ブロ
もともとケソタッキー&翼チキソは好きで20代半ばから働いてた横浜藤棚商店街のパチソコ屋時代は西横浜駅近くのケソタッキーで毎週定例会を行っていた。その商店街に鰻屋さんがあって道行く人々に香ばしいにおいを提供していたんだけど、僕は当時も貧乏だった為景気良い時に肝や兜の串焼きを買うくらいだった。当時から審美眼をと単なる捻くれ者の不具者の言い訳して生きてた僕は、そこのショーケースに並んだある鶏肉に目がイッた。
大山しゃも
この頃まだ地鶏童貞に近かったと思う。いや、すでに鹿児島出身の親を持つ彼女の雑煮のなんだか羽根を焼いた焦げ目付いた鶏の骨付きぶつ切り肉に心を奪われていたから童貞ではなかったかもしれない。しかも自殺した古尾谷雅人が故郷で奥久慈しゃもと日本酒を当時まだネプチューンだったやつらに教え同時に黒歴史を背負わせる事になるとはまだ窺い知れぬ屈託ないオンエアを視てじゅるるしていたタイミングだった。僕は運命論者じゃないけどタイミングは重要だと思っている。店もどうにもなりそうもないタイミングで金が借りられたりご支援いただけて続けてしまった。続けて、シマった。
ともあれ僕はその大山しゃもをいたく気に入った。パチンコ屋の二階の寮の部屋、カセットコンロに土鍋。市販の鍋の出汁に安い豆腐に白菜、えのき。少量のしゃもがあれば贅沢極まりなかった。あとはビールだ。寮のビールは飲み放題だったから。
スロットや競馬に勝って気分良く、または負けてヤケクソに。この鶏肉の味は「国産ハーブ鶏」をうたうケソタッキーのブロイラーとは全然違った。臭みがない。香りはある。においは味覚に大きく作用する。噛みごたえがある。彼女のあの鶏はガチガチで衝撃を受けた(今思えばヒネだった)けど、程よい歯応え。僕が初めて心底うまいと思ったのはしゃも肉で、その理由はにおいと食感だった。納豆卵豆腐ウインナーがあれば良い。そう思っていた僕の食への関心はその後付き合った別の彼女により大きな変化への道標を授けられて行くのだけど、とりあえずブロイラーについて、万が一皆さんが「唐揚げ大好き!」とか「鶏肉はヘルシー」とか「安いから買う」とか、洗脳的な概念に囚われてるならそこから出してあげたい。ブロイラーなんか食うな。食うから存在させられるんだ。僕は食うけどね。何故なら金がホントに無いから。ヘビとかカエルよりはマシだ。何気に巨大産業だから敵にまわしちゃダメかもしれない。けどまわす。その理由をこれから書きます。