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第四章 火の記憶と、声にならなかった叫び

屋敷の空気が、わずかに変わっていた。

矢野はそれを、書斎を出た瞬間に感じた。


夜の帳は濃さを増し、窓の外では風が木々をざわめかせていた。

だが、それ以上に胸の奥がざわついていたのは、手帳に書かれていた“父の死”の真相によるものだった。


階段を降りていると、ふと、焦げたようなにおいが鼻をかすめた。


(……煙?)


瞬時に警戒心が走る。


居間へと駆け込むと、そこにいたのは家政婦だった。

テーブルの上に小さなろうそくを灯し、懐かしい香の匂いが漂っていた。


「驚かせてしまって申し訳ありません。少しだけ、灯りがほしくて。」


家政婦はすまなそうに言ったが、その瞳はどこか遠くにあった。


矢野はその対面に腰を下ろすと、すぐに切り出した。


「……父の死について、何か知ってますね。」


家政婦の手がわずかに震えた。

しかし、彼女は逃げなかった。


「……はい。あの夜のことを、私は……見ておりました。」


矢野は息を呑んだ。


家政婦は視線を落としながら、ぽつりぽつりと語り始めた。


「お坊ちゃま……いえ、矢野さまのお父上は、時折この家に戻ってこられていました。

その夜もそうでした。おじいさまと言い争いになり、激しい口論が続いて……

暖炉のそばで、突然、お父上が崩れ落ちたのです。」


「祖父が……手を出した?」


「……はい。ですが、それが“わざと”だったかどうかは……わたくしには、分かりません。

おじいさまもすぐに取り乱し、救急を呼ぼうとしました。

でも……息は、もう……」


家政婦の声がかすれた。


矢野は言葉を失ったまま、ろうそくの炎を見つめていた。

その揺らめきが、まるで誰かの魂のように感じられた。


「おじいさまは、ずっと後悔されていました。

でも、真実を明かす勇気がなかった。

あなたが幼くて、傷つけたくなかったのでしょう……」


しばし沈黙が落ちた。


矢野はゆっくりと口を開いた。


「だったら、なぜ今になって俺を呼び戻したんでしょう。

なぜ、あんな手紙を……」


家政婦は少しだけ微笑んだ。


「たぶん……“終わらせたかった”のでしょうね。

あなたがここに戻ってきて、この家の“時間”を再び動かすことで。」


矢野は無言で頷いた。


自分にできるのか――祖父が止めた時間を、再び動かすことが。


その答えを見つけるには、もう少しだけ、この家に留まる必要がある。

そして、まだ見ぬ“真実”を追いかける必要がある。


ろうそくの火が、ふっと揺れた。


矢野は、静まり返った屋敷の中で、再び書斎へと足を向けた。


時計の針はやはり十一時十一分のまま止まっている。

祖父の止めた時間。その理由は知ったつもりでいた。だが――それだけだろうか?


ふと、暖炉の上の飾り棚に目が留まる。

古い写真立て。祖父と父、そして見慣れない一人の女性。


(……誰だ?)


写真を手に取る。裏面にはうっすらと鉛筆で日付と名前。


《1982年6月・鎌倉にて 晴臣・康介・紗英》


(紗英……?)


聞いたことのない名前だった。


そのとき、背後で小さな物音がした。

振り返ると、誰もいない。


気のせいかと思った矢野は、そのまま写真立てを懐にしまい、棚の奥を探りはじめた。


小さな鍵。封筒。メモ帳。


その中に、ひときわ古びた封筒があった。


中から出てきたのは、一通の手紙。


《もしも、あの日の火の記憶を追うなら。

鍵は、台所の床下にある。

燃えたものは、決してすべてを消しきれない。》


(……火の記憶……)


あの夜、何かが“燃やされた”のか?


手帳にも、家政婦の証言にもなかった話だ。


矢野はすぐに台所へ向かった。

床は古びているが、明らかに一部だけ木目の流れが不自然な場所がある。


指で押すと、わずかに沈む。


(ここだ……)


ナイフを借りて床板を外すと、そこには小さな金属箱があった。


錆びていたが、さきほど見つけた小さな鍵がぴたりと合った。


中には、焼け焦げた書類の束。

半分以上が炭化していたが、辛うじて読める部分がある。


《死亡診断書(仮)》《司法解剖意見書(未提出)》

そして、一通の未開封の封筒――宛名にはこう書かれていた。


《矢野真》


自分の名前だった。


矢野は封を切る。

中にあったのは、祖父の筆致ではなかった。


女性の筆跡。そして、短い言葉。


《あの夜、あなたの父を死なせたのは――わたしです。

真実を伝えられなかったことを、どうか許してください。

紗英》


矢野は、息が止まりそうになった。


(……父を殺したのは、祖父じゃなかった?)


あの写真の女。紗英。


誰なのか。

なぜ父と口論していたのか。

なぜ、死を隠蔽するような手紙を祖父の手で燃やそうとしたのか。


そして、なぜ自分にこの手紙が届くよう仕向けられていたのか。


点と点が、まだ繋がらない。

けれど、確かに何かが大きく動き出している――そんな予感があった。


矢野は手紙を握りしめ、再び居間へ戻った。


今度は、自分の意思で、家政婦に問わなければならない。

“紗英”とは、誰なのか。


あの夜、屋敷で本当に起こったことは――

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