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エランフェリア・テンペスターズ  作者: 織重 春夏秋
第一章『曇天の章』
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第十二話『リア』


「──リア嬢!!」

 

 慣れない身体強化魔法まで使って、久しぶりに全力で体を動かして、ハーツは塔の屋上へ辿り着くと、脇目も振らず膝に手を着きながら叫んだ。


 真四角の屋上で手すりに上り、一段高いところにいるリアは、背後を振り返る事なく答える。


「助けに来たんですか?」


「ああそうだっ、当たり前だろう……」


「そうですか」


 声は淡々と、しかし態度が、まるで全てを拒絶するように冷たい。明らかに通常の精神状態ではない。そもそも足を手すりの上にかけ、今にも落ちそうな姿勢でいるなど──連想できることは一つだけだ。

 

 けれど、なぜかハーツには妙な確信があった。その言葉を安易に口に出して、止めようとした瞬間──むしろ彼女は、屋上から飛び降りるんじゃないかという確信が。

 咄嗟に開こうとした口が、自分の冷静な部分に阻まれ開いた状態で固まってしまう。

 少しだけ薄くなった曇天の中、高所にいるせいか強く吹く風が頬を撫でる。


「……」


 どうすればよいか、一日考えた。気持ちを完全に理解できない自分が、何をすれば彼女のためになるだろうかと考えて、結局出てはこなかった。

 当然だ。一日考えた程度で答えが出るのなら、そもそもリアはこんなに悩んでいないだろうから。今ここにあるのは、ハーツが最適解を持たないという事実だけだ。


「……何も言わないんですか?」


「───」


「……てっきり何か言うのかと思ってました。優しい言葉とか言うのかなって」


 意外そうにリアは呟く。

 それでもハーツが反応を示さないので、彼女は話を変えた。


「僕はもう疲れました。誰かからの『恐怖』も『羨望』も、心を擦り減らすだけの雑音ノイズでしかないんです」


「……他の子たちはなんて言ってるんだ」


「エランたちは僕が出てきてから意識がありません。多分、心的外傷トラウマが強く出てるせいだと思います。他の三人には悪いですけど、いま苦しんでるのは僕ですから……」


 そこで初めて、リアは振り返った。

 まるでこの世の闇を煮詰めたような、光のない瞳がハーツを射抜く。


「───きっと、納得してくれます。だから僕は、死ぬ事を選んだんです」


「っ……」


 直接言葉を聞くと、少しくらってしまう。こんな状態まで追い詰めた原因の一端はハーツにある。最初から本質を理解して、しっかりリアの事を見ていなかったのだから。

 過去の集積と、ハーツの行動が、いまリアを屋上の淵に立たせているのだ。


 ──エランとリアは違う。同一の肉体を持つとしても、別人だ。


 ならばエランに通用した常識の半分は、リアに通用しないと思った方がいい。そんな当然のことを考えずに、同一人物だからと思い接してしまった。

 正確には『別人』として接した部分もあるだろう。だが悩んでいるうちに、難しい部分を一緒くたに考えてしまっていた。その部分をリアはエランの事を考えていると評したのだろう。


 言い訳をするつもりもないし、実際にその通りだ。

 ハーツはリアを通してエランを見ていた。


 リアを、『曇天の人格のエラン』としてしか見ていなかった。

 『神』や『怪物』扱いと同じように、リアに属性を着せていたのだ。


「……」


 最低だと、自分で思う。自分を見てもらえないというのは、想像以上に孤独だ。精神的安定を得られなくても仕方がない。

 負の感情から生まれた人格であればなおさらだろう。


 人格が変わり、接し方も変わり、関係性さえも変わってしまった。

 そんな中でも、たった一つだけ変わらないものがある。


「────」


 それはハーツ自身だ。

 リアもエランモ、二人ともハーツの事は真面目であると評した。

 『真面目ちゃん』であるハーツ・ローレリアスは、リアにとってもエランにとっても、同じ人間なのである。

 

 

 だったらやる事は何も変わらない。自分が良いと思うように、その『真面目』さで愚直に行動するだけ。

 『真面目ハーツ』にしか出来ない事を、『真面目ハーツ』なりの方法でやる。


 拳を握り締め、一度だけ大きく息を吐いて、ハーツは言った。


「……リア嬢」


「なんですか?」


「僕は───」

「っ、来ないでっ!」


 一歩前へ踏み出したハーツに対し、リアは声を荒げ、足を更に外へ放り出した。

 それでも止まらず、聞かず、ハーツはどんどんと足の速度を上げ、勢いよく駆けだした。


 普段ならば余裕で反応できるのだろうが、リアはエランに比べて戦闘能力が高くないのだろうか。あまりの猪突猛進ぶりに、固まったまま驚いてその動きを追う事しかできない。

 そのままハーツは身体強化魔法を以て加速し、屋上の手すりに手をかけて──


僕はもう・・・・不死身じゃない・・・・・・・・


 ───真っ逆さまに、屋上から飛び降りた。


「はっ!?」


~~~~~~~~~~~~~


 どういう事なんで飛び降りたの確かにハーツさんは『廻壊者アンブレイカブル』を持っていて不死身だった過去があるって言ってたし戦場での経験もあって怪我とかそういうのには慣れているだろうし例えこの高さから落ちても強い人なら死なないだろうし私も無抵抗じゃないなら死ねないしそもそも下に人がいたらぶつかって衝撃が相殺されるだろうけどそんな都合のいい事起きないしそもそも致命傷を負えば再生魔法が働く前に衰弱することも後遺症が残る事だってあるしなんで飛び降りたのか全然分からない私を助けに来たんじゃないの救いに来てくれたんじゃないのそれなのに話をする前に飛び降りるなんて私が飛び降りようとしたのにそれより早く自殺行為を選ぶなんてどういう事え待って今ハーツさん飛び降りる直前に『不死身じゃない』って言ってたけどどういう意味だろう劣化したとはいえ心臓貫かれてもすぐに再生する人だしこれぐらいの高さなんて全然大丈夫じゃでも本人が言ってるし無抵抗のまま首が折れれば死ぬ可能性だってあるよねつまりこれってさ──


 ──このままじゃ、ハーツさんは死ぬ?


 悪い想像を沢山、沢山するから、他の人格より思考が早いのが特技だった。その頭を高速回転させて、やがて少女は一つの結論にたどり着く。


 ──助けなきゃ・・・・・


 塔の真下の地面は、『コ』の字の建物に沿って作られた長方形の広場の端だ。材質は固い石畳であり、通常の人体ならば、直撃すればまず砕けるだろう。


 一瞬の逡巡。

 冷静な自分がどこかにいる。


「────」


 自分の状況とか、常識とかの一切をかなぐり捨てて、リアは手すりから転ぶように飛び降りた。

 ハーツの落下から少しだけ送れるよう、すぐさま体勢を地面と平行にして、壁に足をつけ真下へ疾走する。

 近づくだけならば困難ではない。一足飛びでリアの体は、ハーツと同じ程度の高さにまで接近した。


「ッ───」


 無我夢中で足を動かし、近づくと、軽く壁を蹴って体を浮かせる。

 そして自由落下するハーツの腕を掴むと自分の胸元に手繰り寄せた。彼の体に力が入っていない。恐らく、完全に肉体を落下に任せているのだ。


 思考は止めない。

 抱き寄せている方とは別の手を地面へ向かって突き出すと、夢中になって魔法の力を開放した。


 全身から『曇天』が溢れ出す。霧とも煙とも形容できない灰色の煙霧体エアロゾルが勢いよく噴射され、風が四方に吹いた。

 これがランなら、エランなら、『吹雪フェリア』なら、こんなに回りくどい方法を取らなくても人を救えるのだろう。でもリアは、リアだからこうやって確実かもわからない方法を取るしかない。


「───リア嬢」


黙ってて・・・・!」


 体を強風が包む。溢れ出す灰色によって視界が見えない中、それでも落下の速度だけが弱まっている事だけが分かった。

 夢中でハーツを抱きしめる。この腕の中の人を逃がさないようにと。


「……!」


 リアは自分が下敷きになるために、体を捻って上下を変えようとした。けれど、まるで彼自身が抵抗しているように上手くいかなかった。

 それどころかハーツもまたリアを抱きしめて、自分が下である事を譲らなかった。


 結果として、勢いが幾分か軽減された状態で、二人は地面へと───


「ッ……!!」


「ぁ……ッ!!」


 抱き寄せていたのが衝撃で解け、ハーツの上からリアは横へ転げた。

 三回ほど視界が反転して、そこでようやく完全に止まる。

 

「く────!」


 回ったことによる頭痛を無視し、反射的に体勢を起こすが、体を打った痛みを感じるにせよ、体を動かせなくなるほどではない。元々エランフェリアの肉体が強いというのもあるが、様々な対策が功を奏した結果だろう。


 頭上で広がっていた霧たちが、役目を終えて自然と晴れていく。本物の曇りはまだ広がっているために視界が悪い事に変わりはないが、若干見やすくなった。

 

『上から人が……?』


『何が起きた!?』


『飛び降りたように見えたが……』


 人通りが少ないとはいえ、ここは広場だ。故に通行人も何人かいたようで、彼らは小声で話しながらこちらを遠巻きに見ている。


『───』


 頭の中がぼやける。

 それでも、リアは悼む体を動かして、視線を目の前に送った。


「ハーツさん……!」


 少し砕けた地面に横たわり、ぴくりとも動かないその人へ近づく。

 自分は致命傷を避け、軽傷で済んだ。それは展開した曇天のおかげでもあるし──目の前に横たわるこの人が、下敷きになってくれたおかげでもある。


 曇天がどれほどの力を発揮したかは分からない。少しは軽減してくれたとは思うが、それでもリアとハーツの受けた衝撃は比べ物にならないはずだ。地面が砕けるほどの衝撃なのだから。

 

 でも、この人なら。

 ハーツなら、今すぐにでも動き出して立ち上がってくれるはずだ。だって、この人は強く、たくましく、優しくて───


「……ハーツさん?」


 傍によって、腕を触ってみる。温かい。けれど、動き出す予感がない。

 顔を見る。前髪がかかって瞳が見えない。見るために、どかしみた。目を瞑っていて、見えない。


「え?」


 まさか。

 そんな、訳が。


「ハーツ、さ──」


「───────がはッ!!!」


「っ……!!」


 唐突にハーツの体が震え、口から大量の血を吐いた。


「ガ……ぁ……! っ……!」


「ハーツさん! ハーツさんっ! 大丈夫ですか!??」


「ぁ…………ぁああ」


 歯を食いしばり、口の端から血を流し続けて、ハーツは腕を支えにしてなんとか上半身を起こした。服の一部は切れ、顔を見ていたせいで確認していなかった足は曲がってはいけない方向に曲がっていた。

 それでも彼は体を動かし、掠れる声を出す。


りぎり・・・、大丈夫だ……ッ!」


「ぎりぎり……?」


「感覚で分かる……もう少し衝撃が強ければ、確実に死んでいた。不死身じゃないとは自分で分かっていたが、高いところから落ちた程度で死にかけるなんて……!」


 曲がった足が、破れた肌が、ゆっくりと巻き戻しのように再生を始める。それはあの時、『吹雪』が心臓を貫いた時のように。

 けれど、同時に違和感を覚えた。


 ──ハーツさんの、再生が遅い……? 


 気のせいかもしれない。気のせいであった方がいい。けれど、僅かに、あの時よりも肉体が治る様子が遅い気がする。

 全身の打撲と、重要機関である心臓の再生。どちらが重症化といわれれば甲乙つけがたいが、それにしても、こうして五秒以上経過した現在でもまだ傷が再生しきっていない。


「……」


 今はそんな事はどうでもいい。ただ、ハーツの傷が治り、再生しているという事実だけで安堵できる。

 

「───ハーツッ!!」


「……!?」


「……その声、ラングか」


 ふと気が付けば、一人の青年が二人の方へ、より正確に言えばハーツの方へ駆け寄ってきた。面識はないが見覚えはある。彼はチエと良い仲の男性だったはずだ。


「おまっ、急にいなくなったと思ったら空から現れて何してんだよ!? それにその子、例のエランフェリアちゃんだろ!?」


「すまん。ちょっと野暮用でな……」


「説明になってねえし~!? ってか大丈夫なんだろうな!?」


「問題ない。再生が始まっているという事は、元通りになる」


「よか、った……」


 二人の会話を聞いて安堵を覚えると同時に。

 リアは徐々に、怒りがわいてきた。


「……死ねなかった」


「…………」


 その呟きは、ハーツにも聞こえたのだろう。彼が少し反応を示したのに対し、リアは周囲の目が気になって、立ち上がった。


「ッ──」


「リア嬢!」


 そのまま、人から逃げるようにしてリアはその場を走り去った。


~~~~~~~~~~~~~


「リア嬢、待ってくれ」


 彼はすぐに追ってきた。配慮のつもりか、先ほどいた友人は置いてきたようだ。

 人気の全くない中庭の裏、日陰の下で、逃げるリアの手をハーツは掴んだ。


「……放してください」


「すまない。強かったな」


 すぐに手を振るえば、ハーツは抵抗する事なく放した。


「……」


 リアにしてみれば、これは気遣いのつもりだった。いくら再生したとはいえ、肉体は傷つき、精神も参っているはずだ。 

 だからこそ、落ち着くための時間を上げた。それだというのに現実はどうだ。ぼろぼろのまま、彼は一目散にリアを追ってきたのだ。

 

「……何してるんですか。一体、何の目的でこんな事を」


「リア嬢」


「救いに来たんですよね? それなのに飛び降りて、死にかけて……やってる事、滅茶苦茶じゃないですか!」


 リアは叫ぶ。


「……それに関しては申し訳ない。ただ僕は、確かめたい事があったんだ」


「一体何を──」


君が・・まだそこにいるのかを・・・・・・・・・・


「っ───」


 その言葉は記憶に新しい。そうでなくても、自分で吐いた言葉だ。忘れるはずがない。

 『私はここにいるのに』と、リアはハーツへ言った。それは自分を見てくれなかったハーツに対する怒りの言葉だ。

 それを繰り返されて、リアは再び怒りを抱いた。

 

「……急になんですか? 綺麗事ですか? 正論吐こうとしてます? 僕は確かに貴方を助けました。でもそれは貴方を僕の自殺に巻き込みたくなかっただけです。それともご機嫌取りですか? 僕の事を理解してるっていう媚び売りですか!?」


「そうじゃない」


「じゃあなんだって言うんですか!? 言ってみてくださいよ!」


 それはリアなりの覚悟だった。

 一度は死ぬと決めて、それを実行する直前までいって、止められた。


 リアはもう、正論を吐かれようとも、機嫌を取られようとも、安易な言葉をかけられようとも。絶対に意志を曲げるつもりなんてなかった。

 例えその反対で、ハーツが怒っていて、リアを仇名すつもりでも構わない。なんだって構わない。


「リア嬢」


 彼は痛いのか表情を変えぬままに少しだけふらついて、それでもこちらへ歩いてくる。


 口元から血が垂れて、体はぼろぼろで、腹部は出血していたのか血まみれだった。

 それでも、彼はいつも通り真面目な顔で、変わらぬ優しい顔で───

























「───ミートパイを焼いたんだ」


「………………………え?」

「ウエハースやワッフルが好きじゃないと言っていたから、甘い物は苦手かと思ってな。だから比較的持ちが良くて塩辛い物を作ってみた」


 そう言って彼が腰の小鞄から取り出したのは、小さな紙袋だった。彼はその中身を確認して、ぺしゃんこになっていると分かると、顔を顰めた。


「……一晩かけて色々工夫してみたんだが、すまない。跡形もなくなってしまった」


「なんで……そんな事」


 理解が出来なかった。この状況で、この瞬間に、言い出した事がそれ? もっと真面目な場面じゃないのか。例えリアが聞かないとしても、真面目な顔で説法を垂れるところじゃないのか。


 そんな風な意味を込めた質問に、ハーツは表情を変えぬまま、少しだけ困ったように。


「購入した物じゃ、誠意が伝わらないと思ってな。自信作だったんだが……まあいい。まだ残りはあるんだ」


「───ぷ」


 その顔は。

 エランを通してみていたハーツのように、ただ穏やかなその人で。

 思わずリアは。


「あっはははは!!!」

 

 笑ってしまった。


 おかしな話だ。

 死にかけて、暴言を吐かれて、醜い女にひどい扱いをされて。それなのに、次に出てきた言葉が、『ミートパイを焼いた』という報告。


 イカれてる。普通じゃ考えられない。


「あは、は……」


 リアは覚えていた。

 あの時、ハーツに自分を見てもらえなかった苦しさを。集落の人々に『神』と崇められた時の心臓の痛さを、ハイフロントの軍人たちの『怪物』という言葉の鋭さを。


 それが分かっていたから、ハーツはやってきたのだ。自殺を止めようだとか、苦しみから解放しようだとか、そういう正論の一切合切は関係なく───ただ、仲直り・・・のために。


「大真面目過ぎるでしょ……っ」


 頬が熱を感じる。

 激情が、顎を伝って地面へ下る。


「リア嬢」


 ───あぁ、なるほど。

 

「すまなかった。見てなくて……」


 ───遠回りして、勝手に苦しんでいたのは僕だ。


 ハーツはリアを救いに来た。

 けれどそれは、大きな過去と罪に苦しむ悲劇の少女ヒロインを救いに来た訳じゃない。ただ自分の言葉で傷つけてしまった、小さな女の子を助けに来ただけなのだ。


 ──この人は、僕を僕として見ようとしている。


 きっと、ハーツはリアの事も、エランの事も嫌わない。

 なぜか。彼は真面目だからだ。


 彼はただ目の前の出来事に全力で対処しているだけ。今回の事を、『神/怪物』と呼ばれた少女の逃避行とも、癇癪とも捉えていない。

 本音しか言わない。

 都合のいい言葉を吐いてくれない。




 ───ハーツ・ローレリアスは、リアを『神』にも『怪物』にもしてくれない。




 『何者』かに定義されてきたリアの事を、『リア』として見てくれている。彼にとってリアはただの一人の女の子で、そこから外れようとした時点で、敵わなかったのだ。

 例えどんなに腕を振るって遠ざけても、鋭い態度を取ろうとも。真面目なだけのこの人には、通用しない。どこまでも手を伸ばして、何の対価も意味もなく助けようとしてしまう、そんな人だから。


「───」


 負けだなぁ……。


「……ハーツさん、一つ聞きたい事があるんです」


「どうした」


「僕は……怖いんです」


 服を握り締めて、下を向いたまま。


「誰かに『神』様と思われるのが怖いんです」


「誰かに『怪物』と思われるのも怖いんです」


「視線も、評価も、怖いんです」


「だってそれは僕を見ていない。僕を通して、他の何かを見ているだけだから」


「僕を特別だなんて思わないでほしい」


「力を持ってるかもしれない。生まれが少し特殊かもしれない。でも、僕だってどこにでもいる一人の人間なんです」


「──人が怖い。みんな怖い。僕を特別扱いする、誰かが怖い」


 顔を上げる。


「どうすれば、怖くなくなりますか?」


「……」


 ハーツは、少しだけ考える素振りを見せた。けれどそれは言葉を考える間隙であり、きっと、答えは最初から決まっていたのだ。


分からない・・・・・。僕だって、誰かにおかしいと思われる事は嫌いだから。それに答えなんか出せていない」


「そうですか……」


「でも僕は今日、怖い事を乗り越えてみたんだ」


 一歩、更にハーツは近づいてくる。


「君に嫌われるのが怖かったけれど、勇気を出して、来てみた。僕は嬉しかった。こうして君と話せているからだ」


「────」


「君はどうだ。今、どんな事を考えている」


 リアもまた、回答は決まっていた。


「……嬉しいです。初めて、人と会話で来た気がしました」


「うん」


 ハーツはゆっくりと頷く。


「だったらきっと、それが僕たちにとっての答えなんじゃないだろうか」


「……」


 少女の頬を、また熱が伝う。


「あな、たは……それを僕に強いる事がどんなに辛い事か分かっていますか……っ」


「分かってる。詳しくは知らないけれど、司令から君の過去の事を聞いたんだ。だから分かる」


 分かる、と強く続けて。


「君の生まれた理由と、存在を否定する言葉だ」


「そうですよ……っ。私はエランの悪感情から生まれた。それを受け止める器としての役割がある。そうする事でしかエランは生きてこれなかった。だから僕がいるんです」


「その通りだ」


 少女の号哭の全てを受け止めた上で。


「───君が決めるんだ。『恐怖』を受け入れるのか、背けるのか」


 どちらも間違ってなんかいない、と言って。

 僕に出来るのは手伝いだけだからと、青年は言い切った。

 自然とリアの握る拳に力が入る。頬ではない全てに熱が回っていくような感覚があった。


「……本当は目を背けたいです。『神』や『怪物』扱いの方が楽かもしれないです」


「うん」


「誰かの定義から外れる事が、こんなにも苦しいとは思いませんでした」


「自分の道を歩く行為だ。苦しいのは当然だ。目印が何もないからな」


「でも,前に進みます」


 握った拳を,胸に持って行って,叩いた。

 知らない他人から見れば意味のない行為だったのかもしれない。でも,リアにとってそれは,心臓に火を灯す行為だ。


「それは誰の言葉だ」


「他でもない僕の──リアの言葉です」


「そうか」


 そこでハーツは,普段の真面目な表情を崩して,大きな笑みを見せた。

 いまにして思えば,彼の笑みを見たのはそれが初めてだった。


「──だったら,僕は精一杯応援するよ」


「……!」


 ───あぁ。


 苦しんで,助けられて,励まされて,前を向こうと思って。リアはようやく,気づいた。気づく事が出来た。

 人は,孤独に苦しむ。誰かと繋がる事で生を繋いできた生き物は,独りでは生きられない。


 劇的な過去に劇的な救いはいらない。


 ──僕に必要だったのは,世界を覆えるような救いでも,全てを凌駕するほどの力でもない。ただ,信じて背中を押してくれるこの人だったんだ。


 誰かが誰かに救われる。

 それだけで,全ては劇的なのだから。


「……ハーツさん」


「どうした?」


「ありがとうございます」


「気にする事はない。僕は自分がしたかったからしただけで──」


 と、ハーツはリアの顔を見て、自分が無粋な事を言おうとしている事に気づいたようだ。


「──いや、どういたしまして」


「はい」


「やれやれ、締まらないな……」


「ハーツさんらしくていいと思います」


「それはどういう意味だ……?」


 少し不本意だったのか、ハーツは困ったように眉を曲げる。そんな様子がおかしくて、リアは涙を流しながら、声にならない笑いを浮かべた。


 同時に、リアは気づく。


「さて、とりあえず戻るか。念のために医務室へ向かわないといけないし──」


「いえ」


「ん。何かあるのか?」


ここで・・・お別れです・・・・・


「───」


 一瞬、ハーツが絶句した。

 言葉の意味が分からないといった風だ。


 だが、そんな彼の表情は更に変化することになる。

 リアが言葉を発した次の瞬間、彼女の肉体から光が漏れだしたのだから。


「どういう事だ」


 その光は、酷く優しかった。

 自分の体から出ているのに、まるで包み込まれているような感覚。抜けているはずなのに満たされていく。

 大気に宝石の屑を散らしたような輝き。涙が反射していた。


 驚くハーツを見て、リアは優しく微笑む。


「僕は悪感情を受け止めるために生まれた人格。原因となった『恐怖』を乗り越えると決めてしまったのなら、僕はもう必要ないんです。リアリアだけど、エランでもありますから」


「……そうか。よく考えればそうだったな」


「気づいてなかったんですか?」


 ハーツは力なく肩を竦めた。

 表情はもう、いつもの真面目な顔に戻っていた。


「僕はただ、君に謝って仲直りをするために動いていただけだ。人格を消すどうこうの話は、もっと先だと考えていた」


「じゃあ、本当に貴方は」


 感情の発露が止まってくれない。 


「僕、事だけをかんがえ、てっ……」


「真正面から向き合うのは当然だ。傷つけてしまったのだから」


「それを出来る人が、どれだけ世界に……!」


「───ミートパイを食べてもらっていない」

 

 まるで大切な事に気づいたように──彼にとっては大切な事なのだろうが──ハーツは顔を上げた。


「それにまだまだ君の事を何も聞いていない! まだ全然話が出来ていないんだ」


 懺悔のように、後悔のように、彼は指折り数えて、出来ていない事を話す。

 それを見て、リアはもう胸がいっぱいで仕方がなかった。だから、ただ泣く事をやめた。出来れば最後に笑顔を見せたいと思って──思い出の中でぐらい、いい子でいたくて、涙をぬぐった。


「……だったら最後に、一つお願いを聞いてくれませんか」


「ああ。僕に出来る事ならなんでも」


「抱きしめてください。ハグさえした事ないんです」


「……君がそれを望むなら」


 逡巡が見えた。けれどハーツは雑念を振り切って頷くと、リアへ向かって静かに手を伸ばす。

 大きな手。

 願わくば、これからも触れたいと、触れてほしいと願うが、それは叶わない。


 だからせめてと、リアはその大きな手を受け入れた。


「……東洋の文化では、亡くなった人の墓にお供え物をするそうですよ」


「──」


「僕、お供え物はタルトがいいです。故郷で遠めに見た、赤い果実を使ったあのタルト。食べて見たかったなぁ……」


「なら」


 甘やかに髪を撫でながら、ハーツは続ける。


「頑張って作るよ」


「はいっ、約束ですよ!」


 体が空気に溶けていく。光に乗せられて、全てが上へ昇っていく。

 一瞬、全てが消えてしまうのだと錯覚しそうになったけど、すぐに分かった。


 消えるのは、自分だけだ。

 だから、全てが終わってしまう前に、名残惜しいけれどリアはハーツから離れて。


「僕ももっとお話したかったです。エランたちの事をよろしくお願いします」



 精一杯の笑顔を浮かべた。


「───ひとめぼれでした。ハーツさん、大好きでしたよ……っ!」


 多重人格者の人格は、消えれば文字通り戻ってこない。例えもう一度人格が生まれたとしても、同一の人格はありえない。

 だから、リアはここで消える。これで全てが終わる。

 けれど、次がないからこそ・・・・・・・・願うのだ・・・・


 次は、普通の女の子でありますように、と───。


またね・・・っ!」


 世界を染めていた『曇天』は消え去って、その後には、晴れやかな青空が広がっていた。


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