第三十四話『いい奴』
「ラングお前……なぜここに。いや、というか大丈夫なのか?」
地面に転がったまま、見上げてハーツは尋ねる。
彼は恋人であるチエの死によって精神に異常をきたし、精神病棟で療養──もとい軟禁状態にあったはずだ。実際、今の彼の服装は病衣である。
ラングは目を見開き、眉を激情によって歪めながら、声を張った。
「全然大丈夫じゃねえよ! 自分が今までおかしくなってたって自覚したのも、ようやく正気を取り戻したのだってついさっきだ!」
「治った、のか……? いやその前に、なんで太陽の影響を受けても普通で──」
そこでハーツは思い出した。
───精神病棟は脱走禁止のために窓がない作りになっているはず。もしかして精神病棟にいたから、太陽の影響を受けていないのか……!
皮肉なものだ。
精神に異常をきたしていたラングが──ラングだからこそ今こうして正気を取り戻している。
「ああ、治ったさ! 俺よりおかしな様子になったやつが他にいたからな! 自分よりおかしなやつ見ると正気に戻るってのは聞いた事あるが、どうやら本当らしいな!」
おそらくそれは『客観視』だ。自分より明確に症状の重い人間を見る事で自分を再認識し、それがきっかけで正気に戻ったのだろう。
急いで来たのか、ラングの息は切れていた。
「扉をこじ開けて外に出て見れば、みんな支離滅裂な事しか考えてない……! 大体察しはつく。───チエの死がきっかけで、ランの人格が暴走したんだろ!? 妙に太陽の熱が強いのも、みんなの様子がおかしいのもそれのせいだ!」
「あぁ、その通りだ……」
曲がりなりにも、四人で様々な事を経験した仲だ。それにラングはリアの時も色々と動いてくれていた。察しが付くのにも納得できる。
「その通りってお前……!」
ラングはハーツの胸倉を掴んだ。
「お前は絶対動いていると思ったから探してきてみれば───こんなところで何してるんだよ! なに諦めようとしてるんだ!」
「───」
「チエが目の前で死んで……すぐに心が折れちまった俺が言えたことじゃないかもしれないがなぁ……!」
歯を食いしばり、意志を強く誇示して、ラングはハーツに訴える。
「お前が諦めたらランちゃんの事を誰が助けてあげるんだ! 諦めるなよ!」
「ごめんな」
「ごめんなってお前っ、本当に……?」
「頭では分かってるんだ。でも、狂気も悪くないんじゃないかと、そう思ってしまった……」
「……!」
一瞬、呆けたラングだったが、すぐに首を振りもう一度胸倉を強く掴んできた。
「お前は凄い奴だろ……! 再生魔法を持っていて、戦場を駆け抜けた『英雄』だろ!! 俺はお前がこんなところで投げ出さない奴だっていうのは知ってる!! お前はその思考に至るまで沢山考えたんだろ。苦しんだんだろ!? でもそれはお前が諦めていい理由にはならないはずだ!」
「───」
「ランちゃんの『快晴』の力がどんなに強大で、例えお前の根底すら揺るがすものだったとしても───自分を見失うなよ!」
感情が、頬を伝った。
「───チエは、目の前の敵に勝てないと思っても、立ち向かったんだぞ……!」
「……ぁ」
「『狂気』に蝕まれていたはずだ。他人との違いに苦悩して、色々な『感情』を抱えていた。それでもあの子は戦い続けた! 抗い続けた! その果てに一体何が残った!?」
「……それは」
顔を上げて、泣きじゃくるラングの顔を見る。
「全てだ」
「───そうだ! あの子はこのハイフロントに生きる俺達を始めとした、全てを救ってくれた!!」
あの『大波』の最後、彼女が自らを犠牲にして対抗しなければ、今頃ハイフロントは滅んでいたかもしれない。例えそうでなくとも、大規模な被害が出ていた事に変わりはない。あの強い光を浴びていればハーツさえも死んでいた。
嗚咽は熱となり、力となって、より強くハーツの胸元を苦しめる。
「けど、そんな全てもお前がここで諦めれば終わってしまう。全てが『狂気』に堕ちてしまう。なあ、頼む。頼むよっ! あの子の死を、献身を! 生きた証を無駄にしないでくれ!!」
「───」
ふっと、納得できてしまった。
ここでハーツが諦めれば、潰える。チエの生きた証も、生き様も。奮起した感情の全てが無駄になってしまう。
嫌だった。なんとなく嫌だと思ってしまった。
友人の努力の証が、そんな風に藻屑と化すのは。
ラングはハーツの瞳を見つめながらも、最後に声を張り上げた。
「───チエの事を『友達』だと言ってくれたお前が!! こんなところで諦めるなよッ!!」
誰よりもチエと対等な『友達』であったハーツが、諦めてはならない。
最期に『人間』になれた少女の自己犠牲を、忘れてはいけないのだ。
その全てが今、ハーツに託されている。
「……そうだ」
無駄になる。
全ての努力が、無駄になる。
ハーツに前線で戦う力はもう残されていない。出来る事は、ハイフロントの面々を信じて託すこと。そして後方支援に徹すること。
このままではリアの死も、ランやフェリアたちが戦った事実も無駄になる。果てにはハーツ自身の歩みさえも。
「───」
思考を回せ。
これ以上、自分の本質を見失うような無様な真似をするな。
曇れば後は死ぬだけだ。
考えろ、見続ける。
それが向き合うという事なのだから。
「ごめんな」
「……目は覚めたかよ」
「ああ」
胸倉から手が離され、自身を蝕んでいたものと一緒に拘束感が消えていく。解放された訳じゃない。まるで泥の中から引き戻されたような感覚。
未だに視界は歪んでいるし、世界が狂っている事実は変わらない。
それでも───ハーツはもう、自らの認識を肯定する事が出来る。
そんなハーツを見て、ラングはいつもとは少し違う笑みを浮かべた。
「感謝してくれてもいいんだぜ」
「それは終わってからだ。落ち着いてからお礼は言いたい」
「はは、『真面目』ちゃんめ」
ハーツもまた緩やかに笑みを浮かべて、すぐに頬を両手で叩き、気を引き締めた。
「よし……」
「……」
「───ラン嬢へ会いに行く」
「場所は分かるのか?」
「動いていなければ研究室だが……」
動いていない保証はない。そも、こうして歪んで世界の中で、きちんと研究室へ辿り着ける自信もない。
「おいおい、目の前にいるのが誰かと思ってるんだ? 探知部門のエース、ラングだぜ?」
「……お前の魔法は『感情』を受け取るもの。個人の特定なんて出来るのか? それに周囲の人間はみんな支離滅裂な思考をしている。ノイズのように邪魔をするんじゃないかと思ったんだが」
そもそもが副産物としての力だ。話を聞いている限り、ラングの魔法はそんなに万能じゃない。
だが、ラングは苦笑いを浮かべた。
「確かにお前の言うとおりだ。俺の力で特定する事は出来ないし、正直みんなの感情は滅茶苦茶だよ」
「なら──」
「以前までならな」
ハーツが驚いたのはその直後だ。
目を閉じたラングの髪が、白く発光を始めたのだから。
「───」
肌で感じる事が出来る。その魔力出力を。
「……お前、その魔力」
「狂ってても記憶ってのは残ってるみたいでさ。それで知ったんだけど──『大波』の主が光柱を作った瞬間、チエ以外誰も気づかなかっただろ? あれ、探知系の魔法を無効化する力が働いてたらしいんだ」
ハーツの言葉を無視して、ラングは話し始める。
確かに今思えば、なぜチエだけが先んじて気づけたのに、より精度が高い筈の探知魔法使いたちが気づけなかったのか疑問ではあった。
「探知が無効化されていたから、結果的に一番近くにいたチエが目視で発見したのが一番早かったって事か……」
「その通りだ。無様だよな。探知部門なのに、何にも分からなかったんだから」
涙を流しながら、笑って。
「俺の魔法、進化したんだ」
「……」
「笑えるだろ? あの子が亡くなってから、俺の魔法はより強力になったんだよ……」
「───」
「理由は分からないけど、多分、一度おかしくなって、色々と経験したから、なんだろう、な……」
顔を手で覆って、後悔と懺悔の念で焼かれていた。
拳が握られる。爪が肌に食い込んで、そこから血が流れていた。
「自分を呪ったよ。気づくのが遅れてあの子は死んだのに、その力が終わった後に強くなるだなんてッ!! この力があればチエを救えたのに!!」
「ラング、お前───!」
「でもッ!!」
心配も、配慮も、言葉も、全てを振り切るように叫んで。
ラングは無理にでも、笑って見せた。
「───この力はメッセージだと思ったんだ。チエが『その力で大勢の人を救ってください』って、そんな風に言ってるんだって…っ!!」
「───」
「色々な事があったよ。この魔法があるせいで、昔からずっと散々な目に遭った。でも良かったよ。この魔法があるおかげで、人の『感情』が分かるおかげで、俺はお前を救える。だから頼む。この力で救う最初の一人をお前にさせてくれよ!」
ゆっくりと目を見開き、一気に開眼する。
光が弾けて、泡のように消えていった。
「見つけた。ランちゃんは図書館にいる」
図書館。そこはランとチエが──そしてチエとラングが初めて出会った場所だった。それにどんな意味が込められているかは定かではない。けれど、ランがその場所を選び、滞在しているのだとすれば、そこには明確な意味がある。
「救ってやってくれ。チエの意志を無駄にしないためにも」
「───」
その時、一瞬だけ、ハーツの思考はランから離れていた。
なぜか。ただひたすらに、敬意で溢れていたからだ。
「ラング」
「ん?」
「───心から尊敬する」
軍人らしく、あるいは一人の人間らしく、敬礼した。
その気高き精神に。
高貴たろうとする在り方に。
「最大の感謝を。この恩は、後で必ず」
「おいおいおやめてくれよ……『真面目』ちゃんめ」
ラングはむず痒そうに笑って、拳を前へ突き出した。
「ま、御託並べてるけどよ──親友が困ってたら、助けるのは当然だろー!」
「───」
ぺかーっと笑ったラングに対し、ハーツは同じように拳を突き出して、ぶつけた。
「お前、『いい奴』だな」




