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第七章 封印された映像、語られなかった夜

映像は、粒子の粗いざらついたノイズの中で始まった。


書斎の静寂を破るように、椅子を引く音が小さく響く。

カメラは固定されており、部屋の奥――祖父の机と、隣に立つ女性の全身を正面から映し出している。


「……やはり、出ていくしかないわね。」


母――紗英が、静かにそう言った。

その口調は決して感情的ではない。

だが、どこかに覚悟のような、終わりを悟った人間特有の透明な哀しみが滲んでいた。


祖父は椅子にもたれ、何かを考えるように無言で頷いた。


「あなたに、黙って出ていくこともできた。

でも……最後に、ちゃんと話しておきたかった。」


祖父はようやく口を開いた。

その声は、驚くほど低く、掠れていた。


「“あの子”に、何か言い残すつもりか?」


矢野の心臓が、きゅうと強く締め付けられる。


「……矢野には、何も言わない。言えない。

あの子には、まっすぐに生きてほしい。

私は……ただ、あの子にとって、

“生んでくれた人”でいられれば、それでいいの。」


カメラの前で、祖父が目を伏せる。


「それでも、お前は“罪”を背負ったまま消えるつもりか。」


「ええ。……それが、私にできる最後の責任。」


そのとき、画面に映る紗英の視線が、どこか一瞬だけ、カメラの“向こう側”を見たように見えた。

録画していることに気づいていたのか、それとも偶然だったのかは分からない。

けれど、矢野にはその一瞬が、まるで自分を見つめているかのように思えた。


「最後にひとつだけ、お願いがあります。」


紗英が、立ったまま頭を下げる。


「どうか……矢野を、屋敷に近づけないでください。

あの子には、過去なんて必要ない。」


画面がぶつりと切れた。


──しかし、それで終わりではなかった。


映像は、別のテープへと切り替わる。

日付は、同じ年の「3月13日」。

つまり、母が姿を消したとされる“翌日”だった。


画面は、書斎の夜の風景。

カメラの角度は同じだが、照明は落とされ、机の上のスタンドライトだけが灯っている。


そこに映っていたのは──父だった。


スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩め、独り言のようにぽつぽつと喋り続ける。


「まさか、こんなことになるなんてな……

まさか本当に……あいつが、出ていくとは思わなかった。」


手元には、紙切れのようなものがある。便箋──あの便箋と同じものだ。


「……でも、これでよかった。

父さんも、あれだけ言ってたしな。

“あの子だけは守れ”って。

そうだよな……これで、全部終わったんだよな……」


その目は焦点が定まっておらず、時折、うわずったような笑みを浮かべる。


「──でも、ほんとは気づいてた。

あの夜、屋敷を出た紗英を、見送ったのは“俺”じゃない。

誰かが、屋敷に入ってきて、……そして、“何か”が起きた。」


その瞬間、テープの音声がノイズで途切れる。

数秒間、砂嵐のような音が続き──


──再び映像が戻ったとき、書斎のソファに、倒れた紗英の姿が映っていた。


白い服の背中に、赤い染み。

そして、それを見下ろす、祖父の姿。


カメラはぶれる。誰かが慌ててスイッチを切ったようだった。


──そこまでだった。


ビデオデッキのモーター音が止まり、静寂が戻る。


「……父は、隠していたんですね。」


矢野の声は、静かだった。怒りでも悲しみでもなく、

ただ、深い諦念のような響き。


「母は、“出ていった”んじゃない。

“殺された”……そして、そのことを、誰も語らなかった。」


和江は、黙ってうなずいた。


「わたくしも……あの夜、ほんの一瞬だけ、異変に気づいていました。

でも……あの家では、“見なかったこと”がすべてでした。」


矢野は、立ち上がった。


「終わらせましょう。……この家の、“過去”を。」


屋敷の書斎を、もう一度訪れようとしていた。

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