第十一話『嫌悪に泣いて』
孤独な四人によって構成される、二色の空間。
普段は交代交代で中心の『現実』に立つはずなのだが、今はたった一人の少女が座り込んでいる。
中央に座り込み、光をあてられている少女───リアは、ただ茫然と地面を眺めていた。
「……」
顔を上げる事は出来ない。否、上げても、意味がない。
普段は他の三人と様々な事をこの空間で話し合うはずなのに、いまその三人は、鎖に繋がれて拘束されているのだから。
「みんなごめんね……」
呟く言葉は、届いているのか、いないのか。焦点のつかぬ彼女らに意識があるかどうかすらも、リアには判断できない。だからその言葉はただの自己満足で──
「……っ」
罪悪感を遠ざけようとした自分の行為に、少しだけ嫌悪感を抱いた。
体が震えて仕方がない。ずっとずっと、何時間も、何日も『恐怖』が染みついて消えてくれない。こうして眠っている───睡眠なのか、限界を迎えた気絶なのかは定かではない───間すらも、こうして自分が他の人格を苦しめているという現状を突き付けられる。
起きていれば、自分が周囲の人間に迷惑をかけている現状を、これまた突き付けられる。窓の外をなんか見たら最悪だ。そこには曇天が広がっていて、自分にとっては居心地の良い空が他者の害なのだから。
曇天の影響で幻獣は攻めてこない。だがそれは一時的なもので、恐らく膠着状態が続けば、視認性の悪い中で侵略行為を行えるような群がやってくる。
彼らはそういう、生物なのだ。つまり曇天は役に立っているとはとても言えない。むしろ脅威を増やすかもしれない危険性を孕んでいる。
「───」
真綿で首を絞められているような感覚。
自分が神経質になっているのが分かる。
羨望も畏怖も、どちらもリアにとっては『恐怖』でしかない。
けれど、それ以上に嫌なのは。
「ハーツさん………………っ」
幻想の世界で涙が零れる。
なによりも、信じると決めたあの人を信じられないという状況。自分の浅ましさに辟易する。あの日の言葉が嘘だというつもりはない。全て本音だ。
でも仕方がないじゃないか。自分は曇天の人格で、負の感情から生まれたのだから、そうやって人を遠ざけてしまう事ことが存在理由なのだ。
「……」
そうやって正当化しようとして、また嫌悪感が襲ってきた。
多重人格とは、同一人物であり別人だ。
エランフェリア・テンペスターズという人間の内側でハーツを見ていて、ようやく出会えて、『リア』としての負の側面はあまり見せずにいられないかな、なんて希望を抱いていたのに。
かつて生まれた理由を与えられ、エランを救う事を嫌だと思ったことはない。ただ、幸せになれないという事実を突き付けられているようで、それも苦しい。
『リア』はエランが神や怪物として扱われ、その苦痛や不快感に対し、拒絶を表す人格。苦しみの代弁者だ。
変わりたい、消えてエランのためになりたいという気持ちはある。
でもリアは、自分がどうすればいいのかもうわからなかった。
そうしているうちに───眠かったからあんまり記憶はないけれど───リアは再び、研究室へ戻された。無機質な白い床と結界が懐かしい。
『曇天』は危険性こそ少ないが、万が一もあるだろうという判断だった。
「リア嬢」
そして、彼も再びやってきた。
ハーツはリアの目の前に立った。真面目そうな表情をしているが、ずっと見ていたリアはそれが申し訳なさを感じている顔だと知っている。
「気分はどうだ」
「最悪です」
「そうか。少し提案なんだが、外へ出ないか。今は曇りで涼しいから歩きやすいぞ」
「結構です……」
じくり、と。
心臓が痛んだ。
「何の用ですか。何もないなら帰ってください」
本音じゃない言葉が出た。
「君と話をしに来た」
「話? 消えてくれっていう相談ですか?」
「……そう穿った思考をしないでくれ。ただ、土産を持ってきたんだ」
そう言って、彼は手に持つ紙袋を前に出した。
「ワッフルと……ウエハースを買ってきたんだ。少し時間は経っているが、それでも試食はしたから味は保証できると思う」
「────」
あぁ、なるほど、と。
これは良くない、と、リアは思った。
「この前の遊行の時、寄らなかった場所の焼き菓子だ。好みかどうかは分からないが───」
「|別の女を相手にしてます(・・・・・・・・・・)?」
駄目だ。
良くない。
こんな気持ち悪い態度は、駄目なんだ。
「僕を見てませんよね?」
「……リア嬢?」
「誰を見てますか。───エランですよね」
感情が抑えられない。『負』が溢れる。
「ウエハースなんて好きじゃないですよ。ワッフルなんて大嫌いです」
嘘だ。どっちも好きだ。
「外になんて出たくないです。図書館で本を読んでる時の方が百倍好きです」
これも嘘だ。
図書館の方が好きだけど、貴方とお出かけはしてみたかったんだ。
こんな事を言いたい訳じゃない。本当なら謝りたい。でも、心の中の『曇天』が、収まってくれない。
「なんなんですか。急に来たと思ったら、態々神経撫でに来たんですか……?」
「違う。リア嬢、聞いてくれっ」
「違くないですよ。ハーツさん貴方───僕を見てない!」
自分勝手すぎる。これ以上我儘を言わないでくれ。
「僕を通してエランを見てるじゃないですか! 同じ肉体を持ってるとはいえ別人なのに、好みまで一緒だと思ったんですか!?」
「────」
「その程度の認識出来たんですか? その目、その目ですよッ!」
見ないで。
「何も知らないのに簡単に心に入ってこようとしないでくださいよ!」
見ないで。
「貴方が知ってるのはエランの事! 僕の事は何も知らない!」
お願い、見ないで。
「──あの人達と同じ、貴方も僕を通して別の何かを見てる! それが『神』かエランかなんて関係ない! 誰も僕を見ようとしてない!」
この人は十分、見ようとしてくれている。
それにこの人にとって僕は、エランの中にある一つの人格でしかない。その程度の存在で叫ぶだなんて、烏滸がましいにもほどがある。
──それでも、醜い本音が止まってくれない。
「誰かを見ないで! 透かさないで! 定義しないでッ! 僕は───ずっとここにいるのに!」
痛い女だ。
誰がどう見ても、痛くて面倒な女。
自分でもわかっている。けれど、一度溢れた本音は止まってくれない。それをこの人にぶつけるのも、まるで全ての責任がこの人にあるように言うのも、全部間違っているのに。
叫んだ声が反響して、りぃいんと耳鳴りがする。
「……ぁ」
一しきり。
言いたいことを叫んで、正気に戻って───青ざめた。
「僕……いま、なんてことを……」
「リア嬢」
「え、えと、あの、はっ、ハーツさ」
「───すまなかった」
ゆっくりと、染み入るような声で、ハーツは謝罪した。
全身の血の気が引くような感覚がする。
「確かに、君の言うとおりだ。僕は君を通してエランを見ていた」
「違う、違うんです。へ、えへ、冗談、なんです!!」
「嘘をつく必要はない。これは僕の怠慢だ」
もう一度、頭を下げてハーツは言う。
「……少し考えてみる。すまなかった」
「───」
見捨てられた?
茫然と止まる思考。硬直する体。背を向けて結界を出て行くハーツを、視界がただ捉えている。
その場に座り込み、力を失ったように深い息を一回吐いた。
「ハーツさん」
無意識に手を伸ばす。
「行かないで」
───その声が届くには、結界は分厚過ぎた。
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「ハーツ、色々と悩んでるね……」
「ええ」
翌日。
今しがたハーツを尋ねたばかりの二人が、廊下を歩きながら話していた。
「『あの子の事をきちんと見ていなかった』、『自分は最低だ』って悩んでた」
「あら、真面目ですね」
「かれこれ同じような事を十時間は言ってたけどなー!」
「大真面目ですねぇ」
一度目は感嘆で、二度目は呆れを込めて、少女は上品に笑う。
「俺はその……エランちゃん? の事は知らないけど、ハーツにとって大切な子なんだなって伝わるよ」
「あら、そうですか? お話を聞いて伝わりました?」
「もちろん! ただの仕事で、義務なら、都合のいい言葉をかけてあげればいいけど……」
青年はぺかーっと笑った。
「───安易な言葉に逃げないって言うのは、ただの仕事ってだけじゃできないからなー!」
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ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい───
「───っ!」
目覚めてすぐ、自分が悪夢を見ていたのだと確信した。内容はあまり覚えていない。どうせ過去の事か、善くない未来の夢だ。
頬を涙が伝っている。寝起きから最悪の気分の中、リアはゆっくりと体をベッドから起こした。
そして無意識に結界の外を見て、あの人がやってきていないかを確認する。当然、そこには誰もいない。
「……」
遠ざけたのは自分のはずなのに、縋ってしまう自分が浅ましくて嫌いだ。そうやって思考の海に潜って、自己嫌悪に陥る事も無駄だって頭では分かっているはずなのに。
こんな風な思考も何度繰り返したか分からない。
苦しむこと自体は悪い事ではないはずだ。人間の本能であり、そこから何かが生まれる事もあるはずだから。けれど、今のリアは何も生みだせていない。
それどころか周囲の人間に迷惑をかけて、最悪だ。
前向きになろう、少しでも良い事をしようと思っても、空元気は出ない。何度も何度も自分を罵倒する誰かの言葉が反響して、過去が鎖のように縛り付けてくる。
風化など一切してくれないのだ。この鎖も、過去も。
過去が消えてくれない。
今も苦しい。
未来もまた、何も明るくない。
方法も知らないし、分からない。時間が解決してくれるというのにはあまりにも苦痛が大きすぎる。寝ても直らない。一時的な癇癪と考えたいけれど、簡単には治ってくれないから『病』なのだ。
苦しい。あまりにも生きにくい。
前を向こうと意識をはっきりさせるほど、自分が醜態を晒している現状が明確になる気がする。
誰かを頼ろうとも、一番大切な人は自分で遠ざけてしまったし、周囲の人々は信用に置けない。つまりリアは独りで悩むしかないのだ。因果応報である。
「……」
一つだけ、強制的に、絶対的に苦しみを終わらせる方法がある。
「……はは」
以前、あの人へ言った冗談がこんな形で訪れるとは、リアは思ってもみなかった。けれど、自分の終わり方としては相応しいのかもしれない。
肉体の主人格はエランだ。だが、いま支配権を持っているのはリアであり、エランは意識が目覚めてすらない。持ち主の意志を確認しないままに動くというのは不本意ではあるけれど、答えないのなら、いないのと一緒だろう。
リアの悩みは、大小あれど誰もが抱えるようなもの──究極の自己嫌悪だ。であれば、誰が止められようか。誰がその思いを『間違っている』と正せるだろうか。
「……」
否、正せない。
正せなかった集積物が、今ここに存在している。
だからリアは、その証明のために、立ち上がった。
~~~~~~~~~~~~~
「はぁっ……」
夜更かしなんて何年ぶりだろうか。
普段規則正しい生活を送っているせいか、少し不摂生をした程度で体が重い。再生魔法は体の不調までは治してくれないのだ。
加えて、司令官見習いの訓練の一環として戦闘訓練を行わなければいけないのだから気分も重い。背中に背負う槍と、腰に付けた小鞄の重量が二割増しに感じる。
「おはようハーツっ!」
「あ~……おはようラング……あまり大声を出さないでくれ。頭に響く」
「おいおい大丈夫か? 昨日どこ行ってたんだよ」
待ち合わせをしていたラングと合流し、そのまま食堂へ向かいだす。
「ちょっと色々とな……そういう訳で徹夜明けだ」
「ありゃ~、真面目だな」
「なんでいま僕の性格の話を……?」
「あっはは! こりゃ駄目だ!」
ラングが笑いながら窓の外を見る。ハーツもつられてそちらを見た。
「今日も曇りだなぁ」
「そうだな……でも、普段より少しだけ明るい気も───」
いつもと変わらない天気と光景。だからこそ、イレギュラーが映った場合、それはより鮮明になる。
ハーツが空に視界を向けた次の瞬間、端に見えたのは、上階へ向かうリアの姿だ。白い髪で先端が灰色の独特の色彩。見間違えるはずがない。
「……リア……?」
ハイフロントの正面入り口を南だとした場合、研究室があるのは東側。即ち、その周辺が彼女の活動範囲だ。
しかし、いまリアが歩いているのは西側だ。それも彼女が現在上がっている階段の先は、見晴らしのいい塔の屋上しかないはず。
「────」
何より、リアとは思えないほどにしっかりとした足取りが、ハーツの眠気を吹き飛ばした。
なにかこう、嫌な予感がする。
明確に言葉に表せないけれど、底冷えするような、違和感が。
「……」
「───い、おい! ハーツ~!?」
「…………」
呼びかけられて、ハーツは振り返った。そこにはこちらを心配するように顔を覗き込んでくるラングの姿が。
「悪いラング、朝食は他のやつと食べてくれ」
「えっ? いったいどういう……あっ、おい!?」
「すまない」
自分でも分からないままに、ハーツは走り出していた。




