話して、一度言葉を切る。


「……三つの港は、全部違うやり方をしてます。

 けど、共通してることが一つあると思うんです」


 議場の視線が、少しだけこちらに寄るのが分かる。


「“どこまで使っていいか” が、きちんと決まっていなかった」


 自分の声が想像より乾いて聞こえた。



「だから、提案があります」


 俺は、卓の上に並んだ票の束を見渡した。


「全部の港に、“樹と石にかけていい重さ” の天井を決めてほしいんです」


 ざわ、と、小さな空気の揺れが走る。


「自分の港の樹と石に、どこまで頼るか。

 他所の樹と石から、どれだけ雫や携行パックを買うか。

 その合計に、“ここまで”って線を引いてほしい」


 誰かが、ペン先を止める音がした。


「その天井を越えそうになったら――」


 少しだけ間を置いてから、言葉を選ぶ。


「灯りや水をいきなり止めろ、って言うつもりはありません」


 港の生活の骨組みを、いきなり折るつもりはない。


「そうじゃなくて、

 感情を煽る娯楽とか、過度な消費のほうを、先に絞る決まりにしてほしいんです」


 しばらく前に見た、島国の賭場の光景が頭をよぎる。

 あれと似た仕組みは、この沿岸にもいくつかある。


「賭場とか、興奮させる見世物とか。

 ああいう“上乗せの刻”から先に減らす。

 “港を回すのに必要な最低限”より上のところから、絞り始める決まりに」


 卓の一角で、誰かが小さく舌打ちした気配がした。


「それと――」


 もう一つ、切り出す。


「他所から雫を買うときは、その分だけ、別の港の樹と石にどれだけ冷えや熱が溜まるか。

 数字で見えるようにして、票に印として残してほしい」


 視線が、今度は連合本部側の席に流れる。


「どこどこから何樽買っただけじゃなくて、

 その裏で、どれだけ向こうの樹と石に無理をかけたか。

 それを見える形で紙に残しておけば、もう一段上乗せするかどうかを考え直せるはずです」


 まとめるように、もう一度言う。


「……気持ちよさや便利さのために、どこまで他人の樹と石を痛めていいか。

 その上限を、はっきり決めてほしいんです」


 言い終えた瞬間、議場の空気が一段、重くなった。



 最初に反応したのは、貿易に強い港の代表だった。


「経済を殺す気か」


 抑えた声だったが、そこに乗った怒りははっきりしていた。


「今でも票の数字はぎりぎりで回しているんだぞ。

 港じゅうの荷を動かすのに、どれだけ雫に頼ってると思っている」


 別の代表がそれに続く。


「雫の取引に、そこまで“罪札”みたいな印を付ける必要があるのかね。

 誰がどこからどれだけ買ったかなんて、今だって記録されている。

 それをわざわざ“負担票”なんて名で並べられたら、誰も手を挙げなくなる」


「記録されてるだけで、ここまでにしようって線は引いてないでしょう」


 思わず返しそうになったが、ぐっと飲み込む。

 今は、順番を守った方がいい。


 娯楽施設の多い港の代理人が、ゆっくりと手を挙げた。


「感情を煽る施設を絞れ、というのは、

 港を支えている娯楽や旅路を潰せと言っているようなものでしょう」


 声は穏やかだったが、言葉は鋭い。


「うちの港では、見世物や賭けの場があるからこそ、人が集まり、貨物も動く。

 笑い声や興奮の刻ごと、港の売り物なんです。

 それを“上乗せの刻”と呼ばれては、たまったものではありません」


 その横で、事務方らしい人物が静かに言葉を継いだ。


「数字の伸びを見ている側から言わせてもらえば――

 黄昏沿岸全体で、ようやく出力と流通が回り始めたところです」


 淡々とした口調だが、芯は固い。


「ここで上限を決めて、これ以上伸ばすなという枠を設けるのは、

 自ら首に縄をかけるようなものではないでしょうか」


 円卓のあちこちから、小さな相槌やため息が漏れる。


 その合間を縫うように、誰かが囁いた。


「……あの技師、完全に商売の敵じゃないか」


「そんなものが規約に入ったら、この街だってただでは済まないぞ」


 小声のはずなのに、妙にはっきり耳に残った。


(まあ、そう見られても仕方ないか)


 胸の内で、苦笑に近いものが浮かぶ。



 そこで、リティがゆっくりと席を立った。


「一つ、言い換えさせてください」


 規約局の職員としての声の出し方だ、とすぐに分かった。


「これは、経済を止めるための案ではありません」


 視線が、彼女の方へ集まる。


「負荷の偏りを抑えて、感応インフラを長く使うための、上限の決め方の話です」


 言葉を少しずつ刻みながら続ける。


「娯楽や消費に上限を設けるのも、

 生活の基礎を守るための優先順位の整理にすぎません」


 さっき俺が言った「上乗せの刻」を、少し柔らかく言い換えてくれている。


「他所から雫を買うときに、その負担を紙の上で共有するのは、

 連合としての責任を、はっきり確認するための仕組みです」


 その言葉に、何人かの代表が、わずかに目を細めた。

「本部の言葉を代わりに言っている若い職員」を見る目だ。


 リティ自身も、それに気づいているはずだ。

 手元のメモに視線を落とすとき、指先がほんのわずかに震えていた。


(前は、あっち側の席に座ってたんだよな)


 規約局の机の上で、報告を削ってきた側の人間。

 それでも今は、削られる側の言葉も抱えてここに立っている。



 議論はしばらく続いた。


 貿易が強い港は、自分の港の票を守ろうとする。

 娯楽を抱える港は、人の流れを止めたくないと言う。

 事務方は、数字の伸びと、今後の見通しを盾に、「急な枠」は危険だと主張する。


 それでも、全員が全員、まったく聞く耳を持たないわけではなかった。


「……負荷の上限という考え方自体は、検討に値するかもしれませんな」


 石管局側の担当が、備考欄の紙を指先でたたきながら言う。


「石の雫の出入りが急に増えた港では、

 冷えの戻り方に変化が出ている、という報告もあります」


 樹管局側の技術担当も、別の票をめくりながらうなずいた。


「樹の出力の変動幅についても、ある程度の“天井”を意識して運転する必要はあるでしょう。

 ただ、それを数字一本で決めるのか、港ごとの“余白”を見るのかは、もう少し整理が要ります」


 視線が、上席官と議長の方へ集まる。


 しばし沈黙が落ちたあと、議長がゆっくり口を開いた。


「本案のうち、“負荷の上限を測ること” と “他所の負担を記録に残すこと” については――」


 大時計の針が、ちょうど刻の線をまたぐところだった。

 同時に、遠くの塔から、ゆっくりと鐘が数回鳴り始める。


「観測案として採用しましょう」


 議長の言葉に、ざわめきが重なる。


「具体的には、記録局にて、“負荷上限観測枠(仮称)” を設ける。

 三港を含むいくつかの港で、樹と石にかかる重さと、その変化を、一定の書式で記録してもらう」


 記録局側の担当官が、黙ってうなずき、票に印をつけた。


「また、他所から雫を買うときの“負担票”についても、形式案を記録局に試作させる。

 どの港からどれだけ負担が移ったか、紙の上で追えるようにする」


 ここまでは、「今すぐ規約」ではなく「まずは観測から」という線引きだ。


 そこまで聞いたところで、貿易側の代表が口を挟む。


「では、娯楽や消費施設の絞り込みについては?」


 議長は少しだけ目を閉じ、再び開いた。


「娯楽や消費の扱いについては――」


 短く溜めてから、結論を置く。


「各港の提案と合わせて、次回以降に持ち越します。

 “どこから絞るか” については、一律に決めるのではなく、港ごとの判断を尊重する形としましょう」


 反発していた側からは、完全な納得とは言えないが、ひとまずの安堵が漏れた。

 こちら側には、悔しさの混ざった息がいくつか落ちる。


 時計の針は、もう一つ先の目盛りへ、音もなく進んでいた。



 会議が散会になり、議場から廊下へ出たところで、ノクトが小さく笑う。


『よくもまあ、あそこまで真正面から言ったね』


 声は俺の耳と、リティとルーメンにだけ届く。


『紙の山ごと敵に回すみたいな提案だったけど』


「そう聞こえるよな」


 肩を回しながら答える。


「実際、半分くらいは敵だと思われただろ」


 ルーメンが、のんびりした調子で続けた。


『でも、“どこまで使うか決める” という線は、

 いつか誰かが言わなきゃならない話でした』


『伸ばすだけ伸ばしておいて、止まったときに驚く、っていうのは、もう飽きましたからねぇ』


 リティは、手元のメモを見つめたまま、小さく息を吐いた。


「……言葉だけなら、私の職場は似たものを何度も見ました」


 規約局の会議で飛び交っていたであろう文言を、思い出している顔だった。


「でも、今日は、樹と石の話をここまで具体的に紙に乗せたのは、初めてです」


 俺は、さっきの議長の言葉を思い返す。


「全部通ったわけじゃない」


 自分に言い聞かせるように、口に出す。


「けど、“天井”って発想だけは、この街の紙にも刻めた。

 あとは、その線をどこまで濃くできるかだな」


 遠くで、また塔の鐘が短く鳴った。

 ナラシドアの刻が進む音だ。


 その音に、自分の時計の針が、少しだけ重なった気がした。

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