第2章8話 支援要請と荷の算
港の倉庫の中に、木の箱がまだ山のように残っていた。
封緘紙の白だけが、薄い光の中で妙に目立つ。剥がされた紙と、まだ印の入っていない紙がごちゃ混ぜになって、受領簿の横に積まれていた。
俺は、その端にしゃがみ込んで、古株と並んで箱の側面を指でなぞっていた。指先で感じる刻印の段差を、ひとつひとつ確かめる。
「……これで、支援の“第一陣”は数が合うな」
古株が、簿の端をぱたんと閉じる。はみ出した封緘紙が、紙の角でくにゃりと折れた。
「生活側の分は、ひとまず足りてるそうだ。食い物も布も、灯りの油も。贅沢言えるほどじゃねえがな」
「足りてないのは、こっち側ってわけか」
俺は積まれた箱の列を見上げる。
空っぽになっている枠が、ところどころに混じっている。石の雫の容器、導管の継ぎ手、仮設パックに樹の花や果実を入れるための厚手の瓶――どれも、港の中では増やしようのないものばかりだ。
詰所に貼られた表では、節約だの再利用だの、いくつも工夫の欄が増えた。それでも、抜けていく穴を塞ぎきれてはいない。
「いつまでも、“こっちで詰めればなんとかなる”で通せる話じゃないよな……」
思わず口に出すと、古株は短く「ああ」とだけ返した。
倉庫の奥では、緊急支援隊の連中が箱を開けたり、封緘紙を剥がしたりしている。剥がされた紙が、木箱の隙間からひらりと落ちてきたのを、俺はつま先で踏んで止めた。
紙の裏には、上位樹管局の刻印と、見慣れない記号がいくつか並んでいる。
「そういや、そろそろ“第二波”の話が来るころだ」
古株が、さも面倒くさそうに言う。
「第二波?」
「支援隊の連中が、“まとめ”を作るんだよ。ここで何が足りなかったか、どこをどう締めて、どこはもう締めようがないか。で、その代わりに――」
古株は、ちらりと倉庫の入口の方を見やった。
そこには、港湾連合の旗を腕章に巻いた支援隊の隊長と、その隣で、上位樹管局の技術班を名乗る女が何やら話し合っていた。手には丸めた図面と、何枚かの一覧表。
女の肩越しに、色の違う紙が見えた。薄く黄ばんだ地図用紙。その上に、ぐるりと線が引かれている。
「……あんた、呼ばれてるぞ」
古株の声に、俺は肩を跳ねさせた。
気づけば、支援隊長の視線がまっすぐこっちに向いていた。隣の技術班の女も、同じ方向を見ている。
「樹が止まってる港の若い技師さんに、ひとつご相談があるそうだ」
古株が、わざとらしく肩をすくめる。
「行ってこい。受領簿はこっちで見といてやる」
俺は一度だけ息を吐き、封緘紙を机の端に揃えてから立ち上がった。
◇
広げられた地図の上に、ひときわ濃い線で囲まれた場所があった。
中環の輪から、ずっと東側。地図の片側の縁にほど近いところに、細い半島のような影が伸びている。その先端に、小さな印と文字。
『カムイアオ』
女が指先でそこをとん、と叩く。
「東環カムイアオの港です。日側寄りの乾いた高原で、風が軽くて薄い土地。ご存じですか」
「名前だけは」
港湾連合の報告書で、何度か見たことがある。乾いた高原の港。日側の熱を、どうにか人の暮らせる温度まで抑え込んでいる港。
女は、図面の束から一枚を抜き取り、俺の方へ向けた。
「もともと、あちらは石の雫を多めに回して、“冷やしながら押す”やり方でやってきました。高く乾いた土地に、人の暮らしと水を送るため、樹からもらった拍を長く運びます。そのまま運んでしまうと、港の中が持たないので、石で冷やして、樹で押し出す。言ってみれば、両側から贅沢をしていたわけです」
図には、太い導管がいくつも描かれていた。枝分かれが多く、余裕を見て太く取られた管が何本も走っている。ところどころに、補修の印が重ねてある。
「導管は太く、枝分かれも多い。もともと“余裕を持たせた仕様”として設計され、そのまま年月が経った。高原の強い乾燥と日差しで、金属も石も疲れるのが早い。継ぎ足し、補修を重ねるうちに……」
彼女は、図面の端に書かれた数字を指で撫でた。
「この十年ほどで、同じ仕事量のわりに、樹の花や果実の消費が他港より目立って増えている。高原延長の出力がかさみ、拍がやせ細ってきている記録が上がっていました」
「燃費が悪いってやつだな」
思わず口に出すと、女は苦笑した。
「そういう言い方もできますね。その上で、ここ最近――」
別の紙が重ねられる。そこには、石の雫の流通ルートが線で描かれていた。いくつかの線の途中に、赤い印がついている。
「規約の見直しと、供給側の都合が重なって、石の雫の輸入が一時的に目減りしました。港ごとに、“ここまでは樹で頑張る”“ここから先は石で受ける”という線引きが必要になったのですが……」
「カムイアオは、樹側を絞る余裕がない」
「はい。高原の端まで導管を伸ばす“高原延長”を抱えている分、今のままでは、“いつもの出力”を維持するだけで、いきなり限界へ近づいてしまう」
女は、紙をたたんで机に置いた。
「そこで、こちらの港の話が出ました」
隣で黙っていた支援隊長が、口を挟む。
「ミナトラアで、樹を止めたまま、最低限のラインだけを回している例がある。非常時バイパスを使って、港の呼吸を残したまま、導管をほとんど沈めた――そういう話が、連合の中で少しばかり話題になってましてね」
「……ああ」
俺は無意識に、自分の胸の中央を指で押さえていた。そこで一度止め、手を下ろす。
樹根室の空気。止めた導管。拍の消えた壁。
その中で、どこを残すかを選んだときの、あの感覚。
「カムイアオから、“そういう調整ができる若い技師を一人、派遣してほしい”という要請が来ています」
支援隊長が、言葉を区切る。
「一人?」
「ええ。一人、樹側の事情が分かる人間がいればいい。石の側には、あちらにも人材がいる。だが、樹をここまで深く触っている若い技師は、多くない」
そう言って、隊長は古株の方を見やった。
古株は、いつの間にか会議の輪の縁に立っていた。袖を組み、口を結んでいる。
「……俺が言った」
古株は、ぼそりと呟いた。
「非常の時に、港の腹をどこまで締めていいか、実際に手を入れて知ってる若いのは、今のところこいつしかいねえ。上にそう伝えた」
俺は言葉を失った。
古株は続ける。
「お前のやったことを、“失点”だけにするか、“経験”にするかは、こっちの考え方次第だ。どっちにするかって話が、今、ここに来てる」
支援隊長が、受領簿とは別の紙束を持ち上げた。
「見返りは、これです」
そこには、項目ごとに数字が並んでいた。
石の雫の優先配分、導管と継ぎ手の材料、携行用の容器。港の人間には一人しか出さない代わりに、しばらくの間、そうしたものをミナトラアへ優先的に回す――そう書かれている。
「悪くない話だと思いますよ」
支援隊長は、事務的な口ぶりで続けた。
「もちろん、決めるのはあなたと、あなたの局の上です。だが、“樹を止めたまま生き延びている港”の技師が、“乾いた高原で息苦しくなっている港”へ行く。その価値は、おそらく数字に出ます」
俺は紙束を受け取り、ざっと目を通した。
港の中で、あの葉や花を入れる瓶を何度も洗って再利用していた場面が、頭の中をよぎる。継ぎ手が足りなくて、古い導管を切ってつぎはぎにしていた手の感触も。
それを、少なくとも当面は心配しなくていいだけの量が、ここに数字で並んでいる。
「……すぐには決められません」
気づけば、そう口にしていた。
「港の連中にも、話をしないと」
「当然です」
女が、柔らかく頷く。
「カムイアオの方も、一日二日でどうこうという段階ではまだない。ただ、“今のやり方のままだと、じわじわ詰む”というところまで来ている。だからこそ、“詰まないやり方”を知っている人の手を借りたい」
俺は、紙束を胸の前で折りたたんだ。
とりあえず、持ち帰るしかない。
◇
詰所の奥の小部屋は、支援隊の荷物が一部持ち込まれてから、以前より狭くなった。
壁際に積まれた箱の中には、導管用の薄い金属板や、予備の計器が詰まっている。その合間に、リティが腰かけていた。膝の上には、何枚かの写し書き。
その向かいに、俺とノクト、ルーメンが並ぶ。
ノクトとルーメンは、いつものように俺とリティの近く――箱と箱の隙間に腰を下ろしているように“感じる”場所にいた。
『なんだか、会議部屋みたいですねえ』
ルーメンが、箱の角に手を置く仕草をして笑う。
『箱の中身が全部、数字の顔に見えます』
『そりゃあ支援の荷だからね』
ノクトが足をぶらつかせるような調子で言う。
『どれだけ詰めても足りない感じ、こっちまでむずむずしてくる』
俺は、手元の紙束をテーブル代わりの木箱の上に置いた。
「……東環カムイアオってところから、呼ばれてる」
紙の端に書かれた国名と港名を、指先で叩く。
「乾いた高原の港で、長いこと石の雫で冷やしながら、樹を押して回してきたらしい。導管は太くて、枝も多くて……そのぶん疲れも早い。そこで、このところ石が目減りして、“樹側を絞る技術が欲しい”って話になってる」
「樹を絞る技術」
リティが、ゆっくりと復唱する。
「あなたがここでやった、“どこを残して、どこを沈めるか”を選ぶ仕事を、向こうでも、ということですね」
「ああ。で、一人、そういうことができる技師を出してくれって」
俺は、見返りの項目に軽く視線を落とした。
「代わりに、うちの港には、しばらく石やら導管やらを優先的に回してくれるらしい。数字だけ見れば……悪い話じゃない」
リティはしばらく黙っていた。
その横で、ノクトが俺の背後から囁く。
『で、どうするの、ヴァル』
『“行きたい”と“行きたくない”が、胸の中で喧嘩してそうな顔ですよ』
ルーメンが、のんびりと茶々を入れる。
「……まあ、そうだな」
俺は苦笑した。
「港から離れたいと思ったのは、本当だ。ここにいる限り、俺が樹を止めたって話は、どこまでいっても付きまとうし。外の港のやり方を見てみたい気持ちもある」
詰所の窓の外――薄く明るい帯のような空の下で、港の通りを行き交う人の影が、遠くに揺れている気配がする。
「でも俺が出たら、その間、ここはどうするんだって話になる。古株は、“経験にするか失点にするかはこっちの考え方次第だ”なんて言ったけどさ。俺だけ外に逃げるみたいにも、見えなくはないだろ」
「逃げる、と感じる人もいるかもしれませんね」
リティは、静かに言った。
「でも、“何もしないでここにとどまる”ことが、港の人たちにとって必ずしも良いとも限らない。追加の物資は、ここの数年を左右すると思います」
「……あんたは、どう見てるんだ」
俺が尋ねると、リティは一瞬目を伏せた。
「港湾連合の古い書類には、“顔の見えない支援”がたくさん並んでいます。どこかの港に誰かが行って、どこかの石や樹を調整して、見返りに何かが動く。その結果だけが数字になって残る」
言いながら、彼女は膝の上の写し書きを軽く押さえた。
「私は……顔の見えないままでは嫌だと思っています。もしあなたが東環へ行くなら、“誰が何をしてほしいと言っているのか”を、できる限り見てきてほしい。その記録を、私はきっと、どこかに写し取りたくなる」
『リティさんらしいですねえ』
ルーメンが、くすっと笑った。
『“してほしい”の顔を、全部ノートに貼って歩く旅になりそうです』
『全部貼ったら、ノートが裂けるよ』
ノクトが、からかうような声で続ける。
『だからどこかで、“この先は貼れません”って線を引かなきゃいけない。で、その線をどこに引くかって話を、今ここでしてるんでしょ?』
「線か……」
俺は、窓の外に視線をやった。
樹の拍の代わりに、仮設のパックがかすかに唸る音が、港のあちこちから聞こえてくる気がする。人の足で運び、人の手で調整している今の港の音だ。
「俺はさ」
言葉を探しながら、ゆっくり続けた。
「数字が欲しい連中の“してほしい”を通すために、港を動かすのは、もう嫌なんだ。あいつらが“出力”だの“票”だのを増やしたいって言うのに付き合って、樹を無理やり燃やすのも、石に抱えさせるのも」
賭場の、あの赤い灯りと、詰所の感応票の棚が、頭の中に重なる。
「でも、顔が見える“してほしい”だったら――港の爺さん婆さんとか、ここで暮らしてる連中とか。そういう奴らの“明日もここで暮らしたい”“痛くない方がいい”“前みたいに少しでも動きたい”ってやつなら、まだ考えられる」
「東環の高原の港にも、“顔が見える人たち”はいますよ」
リティが、静かに言う。
「そこにも、“暑すぎて働けない日を減らしたい”“子どもを外に出せる時間を少しでも伸ばしたい”っていう“してほしい”が積もっていると思う」
『ほらね』
ルーメンが、嬉しそうに言う。
『“顔が見えるかどうか”は、行くか行かないかで変わります。今はまだ、東環の人たちは数字と地図の点ですけれど』
『行けば、文句なしに顔が増えるよ』
ノクトが、悪戯っぽく笑う。
『それにさ、ここで“止める側”をやった経験を、そのままここに閉じ込めておくのも、もったいないと思う。向こうの樹が息苦しいなら、一度止める目を持ってる奴が見てやる価値はある』
「……いつも動かしたい方に話を持っていくよな」
俺は苦笑し、ノクトの“いる”方へ視線を向けた。
『あたしの仕事だからね。止まってるの、やっぱり性に合わないし』
ノクトは胸を張るような気配を見せる。
『でも、止めることを覚えた“動かす役”って、そんなに多くないよ。そこは誇っていいとあたしは思う』
誇れ、ね。
その言葉に、胸の奥が少しだけざわついた。
「私は」
リティが、二人のやりとりを聞きながら、そっと口を開く。
「ここに残る道と、外に出る道、両方の絵を見たいと思っています。あなたが行くなら、私もついて行きたい。派遣員として石の現場を見てきたことがありますから、少しは役に立てるかもしれません」
彼女の声には、わずかな緊張が混ざっていた。
「でも、どちらにしても、“ここにいる人たちのしてほしい”を、置いて行ったままにはしたくない。だからこそ……」
そこまで言って、リティは言葉を切った。
何か飲み込んだような沈黙。ヴァルの目線から見える、その一瞬。
問い詰めるには、まだ早い気がした。
「――まずは、古株たちと話してくる」
俺は立ち上がった。
「局の連中にも、港の連中にも。顔を見て話して、“誰のしてほしい”をどこまで引き受けるか、決めないと」
『いいですねえ』
ルーメンが、柔らかく頷く。
『わたしたちは全部は抱えられませんから。“どれを拾うか”を決めるところから、始めないといけません』
『その決め方を間違えないように、あたしたちが横でうるさく言うからさ』
ノクトが、にやりと笑った。
『ヴァルが変な方に転びそうになったら、すぐ焚きつけてやる』
「それはそれで厄介だな」
そう言いながらも、俺の口元には、どうしても笑いがにじんでいた。
全部は引き受けられない。
でも、何も選ばないでいることもできない。
どこに線を引くか。その線を、自分で見て、自分で引く。そのための話が、ようやく具体的な地図と数字を伴って、目の前に並び始めた気がした




