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エランフェリア・テンペスターズ  作者: 織重 春夏秋
序章『ハーツ・ローレリアス』
2/67

第二話『天災、あるいは一人の───』


 『一理ある』。


 そう返事をしたクリアに先導され、ハーツは基地の中を歩いていた。その間、すれ違った軍人たちへ着任の挨拶をしつつ、二人は司令官室のある三階から二階へ移動し、長い廊下を抜けた先にある研究区画へとたどり着いた。


「ここは研究区画だ。魔法の研究、そしてその産物の検証や、人体への魔法適応などを確かめるための施設が一通り揃っている。設備は本軍のそれに劣るが、より実践的なものが揃ってるぞ」


 ごった返す人、ガラスと結界ごしに映る研究の様子など、専門家が訪れればテーマパークもかくやという風な喧騒だ。

 もっともハーツは軍人なので興味はない。いい装備をくれたら嬉しいぐらいだ。


 そんな区画も半ばを過ぎて、段々と人通りが少なくなってきた。どうやら前半が多くの研究者や人員が割かれる、所謂『明るい研究』であるらしい。即ちここからは表に出せないような研究が多いという訳だ。


 そしてやはり、最奥の場所。まるで隔離するように周囲の地面より低い場所に作られた正方形の箱のような空間に、彼女はいた。

 硝子と結界の外側に数人の魔法研究者と軍人がいる。彼らは彼女を監視するために、それだけのためにここにいるのだろう。


 彼らは靴の音から近付いてきた人物がいる事に気づき、更にそれがクリアである事を理解すると姿勢を正し、見事な敬礼を見せた。


「お疲れ様です、フィアファネス司令官殿!」


「ご苦労。こっちは今日からハイフロント所属となったローレリアス少佐だ。基本的には私付きの人員となる」


「ハーツ・ローレリアス少佐です。以後お見知りおきを」


「研究長、しばらく見させてもらうぞ」


「もちろんですとも。どうぞこちらへ」


 軽く挨拶を交わし、クリアとハーツは開けられた道を進むと、ガラス壁へと近づく。

 そして横へ並ぶと、内側を見下ろした。


「────」


 漆黒の帝国軍女性兵士軍服。年頃の少女らしい処女雪のような美貌は、硝子細工のように繊細だが、微かに覗く琥珀の瞳は、刃のような剣呑さだ。

 真下に降ろされた玲瓏の白髪の先端は、玉水のような藍色に移ろっている。人工物では存在しえない美麗さであり、少女の特異性を更に強調していた。


 エランフェリア・テンペスターズ。

 ガラス越しの室内の中央で、水面のように黙りながら蹲っている。


「昨日、仲間(お友達)が死んだ」


 誰もが思う疑問をクリアは自然と答えてくれる。


「だから、今は少し気持ちが沈んでしまっている。彼女は軍人ではない。心構えまで強者ではない訳だ」

 

 親しい者が死ねば、誰でも落ち込むというもの。ハーツたちはどんな異常事態でも平常心を保てるように訓練を積んでいるが、逆に言えば落ち込みはするのだ。


「思ったより人間らしいですね」


「彼女はまだ、な。そういうやつ・・・・・・もいるにはいるが、多くは人の心を持っている。しかしこうして一度落ち込めば───力に呑まれる者もまた多い」


 結界の中にいるのは、魔法が暴走し周囲に被害を及ぼすからに他ならない。彼女が人の心を持つ事の何よりの証でもある。


「……分かりました。ひとまず、話してみます」


「中に入るのか?」


「ええ」


「そうか。……聞いていたな、開けてくれ」


 案内されるままに更に階段を下れば、見るからに強固な外見をした特別製の扉がある。研究者が魔力を掌から放出すれば、適応するように内向きに扉が開いた。


 薄紫色の結界が微かに見える。しかし外側からの干渉を無効化する類ではないようで、研究者は振り返り道を開けた。

 軽く頭を下げて、結界の微かな感触を潜り抜け、硝子内部の白い空間へと足を踏み入れる。


 ガコン、という音がして、扉が閉まった。


「……司令官殿?」


「気にするな。お前は目の前の任務に集中しろ、真面目ちゃん」


「…………」


 今は安定状態のはずだ。結界もある。なのになぜ、わざわざ強化魔鋼製と思われる扉を閉じ密閉する? 

 少し、背筋に冷や汗が流れた。

 上司の理不尽に若干引きながらも、ハーツは歩みを進め、少女の前に立つ。


「……」


「…………だれ?」


 俯いたまま、彼女は言葉を吐いた。

 鈴のような声だった。暗い部屋でチリンと音を立てる、小さな小さな銀。


「ルドベリア帝国帝国軍所属、ハーツ・ローレリアスです。初めまして、お嬢さん」


 まずは軽い挨拶。出来るだけ好印象を残せるように、笑顔と喜色の声を含めて。


「……」


 当然のように無視された。

 何者かを尋ねてきたのは少女のはずなのに。


「お嬢さんの名前を聞かせてくれませんか?」


「……」


 膝に手を置いて目線を近づけ、問いかける。それでも彼女は微動だにせずに蹲り、むしろより顔を埋めた。

 まるで外の世界を遮断して、自らの殻に籠るかのような仕草だ。


 いや。

 籠っているのだろう。

 

 彼女は今、誰も、何も、全てを拒絶している。


 それを見てハーツは思った。

 

 ───強い子・・・だ。


「……」


「……」


 ファーストコンタクトは失敗。

 さて、どんな風に話を進めればよいかと顔を上げたところで。


「私たちは」


 ぽつり、と。

 ハーツに聞かせるのではなく、独り言のように。


「なんで苦しまないといけないの?」


「……」


「どうしてあの子は死んだの?」


「……」


「次は……私? 私なのかな……」


 投げられた疑問は、少し難しい。

 『軍が利用しているから』、『敵が強いから』。もっともらしい理由はいくらでも並べられるが、それは正論であって正解ではない。


 なぜなら彼女は感情の行き先を求めているから。疑問を問うのは現状をどうにかしたいと思っているから。不満があって、それを外に吐きだしたいから。

 理由なら、きっとわかっている。言語化できるかは知らないけれど、きっと本質的には誰もが理解している。


 ハーツは下唇を噛んで、ついてに自分の心を押し殺し、肉薄した。


弱いからだ・・・・・


「────」


「弱かったから、死んだ」


 戸惑い、唖然。


「この世界は強い者が生きて、弱い者が死ぬ。君の友達は弱かったから死んだ。君は強いから生きた」


 急速に上がる体温、湧き上がる熱。


「それだけだ。それだけなんだよ。理由なんて探してもどこにもない。友達はもう記憶の中にしかいない」

「───」


 失望。


「弱い事は悪だ」


「───」


「君の友達は、弱かった。だから死んだんだよ」


「お前ッ」


 怒り。


「───あの子をッ!!」

 

 殺意。


「悪く言うなアァアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 そして。


「殺す!! お前なんか、殺してやるッ!!!!」


 ───厳冬が訪れた。


~~~~~~~~~~~~


 変化は顕著だった。

 感情のない罵倒による激情。ハーツの言葉があまりにも残酷であったのもそうだが、それよりも少女の精神が不安定である事が、大きな理由だろう。


 髪が、感情の起伏と同時に脈打つように揺れた。

 藍色の毛先が色彩を変える。鈍色の草原、六角形の結晶──白銀の色彩転換。


「『全天候支配領域オムニス・テンペスターズ』───ッ!!」


 腕や頭に冷たい点々が現れ始めた。視界が白銀に染まっていき、周辺温度がごっそりと奪われる。

 ごうごうと音がする中、部屋全体を吹雪が覆い始めた。

 さながらここは冬国の極地だ。天気が変わりやすく、人の命を簡単に奪うほどの雪の暴威の嵐──それが、この一瞬にして結界の内部に顕現した。


 恐怖というよりも、寒さに対する根源的な感情で体が震える。厚着の上から身体が底冷えするほどに冷却されていき、顔に降り注ぐ雪を取り除いてもなお低下が止まらない。


(詠唱なしでこの威力───天候操作を手足のように……!)


 吹雪は少女へ降りかかっていないというのに、地面には積もり、壁にも貼りつき始めている。これは即ち、発生させた天候を完璧に制御している事実に他ならない。

 顔を殺意で歪め、こちらを睨む少女からは余裕すら感じる。いま支配しているのはこの部屋だけだが、更に広い範囲を覆う事も造作もないのだろう。


『───!、───────!、───!』


 窓の外から誰かが叫ぶ声が聞こえてくる。だが扉が開けられることはない。結界は一度オフにすれば再展開しなければならないし、そうすれば彼女の力が完全に外部へ及ぶことになる。

 ハーツ一人が死ぬのと、その他大勢が被害を受ける事。どちらを切り捨てるべきかは一目瞭然だからだ。


「凍え死ね!!」


 少女の髪が、怒りに震えるように逆立った。

 空間を薙いでいた吹雪の群が行き先を変え、ハーツに収束していく。体に積もる雪の量が何倍にも増加し、足を一歩動かそうとした時には既に寒さで体が上手く動かなかった。


「なん──て───ぜ……!」


 微細に手足を動かす事は出来る。だが、降りかかる雪から脱出する事は出来ない。自分の声すら風に煽られて遠のいてきた。


 ただ、堂々たる戦慄。


 最上級の魔法使いならこの程度の現象、起こす事なら造作もない。ただ、少女にとっては力の一端であり、しかも些細な仕草で吹雪を寄越した事実に驚きを隠せない。


「あの子は最後まで戦った! 生きようとした! それなのにッ、おまえ、お前はッ!! 何も知らないのにあの子を語るなぁッ!!」


 なるほど、怪物であるという事は事実であるようだ。

 癇癪で殺意を抱き、人を殺す。

 今がどの人格かは分からないが、少なくとも、この人格は凶悪である。


「シィイイイイイネエエエエエエエエ!!!」


 放置していてもハーツは死ぬだろうに、手ずから殺意をぶつけたいという欲求。

 少女は獣のような脚力で地面を砕くと、音を越えて肉薄。

 そして、手刀でハーツの心臓をぶち抜いた。


 少女の顔色が変化する。

 喜色でも、殺意でもなく───驚愕で。


~~~~~~~~~~~


「……! 司令官殿」


「ああ」


「いま、彼は」


 結界の外、硝子の安全圏で、クリアが隣の人物の言葉に頷く。


「───腹への狙いを読んで、あえて心臓へズラしたな」


「……自殺願望でもあるのですか?」


「違うな」


 即座の否定。

 そしてクリアは笑う。


「アイツは真面目ちゃんなのさ」


「なるほど」


 頷き、目を細める。


「ここまでくると、醜悪ですね」


~~~~~~~~~~~


 殺意とは最も純粋で原始的な感情。故に、研ぎ澄ますのが難しい。

 結局少女は怒りをぶつけたいだけなのだ。相手の命を絶つことではなく、感情の高ぶりを傷害によって解消する事が、目的なのである。


 貫き、散乱する臓物を前に少女の顔から色が落ちる。

 凶悪な人格は鳴りを潜め、殺意の消滅と共に冷静さが戻ってきた。毛先の藍色がその証拠だ。

 

 ハーツは口の中に溢れる血液を端に吐き、笑みを浮かべながら少女へ問いかける。

 

「僕は死んだよ、気が済んだかな」


 小さな体が停止する。心臓と顔に目線を行き来させて、唇が震えていた。


「わ、たし。そんなつもりじゃ……」


「お嬢さん」


「────」


「そんな無責任、通る訳ないよ」 


 彼女の狙いは腹だった。そして心臓を差し出したのはハーツだ。

 だけど、そもそも彼女が理不尽に殺意を振るわなければ、こうはならなかった。例え多重人格による暴走だとしても、彼女である以上、自己責任は付きまとう。


「君が殺した。君が終わらせた。君の強さが、僕を終わらせたんだ」


「ひッ……ゃぁ……! 嫌だ! いやだやだやだ!!」


「──全部、君が悪い」


 突き放すような言葉とともに、心臓の流血が跳ねた。少女の顔の右半分に飛び散り、端正な肌を汚す。 

 少女は今にも泣きそうな顔をしている。それを見て、ハーツはやはり思った。


 ───この子は、強い子だ。


 ゆっくりと、しかし力強く、ハーツは全身の力を総動員させ、少女の肩に手を置いた。


「ぁ、ぇっ……?」


「聞いてくれ」


 呆ける彼女に目を合わせ、少なくとも、言葉は届くように意識を戻す。


「僕らには選択の自由がある。誰かを生かすも殺すも僕ら次第だ。君の癇癪で人は死ぬ。でも反対に、君の意志一つで生きる命がある」


「───」


「もしかすると、それは君の友達だった・・・かもしれない」


 明確な殺意を持っていたのに、自分の思っていたより大きな被害が出ると途端に被害者面をする。でも、彼女には自分の目的を遂行するだけの力があった。その力をうまく扱えていれば、殺意なんて感情に頼らなくて良かったのだ。


「仲間が死んで辛いかい。生きているのは苦しいかい。自分の事さえままならないのは嫌かい」


「───」


「僕は君をどうにかしろと言われた。でも、未来を選ぶ権利は君にある」


 全員に届くように、強い瞳で。


「君は多重人格なんだろう? でも全員、等しく違って君であるはずだ。僕は君たち・・・に聞いている。答えてくれ」


「一体……『な』にを……」


 声色が混ざっている。精神が混乱して、人格の境目が一瞬曖昧になったのだ。今だからこそ、届く言葉もある。そう信じて、ハーツは声を張り上げた。


「自分を変えたいと思うかい?」


「……貴方を頼れば救われるの?」


「分からない」


 綺麗事は言っても、甘い事は言わない。


「助かるのは君自身だ。僕は手伝う事しかできない。僕は勇者じゃないし、君はお姫様でもないんだから」


「……そんなの無理だよ」


 抱きしめられて、ほとんど眠っているような顔で、彼女は呟く。


「私は怪物。自分が変わるんじゃなくて世界の法則を変える存在。貴方たちとは根っこが違うの」


「違わないさ。君は───悲しむことができるから」


 友達が死んで、悲しんだ。

 ハーツを刺して、後悔した。


「『怪物は涙なんか流さない』。僕はそう信じている」


「───」


「変わるなら今だ」


 きっとそれは、致命傷だったのだろう。


「なら、手伝って」


「いいよ」


「責任取ってね」


 少女の熱い掌が、ハーツの口元の血を拭って、頬に添えられる。


「「「「───四人分だから」」」」


 虚ろな瞳のラブコールと共に、彼女は意識を失った。


~~~~~~~~~~~~


「真面目ちゃんめ」


 開けられた結界と扉を抜けた瞬間、待ちわびたように立っていたクリアが笑っていた。


「もっと上手くやる方法もあっただろうに。自分も苦しみ、相手の土俵に立ってから心に訴えるなんてな。変わっていないとは言ったが、本当になーーんにも変わっていないようで安心したよ」


「僕に出来る事はこれだけですから。それに司令官殿」


「ん?」


「貴方が望んでいたのはこういう展開でしょう?」


 微笑み一つ。


 皮肉を込めた発言に対し、ハーツは真正面から答えた。

 ただ正論を叩きつけるだけでは心に響かないし、なにより説得力がない。死の淵にいるからこそ、真摯な心が伝わるのだ。


 幼いころからずっと、ハーツはそう信じ、実行してきた。


 ふと視界の端で、一人だけ研究者たちの白衣とも軍服とも違う服装の少女が見えた。彼女は集団の後ろの方から、強い視線でこちらを射抜いている。

 微かに視線を映せば、目が合った事を認識した少女が緩く手を振る。


 そして満足そうに微笑むと、背中を向けてこの場を去っていった。

 挨拶する事もなく、アイコンタクトに留めて消えた少女は、ハイフロントにハーツが入る直前、同じようなやり取りをした少女である。


(彼女、なぜここに──)


 思考はどたばたとした足音に遮られた。


「だ、大丈夫ですか!? 司令官殿もなぜそんなに落ち着いているのです! とにかく今すぐ救護室へ!」


「あー、いらんいらん。コイツに治療など無駄だ」


 ハーツの心臓を見て駆けてきた研究長に対し、クリアは面倒くさそうに手を振り止める。


「コイツを誰だと思っている。あのハーツ・ローレリアスだぞ」


「誰だろうと関係ありません! ハーツ・ローレリアスだかなんだかは知りませんが───お待ちください、ハーツ!?」


 慌てていた研究長が、その意味合いを変えてハーツを見つめる。

 彼の腹の傷は、いつの間にか塞がっていた。


「あの戦場の英雄、不死身の肉体を持ち、戦場を三日三晩駆け続けたというあのハーツ・ローレリアス殿ですか!?」


「はっはっは!! お前、すっかり有名人だな!」


「……ええ、そうですね」


 『廻壊者アンブレイカブル』。

 肉体の損傷を即時回復させ、例え致命傷を負ったとしても生命活動を持続させる自動発動型魔法。


 傷が治るだけであり、何かを傷つける力も誰かを助ける力もないが、その分効力は折り紙付き。

 彼はかつて、肉体と支給された武装のみで戦場をかけ、数多の強者たちを文字通り泥臭い方法で葬ってきた。


 故に、英雄と呼ばれているのだ。


「しかしまあ」


 一しきり笑ったあと、クリアはハーツを見た。


「衰えたな」


「はい」


 肯定する。


「僕はもう、壊れられない・・・・・・。心臓だったから良かったです。頭が潰れていれば即死でした。……昔ならば、どうってことはなかったのに」


 彼の魔法は不死身。

 だが、その認識が他とは異なる。

 

 何度でも壊れる事の出来る力だった。だから、戦場で無敵でいられた。本質は同じでも、死なないのではなく、何度でも壊れても良かったのだ。

 同じ使い方は出来ない。だからもう、ハーツは戦場にいられない。

 

「無茶な使い方をするからだ。死なない力だが、死に続けて死なない訳じゃない。あれほど使い方を考えろと言っただろう」


「劣化はしましたが本質は変わりません。有用ですから安心してください」


「真面目ちゃんめ」


 今日はなんだか、皮肉が多い気がする。

 そんな事を思いながら、ハーツは言葉を返した。


「───()()()()()()()()。僕がそうであるように、この子もまた、自分を変えたいと抗う事を決めてくれました」


 小さな少女。

 ハーツの腕の中で眠っている、エランフェリア・テンペスターズ。


 吹雪は意識の喪失と共に、手品のように消え失せた。

 暴走しているだけなのだ。最初から最後まで、本意ではなかった。


「僕に任せてください。上手くいくかはわかりませんが、どうにか頑張ってみます」


「あぁ。エランフェリアの事に関しては、戦闘時以外お前に一任する。情報や経歴などの諸々は後で確認しておけ。それと、破れた軍服の新調もな」


「了解しました」


「ハーツ」


「はい」


「期待しているぞ」


「ありがとうございます」


 ねぎらいの言葉を受けて、ハーツは首尾よく返事をした。クリアもまた、満足そうに頷くと、軍服を風になびかせながら去っていく。

 ハーツはゆっくりと息を吐いて、腕の中で眠る少女を医務室に運ぶため、歩みを進めた。


~~~~~~~~~~


 彼女の目覚めは数時間後後だった。

 外傷はなかったが、ストレスによる睡眠障害があり、どうやらハーツと邂逅した段階で二回目の徹夜に近い状態であったらしい。


 ハーツは念のために検査を受けたが、魔法の力により傷は消えており、問題はなかった。当然痕になるような事もなく、程度は下がったが魔法が健在である事は証明できた訳だ。

 

 そして今、彼は報告を受け医務室にいた。

 窓際に置かれた大きなベッドの上には、件の少女──エランフェリア・テンペスターズが寝ころびながら、外を眺めている。


「何の用?」


「挨拶と、謝罪にきた」


「謝罪?」


 前半は聞き流していたが、後半は不愉快だったのだろう。声色が変わり、少女はこちらに振り返りながら眉を顰めた。

 毛先が水色に変化している。恐らくだが、今の彼女はガラスの室内に最初からいた人格だ。

 しっかりと対話が出来て、荒れている様子もない。どうやら今は安定状態なのだろう。


「やっぱり面倒は見れないってこと?」


「それはいささか穿った考え方だ。僕は一度した約束を違える気はない」


 そう改まって、ハーツはゆっくりと頭を下げた。


「──君の友人を罵倒した事、謝らせてほしい。済まなかった」


 真摯に、気持ちが伝わる様に。


「理由は二つある。君の本音を引き出すためなのと、感情の行き先を僕に向けるためだ。耳障りのいい言葉をかけても気持ちは晴れないし、本音で会話する事も出来ない。理由があったとはいえ、僕がやったのは故人の尊厳を冒し、君の友達を侮辱する行為だった。本当に申し訳ない」


 話し、もう一度頭を下げる。

 手っ取り早く、成功率の高い方法だったとはいえ、倫理感に欠ける行動であったのは確かだ。相手の立場を考えるなら決して良い方法ではなかった。


「君の友人はとても強い人だったと思う。最後まで人の為に戦い、抵抗し、その果てに散っていったのだから」


「貴方は」


 瞳をぱちくりとさせて、少女は半分呆れたように言った。


「超真面目だね」


「よく言われる」


「言われるんだ。やっぱり超真面目だ」


 微かに微笑み、少女は喉を鳴らす。

 

「いいよ。許す許さないの問題でもないけど……もう気にしてない。実際、あの人は負けたから死んじゃったんだ。貴方の訂正を無駄にするようで申し訳ないけどね」


「……なら、次は救えるようになろう」


「手伝ってくれるんだもんね」


「あぁ。それが僕の任務だ」


「任務?」


 反芻。


「任務なんだ」


「あぁ」


「貴方の気持ちは?」


「僕の気持ち?」


 今度はハーツが繰り返した。


義務・・だからやるの? やりたい・・・・からやるの?」


「やりたいからだ。僕はこの任務を持ちかけられた時、断る選択肢もあったんだ。でも君と対面して、やりたいと思えた」


「どうして?」


「君がいい子だったからだ」


 少女の表情を見て、どうやら説明が足りなかったらしいと悟り、続けた。


「力と境遇に振り回されながらも、抗おうとしていた。誰かを想い後悔していた。人の本質は変わらない。この血と暴力で塗れた世界で、君のように純粋な子を見つけられたから──だから、手伝いたいとおもえたんだ」


「……」


 少女は少し難しそうにしていたが、なんとか自分の中で噛み砕けたのだろう。だから、少しだけ楽しそうに笑った。


「じゃあ私たち似た者同士だね」


「……純粋である事と、真面目である事を同一視するならそうだと思う」


「もー、煮え切らない」


「安心してくれ。どう言葉を弄しても、一度約束したからには責任は取る」


「ならいいや」


 ベッドに体を預けながら、少女は目を細める。

 そして、胸に手を当てた。


「他に三人いるんだ。みんなちゃんと生きてる。でも、貴方の言葉を聞いた時、私たちの何かに響いた」


「……」


「これから私たちは、私以外の三人を殺すために頑張らないといけない」


「君が主人格なのか」


 主人格。即ち、多重人格者における最初の人格。本来の体の所有者だ。


「うん。エランフェリアのエラン。だから、最後に残るのは私」


「───」


 『残る』。

 戻るのではなく、残る。


 その言葉に、彼女らが互いの事を想っているのが伝わってくる。もし邪魔な他人であると捉えているのなら、こんな言葉を使えはしないだろうから。


 多重人格は、己を守るために生み出される矛であり盾だ。

 それを彼女は、自ら切除する覚悟を決めている。


 存在するだけで害を与えてしまう存在だからと。自分以外の人の事を考えて。


「強いな」


「うん。時間は一瞬だったかもだけど、私たちはこれでも覚悟を決めたの」


 だから、と前置きをしてエランは微笑み、ハーツの頬を手で包んだ。


「よろしくね、ハーツさん」

「望むところだ──エラン嬢。……いや」


 お返しとして、ハーツは彼女の頭を撫でた。


「エラン嬢たち・・


「……わざわざ訂正するとか」


 ぷっ、と噴き出して。


「超いい人だね」


 と、笑ったのだった。


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