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偽悪の勇気  作者: ゆうき あさみ
第2章 石影の記憶
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第2章1話 支援船と携行樹パック

 支援船が見えたのは、鐘六の少し前だった。


 港の樹を止めてから、まだ多くの刻はたっていない。

 薄い光の中で、沖の水平線のあたりに、いつもより背の高い船影がひとつ、ゆっくりと浮かび上がった。


 港湾連合と樹管局の印が、帆の端と船体の側面に並んでいる。

 白地の布に、潮と樹を模した印。舷側には、樹管局の紋を押した板札が打ちつけられていた。


 港筋にいた人たちのざわめきが、少し変わる。


「支援だ」「連合の船だってよ」

「仮設樹、持ってきたんだろうな」

「ようやく灯りが戻る」


 期待と疲れの混ざった声が、石畳を伝って坂の上まで上がってくる。

 樹の拍は相変わらず薄い。けれど、その薄さの上に、別種の騒ぎが重なり始めていた。


 俺は港の縁の少し高くなった場所に立ち、船が接岸するのを見ていた。


 支援船は、普通の貨物船より一回り大きい。

 甲板の中央に、箱とも塔ともつかない構造物が組まれている。

 厚い板を幾重にも重ね、その中に導管や蓄圧槽を押し込んだような形。


 仮設樹ユニットだろう、とすぐに見当がついた。


 船が岸壁に横付けされると、樹管局の袖を付けた支援隊が次々とタラップを降りてくる。

 胸元の札には、各地の港名と番号が刻まれていた。


「沿岸第五港からの応援です。こちら、仮設樹ユニット一基と、携行樹パックが数十箱」


 先頭の中年の隊員が、詰所側の役人に、手短に声をかける。


 港湾連合側の旗も、遅れて掲げられた。

 港の公式な支援。それだけで、周りの空気が少しだけまっすぐになる。


 俺は、足を止めたまま、それを眺めていた。


 ◇


 仮設樹ユニットは、想像していたよりずっと小さかった。


 常設の港の樹は、根を張っている地下部分も含めれば、この港全体を覆うくらいの広さがある。

 それに比べて、支援隊が船から吊り下ろしたものは、人の背丈より少し高い程度の柱状の基台に、根網の束をぎゅっと巻き付けたようなものだ。


 乾いた樹皮の匂い。

 ところどころから伸びた蔓のような根には、小さな結晶容器がいくつも埋め込まれている。


「ここだな」


 俺は支援隊と一緒に、港の樹根室へ繋がる導管の分岐を確認した。

 樹根室は空のままだが、そこから各地へ伸びる導管は、そのまま街の骨組みになっている。


 仮設樹ユニットは、元の樹とは別の位置に据えつけられた。

 石畳を切り欠いた穴に基台をはめ込み、下から伸びている供給線に継ぎ手をかませる。


「既存ラインのこの辺りで噛めるか?」

「ピークは持たせるぞ。ただし、本体の三分の一以下設計だ。共鳴期だけ間欠で回す前提だからな。欲張って常時全開にしたら、あっという間に息切れする」


 支援隊の技師たちが、手際よくバルブと継ぎ手を組み合わせていく。

 金属の輪を締めるたびに、少しずつ違う音が出る。


 目新しい技術ではない。

 地方港で樹を分岐させるときにも使う組み方だ。

 ただ、普段はもっと余裕を持って計画される作業を、今日は慌ただしく、港中の視線を浴びながらやっている。


「圧力計、ここに一本追加します」


 支援隊の若い技師が、新しい圧力計を導管の脇にねじ込んだ。

 小さな窓の中で、針がまだゼロの位置でじっとしている。


「じゃあ、一度だけ起こします。蓄圧槽、開きます」


 合図とともに、仮設樹ユニットの根元にあるバルブがひとつ、ゆっくりと回された。


 次の瞬間、空気が変わった。


 薄かった拍が、ひとつぶ分だけ厚くなる。

 石畳の下へ潜り込んでいた導管の中に、急に熱が滑り込んでいく。


 仮設樹ユニット自体も、かすかに唸り始めた。

 根の束のあいだから、低い振動が立ち上る。


『……うすい』


 胸の奥で、ノクトがぽつりと言った。


『本体のときの三分の一くらいかな。匂いだけ樹っぽいけど、拍が軽い』


『枝先だけ、無理やり束ねたみたいですね』


 ルーメンも、静かに感想を添える。


『長く息は続かないと思います』


 圧力計の針は、ゆっくりとだが、確かに動き始めていた。

 ゼロの少し上。常設の樹が全力に近いときに比べれば、心許ない数字だ。


 それでも、止まっていたものが動き始めるのを見ると、人間の方の拍の方が先に反応する。


「……動いたな」


 出口の灯り球が、一つ、二つと点き始める。

 井戸に続く導管に、かすかな唸りが戻る。


 俺は思わず息を吐いた。


 安堵、という言葉が一番近い。


 自分の胸の拍を使って無理やり動かしていたときの感覚に比べれば、この仮設の拍は頼りない。

 それでも、「自分以外の何か」が街を支えているという事実は、身体のどこかを確かに軽くした。


 同時に、嫌な自覚も、胸の底に一緒に沈んでいく。


 ——結局、樹が止まったら、何もできない構造のままだ。


 仮設樹が、それを一時的に隠しているだけだ。


 ◇


 仮設樹ユニットの据え付けが終わると、今度は船から木箱が運ばれてきた。


 大人の腰くらいの高さの箱。

 側面には、「携行樹パック」と印刷された札が打ちつけられている。


 蓋を開けると、中には細長いガラス容器が整然と並んでいた。


 手のひらに収まる筒状の容器。

 その中に、樹の花びらや葉、細かく刻んだ果実片が、透明な液と一緒に封じられている。


 容器の口には、小さな金属の継ぎ手と、吊り下げ用の環が付いていた。

 一本一本の口元には、細い封緘紙が巻かれている。そこには小さな文字で連番と配布元、それから「推奨使用期限」の刻印が並んでいた。


「灯り用、ポンプ用、小型機械用。規格は港湾連合標準です」


 支援隊の係が、詰所の前で淡々と説明している。


「一パックあたり、共鳴期二回分程度の使用を想定。静圧期に使う場合は、使用時間を半分に。直に日に当てるなよ、焼けて寿命が縮む。上げすぎると底から排気が出て、そのまま死ぬからな」


 言葉があまりにも「規約局の書き方」に近くて、俺は思わず横を見た。


 ミマが、配布の列の少し後ろで立っていた。

 視線は支援隊の手元と、パックの口に巻かれた封緘紙に向けられている。


 白い封緘紙の上に、細かい枠と数字の欄が並んでいた。


「あれ、分かるのか」


 小声で聞くと、ミマは一瞬だけ迷った顔をしてから、短く頷いた。


「港湾連合の標準配給票と同じ書式です。……本来は別紙で使われる形式ですけど、封緘紙に印刷して使っているんだと思います」


 その言い方には、自分の出自を意識した硬さが混じっていた。


「ここの港の人は、見慣れてないだろうな」


「はい。だから、『分かる側』である自分が、少し嫌になります」


 ミマは淡々と言って、列の様子に目を戻した。


 携行樹パックが、一人一人に配られていく。


 係員はパックを一本ずつ手に取り、封緘紙の端を爪で軽く押し、剥がした痕や二重貼りがないかを確かめる。連番と配布元、それから推奨期限の印字を短く読み上げ、隣の書き役が大きな台帳に書きつけてから、受け取り手に渡していた。


「まず診療所と水場、それから見張り灯だ。家庭はそのあとだとよ」


 列の後ろで古株の技師がぼやく。


「娯楽用に回る分なんて、当分ねえな」


「医療、水、保安、居住、娯楽の順ですね」


 ミマが、呟くように整理する。


「紙の上では前から決まっていた優先順位ですけど、こうして現物を見ると、重みが違います」


 灯りの器具を持っている家には灯り用。

 井戸のそばに住んでいる家にはポンプ用。

 小さな工房や店には、小型機械用。


 人々は、最初こそ戸惑いながらも、やがて慣れた手つきで容器を受け取り始めた。


「これを、あの灯りの根元に差せばいいんだとさ」

「ポンプの上の口にねじ込めって。樹の枝を替えるみたいなもんだな」


 樹の枝を替える。


 的確な例えだと思った。


 港の樹から直接伸びていた導管の代わりに、携行樹パックが小さな枝として、生活の細部に差し込まれていく。


 灯りの器具の側面にある穴に容器をねじ込み、固定する。

 ポンプの横にある差し込み口に、パックから伸びた継ぎ手をはめる。


 カチリ、と小さな音がして、内部の弁が開く。


 次の瞬間、灯り球の中に薄い光が生まれた。


「……ついた」


 誰かの声が、弾んだように漏れる。


 井戸のポンプも、さっきまでより軽い力で水が上がるようになった。

 工房の工具台では、小型の削り機がゆっくりと回り始める。


 日常の細かい便利さが、一つずつ戻ってくる。


 それを見ていると、やはり胸のどこかがほどける。


 止めてしまったものを、自分の手だけでは支えきれないことを、よく知っているからだ。


 同時に、もうひとつ別の感情が、そこに重なる。


『ねえヴァル』


 ノクトが、胸の奥でひそやかに言った。


『あのパックさ、中身、すぐにヘタるよ』


「見えるのか」


『拍と匂いで分かる。元の樹から切り離されてから、けっこう時間たってる。蓄圧槽で頑張ってるけど、こっちに来るまでにかなり抜けてる』


『わたしも、そう感じます』


 ルーメンが続ける。


『一パックあたり、共鳴期二回分と言っていましたが……実際には、それより少ないかもしれません。焼けたパックは、中の拍が戻りません』


 支援隊の係は、「第一便」と何度か口にしていた。


「第二便以降については、上の判断を待ってください」

「各港に割り振れる数にも限りがあります。使用目安を守っていただかないと——」


 言葉の先は、曖昧に濁された。


 守らないとどうなるのか。

 次はどこが足りなくなるのか。


 そういう行間だけが、やけにくっきりしていた。


 ◇


 配布を待つ列の中で、古株の技師が俺を見つけて手を振った。


「おいヴァル。お前んとこ、どれくらい来るって言われた?」


「樹管局分の工事用パックは、箱二つだとさ。灯りとポンプを最低限回せって」


「二つ、ねえ……」


 古株は、港の全体図を頭の中に思い浮かべている顔をした。


「坂と共同水場と詰所だけで、片手くらいは飛ぶな」


「だから、『最低限』なんだろうな」


 俺も同じように、図面を思い浮かべる。


 灯りを一つ増やせば、どこかの灯りを一つ消さなきゃいけない。

 ポンプの出力を上げれば、他の場所の水が細くなる。


 樹が全力で回っていたころは、そういう配分の細かさは、あまり表に出なかった。

 今は、仮設樹と携行パックという、限りのある枝をやりくりするしかない。


「ありがたいけど、足りてはいないな」


 思わず口に出すと、古株は苦笑した。


「支援なんて、だいたいそういうもんだよ。向こうも余裕があるわけじゃないだろうしな」


 余裕がない。


 この港だけが特別に困っているわけではない、ということだ。


 潮の境目に並ぶどの港も、それぞれに樹の出力をやりくりしている。

 その中から、ここに回せる分だけを削って持ってきているのだとしたら——。


「どこかで、同じように“薄くなってる”港があるってことか」


 俺が言うと、古株は肩をすくめた。


「あるだろうな。俺たちも、これまではその側にいたわけだし」


 樹の出力を奪う側。


 あまり考えたくない言い方だった。


 ◇


 鐘七が鳴るころには、港の一部に灯りが戻っていた。


 坂の途中の段差には、ところどころに小さな灯り球が点っている。

 共同水場の蛇口には、まだ細いながらも水が流れていた。


 携行樹パックの中身は、使うたびに少しずつ痩せていく。

 容器の中の花や葉の色が、共鳴期ごとに褪せていくのが見て取れた。


『ねえ、これ全部使い切ったらどうするつもりなんだろうね』


 ノクトが、少し楽しそうに言う。


『また支援船を呼ぶ? それとも、どこかから樹そのものを引っこ抜いてくる?』


「どれにしたって、どこかが薄くなるだけだ」


 俺は坂の上から、仮設樹ユニットのある辺りを見下ろした。


「この港だけの問題じゃない。……ってことは、どこかで別のやり方を見つけないと、延々と取り合いになる」


『別のやり方』


 ノクトが、その言葉を面白そうに転がす。


『いいね、それ。動く理由になる』


『どこか他の港では、樹に頼らないやり方を試しているかもしれません』


 ルーメンが静かに言う。


『もしそうなら、その例を見てくる価値はあります』


 風もないのに、胸の中だけがざわついた。


 この港を出るかどうか。


 その問いは、樹を止めたあの刻からずっと、頭のどこかに居座っている。


 仮設樹と携行樹パックでつないでいる今なら、俺が拍を流さなくても、港は当面は持つだろう。


 その「当面」が、どれくらいかは分からない。

 だが、少なくとも、「俺が根室にいないと即座に死ぬ港」ではなくなった。


 それは、怖さでもあり、少しだけ自由でもある。


「……便利さは戻ったけど、腹の底の気持ち悪さは残ったままだな」


 口に出してみると、ノクトがすぐに笑った。


『便利さって、だいたいそういうもんだよ。手放せなくなるようにできてる』


『でも、その便利さを一度失ったからこそ、見えるものもあります』


 ルーメンの言葉は、少しだけ救いを含んでいた。


『この港だけで抱えきれないなら、外に出るのも一つの答えです』


 外。


 潮の帯に沿って並ぶ他の港。

港湾連合の本部、石の診療所、別の樹の街。


 そこに、何か別の選び方があるのなら。


 俺は、坂の下で仮設樹ユニットの周りに集まっている人影を見やりながら、思った。


 便利さに寄りかかりきったまま、また樹を止める刻が来るのを待つのか。

 それとも、この「足りない支援」をきっかけに、港の外へ足を伸ばすのか。


 答えはまだ出ない。


 ただ、仮設樹の拍と、携行樹パックの薄い熱と、自分の胸の拍が、三つ巴になってこの港をかろうじて回していることだけは、はっきりと分かっていた。


 その不安定さから目をそらさないことだけを、とりあえずの仕事として、俺は樹根室へ戻る階段を降り始めた。

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