第八章 語られなかった真犯人と、燃え落ちる過去の家
夜が屋敷を静かに包み込んでいた。
窓の外では木々がざわめき、風に乗って枯葉が舞っている。
矢野は書斎の扉の前に立っていた。
昼間に訪れたときとは違う、妙な緊張感が喉元に張りついている。
手には、倉庫から持ち帰った鍵束と、母の血痕が残った写真──そして、一枚のメモ。
あのビデオの裏側に貼り付けられていた、小さな走り書きだった。
──「時計の裏を見ろ」──
静かに扉を開ける。
書斎は相変わらずの静寂の中にあったが、どこか“生々しい”空気が残っている気がした。
あの夜、この場所で何が起きたのか。映像は真実の一部しか映していなかった。
矢野は壁際に掛けられた古時計の前に立つ。
止まったままの針が、まるで時間を封じ込めているように見えた。
背面に手を回し、慎重に時計を持ち上げる。
古びた釘がわずかに軋み、裏面に隠された小さな箱が露わになる。
それは、封をされた金属のケースだった。
工具で慎重にこじ開けると、中には数枚の紙と、1本の万年筆、そして──録音テープ。
古いカセット式のテープだった。
すぐさま祖父のデッキにセットし、再生する。
……ジジッ──
最初はノイズだけが続いた。だが、やがて低く、沈んだ声が再生される。
「……この録音が再生されているということは、私はもうこの世にはいないのだろう。」
祖父の声だった。
「この家には、罪がある。
私はそれを知っていて、正さなかった。
息子──正明が、あの夜何をしたか、私はすべてを見ていた。」
矢野の手が止まる。思わずテーブルに片手をついて身体を支える。
「……あの夜、紗英が屋敷を出ようとしたのは、
彼女が“ある秘密”に気づいたからだ。
正明が、私の後継として家を継ぐだけの器ではないと──
むしろ、私を支配し、財を奪おうとしていたことに、気づいてしまった。」
録音は続く。
「そして私は、気づいていながら止めなかった。
“家を守るため”という名目で、黙認した。」
祖父の声に震えが混じる。
「矢野……もし、これを聞いているなら、君に伝えたい。
君の母を救えなかった私を、どうか許してくれとは言わない。
だが、真実を記すことで、せめて自分自身を贖いたい。」
最後に、小さく吐息が入る。
「──あの夜、正明は彼女をこの書斎で刺した。
だが、事故のように偽装した。
そして私は、それに加担した。
……すべては、君を守るためだと思い込もうとしていた。
だが、それはただの自己保身だった。」
……カチッ。テープが終わった。
矢野の胸の奥が、熱く、苦しかった。
真実を知りながら黙っていた祖父。
実の父が母を殺し、それを隠した屋敷。
ふと、外の風が強くなり、窓がガタガタと揺れる。
気づけば、書斎の奥にうずたかく積まれていた新聞の山が、風で倒れかけていた。
矢野が近づいて直そうとしたその時──
その下から、焦げ跡のついた便箋が数枚、崩れ落ちた。
「……これは……」
どれも、“あの便箋”と同じ筆跡。
だが、内容は少しずつ異なっていた。
「“矢野へ”」
「“これを見つけたなら、私はもうこの世にはいない”」
「“真実は、私ではなく、“彼”に聞いてほしい”」
そして──最後の一枚。
「“君がこの家に戻るのが怖かった。
でも今は、来てくれてよかったと思っている。
だから、最後の“あの部屋”を開けてほしい──”」
──“あの部屋”。
屋敷の南側、長年閉ざされたままの、母の旧寝室。
矢野は、無言で立ち上がった。
「……わかりました。今、行きます。」
風が再び吹き抜ける。
過去が、ついにすべてを明かすために、扉を開けようとしていた。