28.定義によってバラバラ
ピピピッ、ピピピッ。
「はい、前半戦終了!三十分間休憩や!」
梢さんのスマホのアラームの電子音と、梢さんの声で、私は顔を上げる。いつの間にか、問題を解くことに集中していて、時間を忘れていた。
「梢さん、今何時?」
「十時半や!かなり集中しとったな。途中から時間忘れ取ったやろ。やれば出来るやん!」
梢さん、鋭いな。梢さんが一緒にレポートを書いていたのもあって、いつものテスト前日からは、考えられないほど集中できた。
人と一緒に勉強するのってこんなに捗るんだな。だから、友達と一緒に勉強会したりする子たちがいるんだね。まあ、今まで私には縁が無かったけれど。
「うん。かなり進んだよ!今回、数学かなりイケるかも。梢さんはレポート進んだ?」
「講義でやった内容をなぞればええレポートだから内容は軽くて、ちょうど一本と半分くらい終わったところやな。音声入力の誤字の訂正や引用やらは、帰ったらパソコンで直さなあかんけどな。まあまあのペースや」
「じゃあ、さっき買った夜食を食べよう。私のサンドイッチ分けるから、梢さんのお菓子も分けて!」
「ほな、うちもそっちの机で食べよ。食べかすをベッドに落としたくないからな」
梢さんは、ベッドから降りると、近くにおいてあった真実さんのキャリーケースを机の前まで持ってくると、おもむろにその上に腰掛ける。
キャリーケースは、何も荷物を持ってきていない梢さんのために、真実さんが日本から持ってきた着替えやタオルや充電器など日用品が入っているそう。さっき、部屋の前で解散したすぐ後に、真実さんが私たちの部屋に持ってきてくれた。
『Tシャツとジャージは僕のが入っているけど、梢が着られそうなのを選んだから。だめだったら、薰ちゃんに借りてね。タオルなんかも入ってるから、薰ちゃんも使えそうなものがあったら遠慮無く使ってね』
とのこと。真実さん、面倒見がめちゃくちゃいいなあ。
机自体は横に広いので、私と梢さんが横に並んでも、まだまだスペースに余裕があるほどだ。
隣に座って、お菓子の袋を開ける梢さんを伺いながら、ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「ねえ、梢さん。梢さんはどうしてうちの兄貴と付き合うことになったの?」
「ん?恋バナか?薰がそんなこと聞くなんて大きくなったなあ」
「いやいや、恋バナくらい小学生でもするって。確かに私はしなかったけどさ。純粋に、どういう馴れ初めかなって、昔から気になってたんだよね」
「景から聞いとらんかったんか」
「兄貴がそんな話を私にしてくれると思う?絶対に教えてくれないよ」
「うちが景と初めて会うたんは、中学二年のころやな。それまでは同じクラスになったこともなくて、顔も知らんかった。あるとき、景が小学校のプールをのぞき見してたところを、うちが学校の先生に通報したんが始まりや」
「考え得る限り最悪の出会いだ!というか、それって、もしかしなくても私の小学校のプールだよね。私、背が低くて、学校のプールの深い所だと足が着かなくて怖いって兄貴に泣きついたことがあって。兄貴はそれで、私が溺れてないか見てたんだと思う」
「うん。聞いた、聞いた。まあ、それから、なんやかんやあって、付き合うことになったんや」
「その出会いから、どうしたら付き合うことにんるのか、さっぱり分からないんだけど」
「話すと長くなるから、割愛で。ところで、薰は付き合ってる人とか、おるんか?」
「いない、いない!友達は欲しいけど、誰かと付き合いたいとかいう発想はない。私って、恋愛的に人のこと好きにならないんだよね」
「ふーん、そうなんや。でも、漫画とかドラマとかだと、恋愛系の話も好きやろ?うちと景の話にも興味あるくらいやし」
「梢さんと兄貴の話が聞きたいっていうのは、身内の話だし、恋愛の興味あるなしには、関係ないけど。そうだなあ、例えばさ、物語によって、魔法の定義ってバラバラでしょ」
「自分の属性の魔法しか使えんとか、魔導書がないと使えんとか、色々あるわな」
「それに、そもそも世界に魔法が存在しない、っていう定義もあるでしょ」
「せやな。魔法はないけど妖怪はいる、みたいな作品もあるもんな」
「うん。だから、この作品の世界では、魔法があって、魔法が使えるのは貴族だけなんだな、とか作品中の世界の定義を踏まえて読んでいく」
どう言えば伝わるかな、少し考えてから続ける。
「私にとって、“恋愛”は”魔法”と同じようなものなの。私の世界にはないけれど、他の人の世界には確かにあるもの。自分の中には無くても、この物語の中には”ある”っていう定義を踏まえているから問題はないな」
「あーちょっと分かるかもな、それ。ほのぼの日常景の漫画って、悪人が一人もいない事あるやん。そういうとき、この世界には良い人しかおらんのやな、そんな世界に自分がおったらつまらんけど、漫画なら好きやし」
「逆に、シリアスなシーンしかなくて、この世界にはアホな人やふざけた人とかいないんだなーって漫画もあるし」
「うちらの世界線には魔法があるけどな」
「けど私、まだ何も魔法みせてもらってないよ!さっき真実さんに階dんを楽に降りられる方法を聞いたくらいだし。これ、壮大なドッキリってことないよね?」
「ドッキリのためにパリまで連れてくる奴がおったら、親友になれそうやわ。まあ、薰は筋が良さそうやし、すぐに魔法使えるようになるで」
「どういうこと?」
妙に確信めいた梢さんの言い方に、私は首をかしげる。
「物語の世界観の定義の話や。作品の世界観にピントを合わせて読む、チューニングするイメージやろか、そういうのを薰は今まで自然としとるし、それを自覚しとる。これまでは、世界に魔法がないと思って来たから使えんかったやろうけど、魔法はあるって分かったんなら、薰はすぐに世界観を修正できる。薰の中で、”魔法は使える”って世界の定義を変えられれば、もう魔法は使えるようになるはずや」
「実際に見せてくれたら、もっと早く定義を書き換えられるんだけどな~」
私は、梢さんの肩にもたれかかる。梢さんはそんな私をなだめるように、頭を軽くはたく。
「急ぐことないで。どうせ日本に戻ったら修行の毎日やで。よし、三十分たったわ。休憩終わり!」
梢さんは、お菓子のゴミをまとめてゴミ箱へ捨てる。
「はーい」
私もしぶしぶ、机を拭いて、また教科書を広げる。今度は英語だ。せっかくパリにいるんだし、フランス語の勉強でもしたいところだけれど、テストにフランス語は出ないので仕方が無い。
その日、私と梢さんは、どうにか深夜一時まで勉強し、どうにかベッドに倒れ込んだのだった。




