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餌の味  作者: 双葉紫明
ブロイラー
4/5

ブロイ

 僕は無宗教で、神様は人間が作ったものだと思っている。だから宗教に関心が薄いし、或いは間違っているかもしれない。キリスト教では「家畜は神が人間に与え給うたものである」そうだ。


 嘘だ。


 神が人間が都合よく作り出した偶像で、その存在意義が身分差の正当化であるとすると、その教義は一般大衆に隷属思想を浸透させる為だけに存在しているだろう。


 ワンちゃんはわたしの家族。だから犬を食うなんて考えられない。


 ああ、そうですか。僕が子供の頃まで野犬が普通に存在していた。しかし彼らは今ほとんど見かけない。代わって犬を飼う人は増えたし、純血種の割合はとても高くなったと思う。そんな彼らに人々は自身の理想を見出しているのだろうか?そこらをうろつき明日をも知れず、時に得体の知れないものを空腹から食っては吐いて、それでも好きに交わり雌は子を育て、雄はまた新たな雌を探す。そんな生活が不安だろうか?繋がれて、決まった時間に散歩して、決まった餌を与えられ、決められた雌と決められたタイミングで交わりたいだろうか?自ら動く事無くおねだりに吠えたいだろうか?

 話を鶏に戻そう。僕が住む山里には今だに鶏を飼って卵を得ている家がある。そこのおじさんから話を聞いた。割と広めの鶏小屋に一羽の雌鶏を飼っている。毎日卵を産んでくれるそうだ。栽培している野菜のクズを餌に与える。幸せだろうか?しかし鶏小屋の床はコンクリートが打ってある。そうしないとイタチやらなんやら土を掘って侵入し食われてしまうそうだ。どう感じるだろうか?何故鶏は逃げられないで食われるのだろうか?そして鶏は、食われないならば土よりコンクリートを踏んで一生を終えたいだろうか?


 仮にも命。


 それを「いかようにも都合よく」と許す神は果たして信用に足るのだろうか?力士は「土が付く」事から「四つ足食うな」と鶏をちゃんこにする。それを雑学めいて誰かに話せるだろうか?宗教とは、免罪符でしかないのではないか?


 信じるものは救われる


 だから、僕は救われないのだろうか?

 誰か、教えてくれないか?

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