第十話『曇天』
驚異的な力を持った少年少女を、偶像の『神』として祀り上げる集落。
それ自体は、古今東西にありふれたよくある話である。
彼女は生まれてから三年で魔法を発現させ、翌日には干乾びたその集落に恵みの雨を齎した。両親がそれまでに亡くなっていた事、そして奇跡的にも恵まれた容姿が、彼女の神秘性を加速させたのだろう。飢餓によって気が狂っていた集落の大人たちは、最後の希望だと少女を『神』として扱った。
とはいえ少女の力は発現したばかりで、制御など出来ない代物だ。だが本当に神が味方したとでもいうのか、あるいは偶然の産物だったのか、力の暴走は奇跡的に嚙み合い、集落の周辺に自然を齎した。
豪雨が水を与え、山を削って川を村の近くに開通させた。
太陽が植物に成長を促し、曇天が過ごしやすい気候を発生させ、吹雪が体を強くし空気を浄化した。
既に彼女の存在は集落にとって失ってはいけないものとなり、『神』扱いを加速させる。
はじめのうちは良かった。ただ神として扱われていた少女も、なんとなく周りの人間が自分を尊敬している程度の認識だったから。
だが、彼女は『神』として生きるには愚かで、『怪物』として生きるには賢過ぎた。やがて年が二桁を超えるあたりから自らの置かれている状況がおかしいと認識し始める。
彼女の存在が、巡り巡って自分へ矛を向けたのもそのあたりだ。
天候が恵みを授け、それによって集落は栄え、文化が芽生えて、人を作り──常識の目覚めを助けてしまった。
当然だが、自然とは恵みを齎すが、同時に人を殺す。
今まで存在していたが、自然と恵みに凌駕され無視されていた自然災害の犠牲者。その遺族が、『神』であるエランフェリア・テンペスターズをおかしいと訴えた。
少女は偉大だが、『神』ではない。
むしろ、自分たちに危害を仇名す『怪物』であるのだと。
今まで散々恩恵を受けておいて、自分がしっぺ返しを喰らえば掌を返すのか──客観的に見ればそう言いたくもなるが、人間としては正しい感情だろう。
ともかく、集落の一部の人間が、そう疑問を抱いた。抱いてしまった。
実を言えば、今まで疑問を呈す人間は僅かながらいたのだ。だが、そういった人間は集落──既に村と呼ぶべき人間たちの集まりの上層部、即ち最初に少女を『神』であると担いだ人間たちにとって、秘密裏に処理されていた。
だが今回は人が多く、声も大きく、村全体にまで届いた、というだけの話だ。
それでも少女はいつも通り日常を過ごしていて──ふと、『怪物』であると唱える人間が、偶然にも彼女の目の前に現れてしまった。
『お前は「神」なんかじゃない───人殺しの「怪物」めッ!!』
そう言われて、ふっと感情が高ぶってしまった。
殺意だとか、怒りだとか、恐怖だとか、その時感じたものはそういった類ではなかった。ただ、驚いて、少しだけ心拍が上がってしまった。
次の瞬間、少女の前の前に現れたのは───熱によって溶かされた人間だ。一瞬、なぜその人が死んでしまったのか理解できなかった。
自分を信仰する人間たちが粛清したのかと、自然と思ってしまったほどだ。
けれど、自分の真上に輝く太陽があまりにも強くて。その光が途中で歪められ、目の前の人にだけ降り注いでいるのを見て───あぁ、自分が殺したのだと悟った。
初めての殺人は、熱だったのだ。
当然、周囲の人間は阿鼻叫喚を極めた。
『エランフェリア様が民に手を出されたッ!』
『いや、いやあああああああああ!! 殺さないで、助けてぇッ!!!』
『私はなにもしていません! ぜ、善りょ、うな民ですッ! 本当ですとも! ええっ!』
『あ……ぁ……ああ、あ……』
何も言っていないのに、自分を恐れて言い訳を述べ始める人々。少女は周囲の状況と、目の前で手を下してしまった人々の間で視線を行き来させ、ただ呼吸が出来ないほどに動揺して肩を上下させているだけだった。
『──素晴らしいッ!!』
空気を切り裂いたのは、崇拝者だった。
『エランフェリア様は自らの手で裏切り者を粛清成された! 自分はこの村を統べ、守る者であるのだと行動で示されたのだッ!』
『行動で……示した……?』
『そうだ、そうだともッ!! 見ろこの者を! ──肉は爛れ、骨は溶け、なんと醜く矮小かッ! エランフェア様は天上の力によってこの者の悍ましき正体を白日の元に晒したのであるッ!』
ギョロりと、彼の者の目が合った。
『そうでしょう、エランフェリア様!!』
『────』
『嗚呼……ッ! 言葉はいらぬと申すのですね!? これこそ、我らの神ッ! 指先一つで世界を操作する───偉大なるエランフェリア・テンペスターズ様であるッ!!!!』
彼の者は、両腕を広げた。
『さぁ、称えよ! 崇めよ! 賛美せよ! 信じる者こそ救われるのだからッ!』
『救われる……?』『死なないで済むのか……』『でも、今目の前で、人が……』
『お』
誰かが、声を漏らした。
『おおおおおおおおおおおおおッ!!!! エランフェリア様万歳!! エランフェリア様万歳!!』
大衆心理とは酷く滑稽で、誰かが大きな声を上げれば、民衆たちは右を向いてしまう。
右を、向いてしまった。
『『『万歳ッ!! 万歳ッ!! 我らが神、エランフェリア様万歳!!』』』
『────』
もう、手遅れだった。
視界の中央では、狂喜乱舞しながら自分を信仰する者たちで溢れ。
視界の端では、大衆に流されぬ者たちの、疑念と殺意と怒りの籠った目線が降り注ぐ。
この村はもう、彼女を『神/怪物』にしかしてくれなかった。
自分は悪くないのだと、信仰する者たちが悪く、そして自分は力を持っただけの被害者なのだと───そう、考えられたのなら、きっと彼女は今頃生きてはいなかった。
人を殺したこと、そして自分の住む村の人間たちを狂気に惑わせたこと───それら全てが、自分の無力さと、分不相応な力のせいだと、そう責めて。
外部に感情を向けられぬたった一人の少女は、全ての責任を自分の内側に求め──
『ど、どうも、エラン』
そして。
『おはよう、それとはじめまして───エラン。僕の名前はリア。悪い気持ちは、僕が引き受けるね……』
他者からの悪感情を受け止める初の防衛機構が、産声を上げたのだ。
~~~~~~~~~~~~~
「『曇天』の人格、リア。これが───私の知る、エランフェリアの過去だ」
「……なるほど」
一端に、触れた気がする。
あんなに感情に溢れ、人間らしい少女が、どうして自分の事を『神/怪物』と呼ぶのかを。どうして、多重人格という防衛機能に頼らざる負えなかったのかを。
人間は全員が全員、利口でも我慢強くもない。人の器に収まらないような強大な力を持ちつつも、極々一般的で優しい心を持つ人だって、存在していいはずだ。
存在していいはず、だった。だが、人の業が彼女たちを産んだのである。
「……彼女たちが抱いているのは、恐怖。誰かが彼女を畏怖し、負の感情を向けるように───彼女たちもまた、誰かからの悪感情が怖いんだ」
皮肉な事に、デフィニはそれがうっすらと理解していたのだろう。だからこそ、効果的な劇場型の感情を利用できたのだ。
ハーツは明確な理由にたどり着くまでに、酷く遠回りをしてしまった。
「……」
『恐怖』は、人間ならば誰もが抱く感情だ。本能的にも、日常の中で培うものとしても、『恐怖』というのは切っても離せない関係にある。
強者であるエランフェリアが、自分よりも弱い存在に抱いていることからも、単純な力の差が理由ではない事は明らかである。
ハーツとて、誰かに嫌われるのは怖い。だがハーツのそれは人間が自然に抱く程度の軽いものであり、人格を生み出してしまうほどに強い感情ではない。
エランの感情を理解できるかと言われれば、正直微妙だ。
「……」
「悩んでいるな」
「それは……はい」
「多重人格というのはそもそも治療法の確立されていない難病。薬物投与による方法もあるが、エランフェリアはその肉体が薬を跳ねのけてしまう」
「つまり、従来の安定策は使えないという事ですね」
医学的な観点からアプローチする事は出来ないらしい。加えて言うなら、エランの多重人格は通常の症状とは異なる。平均的に多重人格者は魔法の力が分散しないし、記憶の共有が人格によってされないことも多い。
つまり独自の方法──体系化されていない彼女自身の方法を見つける必要がある。
「……どうすればいいんでしょう」
「明確に言えることは、一つ」
クリアは笑いながら、人差し指を立てる。
「逃げるにせよ、立ち向かうにせよ、『恐怖』に対する回答を出す事だ。『逃げてもいい』という言葉があるけれど、それもまた覚悟を決めた上でのことだ。───ただ逃げるは、現状維持の手段じゃない」
「無理やりにでも自覚させなければいけないと?」
「ペースは人それぞれだろう。けれど、多重人格者の話でこういうのを聞いたことがある」
机に肘を立て、少しだけ真面目な顔で、クリアは言う。
「長い間一つの人格が表に出ていると、人格同士の力関係が崩れて、本当に戻れなくなる」
「……」
聞いたことのある話だ。主人格よりも強い支配権を持つ人格が現れ、その人格が主に生活を送ってしまう事で本人の日常が崩壊してしまうという事例。
エランフェリアに当てはまるかは別だが、万が一があるのだから絶対に避けなければならない。
──それでも。
ハーツは目を細める。
──当人以外に出来るのは、手助けだけ。残酷な旅路は自分で歩むしかない。
「……そういえば、買ったお菓子を届けていなかったな」
ご機嫌取りとは言わないが、きっかけになってくれるだろうか。
「好物があれば少しは気分がよくなるだろう」




