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美少女戦士ビューティーケア

作者: 滝尾竜二

『美少女戦士ビューティーケア』


 「今朝のニュースです。最近頻発しているメタボリックシンドロームに関し、厚生労働省は「第一級指定災害」に認定することを決定しました。メタボリックシンドロームとは・・・」

 ニュースを聞き流しながら、おれは家の玄関を出た。

 春のそよ風がほおをなぶる四月の朝、おれは少しくたびれた制服に身を包み、高校の始業式へと向かっていた。両側に高い塀が続く住宅街の道が正面にまっすぐ続いている。それはおれの前途を祝福しているようだった。

 おれは私立養栄学園高等部の特待生として学費無料で学校に入ることができたのだ。これから洋々たる前途が開けていると思う。むろん努力は続けなければならない。しかし第一関門は突破したのだ。私立養栄学園はこの辺りでは偏差値の高い、人気の学校だ。そして大事なことはおれの自宅から歩いて十五分で行けるということだ。交通費がかからないのだ。

 おれは中古で買った学生かばんを肩に担ぎなおし、ふと公園の時計台を見上げた。

 八時ニ十分

 えと。

 おれは自分の腕時計を見た。

 百均で買ったそのデジタル時計は、七時半を示していた。

 やばい! 遅刻だ!

 自分の腕時計に裏切られたことを知ったおれは始業式に遅刻する失態を犯さないように全速力で走り始めた。途中に狭い四つ角があり、おれが横断する寸前で視野の端に紺色の影が飛び込んで来た。


      *


 あたしは走っていた。千五百メートル走で県大会代表だったあたしだが、「寝る子は育つ」の格言通り趣味は眠ること。そこで私立養栄学園にスポーツ枠で入学したのだが、ちょっと寝過ごしちゃったのだ。

 あたしはトーストしていない八枚切りセブンブレッドをくわえたまま、全力疾走していた。

 大通りには朝のラジオがスピーカーで流されており、ご当地アイドルユニットATP30の曲『シュガーラヴ』が「とととーう、とととーうー♪」と流れている。あたしは信号が青に変わるとダッシュで大通りを横切った。

 ちょうど次の四つ角にさしかかったとき、足元になにか猫のようなものが転がっているのが見えた。あたしが一瞬それに気を取られた瞬間、別の角から人が走ってきた。

 ぶつかる!

 あたしが思わず両手を前に出して衝撃を和らげようとした瞬間、その人物はさっと身をかわした。あたしはそのまま足を取られて転倒した。

 「痛ったあ」

 あたしはぶざまに顔から転んでもがいた。ちら、と見るとその男はあたしに手を差し伸べようともせず、冷徹な目でこちらを眺めている。あたしと同じ私立養栄学園の制服を着ている。その制服は古びた感じだから二年生かな。

 「痛っ」

 あたしはひざを押さえた。血が出てるかも。

 その男はすっと歩み寄るとあたしには目もくれずあたしの口から飛んで落ちたトーストを拾い上げ、丁寧にほこりをはたくとあたしに差し出した。

 「はい」

 おとなしいあたしもさすがにかっとなった。あたしは立ち上がると男に詰め寄った。

 「ちょっと! 女の子が転んだのに心配もしてくれないの?」

 「おれのせいじゃないからな」

 あたしは差し出されたトーストを払いのけた。すると男の顔色が変わった。

 「おい。食べ物を粗末にするな」

 「そんな地面に落ちたもの食べられるわけがないでしょ。汚い」

 あたしたちが言い争っているとき、足元からふう、と息を吐く音が聞こえた。

 あたしはちらと横目で見て、それから首が鳴るくらい勢いよく振り向いた。

 小動物が倒れている。栗色の長い毛で全身を覆われている。猫ではないし、犬でもない、狸のようにも見えるが額に変なマークがついている。動物園から逃げ出してきたのかな。あたしが転んだのはこの子につまづいたからなんだ。

 しばらく見ているうちに小動物はふう、と息を吐き、ぶるぶると体を震わせると意外に軽い身のこなしで起き上がった。


 あたしは小動物を見、小動物はあたしを見た。かわいー! 乙女心に来るわね、これは。あたしは小動物に近づくと抱き上げようとした。あたしがつまづいたときにけがをしなかったかな。

 「じゃ、おれはこれで」

 背後で立ち去ろうとする気配が聞こえた。あたしは そいつのかばんをむんずとつかんで押しとどめた。

 「ちょっと、あんたも当事者でしょ。もしこれが交通事故だったら「じゃ」で立ち去るの? この子病院へ連れていくから付き合いなさい」

 「いや、おれ遅刻するから」

 「あたしもよ。でもそれとこれとは違う」

 あたしは叫んだ。男もあたしをにらみつけた。あたしより背が高い。でも負けずにあたしも男をにらみつけた。

 「あのー」

 背後というより下の方から声が聞こえた。あたしたちは無視してにらみ合った。

 「すみませんミル」

 「ちょっとだまってて!」「ちょっと黙ってろ!」

 あたしたちは同時に叫んで、にらみ合って、一瞬後にもう一度振り向いた。

 小動物はあたしたちをつぶらな瞳で見ている。あたしはあたりを見回したが、あたしたち二人のほかに人影は見当たらなかった。

 「お取込み中申し訳ないミル。でもここで会ったが百年目、いや違った、会えて良かったミル。時空計算に誤りがなかったミル」

 「ははーん」男はあたしをさげすむような目つきで見た。「これ新手のドッキリか詐欺だな。おい、お前腹話術うまいな。びっくりしたぜ」

 あたしはパニクって両手を振りながら叫んだ。「あたしはそんなことしてない! あんたこそ怪しいわ」

 「なにい」

 あたしたちが再びにらみ合ったとき、小動物はあたしたちの間に入ってきた。「まあまあミル」

 「阿須飛鳥馬あすあすまくんと喜納今日子きのうきょうこさん、ですねミル」

 「な、なぜ名前を・・・」

 「知っているのか、と疑問に思うミルね。君たちのことはよく知っているミル。ぼくの名前はアクルト。未来からやってきたミル。

 「こいつ、はやりのAIじゃね。動物が人間みたいにしゃべるわけねえ」阿須、と本名を当てられた男が言った。

 アクルトと名乗った小動物はうなづいて言った。「それはあながち間違っていないミル。ぼくは動物の形をしたロボットミル。人類を救うために未来から送られてきたミル」

 「へえ、そうなんだ」わたしは素直に感動した。阿須はふん、と鼻を鳴らした。

 「信じがたいな。話を続ける前に本当に未来から来たということをおれに納得させろ」

 「どうすれば納得してもらえるミルか」

 「未来にしかない能力のようなものを持っているとか」

 アクルトはしばらく考えていたが顔を上げると言った。「じゃあ未来の特殊能力で君たちの考えていることをあてて見せるミル」

 「ほう、じゃあおれは何を考えている」阿須は胸を張った。

 アクルトは両手を前にかかげると目をつぶった。ぶうん、とどこかで冷蔵庫のような音がした。

 『こいつしゃべる小動物とは珍しい。売り飛ばせばどれくらいの金になるかな』表示されている文章を読み上げるようにして立て続けに話したアクルトはドン引きした表情になった。

 「な、なぜそれを」いや阿須飛鳥馬。あんたもわかりやすいリアクションね。

 「では喜納今日子さん。きみの考えていることは・・・」

 「いや、いいから。あたし信じるから」あたしはあわてて言った。

 「では質問だ」阿須が言った。「なんで人間が来ないでお前が来たんだ」

 「良い質問ミル」アクルトは答えた。「ぼくの時代ではタイムトラベル技術はまだ初期段階で、生物をタイムトラベルさせることはできないミル。あと、質量ごとに膨大なコストがかかるから人間型のロボットをタイムトラベルさせるとぼくのような小動物型ロボットをタイムトラベルさせる十倍のお金がかかるミル」

 「コスト削減か。それは同意だぜ。グッジョブ」阿須は急に表情をやわらげた。

 「ぼくは重要な任務を帯びて送られて来たミル。君たちに会ったのは偶然ではないミル。君たちに話があるミル」

 「おれに?」「あたしに?」

 アクルトは重々しくうなづくと話し始めた。


     *


 現代に生きている人間が見届けるほど近くはないが、さほど遠くもない未来。

 科学技術は発展したものの、ジャンクフードと環境ホルモンなどの影響で人類は切れやすく、太り、体力は落ち、オリンピックはドーピング公認になり、寿命が延びた。

 「寿命が延びる。いいことじゃね」おれはアクルトをさえぎった。

 「寿命は延びるけれど、全身に管をつけ電動車いすに乗ったままの生活ミル」

 「それはいやだ」

 アクルトのいた未来ではほとんどの人類はメタボリックシンドロームに汚染され、消費するのみで生産することができなくなっている。このままでは人類は遠からず滅びてしまう。そこで未来の科学者たちはそもそもメタボリックシンドロームが始まった現代の時間軸でメタボリックシンドロームと戦う必要があるとの結論に達した。そのため未来の技術を用いて現代でメタボリックシンドロームの蔓延を食い止める戦士を求めてきたのだ。


     *


 話終わるとアクルトは一歩前へ進み出て喜納今日子の手を握った。

 「君の力が必要ミル。どうか美少女戦士ビューティーケアになってメタボリックシンドロームと戦ってくれミル」

 喜納はアクルトを見つめて聞いた。「そもそもなんであたしが選ばれたの。戦士なら男の方がいいんじゃない?」

 アクルトはにっこりした。「戦士に変身するためにはスタイルがよくなければいけないミル。きみはそのスタイルの良さで戦士に選ばれたミル。もちろん顔もいいミル」

 喜納は手を握られたまま目を伏せほおを染めていた。「そんな、あたしなんかが」

 「きみしかないミル。きみじゃなくちゃだめなんだミル」

 見え透いたお世辞に喜納は顔を真っ赤にして喜んだ。

 「あら、いや、そんな、あたしなんかが」

 「大丈夫。きみならきっとできるミル。さあ、ぼくと契約するミル」

 喜納はさっと冷めて手を離した。「けいやくぅ?」目が猜疑心をたたえている。

 喜納はちら、とおれの方を見てささやいた。「ねえ、あんたどう思う? 契約すると永遠に戦い続けなければならないとか、最後は魔女になっちゃうとか、なにか裏があるんじゃない?」

 こいつ見かけよりは頭がいいみたいだな。

 アクルトは短い手を振ってあわてて言った。「そ、そんなことないミル。命の危険もないし、悲惨な運命とかないミル」

 「ほんと?」

 「ほんとミル。美少女戦士に変身してフリル付きの素敵な衣装を着られるミル。それでさっそうと悪をやっつけてモテモテになるのは間違いないミル」

 「そ、そーお。そこまで言われたら、仕方ない。やってみようかな」

 「いい決断ミル」

 「わかった。あたし、やってみる」喜納今日子は手を差し出し、アクルトと握手した。

 お買い上げー


     *


 「じゃ、おれ行くわ」阿須飛鳥馬がかばんを肩に下げて去ろうとするとさっと手を伸ばしたアクルトが阿須のズボンのすそをつかんだ。「待つミル」

 「なに。もう戦士は見つかったんだろ。おれ関係ねえから」

 「戦士にはトレーナーが必要ミル。君がトレーナーになるミル」

 「いやなんでおれが」

 「君も選ばれし者ミル。人類の未来のために一緒にメタボリックシンドロームと戦うミル」

 「いやおれメタボリックシンドロームと関係ねえから」そのまま歩み去った。

 (ええと、戦士専属トレーナーの契約料はとりあえず百万円ミル、と)

 アクルトがつぶやいた瞬間、阿須飛鳥馬はくるりと振り向くと戻ってきた。所在なさげに立っている。

 「なにか用かミル」

 「トレーナーが必要なんだろ。ここにいるぜ」

 「え、ちょっとちょっと、待って」あたしは急いで言った。「こんな、人が転んでいても助け起こそうともしない奴があたしのトレーナーになるの? いや!」

 「我慢するミル。彼もきみと同じく選ばれた理由があるミル」

 「理由ってなに」

 「きみがスポーツの成績とスタイルによって私立養栄学園の特待生に選ばれたように、彼は勉強の成績によって特待生に選ばれた男ミル。トレーナーは頭がよくないとだめミル」

 「どんなことをするのよ」

 「例えば・・・BMIの計算をするミル」

 「BMI? なにそれ」

 「BMIはボディマス指数のことミル。計算式は体重÷(身長×身長)の数値ミル」

 「体重÷・・・そんな難しいこと言わないでよ!」

 「やっぱりトレーナーが必要ミル」

 「うっ」あたしは言葉につまりしぶしぶトレーナーの件は了承した。

 「では契約を結び、美少女戦士ビューティーケアとなるミル」

 「確認だが、おれが直接戦うということはないんだな」阿須飛鳥馬が言う。

 「ないミル」

 アクルトは糸のように細い赤いケーブルを取り出すと、あたしと阿須飛鳥馬の小指にケーブルをむすんだ。

 「こ、これって」

 「契約登録に必要なことミル。しばらく待つミル」

 アクルトが宙に何かの術式を施すと、突然魔法陣が現れ、あたしの胸のあたりが光に包まれた。

 「なんで光に包まれるんだ」と阿須。

 「アニメ化したときに動きが多いと製作費がかさむミル。光なら安くすむミル」

 「納得した!」右手の親指をたてる阿須。

 光はじきに収まり、あたしの体に収束した。

 「では、これからぼくはペンダントに変形するから、変身するときにはぼくを呼ぶミル」そう言うとアクルトはぽん、と煙に包まれ、一瞬後には姿を消した。あたしの胸に残された銀色のペンダントだけがこれまでの出来事が夢ではなかったということを示していた。


     *


 おれたちが学校の体育館に着くと、すでに全校生徒が集まり始業式が始まっていた。おれは特待生だからA組だ。一番右側列の最後尾に二つ空いた席がある。おれたちはこそこそと列の間に入り、空いた椅子に座った。すぐ後ろで直立していた上下ジャージの先生がじろり、と無言でおれたちを見た。

 正面の演壇にはロマンスグレーというのか、きりっとハンサムな中年男性が背筋を伸ばして立っていた。入学式でも見た、理事長の大和猛やまとたける氏だ。理事長は一礼してから話し始めた。

 「えーみなさん。私立養栄学院は非常に先進的な教育理論を実践している高等学校です。通常の学校では生徒諸君の学力については試験による公平な方法で測りますが、体力はたまに体力測定で、そして生活態度や人格は担任の教師の判断にゆだねられることが多いです。しかし当学院では、人間のバランスを重視します。学力が優れているだけではその人間が優れた人物とは言えない。体形や人格も加味されて正当な評価を受けてしかるべきです。そこで当学院では通常の中間試験、期末試験の他に身体測定や服装・頭髪検査などを通じ、生徒たちの生活態度や人格を絶えず把握し、完成された人格へ向けて指導していきます。みなさんは最初はとまどうかもしれませんが、ここで学んだことは必ず生涯を通じて糧となることでしょう」


     *


 始業式が終わり、おれたちが教室へ移動すると先ほどのジャージの上下を来た先生がやってきた。先生は真っ先におれたちにたどり着くと言った。

 「おいおい、お前ら。二人そろって初日に遅刻とはいい度胸だな。名前は?」

 「喜納今日子きのうきょうこです」

 「阿須飛鳥馬あすあすまです」

 「なぜ遅刻した」

 おれが答える前に喜納今日子が言った。

 「あの、正義の味方になるための契約を」こいつバカ。

 「はあっ!? 教師をおちょくってんのか。つくならもう少しましな嘘をつけ」

 「おや、お前ら……」ジャージの先生は学校用携帯端末を見ながら目を丸くした。「二人とも特待生じゃないか。駄目だよ。特待生なら生徒の模範にならなくちゃ。今日は見逃してあげるから」先生は急に猫なで声になった。

 「あ、いいんですか」喜納がその場でスキップする。先生は突然表情を変えた。

 「……とか言うと思ったかこら! このまま許したら他の生徒に示しがつかん。立っとれ!」

 結局おれたち二人とも廊下で立たされることになった。

 廊下で立っているおれたち二人の背後で窓ガラスを通して先生の大声が聞こえてきた。

 「健全な肉体に健全な精神は宿る! 体育教官兼一年生の学年主任をしております。最古八州男さいこはすおです」


 しばらく立っていたが暇だ。隣で立っている喜納はなんだかうきうきしている。こいつ無駄にテンション高え。

 おれはしばらく考え事をしていた。今朝の話が本当ならおれはこいつの体調管理をして給料をもらえるわけだ。きちんと学歴を積んでからと思ったがまさかこの年で就職が決まるとは思わなかった。ま、同じ学校のこいつのトレーナーなら、学業と両立できるし、お得だな。

 そうしているうちに喜納が話しかけてきた。

 「ねねね」

 おれは顔を正面に向けたまま話した。「なんだ」

 「あたし、勉強苦手だから、高校はどこも無理、って言われてたのよね。だからこの学校に入れてうれしくて、ってなんであんたにこんな話しなくちゃならないのよ。今日は初日だから友達を作らなくちゃいけないのにこんなところに立たされちゃって」

 「おれは友達作る必要ないからな」

 「もしかしてあんたぼっち?」

 「独身主義者だ」

 「いみふめい」

 おれは考え直して喜納に話しかけた。ともかく専属トレーナーとやらになったんだから、なにか言った方がいいだろう。

 「この学校の仕組みだが、お前知ってるのか」

 「え?」

 「さっき校長が言ったことだよ。この学校では勉強ができるだけじゃだめなんだ。中間・期末ごとに体重、体力、すべて数値化して総合点で成績がつく」

 「そ、そうなの?」

 「なにも調べずに入学したのか。まあいい。ただしメタボリックシンドロームだけは駄目だ」

 「なにそのメタなんとか」

 「お前ニュース聞いてないのか。アクルトが言ったことはある意味正しくて、今年に入ってからメタボリックシンドロームは社会的に大きな脅威となっているし、特にこの養栄学院ではメタボリックシンドロームにやられてしまうことは致命的になる」

 「なんで?」

 「メタボリックシンドロームって言うのは……言い換えれば「救い難いデブ」だ。養栄学院では身体測定を行い、体重が増えすぎた生徒は自己管理ができていない奴として評価が下がる。実際に成績もそれに影響される。だからメタボリックシンドロームにやられてしまうことは、ここでの成績とひいては社会に出る時の評価に致命的な打撃を受けることになるんだ」

 「ふーん」


     *


 ああ、やっと立たされが終わった。

 あたしは急いで教室に入るとトライブの物色を始めた。休み時間の終わったあと、すでに教室のあちこちではトライブの塊が作られていて、NINEの交換も済んでいるみたい。あたしは一人さびしそうに立っていたが、みなあたしに背を向けて、ちょっと入って行きづらい。転校生じゃないから教壇に立って先生から紹介を受けることもないし、この雰囲気で「はあい」とか声をかけて無言を返されたら立ち直れない気がする。

 あたしは涙目になりそうになって、思わず胸に手をやった。ペンダントの重さが手に触れ、あたしは今朝の出来事が夢ではないのだと今さらながら思った。

 ヒーローは孤独なんだわ。

 ふと振り向くと、阿須がかばんを自分の机に置いているところだった。淡々と教科書を出して引き出しに入れている。あいつは自分がぼっちであることなど気にしていないようだった。


     *


 教室にささやき声があふれていた。

 このささやきってやつ、気に入らないな。大声で話すよりも耳に入ってくるし、何よりその内容のほとんどが他人の悪口や良くない事件に関するものだ。

 「佐藤がさ、休み中メタボにやられて肥満の階段上ったらしいぜ」

 「いやー!」

 「ないわー!」

 「もうおれ、あいつのメアド消さなくちゃ」

 「おれだったら自殺するな」

 「恥ずかしくないのかねぇ」

 そうしているうちに教室の後ろの扉が静かに開き、そっと一人の生徒が入ってきた。どうやら当該の生徒らしい。その生徒は静かに後ろの席に座ろうとしたが、目ざとく気づいた生徒が叫んだ。

 「うわ、ふっとい!」「どんだけ食ったらそんなになるんだ」

 確かにその生徒の体形は異常だった。むくんだ体を無理やり制服に突っ込んでいる感じだ。制服のボタンが引きちぎれそうになっている。

 そうこうしているうちに、教室の扉が開き、最古先生が入ってきた。

 起立、礼、着席。

 最古は話始めた。

 「おはよう。みんなも知っていると思うが、昨日メタボリックシンドロームが発生してこのクラスの一人がやられた」

 みな顔を見回す。

 「具体的には部活の新入生歓迎会で食べすぎたのが原因のようだ。今朝の体重チェックで引っ掛かり、保健室緊急搬送になった」

 「ピザ大食い競争とか、馬鹿じゃねぇの」「コーラの一気飲みもしたらしいよ」

 「違うんだ!」その生徒は叫んだ。

 「部活の懇親会でピザの大食い競争とかコーラの一気飲みとかさせられたんだ。しかもダイエットコーラのボトルに中身を入れ替えてオリジナルコーラが入れてあった。あれはいじめだ!」

 「うるさい」「黙れ」「メタボはメタボらしくしていろ!」「メタボはメタボの国に帰れ!」

 いくつかの声が上がり、その生徒は黙った。

 争いをしばらく放置してから教壇に立った最古先生がおもむろに言う。「みんな、静かに」

 それから宣誓を読み上げるように言った。

 「健全な精神は健全な肉体に宿る。肉体が健全でないということは精神がどこか病んでいる、ということだ。みんなもこれを教訓に今一度自分の生活態度を見直すように。以上」


     *


 体育の時間になり、グラウンドで男女分かれて鉄棒と組体操をしていた。あたしたちが屈伸している丁度正面に男子たちが鉄棒をさせられており、あたしの場所から背の高さより高い鉄棒にぶら下がっている阿須がよく見えた。男子についている体育教官は担任の最古先生だ。先生の大声がここまで聞こえてくる。

 「おい阿須。懸垂一回もできないのは人間として悲しいことだぞ」

 「すみません。おれ、勉強枠で入学したんで」

 「鉄棒にぶら下がっていても減らず口をたたく体力はあるんだな。その口に残った体力を腕にまわすんだ。ほれ、もう一回」

 阿須はなんとか自分のあごを鉄棒の上まで引き上げようとしたが、力尽きて下の砂場に落ちた。最古先生はちっ、と舌打ちし、別の生徒の指導に入った。

 あたしと同じスポーツ枠で入った男子生徒が高鉄棒で大回転を披露し、喝采を浴びていた。最古先生もそれを満足そうに見ている。

 最古先生はあらためて生徒たちの前で胸を張って言った。

 「いいか。健全な肉体に健全な精神は宿る。人間はバランスが大事だ。たとえ勉強が学年一でも、体力が劣っていたら問題だ。考えてみろ。例えば君らが卒業して企業に就職したとする。厳しい勤務で残業をしなくてはいけない場面があるかもしれない。そんなとき、体力を維持していなかったらどうだ。いくら頭が良くても仕事を続けることができないかもしれない。人間はバランスだ。学力と同じように体力が大事なんだ」

 「すいません。それ、違います」

 みなが振り向いた。阿須が顔を最古先生に向けて立っている。

 「「健全な精神は健全な肉体に宿る」は古代ローマの詩人ユヴェナリウスが言った言葉で元々は「健全な精神と健全な肉体さえあれば、それだけで満足するべきである」くらいの意味です。もし健全な肉体でなかったら健全な精神が宿らなければ生まれつき病弱な人間や身体障害者はどうですか。病気で歩くことすらできないけれどもノーベル賞を受賞した世界的な科学者がいましたよね。彼は肉体が健全じゃないから仕事ができませんか。先生の言っていることはおかしいです」

 最古先生の顔は真っ赤になった。わかりやすい人ね。

 「あ、あれはあくまで一般論で、なんにでも例外はある。おまえたち普通に健常な者が極端な例を持ち出す必要はない」

 「この中に一人でも健常でない人がいれば先生の発言はそのまま差別になりますよね。学校の外でもその発言、しますか」

 最古先生のいらいらが波動となって女子のいる場所まで伝わってくるようだった。

 最古先生は顔色を赤くしたり白くしたりしながら、最後にはくるりと後ろを向いて号令した。

 「これで今日の授業は終わり! 各自整理運動をしてから教室に戻れ!」


     *


 体育の授業事件以来、最古先生は阿須を狙い撃ちするようにいやがらせするようになった。阿須は授業中当てられても答えるし提出物もきちんと出しているのだが、なにかと難癖をつけて阿須をみなの前で恥ずかしくさせるように仕向けた。阿須はそれに対してもはや言い返したりはせず、嫌な顔ひとつ見せずにスルーした。あたしはちょっとあいつを見直した。けっこう骨のあるやつなのね。

 しばらくの間ニュースでメタボリックシンドロームの話題は出なかったが、一学期の中間試験が迫っており、それと同時に行われる身体測定のためにみんなのストレスは溜まっていった。試験勉強のストレスに負けて甘いものを食べすぎたりすると、学科の成績は良くても体重測定で落第してしまう。教室はそんな矛盾したストレスで重苦しい雰囲気になった。


     *


 悲鳴は廊下の一番突き当りから聞こえた。それも複数の声だ。なにかが起きていることは明白だった。

 おれは隣の喜納に声をかけた。「行くぞ!」

 「え? え、え、え、なに?」

 「なにか起きている。お前、戦士なんだろ。行かなきゃ」

 「び、美少女戦士よ」喜納は叫びながらおれに続いて走り出した。

 廊下の一番突き当りの教室から次々と生徒が飛び出してくるのが見えた。おれと喜納は教室のドアをあけ放つ。教室の一番奥になにかもやのようなものが見えた。もやはどこが顔やら口やらわからない。しかし腹に響くような重低音で叫んだ。

 モー!

 あれがメタボリックシンドロームか。

 逃げ遅れた生徒が数名倒れた。もやがその上に多いかぶさる。

 「いや、いや、やめてー!」女生徒が一人、もやの餌食となる。

 もやがどくとその女生徒は床でもがいていた。無事か。いや明らかに異変が起きていた。

 女生徒の体が異常に膨張している。ありていに言えばダイエットの広告で使用前ー使用後の写真の順序が入れ替わった感じだ。

 教室の窓ガラスに映る自分の姿を見て女生徒は両手をほおに添え、叫んだ。「いやー!」

 メタボリックシンドロームは次々と逃げ遅れた生徒を餌食にしている。襲われた生徒は例外なく肥満体形に変容した。

 「なにしてる! はやく戦え!」おれは叫んだ。喜納はぼうぜんと立ちすくんでいたが、はっと気づいたようになり胸の前に下がっているペンダントを握りしめて言った。

 「アクルト、ねえアクルト。出てきて。出番よ」

 するとぽん、と煙が出て、アクルトが姿を現した。

 「メタボリックシンドロームが出てきた。どうやったら変身できるの?」

 「ぼくの言うとおりに詠唱するミル」

 「わかった」

 「戦闘筋肉界面バトル・マスキュラー・インタフェース!」

 「ば、ばと? ますです」

 「それくらいも言えないのかミル」

 「う、うっさいわね。い、いいじゃない。アナウンサーや声優になるわけじゃないし。ばとっと、ますくら」

 「じれったいミル。省略形で言うミル」

 「そんなのがあるなら早く教えなさいよ」

 「いいミル。BMIビー・エム・アイ

 「ビー・エム・アイ!」

 アクルトに続いて喜納は叫んだ。光がほとばしり、喜納の全身を包んだが、しばらくすると「ミー」という間の抜けたビープ音とともに光は引っ込み、何事もなかったかのように収まった。

 「え、なんで? ビー・エム・アイ! ビー・エム・アイ!」

 喜納は何度も叫んだが、その後光は全く出てこなくなった。

 「うわあー、助けてー」周りで生徒たちの叫ぶ声が聞こえる中、アクルトは宙に出てきたなにかの数値を確認していたが、しばらくすると肩を落として言った。

 「今日はだめミル」

 「え、変身できるんじゃなかったの?」「なぜだ」喜納とおれが同時に言った。

 「BMI値が変身の範囲外だからミル」

 「へ?」

 アクルトは横目で喜納を見ながら言った。「喜納今日子さん。きみは春休みにちゃんと体重管理をしていたかミル」

 「え、ええ、えええ? いえ。学院に合格したからうれしくって、それまでスポーツ特待生としての試験を受けるためにおいしいものも我慢していたから、ちょっとはっちゃけて、色々食べたけど、でもそんな」

 「間違いないミル。太ってBMIが変身するための許容値を越したから変身できないミル」

 「と、いうことは」

 アクルトはおれを振り返って言った。「トレーナー君。君の出番ミル」

 「おれの」

 「そうミル。彼女のBMI値をもとに戻さない限り、美少女戦士に変身はできないミルよ」

 学校をさんざん蹂躙した後、メタボリックシンドロームはいつの間にか去っていた。後に残ったのは肥満にされてがっくりと肩を落とす生徒たちと、別の意味でがっくりと肩を落とす喜納今日子だった。


     *


 「三十三、三十四・・・」喜納今日子はレオタードに身を包み、体育館の隅で腕立て伏せをやっていた。全身から汗が噴き出て、顔は真っ赤だ。

 おれとアクルトはそのそばでテーブルと椅子を並べてお茶をしていた。

 「お、このエクレア、なかなかいけるな」

 「文化堂の一押しスイーツミル。ブラックチョコ、メープルシロップ、ホワイトチョコの三種類があるけど、おすすめはやはりブラックチョコミル」

 「お前、ロボットのくせにスイーツの味わかるのな」

 アクルトは現代に来てからあっという間に生活に慣れ、おれたちのトレーニングにも付き合っている。

 「いやあ、やっぱり現金収入があるっていいな。トレーナーになったおかげでこうしてうまいものが食えるようになった」

 おれとアクルトはポットから紅茶をそそぐとボーンチャイナのカップを持ち上げ同時に飲んだ。豊かな時間が流れる。

 「あんたたち! ひとが一生懸命トレーニングしてる横で、おいしそうに食べないでよ!」喜納が叫ぶ。

 おれは言った。「変身して戦うのはお前だからな。おれはトレーナーとして責務をきちんと果たしている」

 「くうー」喜納は涙目になった。

 おれはちょっとかわいそうになった、という表情をしてみせた。

 「腕立て伏せ、あと百回。終わったらエクレアやるぜ」

 「えっ、いいの?」喜納が驚きに目を見張る。

 「大丈夫だ。トレーナーのおれが許可する」

 「わかった」モチベーションを得た喜納は猛然と腕立て伏せを始めた。

 「はあ、はあ、九十八、九十九、百」腕立て伏せを終えた喜納はがっくりと床に突っ伏した。そんな喜納の横におれはエクレアの入った皿を置いた。「よく頑張った。さあ、ご褒美だ」

 喜納はしばらく沈黙した。

 「これ、なに」

 「エクレアだ」

 おれが渡したのは表面のチョコレートをはがし、中のカスタードクリームを取り除いたエクレアの皮だった。

 「これがえ、え、エクレア! 腕立て伏せ百回したらくれるって言ったじゃない!」

 おれは大げさに両手を正面で振りながら言った。

 「おいおい、完全版エクレア一つのカロリーは300キロカロリー。お前が今やった腕立て伏せの消費カロリーに相当する。それではお前の努力が無駄になってしまう。そんなことを許すわけにはいかない。改訂版エクレアを与えるのは、おれのトレーナーとしての義務だ」

 「くううー」

 「喜納」おれは真顔で言った。「おれがお前につらく当たるのは、お前が憎いわけではない。世界を守るという重大な責務を担ったお前が真に成長するためだ」

 「いや、まさか現代でそんなくさいセリフにひっかかる子はいないでしょミル」

 「そ、そうだったの。あたし、あなたのことを誤解していたわ」

 「ここにいたミルー!」

 「おれを憎んでもいい。そしてその憎しみを真の敵に対して向けるのだ」

 「わ、わかった」喜納は胸の前で両手を組み合わせた。

 「あたしはこの人になにか大事なことを教えられた気がする」

 アクルトは改めておれたちを眺めた。おれは親戚がテーマパークへ行ってきたときのおみやげのスーパーマンTシャツを来ていた。大きな「S」の字が胸についている。喜納はレオタードの上からディズニーランドみやげのミニーマウスTシャツを着ていた。大きな「M」の字が正面にプリントしてある。


 (これはSMミル)アクルトがぼそっとなにか言った。


     *


 阿須はあたしを装置に括り付けていた。「これでいいのか」

 「もっときちんとくくらないと強力な電圧のときにとれてしまうミル」

 「電圧って……」阿須は首をかしげる。「ダイエットとなんか関係あるのか」

 「きみはそこまで知らなくてもいいミル」アクルトは銀縁メガネをかけ、白衣を着た権威ある博士のコスプレをしながら言った。「どんなことが起きてもわれわれが責任をとる。きみは言われたとおりにすればよいミル。きみには責任は一切負わされないミル」

 「ならおっけー」阿須は平然としているが、あたしは不安になってきた。

 「ねえ。これなんの訓練?」

 あたしの質問を無視してアクルトはつづけた。

 「ではクイズを始めるミル。五大栄養素に含まれないものは次の中でどれでしょうミル。1.タンパク質。2.プロテイン。3.味の素。4.鉄」

 「鉄なんか食べられないでしょ。簡単簡単、4番よ」

 「ブブー。不正解ミル」

 阿須は無言で電源ボタンを押した。バチッと音がしてあたしの体がしびれた。

 「痛っ! なにすんのよ」

 「不正解になるたびに電圧を上げるミル。飛鳥馬くん。この実験結果がどのようになろうともきみはなんの責任も問われないミル。では次の問題です。次のダイエットの内、効果が見られないものはなんでしょうミル。1.炭水化物制限ダイエット。2.カロリー制限ダイエット。3.いくら食べても痩せる! ダイエット。4.豆腐ダイエット」

 「カロリーを制限しても意味がないって聞いたことがあるわ。2番」

 「ブブー。一定の効果はあるミル。正解は3番ミル」

 阿須は無言でボタンを押した。心なしかあいつの額に汗が浮き出ている。

 「痛ったーい! なんでこんなことすんのよ! もういや!」

 「いったいこれはなんなんだ」

 「俗にいう「ミルグラムの服従実験」ミル。未来では人道的配慮から禁止されている実験なので一度やってみたかったミル」

 「みるぐら?」

 「現代でも非人道的だ!」阿須が珍しく常識人のようなことを言う。「でもやってみたかった、というのはわかるな、うん」

 縛り付けられたままのあたしは叫んだ。「ちょっと! 早くほどきなさいよ。これ!」

 阿須はためらいなくボタンを押した。

 「あいたっ! 痛い痛い痛い!」あたしは叫ぶ。


 まどの外には大きなスピーカーをつんだ宣伝カーが通って行った。「〈とうとととう、とととう、とととう♪ 「シュガーフリー。あたしはこの砂糖の海から自由になる」〉」


     *


 おれと喜納は体育館にいた。おれはベンチで教科書を開き、喜納はランニングマシンでハムスターのように駆けている。

 喜納は走りながらこちらを見た。視線をそらすと独り言のようにつぶやいた。

 「いーわねー。体重管理をしなくてもいい人は」

 おれは聞き逃さなかった。

 「おいおい。自分だけが努力しているような言い方はしないでくれ。おれはおれなりの努力をしている」

 喜納はこちらを見た。「なんの努力してんのよ。トレーナーのバイトしながら学校の試験勉強でしょ」

 おれは開いていた教科書を持ち上げて『管理栄養士国家試験受験対策ワークブック』と印刷された表紙を見せた。「これは学校の試験勉強じゃない。おれがトレーナーとしてグレードアップするための試験勉強だ。国家資格をとっておこうと思ってな。トレーナーとして給料をもらっている以上、プロとしての知識を身に着ける必要があるからな」

 喜納はちょっと感心した顔になった。単純なやつだ。

 「じゃあその知識で教えて。BMIを減らすにはダイエットしか方法がないの?」

 おれはちょっと考えた。

 「そうでもない。BMIっていうのは体重を身長の二乗で割るから、体重を減らす代わりに身長を伸ばせば減らすことができる。

 「じゃあ、体重を減らさなくても背を伸ばせばいいのね!」

 喜納は床に降り立つと一生懸命背筋を伸ばし始めた。首を天に向かって突き出す様子は飼育員に餌をくれとねだるガチョウのようだ。

 「それなんだ?」

 「背の高くなる体操」

 こいつほんとバカだ。

 おれは言った。「首を吊れば身長は簡単に五センチくらい延びるらしいぜ」

 「ほんと! って死ぬじゃん」

 「そこに気づいてしまったか」

 「あんた、もしかしてあたしのことバカと思ってる?」

 「……そこに……気づいてしまったか」


     *


 喜納にとって辛く、おれにとって楽しい一カ月が過ぎた。

 おれとアクルトが見守る中、試合前日の計量に挑むボクサーのように真剣な面持ちで、喜納はヤマタの体重計に乗った。自動的にBMIと体脂肪が測定されて数値が表示された。

 「BMI 20。目標達成ミル」

 「やった!」喜納はうれしそうだ。

 「喜ぶのはまだ早い。この数値を維持し続けなくちゃいけなんだぜ」

 「わかってるわよ」そう答えて喜納はため息をついた。ダイエットは目標達成よりも達成後の維持が難しい。こいつがリバウンドしないようにおれが監視しなくてはいけない。


     *


 一学期の期末試験が迫っていた。

 中間試験のときと同じだ。勉強と体重管理の両方のストレスで教室中がピリピリした雰囲気に包まれている。前回もこんな雰囲気が頂点に達したときにやつは現れたのだった。おれには再びやつが現れる、そんな気がした。


     *


 期末試験直前の日、明日から試験前休みに入るという日、隣の教室で悲鳴が上がった。あの時と同じだ。

 「来たようだぜ」おれが言った。

 「準備はいいわよ」喜納が闘志に目を輝かせて立ち上がる。

 喜納はペンダントを握りしめ、叫んだ。「アクルト! 行くわよ」

 ぽん、と煙が上がり、変身を解いたアクルトが現れた。おれたちは隣の教室に駆け込んだ。

 前回と同じもやが教室の隅にいた。生徒たちは恐れて距離をとっている。今までのところ、誰も襲われてはいないようだ。

 「モー!」おれたちを見た。メタボリックシンドロームが唸り声を上げた。敵を認識するのか。

 「ビー・エム・アイ!」喜納が叫ぶと光がほとばしり、喜納の全身は光に包まれた。そのまま機械音声のアナウンスが流れる。「ビューティーケア。第一階梯。変身します」

 そうして光が晴れたとき、そこにはフリルつきのはでな戦闘服に身を包んだ喜納今日子がいた。

 「愛の戦士、ビューティーケア参上!」

 「モモー!」ビューティーケア喜納今日子を見たメタボリックシンドロームはとりわけ大きな唸り声を上げた。もやから腕のようなものが延びてきて彼女をつかもうとする。

 ビューティーケアは大きく後ろに跳躍してかわした。身体能力はんぱねえ。

 変身した喜納に迷いはなかった。こいつこんなにかっこよかったかな。

 ビューティーケアは両手を宙で組み合わせると叫んだ。「ケア・カーボンクラッシュ!」げんこつの形をした光の塊が飛んでメタボリックシンドロームをぶん殴り、後ろに吹っ飛ばした。

 「そらそらそらそら!」げんこつの連打でメタボリックシンドロームの体がちぎれる。

 「最後の一発!」ためのげんこつが直撃するとメタボリックシンドロームは断末魔の「モオー!」という叫びをあげて霧散した。

 後に残ったのは決めポーズですっくと立つビューティーケアだけだった。

 瞬殺。

 ビューティーケアに後れなし。

 生徒たちは唖然としていたが、しばらくするとどこからともなく拍手と歓声が始まり、それは教室全体に広がった。

 ビューティーケアはこちらを振り向くと、変身を解いて喜納今日子に戻りにっこりと微笑んだ。その姿に女生徒が数人駆け寄る。

 「喜納さん。いえ、喜納今日子様。ありがとうございました」

 「明日から試験なのにメタボリックシンドロームにやられたらもう生きていけない」

 「命の恩人よ」喜納の手を握る生徒。

 「え、えええ? いや、そんな、あたしなんかが……」照れまくる喜納。


      *


 全ての教室が見渡せるモニターを設置している部屋がある。暗い部屋を照らすのは数十も並んだモニターが照らす光だけだ。一部始終を見ていた男が一人つぶやいた。「こんどはそう簡単にはいかないぞ、ビューティーケア」


      *


 先日のメタボリックシンドローム来襲とそれを撃退したビューティーケア喜納今日子の名はあっという間に養栄学院中に広まった。

 喜納の態度は前と同じようだったが、以前ならクラスの中でも仲間外れにされているように浮いていたのが、今では一種のアイドルと化して崇拝の対象になっていた。

 あちこちでひそひそ話が聞こえる。

 「あの方がビューティーケア、喜納今日子様ですのよ」

 「なんでも身体能力で特待生として入学されて」

 「しかも完璧な体重管理をしていないと変身できないのだそうですわ」

 「じゃあ、頭脳・身体ともに理想の」

 「すてき」

 いや手のひらを返したように、とはまさにこのことだ。人間不信になるぜ。

 「あ、あの、すみません」別のクラスの女子たちが数人連れだって喜納の前に姿を現した。一人がもじもじし、後の二人がその背中を押す。

 「あ、あのっ、あのっ、これわたしが作ったんです。良かったら食べてください」

 もじもじした女子は勇を奮い起こして後ろに隠していた箱を喜納に渡した。小さな箱をきれいにラッピングしてピンクのリボンがまいてある。

 喜納が箱を受け取ると、その子は逃げるように背を向けて教室を走り出した。

 「あきー」その後を二人の連れが追う。

 おれは三人の後を見送る喜納の手から箱を取り上げて開封した。

 「ちょっと、あんた勝手になにしてんのよ」

 「トレーナーによる所持品管理だ。おーお、手作りチョコだな。市販品ではないのでカロリー表記がない」おれはポケットから簡易重量計を取り出して重さをはかった。

 「80グラムか」ついでに少しかじってみる。「ん-甘い。砂糖が一個につき20グラムとして一般的なチョコレートなら200キロカロリーくらいだな。お前が食っていいのは一日半個だけだ」

 「くうー」くやしそうな喜納。こいつは本当に素直なやつだ。

 おれはプレゼントの箱を取り上げると、おれの机の上に山になっている同じような箱の上に積んだ。ビューティーケア人気はすさまじいが、これをプレゼントしてくれたやつら、こいつがプロボクサー並みのカロリー管理を必要としていることをわかっていないようだな。まったく油断も隙も無い。おれが見張っていなかったら、喜納はどんどん高カロリー食を喰ってしまう。

 おれの持っているチョコの箱を取ろうとして飛びつく喜納とおれがもみ合っていると。

 「まったく。学校でいちゃいちゃするバカップルは目ざわりですわね」

 「トレーナーと選手の乱れた関係、よくある話ですわ」

 聞こえよがしの声が教室の隅から聞こえた。見ると古田サケルタという女子生徒と彼女の取り巻きたちだ。

 古田は身体能力および体形の美、学年二位の生徒だった。期末試験の身体測定で喜納が一位になるまではクラスのアイドル的存在だった。

 「あんただれだっけ?」喜納が必殺のボケをかます。

 「な、な、なんですって!? この方を知らないの?」古田の取り巻きが三人、前に出て叫んだ。

 「このお方は古田サケルタ様」

 「正統なハーフで」

 「県ビューティーコンテストの優勝者ですのよ」

 正当なハーフってなんだ。脱法ハーフとかいるのか。

 「ビューティーケアとか言う新参者がこの学校で大きな顔をしないで欲しいですわ」

 「へえー、じゃああんたも美少女戦士になれるじゃない」喜納は無邪気に喜んだ。「あんたが美少女戦士になってくれれば戦える人が二人になるから助かるわ。ね、アクルト」

 アクルトは変身を解いて現れると古田をじっと見つめてから言った。「だめミル」

 「なっ」古田とその一行が気色ばむ。

 「この子のスタイルは人工的なものミル。整形をしているミルね」

 秘密を暴かれてうろたえるかと思いきや、古田は全く動じなかった。

 「別に秘密じゃないですわ。そうよ。わたくしは全身整形をしている。女は化粧するのが普通だけど、あれも実物に修正を加えること。芸能人はほとんど差しインプラントをしている。全身脱毛は? だったら整形して最高の美を目指すことの何が悪いの」

 古田はステージで注目を浴びているように両手を掲げた。

 「今は整形を恐れる時代じゃない。整形で最高の美を実現して頂点に立つのですわ」

 そんな古田を取り巻きたちは称賛の目で眺めた。

 「すてき」「お金がなければそこまで高度な整形ができない」

 ちっ。おれは舌打ちした。金持ちの道楽か。

 アクルトも嫌そうに見ている。

 喜納だけが空気を読まない。

 「ねねね、ビーエムアイが基準だったら変身できるんでしょ。彼女は変身できないの?」

 「理論上はできるミル」アクルトは言った。「でもやめておいた方がいいミル」

 「なんで」

 しかしアクルトは遠くを見る目をしてなにも答えなかった。


     *


 放課後、部室に行くと(前回のメタボリックシンドローム撃退で表彰され、個室をもらったのだ。「正義の味方部」という看板が出ている)、先に喜納が来ていた。テーブルの上には大きな皿に乗ったオセロピザとカンパ・コーラ、手紙が置いてあった。手紙にはこう書いてあった。

 「怪物をやっつけてくれてありがとう。これは感謝を込めたプレゼントです。妖精より」

 喜納が浮き浮きした様子で言う。「ねえ、妖精からのプレゼントよ」

 「なわけねえから、引っ掛かんなよ」

 おれは欠けたビザを見て嫌な予感に喜納の顔を見た。口の端にチーズがついている。

 「もう食べちゃった。おいしー」

 「馬鹿ー!」

 叱られてへこんでいる喜納を見ながら、おれは別のことを考えていた。

 学院内にビューティーケアの活動を妨害しようとする者がいる?


     *


 がらり、と前の扉が開き、最古先生が現れた。今日はなんだか様子が変だ。目がうつろで、足元がふらついている。

 (なんだよ。二日酔いでガッコ来んなよな。教師のくせに)

 誰かがつぶやくと最古先生はぎろり、とその生徒をにらみつけ、「ウモ」と言った。

 「うわあ!」その生徒の体がふくれあがる。

 最古先生は教壇の中央に立つと呪文の詠唱のように言い始めた。

 「健全な肉体に健全な精神は宿る」

 「健全な肉体に健全な精神は宿る」

 「健全な肉体に健全な精神は宿る」

 いや、もうそれを言っている本人の精神がぜんぜん健全じゃない感じなんですけど。

 ぽん、と音がして煙が沸き上がった。横を見るとアクルトがペンダントの変身を解いて現れた。

 「おかしいミル。メタボリックセンサーがあの教師に反応しているミル」

 そのうちに最古先生が「ウモモモモ」と叫ぶとその背中からもやのようなものが出てきた。

 メタボリックシンドローム!

 「どうやらあいつはメタボリックシンドロームに精神を乗っ取られた様子ミル。戦うミル」

 「あれ先生よね。やっつけちゃっていいの?」喜納が一応念を押す。

 「おれが許可する。やっちゃって」おれが言うとクラスの生徒ほとんど全員が親指を立てて「いいね」サインを出した。最古先生は本当に嫌われ者だったんだな。

 「ビー・エム・アイ!」喜納は変身してビューティーケアになった。

 「モー」今や正体を隠そうともしない最古メタボリックシンドロームが両手を上げてつかみかかろうとする。

 「ケア・カーボンクラッシュ!」

 「ウモー!」吹っ飛ばされた最古メタボリックシンドロームがうめく。

 「健全な肉体に……」人間としての意識が一瞬戻ったのか、再びお題目を唱えようとする最古。

 「健全な肉体でも」次の技を繰り出すビューティーケア。「精神が健全じゃないこともあるのよ! ケア・カーボンクラッシュ!」

 最古先生は高鉄棒の大回転のようにぐるぐると回った。

 フィニッシュブローの前に最古先生は一瞬理性を取り戻したような目になった。右手を前に突き出し、震えるあごを開けて叫んだ。

 「アンコネラ!」

 ビューティーケアの技をくらって吹き飛ぶ前に確かにそう言った。

 倒れる最古先生とそれを見守る生徒たち。

 ビューティーケア喜納今日子が決めポーズをすると機械音声が流れた。

 「ビューティーケア。第二階梯に昇格します。新しい技「ケア・ファットスクロール」を会得しました」

 アナウンスの後にビューティーケアは変身を解き、喜納今日子に戻った。

 生徒たちが保健室に報せに行っている間、おれは最後の言葉を考えていた。


 アンコネラ


     *


 あたしたちは体育館の隅にいた。

 あたしはトレーニング、阿須とアクルトは壁に並んだパイプ椅子に腰かけている。

 今日はメタボリックシンドロームの襲撃により肥満になってしまった学生たちが結成した小布施会おぶせかいによるダイエット集会が開催され、数十人が体育館に集まっているので他の部活やあたしたちは隅に追いやられてしまったのだ。壇上に順番に人が上がり、みんなの前で自分の体験談を話している。聴衆は全員が太っている。

 今は同じクラスの佐藤君が壇上で話をしていた。

 「ぼくは今月まだ一度もスイーツ食べていません」

 おおー! ぱちぱち。観衆の拍手。

 阿須はそれを半分閉じた目で眺めていたが、ポケットに手を突っ込むと何かを取り出してアンダースローで並んだパイプ椅子の下に転がし入れた。その何かは転がって聴衆の真ん中に入った。

 一人の女性が足にあたったそれに気づき、なんだろうと拾い上げる。とたんに顔色が変わった。周りの人々は壇上の話に気を取られ、彼女の行動には気づいていないようだ。

 その女性はこわごわと辺りを見回し、それから後ろめたそうに手を口に当ててその何かを口に入れた。はらり、と包み紙のようなものが落ちる。

 「あっ! なにしてるの?」目ざとくそれを見つけた臨席の女子が言う。驚いた女性は思わずその口に入れたものを吐き出した。それはころころと床を転がって止まった。

 「あ、これ「激泡シュワシュワ炭酸キャンディー」じゃん。こんなものここで食っていていいのか」男子生徒が叫ぶ。

 「し、しらないわ」口からキャンディーを吐き出した女性は白を切る。

 「知らねえじゃねえよ。みんながくじけそうになる心を励ましあいながらスイーツを我慢しているのに、自分だけこっそりと食っているのか。ずるい」

 口論が始まり、何人もの人間が興奮のあまり立ち上がりそのほかには争いを見ようとして集まりだした。壇上で話している声が聞こえなくなる。

 「ちわー。「ドミノ倒しピザ」です」。ピザの宅配員が二人やってきて、テーブルに十枚以上のピザを並べた。

 「ええと。特別ケータリングサービス付き、と」そういうと宅配員たちはピザの箱をすべて開けた。

 一人はメッセージを読み上げる。「ええー小布施会のみなさま。毎日のダイエット努力、ご苦労様です。本日は集会を祝してプレゼントを差し上げます。どうぞご賞味ください」

 もう一人は大きなうちわを取り出すとそれでほかほかのピザをあおぎだした。

 ぱたぱた。ぱたぱた。

 チーズのおいしそうな香りが漂ってきた。あたしはごくり、と唾を飲み込んだ。ふと見ると阿須があたしをにらんでいる。食べさせてはもらえなさそう。

 ぱたぱた。ぱたぱた。

 沈黙がしばらくその場を支配したが、やがて聴衆の一人がふらふらと立ち上がるとピザをわしづかみにして叫んだ。「今日はチートデイだ!」かぶりつく。

 その声をきっかけにみなが一斉にピザの並んだテーブルに押し寄せた。

 押し合いへし合い。

 「おい! お前、押すな」

 「数が足りないぞ!」

 「お前はやめておけ。太りすぎだ」

 「お前がゆうな」

 集会の連帯感と一体感はたちまち消え失せ、体育館はピザを奪い合いほおばる肥満たちの争う阿鼻叫喚の場となった。

 「ふっ」阿須はドミノ倒しピザの宅配員に支払いを済ませながら冷めた目でその光景をながめていた。

 「あんた、正義の味方でしょ。なんでメタボの被害者を助けてあげないの」

 阿須はあたしを見ながら言った。「おれの仕事はお前を訓練して怪物と戦わせ、勝利することだ。ウルトラマンが怪獣の壊した建物を直していくか? 被害者の救済はおれの仕事じゃない」

 阿須は混乱で流れた集会を見渡すと言った。「さて。場所が空いたようだな。トレーニングを始めるか」


     *


 放課後、部室でいつものようにトレーニングの準備をしていると阿須がアクルトに話しかけた。

 「頼んでおいたやつ、調べてくれたか」

 「ばっちりミル」

 「なんのこと」あたしはたずねた。

 「この間の最古先生が気を失う前に言い残した言葉が気になってな、アクルトに調べてもらっていたんだ。インターネットで公開されている情報によれば、企業名だよな」

 「そうミル。アンコネラははなぶさ国に本部のある多国籍企業ミル」アクルトはディスプレイにアンコネラのマークを映し出した。鍋の中でゆでた小豆を混ぜている意匠マークだ。

 「表向きは健康関連の商品を売る企業ミルが、今までいくつか事故を起こしているミル」

 「事故」

 「この企業の製品で健康被害が出た、食べたら太った、と告訴された件数が多いミル。いま日本に支社がないかどうか調査中ミル」

 「ふむ、なるほど」阿須は考え込んだ。「ところで最近噂になっているが……」

 「人気のスイーツのことミルか……」

 阿須とアクルトは突然ひそひそ声になり、顔を寄せあった。

 「なんでも、スイーツを食べたとたんに他の甘いものが食べたくてたまらなくなり、太りだしたとか」

 「それそれ。アンコネラの息がかかっていそうな気配が濃厚ミル」


     *


 おれは教室で調べものをしていた。

 相変わらず遅刻ぎりぎりの喜納がかばんを机に置きながら言う。

 「おはよう。あんたスマホは学校で禁止でしょ」

 「うん、ちょっと気になることがあってな」おれは油断なく教室の前の扉をちらちらと見張りながら、なおもスマホをいじっていた。

 突然周囲を圧する影がおれの周りを囲んだ。喜納がまずい、という表情になる。

 おれが顔を上げた瞬間、でかくて太くて白い指がおれの手からスマホをむしり取った。

 「学校内でのスマーホのしよーが禁止。これが預かっておきまーす」

 ちょっと変な発音だが、日本語をしゃべっているのは明らかに白人。縦横高さとも通常の日本人成年男性よりはるかに厚みのある、いやありていに言って巨漢のデブだった。ズボンのベルトが肉にくいこんで見えない。

 その白人は教壇に登るとおれたちに向かって言った。

 「最古先生が、体調不良でしばらく休みまーすので、わたくしが臨時にこのクラスを担当しまーす。特別指導教員のデーブ・シュワルツェネッガーと申しまーす。「シュワちゃん」と呼んでくださーい」

 早速、クラスでささやきがかわされた。

 その腹で「シュワちゃん」って、本家に失礼だろ。誰も「シュワちゃん」なんて呼ぶやつはいない。あだ名は「デブ」で決まりだ。

 (デブ)

 しかしささやき声にデーブ先生は敏感に反応した。大きな目がきらりと光った気がし、細められる。

 「そこの遠藤君。きみが今「デブ」と言いましたねー。評定平均からマイナス一ポイントしまーす。異論が認めませーん」

 「えー!」遠藤がのけぞる。

 デーブ先生はおほん、と咳払いをしてからクラス全体に向かって言った。

 「わたしがただの非常勤講師のように勘違いしなーいように。わたしがWHTO(世界保健体育機構)から派遣されてきた監督官でーす。この学院がダイエットに関する運営を監視するために来まーした。わたしが不快な思いをしたら、評定平均をさげまーす」

 これでこいつのあだ名は決まった。「パワ腹」だ。

 「この学院の方針に異論をはさむつもりはありませーん。体重や体形が成績に影響するのでみなさーんがダイエットに努力するのはわかりまーす。が、肥満や体形を辱める行為が人種差別と同じです。アメリカなら「デブ」とか「メタボ」という発言だけで告訴され、社会的制裁を受けまーす」

 「みなさんが痩せていなければだめだ、と言われ続けて必死にダイエットしてますが、それがゆがんだ考え方でーす。肥満が悪くありませーん。豊かでお腹いっぱい食べられることのどこがもんだいですかー。ダイエット文化が肥満の人々を虐げる道具となっているのでーす」

 おれが横を見ると喜納が目を輝かせて聞き入っている。喜納は手を上げて質問した。

 「じゃ、じゃあ、ダイエットをしなくてもいいんですか」

 「個人的にダイエットをするのが構いませーん。でもそれを他人に強制したり、肥満の人を馬鹿にしたりしたら差別行為として処罰しまーす」

 喜納はおれを振り返って言った。「じゃあ、これからあんた、あたしのダイエットに口出さないでね」

 おいおい。

 おれは立ち上がった。この監督官どうも怪しい。喜納がおれの指導なしにきちんとダイエットできるわけがない。これじゃ明らかにビューティーケアの妨害だ。

 「ちょっと待ってください。他人に強制したらだめって、それじゃジムのトレーナーやダイエットコンサルタントはみな違法じゃないですか。それおかしくないですか」

 デーブはおれをにらみつけた。「アメリカではあなたのような異論を出す人間はいっぱいいます。コロナウイルスワクチン接種反対でわざと感染パーティーを開くとか、だからアメリカの大統領が強権なんでーすよ。強権っていーですねー」

 「肥満が悪くない、と言ってますけど、肥満は悪いですよ。二種糖尿病や心臓病など、多くの現代病は肥満が原因です。医者があなたは痩せた方がいい、と言ったら差別ですか」

 「アメリカではそーでーす」

 「ここは日本でアメリカじゃない」

 「アメリカで言われていることはじきにグローバルスタンダードになりまーす」

 これじゃ埒があかない。おれはアクルトに呼びかけた。

 「おいアクルト。起きろ。変身を解け」

 ぽん、という音と煙とともにアクルトがペンダントから小動物の姿に戻った。

 「お呼びミルか」

 「あいつ怪しい。お前の能力であいつの本音をさらしてくれ」

 「がってんミル」アクルトは前へ進み出てデーブを見ると未来のAI能力を発動した。

 (なんとか邪魔者ビューティーケアを太らせて変身できないようにさせなくちゃ。アンコネラの世界制覇が遅れてしまいまーす)アクルトがデーブの本音を語りだす。

 デーブはしまった、という顔をした。

 「やっぱりそうだったか! おまえ、メタボリックシンドロームの仲間だな」おれが叫ぶ。「おれたち変身ヒーローのタッグを潰すための陰謀だ。どうも怪しいと思ったぜ」おれは人差し指をデーブに突き付けてポーズをとった。戦うのはおれじゃないけどおれかっこいい。

 「どうミル。ぼくの能力が必要ミル」アクルトはこちらを振り返っておれを見た。能力が発動された。

 (おーとと、せっかくビューティーケアの専属トレーナーとして儲かっているのに、こんなところで職を失うわけにはいかないぜ。なんとしても反ダイエット派は排斥しなくちゃ。金だ、金。金が一番大事)

 おれはしまった、という顔をした。

 クラスのみんながドン引きしておれを見ている。おれは周りを見回し、それから喜納を見た。喜納の目が冷たい。おれは手を頭の後ろに当てて言った。

 「てへっ」

 「そーお。そういうことだったの。サイテー」今日は喜納とおれの立場が逆転した。

 「ま、まあ、気にするな。よくあることだ」

 「なにがよくあることよ!」

 「大人になると、色々と世間と折り合いをつけてやっていかなければならないんだよ。若い人にはわからないなあ」

 「なに言ってんの。同い年だし」

 「ええい、お前ら、そこで夫婦げんかやってんじゃねえでーす」無視されたデーブが切れる。いきなりべらんめえ調? こいつ日本のテレビ見すぎかなんかだな。

 「ふ、ふうふ!? 誰がこいつと夫婦よ。その発言、万死に値するわ」喜納も切れる。

 「ふざけんじゃねえ。殺すぞでーす」

 「切れたもの同士なら、大きく切れた方が勝ちよ。ビー・エム・アイ!」

 喜納の体が光に包まれ、喜納は美少女戦士ビューティーケアに変身した。

 デーブも負けずと叫ぶ。「マーベラス!」廊下からがたごとという音がした。デーブはそのまま廊下に出る。クラスの全員が戦いを見るために窓に殺到した。おれたちの見守る中、走行音をたてながらキャタピラ付きの電動車いすが現れた。

 デーブは車いすに乗り込むと「マーベラス、チェンジ・レオパレス!」と叫んだ。モーターの音を立てて電動車いすが変形し、二足歩行ロボットになる。両腕はガトリング砲になっている。

 「ふふふ。一発五百キロカロリーの高カロリースイーツ弾を一分間に六十発発射するでーす。当たれば、たちまちメタボリックシンドロームでーす。お前もわれわれと同じ肥満になり、日本のバンジー・トブバーとなーるのでーす」

 「一分間六十発? 当たればね」

 「ふはははは、よけられるものかでーす。ビューティーケアよ、太れ! 太ってしまえでーす!」

 ビューティーケアは両手を組み合わせて叫んだ「ダイエタリーファイバー・シールド!」

 光の網が四方八方から現れてデーブの乗った歩行ロボットを包み込んだのとガトリング砲が炸裂したのとは同時だった。ガトリング砲から毎秒一発の弾が飛び出る。

 しかしその弾は光の網にはじかれて、全て網の中でスーパーボールのように跳ね返った。

 ポンポンポンポン

 高カロリースイーツ弾すべてを体で受けたのはデーブ自身だった。

 「うわあああー!」

 高カロリースイーツ弾を受けるたびにデーブの体がどんどん膨張する。

 「これ以上は危険ミル」アクルトが手をかざすと宙にプログレスバーみたいなものが現れた。バーはどんどん右へ伸びて行き、次第に色が黄色からオレンジ、オレンジから赤になっていく。

 八十、八十五、九十、九十五

 「止めろ! 止めてくれでーす!」

 砲弾は出続けている。ガトリング砲を止めればいいのだが、指が太くなりすぎて、引き金を戻すことができないようだ。

 「助けてくれでーす! うわああああ!」

 ついに肥満化しすぎたデーブの体重に耐えきれず、二足歩行ロボットはぐしゃ、とつぶれた。

 太りすぎて自力では立ち上がることもできなくなったデーブは仰向けになったまま叫んでから気絶した。

 「コ―ホック!」

 喜納は変身を解いた。機械音声が流れる。「ビューティーケア。第三階梯に昇格します。新しい技「ケア・ブラッディ・グルコースレベル」を会得しました」


     *


 おれはサングラスをして駅前の港北ザップジムにいた。ちょっとサングラスを下げ、あたりを見回す。

 隣では腹筋ベンチで腹筋を鍛えている喜納が汗を流している。

 「ふう、はあ、ふう、ふう、あと何回? これちょっときついわ」

 「ちょっと黙っててくれないか」おれは喜納を制止した。

 おれが見ていないとすぐにトレーニングをさぼりたがる喜納のトレーニングとおれがやっている調査を兼ねて、今日はこのジムに来たのだ。

 (きれいになるならコーホック。マッチョになるならコーホック)

 港北ザップジムのテーマソングが大音量で流れている。

 あたりには自分のスタイルを見栄え良くすることに熱心な老若男女が支払ったお金に見合った成果を得ようとそれぞれのマシンで汗を流していた。

 (コーホック♪ コーホック♪ やせるならコーホック♪)

 ここは会員制のジムでテレビにもたくさんコマーシャルを流している。今日はおれたちは一回のみお試しで使わせてもらうために入ったのだ。

 会員になるには高額の入会金を支払うところから始めなければならない。

 さっき受付のカウンターでサンプルのプロテインを見たが一キログラム五万円だった。誰が買うんだろう。

 おれはパンフレットを手に、頭の中で収支計算し、喜納をこのジムに入会させる考えをあきらめた。

 世界保健体育機構が派遣したという監督官デーブは戦いの後、再起不能状態となり無期限休職だ。

 デーブが最後に叫んだ言葉は「コ―ホック」だった。ダイエットとはこれはもうまったく、絶対、縁がないデーブが、ダイエット派に人気のこのジムの名前を叫ぶということがあるだろうか。しかし他に思い当たる名前はない。そこでおれたちは調査のために一日体験プランで潜入したのだった。喜納は有望なスポーツ奨学生、おれはそのトレーナーというあながち嘘ではない身分で入っている。

 おれはベンチの上で着慣れない黒いスーツに包んだ体をのばし、サングラスの位置を直した。

 「はあ、はあ、どうでも、いいけど、あんた、その恰好、ちょっと、なんとか、ならない?」腹筋しながら喜納がしゃべる。

 「トレーナーだからな」

 「どう、見ても、堅気の、職業には、見えない、わよ」

 「目立つか」

 「当たり前、でしょ」

 「ふん。まあいい」おれはサングラスを押し上げた。周りにいる人々は不審な視線をおれに向けている。

 おれは立ち上がると、物珍し気に部屋の各機械を見て回った。動いているランニングマシンのボタンを押してみたりすると、警告のビープ音がなり、ランニングマシンが止まった。ジム付きのトレーナーがとんでくる。

 「ちょっと、あなた。動いている機械に触らないでください」

 「あ、すみません。体験プランなんで」

 「体験プランに機械の操作は入っていません」

 おれはそれから奥の配電盤を開け、中にあるブレーカースイッチを眺めた。おれがブレーカーに手を触れようとするとトレーナーがとんできた。

 「ちょっとちょっと。スイッチを切ると機械が止まってしまいます。なんでそんなところ開けるんですか。ああもう! 席に戻っておとなしくしてください」

 「あ、すみません」おれは全然すまなさそうに言った。

 さすがに見かねて喜納が来た。

 「あんた、何やってんのよ。小学生じゃあるまいし」

 おれは喜納の言葉を相手にせず、言った。「もういいのか。じゃあ時間だし、そろそろ帰るか」

 不満たらたらの喜納だったが、シャワーを浴びて着替えるときに気づいたようだ。

 「あ、アクルトが、いえ、ペンダントがない」きょろきょろと床を見回している。

 「ペンダントを落としたようなんですけど」トレーナーも行儀のよかった喜納の頼みにはきちんと応対してくれる。おれたちで探し回って、ジムの事務所の入口付近で落としたペンダントを見つけた。

 「ああ、良かった」喜納はペンダントを握りしめて安堵した。

 「入会ご希望でしたら、ぜひともまたお越しください」トレーナーは喜納には笑顔で、おれは無視しておれたちを送り出した。

 外に出てからおれは言った。「さてと」ぽん、と煙が立ち、変身を解いたアクルトが現れる。

 「本当に人使い、いやAI使いが荒いミル。けっこう大変だったミル」

 「ま、あそこは監視カメラがあるからな。おれがこそこそと事務所に入って行けば一発でばれる」

 「え、どういうこと」喜納が目を丸くする。

 「おれがこんな怪しい恰好をしたのは、ごく基本的な陽動作戦だ。おれがわざと騒ぎを起こして注意を引き、その間にアクルトが事務所に潜入する」

 「ええっ! なんであたしだけ知らなかったのよ」

 「お前、正直すぎるから、スパイしてるとか知ってたら顔に出るだろ」

 「そ、それは」喜納は口ごもった。

 「それで結果はどうだった」おれはアクルトに尋ねた。

 「情報はゲットしたミル。いま分析するミル」アクルトの目がバーコードになり、計算モードになった。そこはAIだ。

 数秒で分析を終えたアクルトはつぶらな小動物の目に戻り言った。

 「当たりミル。港北ジムの資本はアンコネラだったミル」

 「なるほど。点と点がつながってきたな」

 「どうやら資本が同じ会社がこの近くにもう一つあるミル。今日はそこにも行ってミルか」

 「いいだろう」

 「ちょっとちょっと、なんのことよ。どうして二人だけわかってあたしがわからないのよ」

 おれはやれやれ、という顔をしてから言った。「アンコネラやコ―ホックがメタボリックシンドロームや陰謀に関係しているなら、金の流れを調べれば色々なことがわかる。アクルトに頼んだのはその情報を事務所のパソコンからコピーしてくることだ。それで……」

 おれはアクルトを振り返った。「それはどこだ」

 「出版社ミル」


     *


 学生服に着替えたおれはまだふくれている喜納を引き連れ、アクルトに教えてもらった住所にたどり着いた。

 「港北町宇曽三丁目一の一、ここだな」

 見上げるとのっぽの雑居ビルの壁を伝うように看板が並んでいる。丁度三階の窓ガラスに「港・北・出・版」と切り抜いた字が張り付けてある。おれたちはそのまま雑居ビルに入った。

 三階でエレベーターの扉が開くと、とたんにキーボードをタイプする音、ファックスの受信音、電話の話声が混ざりあって聞こえた。

 港北出版の事務所は十畳くらいの広さで、所狭しとデスクやキャビネットが置いてあり、モニターが林となって立ち並び、壁にあるホワイトボードは書き込みや付箋でいっぱいだ。しかし部屋の中に見当たるのは一人だけだった。

 おれは一礼して中に入った。タバコ臭い。やせて無精ひげの男がおれたちを認めると手を振ってとどめ、しばらく電話を続けた。

 おれは男のデスクを眺めた。男の正面にはモニターが2台並んでいて、右側のモニターには女性誌『港北ピーチ』の「夏休みに絶対やせる! 女子の決意」という特集の原稿、左側のモニターにはタウン誌『港北ダウンタウン』の「今年絶対に食べるべきおすすめ地元スイーツ十選!」の原稿が映っている。

 こいつらカスだな

 おれは内心を押し隠したまま、男の電話が終わるのを待って笑顔を浮かべて言った。「あのう。さきほど電話した養栄学院新聞部の者です」

 「え、あんた新聞部だっ……」喜納の間抜けな質問を背後にまわったアクルトがマフラーで口を締めることで封じた。マフラーを締めてくれてありがとう。どうやら男は忙しく気づかなかったようだ。

 「あー、高校生ね。忙しいから十分じゅっぷんだけ時間を割けるけどいい? あ、じゃあそこに座って」

 アクルトが即席で作成した新聞部の偽名刺をおれが渡すと、男は自動的に社交儀礼を満たそうとした。

 男は服のポケットを探し回り、机の引き出しを開け閉めし、最後に机の上をかき分けて名刺入れを見つけた。

 「はい。ぼくは真智本府まちほんぷ

 「阿須飛鳥馬です。うわあ、編集長さんなんですね」おれは大げさに驚いて、血色の悪い貧相な男を眺めた。「ぼく出版にあこがれてるんです。すごいなあ。複数の雑誌をかけもちで作るなんて」

 「そーだろ、そーだろ。うん、大変なんだぜ。これがあと一週間たったら、締め切りが迫るからな、ここは戦場みたいになる」

 「お一人なんですか」

 「いや、今は編集部員はみんな取材に出払ってる。ところで用事は?」

 「地元の活動を記事にするんですが、とても活動的な会社ということで紹介してくれた人がいたんです」

 「ほう、活動的ね」

 「はい。「地域の活力をけん引する企業トップテン」みたいな」

 「そうかい、そうかい」

 真智は機嫌をよくし、自慢話をたくさん並びたてた。おれは的確にあいづちを打ったり、大げさに驚いて見せたりしているうちに真智は話し続け、気が付いたら一時間ほどたっていた。

 「やばっ。こんな時間か」時計を見た真智が立ち上がる。

 「あ、すいません。じゃあ僕たちはこれで失礼します」

 「あ、そう。ごめんね。お茶も出さずに」笑顔の真智を後におれたちは出版社を後にした。

 「で、どうだった」おれはアクルトに聞く。

 「うーうー」竹の猿ぐつわを付けられた喜納がうなる。

 「首尾は上々ミル。事務所のパソコンからデータを抜いたミル」

 アクルトは分析を開始した。

 「やはりミル。思った通りだったミル」

 「なんだ」

 アクルトは暗い目をして言った。

 「港北出版も、資本はアンコネラだったミル」


     *


 「つまり、港北ザップジムも港北出版もその他の多くの店や会社の後ろでアンコネラが糸を引いていると」

 「うーうーうー」あたしは阿須たちの横で竹をくわえさせられたまま腕立て伏せをしていた。おまえのせいでおれたちの正体がばれるところだったぜ、と言われ、罰として一週間この恰好でトレーニングをさせられることになった。阿須は周囲の人間にはビューティーケアに鬼の特殊能力を身に着けさせるための訓練、と説明してある。それでみな納得したんだから頭悪くない?。

 二人はあたしの横で作戦会議していた。

 「これからどうすればいいかな」

 「元を断つミル」アクルトは確信に満ちた表情で言った。

 「元を断つって、おまえ、相手は外国にいるんだろ。おれ高校生だし、英語しゃべれないし、何ができるんだよ」

 「少なくとも日本国内でのアンコネラの陰謀を阻止することが当面の目的ミル。これを見るミル」アクルトは食品添加物一覧を表示した。

 「なんだこれ」

 「これはアンコネラ資本の工場で作っているスイーツの原材料一覧ミル。ここを見るミル」

 アクルトは一覧を指さした。

 「この添加物「イツカナロウチン」は実は禁止されている合成甘味料ミル。この合成甘味料は副作用として叶いっこないくせにいつか叶うだろうと夢を追い続けて努力もせず、歳をとってしまう副作用があるミル。さらにこの添加物を混ぜることでダイエット効果が無効になってしまうミル。あと甘いものがもっと欲しくなるミル。麻薬と同じミル」

 「なんか誰かに対して言われているみたいだな」

 「これが駅前のスイーツショップ「スイートラップ」や学校前のケーキ屋「ハニーポット」のケーキでも使われているミル」

 アクルトは有名な洋菓子店の名を出した。

 「あの、「シュガーフリー。あたしはこの砂糖の海から自由になる」っていう宣伝のやつか」

 「港北港にアンコネラの工場があるミル。そこに乗り込んで合成甘味料の証拠をつかむミル」


     *


 おれたちは計画通り町はずれのスイーツ工場に潜入していた。

 おれは真っ黒のスーツにサングラス、喜納はジャージを着ている。もうこの恰好が定番になってきた。

 工場内は強烈に甘い香りが漂っており、酔いそうだ。人に見つかることを心配していたが、工場は全自動らしく、人影は見当たらない。アクルトは監視カメラ一つ一つになにかの装置を仕掛けていた。

 「それなんだ?」

 「監視カメラをだます機械ミル。同じ映像をとって画像処理し、人影だけを消すミル」

 「で、帰るときにもう一度回収するのか」

 「地球環境にやさしい材料で作ってあるので、明日にはとれて落ちるミル。自然に空気分解されるミル」

 やっぱ未来のテクノロジーだな。

 「さて、準備完了ミル。これで堂々と調査できるミル」

 おれたちが隠れ場所から出て、調査を始めようとしたとき、笑い声が聞こえた。

 ほほほほほ

 「だ、だれだ!」おれたちは正義のヒーローが登場したときにうろたえる悪の一味のように辺りを見回した。

 「飛んで火にいる夏の虫。アンコネラの計画を邪魔するものはこのわたくしが許さないですわ」

 口上を述べて現れたのは、古田サケルタだった。

 「お、おまえ、どうしておれたちがここにくることを知っていたんだ」さすがにおれは叫んだ。その直後、はっと気づいておれは横を見た。喜納の顔が赤くなっている。おれから目をそらしている。

 「おまえー」おれは喜納に詰め寄った。「おれたちの行動計画を他人に漏らすな、と言っただろ」

 「違うのよ! あたしは週末にデートもショッピングもなしに哀れねえ、とか言われたからちょっとかっとなって、違うもん。ちゃんと外出の予定はあるもん。あんたなんかに言われたくないわよってここにくることを教えちゃった」喜納は悪びれた風もなかった。

 身内にいる最大の敵。

 「おまえなー、いいかげんにしろ!」おれが激怒モードに入ろうとしたとき、古田が言った。

 「あなたたち、よくぞここまで来ましたですわね。それに免じていいことを教えてさしあげます」

 「なに」おれたちは冷静になり、一段高いところにいる古田を見上げた。

 「アンコネラの計画。それは「人類肥満計画」ですわ」

 「なん……だ……と」

 「人類が全員肥満になれば、国の機能は事実上亡びる。適正体重のエリートが世界を支配するのがたやすくなりますわ」

 「世界はわたくしたちアンコネラのものになるのですわ。ほほほほほほ!」

 「そうはいくか。その野望を打ち砕くためにおれたちは来たんだ」おれは人差し指を突き付けて決めのポーズを作った。

 「あなたたちに何ができるかしら」古田はうそぶく。

 「できるとも。さあ、美少女戦士ビューティーケア、行け!」


     *


 「なにぃ? かっこいいこと言っといて結局あたしに戦わせるわけ?」あたしは口をとがらせたが前に進み出た。あたしが戦わなきゃどうしようもない。

 「ビー・エム・アイ!」あたしは変身した。「愛の戦士、ビューティーケア参上」

 「ほほほほほ。変身できるのはあなただけだと思ったら大間違いよ」

 「な、に」阿須が驚く。

 古田の後ろから小動物が現れた。

 「ア、アクルト!」阿須がもっと驚く。

 「ぼくはここにいるミル」足元から声がした。見るとちゃんとアクルトはあたしたちと一緒にいる。それじゃあれは。

 その動物はよく見ると小動物というよりは信楽焼のタヌキくらいの大きさだ。

 「アクルト。久しぶりだなポコ」古田と一緒にいる小動物が言った。「オビエ・シティ以来ポコ。お前もまだ過去を変えようとあがいているのかポコ」

 「ポンポコ」アクルトは遠い目をした。「お前だったミルか」

 「過去を変えてしまったのはお前たちミル。ぼくはそれを修復に来たミル」

 「ちょ、ちょっと待て。それじゃそもそもこの時代にメタボリックシンドロームが出現したのって、お前と同じ未来から来たAIの伝えたテクノロジーだったわけか。じゃあおれたち代理戦争させられていたのか」

 「なに? だいりなんとかって」あたしの質問を当然のように阿須は無視した。

 「ぼくたちはなにもしてないポコ。メタボリックシンドロームはいわば時代の要請ポコ」

 「時代の要請ではないミル。人間の弱さにつけこんで操作したミル。そのやり方は間違っているミル」

 「間違っていたかどうかは歴史が決めるポコ」

 「肥満にさせられた人々の苦しみの声がぼくを突き動かしているミル」

 古田が言う。「ここで決着をつけませんこと。メタボリックシンドロームが是か非か」

 「のぞむところミル」

 古田は叫んだ。「ビー・エム・アイ」光が彼女を包み、喜納と同じようだが黒が基調のもっと露出ぎみのコスチュームに身を包んだ姿に変身した。

 「闇の戦士、ダイア・ベティ、見参!」

 「え、え、ねえ、あいつも変身したわよ。メタボリックシンドロームじゃないけど戦っていいの」あたしは言う。

 「戦うミル。あいつらがメタボリックシンドロームを引き起こした元凶ミル」

 「それじゃ仕方ないわね」あたしはビューティーケアに変身すると、ジャンプして古田ことダイア・ベティと同じ高さに立った。


     *


 両者の戦いは強化スーツによるすごい速さで行われた。

 「ベティ・カーボンクラッシュ!」ダイア・ベティの打撃をビューティーケアが横に飛んでかわす。光の打撃を受けた工場の壁は大きく震えてひびが入った。

 「ケア・カーボンクラッシュ!」ビューティーケアの打撃をダイア・ベティが両手で受けると、光の打撃は跳ね返ってビューティーケアの胸に当たった。ビューティーケアは後ろに吹っ飛んでドラム缶の山に突っ込んだ。ビューティーケアはなんとか立ち上がり、ふらつく足を踏みしめてから構えた。

 アクルトはおれたちの目の前に宙に浮くディスプレイを展開し、そこには戦う両者の情報が現れた。右側がビューティーケア、左側がダイア・ベティだ。ビューティーケアのHPが削られている。

 「第四階梯ミル」アクルトがダイア・ベティの情報パネルを指さす。左上の方に「4」という数字が表示されている。対してビューティーケアの方は「3」だ。

 「これは強敵ミル。ビューティーケア頑張るミル」

 「ほほほ、第三階梯のあんたが第四階梯のわたくしに敵うと思う?」ダイア・ベティはビューティーケアの打撃をかわすと、強烈なカウンターをみまった。ビューティーケアは再び背後にふっとんでドラム缶を飛ばした。立ち上がったビューティーケアの鼻から血が一筋流れる。アクルトの展開する情報パネルの中央にある「G」という文字が「R15」に変わった。

 「これなんだ」

 「もはやお子様に見せるには不適当ミル」

 「いや、お前がミルグラムの服従実験とか言っている段階でもうお子様NGだろ」

 おれたちの会話にツッコミを入れる余裕すらなく、ビューティーケアは技を放った。

 「ケア・ファットスクロール!」

 竜巻が起こったが、ダイア・ベティが取り出したうちわを振ると、強風が巻き起こり、竜巻はビューティーケアへ戻ってきた。ビューティーケアは竜巻に巻き込まれていったん頭上へ上がり、それから落ちてきて床に叩きつけられた。情報パネルのビューティーケア側が真っ赤になり、「大破!」の文字が大きく出た。

 「まずいミル」

 「ああ、かなりまずそうだ」

 「「R15」が今ので「R18」になったミル」

 「そこかよっ!」

 続いてダイア・ベティは攻撃に転じた。

 「ベティ・カーボンクラッシュ!」

 「ベティ・ファットスクロール!」

 そしてとどめに「ベティ・ブラッディ・グルコースレベル!」

 次々と来る攻撃をビューティーケアは受け流そうとしたが、全てを返すことはできずまともにくらい、吹っ飛ばされてそのまま動かなくなった。

 ビューティーケアは立ち上がることができない。ダイア・ベティは下に降りてくるとゆっくりとビューティーケアに歩み寄った。

 「ほほほ、格の違い、というものね。ビューティーケア。これで終わりよ。覚悟しなさい。誰も、実の親ですら本人だとわからなくなるくらい、肥満にしてあげる」

 ダイア・ベティが両手を必殺技のために組み合わせたとき……異変が起きた。

 「うっうっううっ……」ダイア・ベティがもがき苦しんでいる。胸を両手でかきむしり、顔色は真っ青だ。

 「必殺技を使いすぎたポコ。制限時間より早く限界がきたポコ」AI小動物ポンポコがダイア・ベティのかたわらに立って、足に何かを注射した。崩れ落ちるダイア・ベティの体を受け止めるとポンポコは前に手をかざした。「どこでもドア」のようなものが空間に現れ、ダイア・ベティを担いだポンポコはそこを通り抜けた。直後にドアは閉まり、ドアそのものも消失した。

 「逃げられたミル」

 「なんとか助かったな」おれは倒れている喜納に近づいた。ビューティーケアのスーツがボロボロに破れている。おれは自分の上着を脱ぐと喜納にかけてやった。

 「「R15」に戻ったミル」

 「だからそれ大事なことかぁ?!」


     *


 アクルトが工場のシステムに侵入しデータを取り出してから、あたしたちは自分たちの部室へ戻った。あたしの服がぼろぼろなのでこのまま自宅へ帰ると説明が面倒なことになりそうだったので、とりあえず部室にいる間、阿須が替えのジャージを買ってきてくれた。阿須とアクルトの二人を追い出し、あたしが部室で着替えていると廊下で話をする二人の声が聞こえた。

 (アンコネラの組織図が手に入ったミル。どうやらこの件の黒幕は意外に近くにいたミル)

 (誰だ)

 (養栄学院学院長、大和猛ミル)

 (……)

 アクルトの言葉に阿須がなんと答えたのか聞き取れなかった。

 あたしは着替えてから呼びかけた。

 「ねえ。入っていいわよ」

 二人は無言で入ってきた。

 「ねえ。今聞こえたんだけど、敵のボスって学院長なの?」

 「そうだな」阿須は目をそらしたまま言った。

 「で、戦うの?」

 「学院長のもとへ行けば、また古田が出てくる可能性があるミル。このままの状態ではきみはあいつに勝てないミル」

 「どうして?」

 「あいつは第四階梯だが、きみは第三階梯ミル。力の差は歴然ミル。階梯を上げなければいけないミル」

 「レベル上げって、そのあたりをうろついて、不良かおやじかその両方を狩ればあがっていくのか」

 「ゲームじゃないミル」

 「そういえば敵を倒すたびに階梯が上がったよな。じゃあ新たなメタボリックシンドロームが出てくるのを待たなきゃだめか」

 「聞くミル」アクルトはいずまいをただした。「ビューティーケアが変身するには体の栄養バランスがとれていなければいけないミル。例えば変身するための必須要件はBMI値20以下ミル。しかし階梯を上げるには栄養バランスに気を配らなければいけないミル」

 「具体的には?」

 「食物の五大栄養素は知っているミルか」

 「炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルだな」管理栄養士国家試験勉強をしている阿須はすらすらと答えた。

 「そのとおりミル。この五大栄養素がビューティーケアの階梯にも影響するミル。つまり、栄養をバランスよくとっていなければ、現在の第三階梯より上に上がることは難しいミル」

 「つまり」阿須は考え込んだ。

 「簡単なことミル。好き嫌いせず、野菜でもなんでも食べるミル」

 「変だなあ。喜納は養栄学院の給食を食べているはず。あれは栄養バランス的に完璧な構成なんだが……」阿須はあたしを横目で見た。「お前、なんかずるしてるな」

 「ななな、なによ。そそそ、そんなこと、あああ、あるわけないじゃない」あたしは努めて平静を装って答えた。

 アクルトは目がプロジェクターのようになると、壁に動画を映写した。普段のアクルトはあたしのネックレスに変形しているからその位置からの動画だ。給食の光景が映し出された。あたしがせっせとチャーハンの中にあるピーマンを取り出して袋に捨てている光景が映し出されている。

 「お前なー」阿須はこめかみをもみながら言った。「いまどきピーマン残すって……小学生か!」

 「そんな! ずっとあたしを監視していたなんて、ずるいわ!」

 「話題をすり替えるな! おまえちゃんと野菜も食べろ、っておれはお前の母親か!?」

 「にんじんなら許せる。まだ我慢できるわ。でもピーマンは別。あれは人間の食べるものじゃないわ」

 「サプリで補給とかじゃ駄目なのか」阿須はアクルトへ向いて聞いた。

 「だめミル。ビューティーケアの変身は健康的な栄養バランスが必須ミル。薬に頼ると古田みたいにドーピングの副作用が出るミル」

 「じゃあ、あしたから食事もおれが管理だな」阿須はため息をついた。


     *


 一日の終わりを告げる鐘が鳴り、放課後が始まった。

 あたりは椅子を引く音、かばんに教科書を入れる者、おしゃべり、部活へ行く準備などの喧騒に包まれた。

 「ねえ、今日時間ある?」最近友達になったよしこさんが話しかけてきた。

 「なあに。あるわよ」あたしが毎日放課後はトレーニングなのはみんな知っている。でも今日は中休み。

 「駅前に新しいスイーツのお店ができたんだけど、みんなで行かない?」

 「いーな。でも」あたしはちら、と阿須の方を見た。阿須はなんだか心ここにあらず、といった感じで宙をながめている。でもよしこさんは察してあわてて言った。「あ、いいのよ。今日子さんはカロリー制限あるしね」

 じゃあねーという感じで小さく手を振ると、よしこさんは他の女子生徒とともに行ってしまった。

 あたしはしばらくその後ろ姿を見送っていたが、突然猛烈な寂しさに襲われて立ち上がった。


 校門を出ようとしているよしこさんたちの背後からあたしは声をかけた。「よしこさーん」一行は振り向く。

 「あたし、やっぱり、行く」

 「え、いいの」よしこさんはうれしそうに笑った。

 「いいのよ。今日はオフだし、たまには息抜きも必要だから」

 「じゃあ、レッツゴー!」あたしたちは笑いさざめきながら出発した。


      *


 「どういうことだ」阿須は秘密警察の尋問官のような冷たい視線であたしを見た。

 「お腹まわりが三ミリ増加したミル」アクルトは勝手にあたしの体を計測した。

 「なによ。オフの日だったからちょっとスイーツ食べただけじゃない。それがどうしてだめなの」

 「過ちは繰り返さないことが肝心だ」

 「あやまちってなによ! あやまちって。友達と一緒にスイーツ食べるのがそんなに悪いことなの! ふつうのことじゃない」

 「お前はオリンピックの代表選手と同じだ。普通の生活はできない。美少女戦士になったときにその覚悟はしたはずだ」

 「覚悟なんかしてない、してないわ。あたしはただ可愛い服着て悪者をやっつける仕事って聞いたから……」

 「とにかく契約はしたんだ。ちゃんとやるべきことをやれ」

 「やるべきことならあんただってこの頃やってないじゃない。毎日の消化メニューも今週だしていないし、カロリー計算はどうしたの」

 「う」阿須は言葉につまると目をそらした。

 「あんたなんかいなくっても、あたしは自分で体重管理してみせる」


     *


 あたしはヤマタの体脂肪計に乗った。デジタル表示は19.98を示した。

 「おっかしーわね。確かに野菜ばかり食べたのに」

 「昨日はなにを食べたミル」アクルトが体脂肪計をわきからのぞき込む。

 「野菜だけよ。かぼちゃのてんぷらとポテトフライ。ごはんとパンはちゃんとがまんしたわ」

 「それは駄目ミル」

 「ええー! 野菜なのに駄目なのー」

 「ジャガイモはでんぷんのかたまりミル。肥満必須メニューミル」

 「そんなあ」

 「ここ一週間毎日増え続けているミル。もう後がないミル。これ以上増えたら変身できなくなるミル。やっぱり飛鳥馬くんに頼むミル」


     *


 おれは腕組みをしたまま喜納が給食を食べるのを監視していた。喜納は叱られた小学生のように居心地悪そうに食べている。中華あんかけの皿からにんじんと玉ねぎとピーマンをよけて食べていた。おれはあごを上げ、三白眼でにらみつけた。

 「そんなんじゃだめだ。階梯を上げることができないぞ」

 「……」無言。

 「このまま古田と戦ったら、負けてメタボにされるな。美少女戦士廃業だ。終わったな」

 「うるさい」

 「え」阿須はちょっと引いた。

 「うるさい、うるさい、うるさい」

 あたしは立ち上がって教室を出た。そのまま「おい」という阿須の声を振り切って外へ走り出た。


 気が付いたら公園にいた。いつの間にか手には「ハニートラップ」のエクレアがある。この頃このスイーツにはまって、毎日食べていたのだった。

 いらいらする。ダイエットのし過ぎだわ。甘いものが食べたくなる。

 「おい」聞きなれた声で振り返った。今一番会いたくないやつが立っていた。なに? 後を追ってきたの?

 「最後通告だ。それを食ったらもう変身できなくなるぞ」阿須は静かに言った。

 「ほっといてよ」

 「お前は戦士なんだ」

 「普通の女の子にもどりたいの」

 「契約したぞ」

 「契約は解除すればいいわ」

 「本気か」

 「本気よ」

 「おれは忠告したぞ」阿須はそういってから歩き去った。

 ふん。あたしは鼻を鳴らした。あんただって、金のためにトレーナーをやってただけじゃない。あたしが済まなく思う必要なんかない。

 阿須が去った後もあたしはエクレアを眺めていた。これを食べれば普通の女の子にもどる。メタボリックシンドロームと戦ったりめんどくさいダイエットをしなくても友達と同じように生活できる。

 でも、あたしがメタボリックシンドロームを食い止めなければ、だれがやるの。

 あたしは少し悩んだが、それはあたしの責任ではない。あたしは頭を振って難しいことを考えるのをやめにした。

 アクルトのペンダントをはずして公園にベンチに置き、エクレアをほおばろうとしたそのとき。

 「あー、すんまへんけど」間延びした声が聞こえた。振り返ると痩せた老人が立っている。髪は真っ白だ。あたしを見てにこにことしている。「さっきの少年。あれ飛鳥馬くんやろ。阿須飛鳥馬くん。あんたかれの友達なん?」

 「と、ともだちじゃありません。同級生ですけど……」あたしは歯切れ悪く答えた。

 「そうなんか。でももしまた会うたら、病室が一緒やった田中がよろしゅう、と伝えてくれへんか」

 「病室が一緒? ですか」

 「そうや。飛鳥馬くんは腸の病気でなあ、病名はなんやえらいむつかしゅうて忘れたが、なんでも腸が栄養を吸収できなくなる病気で死にかけたんや」

 死にかけた。

 「そうや。何食べても体が栄養を吸収できへんからどんどん痩せてな、入院したときなんかがりがりでまるで骸骨みたいやったわ。尻の肉がないから座るのも痛い、ゆうてな。寝たきりで点滴うってどうにかもたせたんや」

 「わしと丁度ベッドがとなり合わせやったんや。わしは飲みすぎで肝臓やられて二年くらいおったけど、飛鳥馬君はかれこれ一年くらいおったかなあ。珍しい病気やからお金もえろうかかって、両親は家売ってなんとか治療費はろうたらしいわ。本人は親の財産食いつぶしてえらい気にしとったわ。病気が治ったら自分が稼いで親に心配かけんよう養ったる、いうてな。今どき珍しい孝行息子やなあ」

 そうなんだ。知らなかった。

 金に意地汚いのも、新入生なのに古着の学生服を着ているのもそんな理由があったんだ。それなのにあいつ、そんなそぶりも見せないし、泣き言だって言ったこともない。

 「ほんじゃま、よろしくたのんます」田中老人は深くお辞儀をすると去って行った。

 老人が去ったあと、あたしはしばらく手にしたエクレアを見つめていたが、ぽん、とそれを投げ出すとアクルトのペンダントを拾って再び首にかけた。

 そうして立ち上がった。


     *


 あたしは歩き出した。とにかくこのメタボリックシンドロームを終わらせる必要があった。みなが太ったりやせたり、そんなことで苦しんだり喜んだりしている。でもあたしがそれに対してなにかできるのなら、やらない理由はなかった。

 ぽん、とアクルトが現れ、あたしの胸にぶらさがったまま言った。

 「行くのかミル」

 「ええ」

 「わかったミル」アクルトはそのままあたしの肩に登り、前を見据えた。

 途中の交差点で横から阿須が歩いてきた。横断歩道の前で曲がり、あたしと並んで同じ方向へ歩き出した。互いになにも言わなかった。言わなくてもなにを目的としているかわかった。

 正面に養栄学院の正門が見えてきたとき、正門前に人影が一つ立っていた。

 ダイア・ベティ

 「ついに来ましたわね。まあ工場から盗み出した情報を見れば、いずれここにたどり着くことはわかっていましたわ」

 「そこをどけ。お前には用はない」阿須が言い放つ。

 「そうはいきませんわ。後少しでデブデイが始まりますわ。そうなればもはやメタボリックシンドロームを止めることはできません。理事長に会いたければわたくしを倒してからお行きなさい」

 「見たところ、ポンポコがいないミル。お前は見捨てられたミルか」

 「うるさい!」ダイア・ベティは怒鳴った。「お前たちを倒せば、わたくしに最上級の整形治療を施してくれる約束をしたのよ」

 「治療か。人体改造も度が過ぎて、なんだか体形がおかしいぞ、お前。けっこうステロイドとかシリコン注入とかやりすぎて体に無理が来てるんじゃないか」阿須の指摘にダイア・ベティは顔をゆがめた。

 「うるさい、うるさい! とにかくお前たちを倒せば万事うまくいくのよ」

 「古田。お前の整形ダイエットは破綻している。おれたちの邪魔をしてもお前に成功はないぞ」阿須の言葉ひとつひとつが古田の胸に突き刺さっているようだった。

 「わたくしには後がない。ここでお前たちを倒さなければ」

 「じゃあ、どうしても戦うというのね」あたしは前に進み出た。

 「そうですわ」

 「ワカッタ。イクヨ」あたしは言った。

 「キナ」ダイア・ベティも言った。


     *


 ビューティーケアに変身した喜納とダイア・ベティとの戦いは再び高速で行われた。おれとアクルトはとばっちりを受けないように校門の影に隠れて見守っている。

 「ケア・カーボンクラッシュ!」ビューティーケアの攻撃をダイア・ベティは両手で受け、跳ね返した。自分の攻撃をくらってビューティーケアは後ろに転がった。

 「小破」

 いつのまにかアクルトが出したディスプレイに文字が表示される。

 「ケア・ファットスクロール」ビューティーケアの攻撃。

 ダイア・ベティがうちわを出して振ると竜巻はビューティーケアの方へ戻り、ビューティーケアは竜巻に巻き込まれた。

 しかし吹き飛ばされずに踏みとどまっている。

 いらいらした様子のダイア・ベティがさらにうちわを振ると竜巻はどんどん激しさを増した。

 竜巻の中で踏ん張るビューティーケアの服がだんだん破れてゆく。

 「中破!」ディスプレイの表示が黄色になった。

 ダイア・ベティはさらに竜巻を強めて行く。

 ビューティーケアの破れた服のすきまから赤い線が見え始めた。血だ!

 全身から血を流しながらビューティーケアは攻撃に耐えている。しかしこのままでは防戦一方。

 突然ビューティーケアが両腕を伸ばすと四方八方に血が飛び散り、竜巻が雲散霧消した。

 何が起こったのかしばらくは気づかなかった。

 ダイア・ベティは驚きに目を見張っている。「なぜ、なぜこの攻撃を受けて立っていられるの?」

 「ビューティーケア。第四階梯に昇格します。ビー・エム・アイスーツを修復します」

 機械音声が聞こえてようやくおれたちはなにが起きたのか分かった。ディスプレイに表示されている両者の数値は「4」。ビューティーケアが第四階梯になりダイア・ベティと同じレベルになったのだ。

 おれは思わずビューティーケアに声をかけた。「もしかして、お前」

 ビューティーケアは振り向いてうん、とうなずいた。「ピーマン、食べたの」

 喜納は、五大栄養素を取り入れていたのだった。

 修復したビューティーケアのスーツはダイア・ベティと同じ黒を基調としたものだった。

 「ケア・カーボンクラッシュ!!」ビューティーケアの攻撃をつい以前と同じように両手で受けたダイア・ベティは後ろに吹っ飛ばされ、学院の壁に激突した。

 「ケア・ファットスクロール!!」再び起こった竜巻をダイア・ベティはうちわで返そうとしたが、竜巻は進路を変えることなくダイア・ベティの持っているうちわを吹き飛ばし、ダイア・ベティ自身も吹き飛ばした。

 「中破!」ディスプレイにダイア・ベティのステータスが表示される。

 「そんな、にわか仕込みの第四階梯にわたくしの技が通用しないなんて」

 立ち上がりながらもふらつくダイア・ベティにビューティーケアは言い放った。

 「きちんと食事して運動してダイエットしていたあたしと整形に頼っていたあんたじゃ基礎体力が違うのよ! ケア・ブラッディ・グルコースレベル!」

 天から血の雨が降り、その一粒一粒が当たるたびにダイア・ベティのHPが削られてゆく。ダイア・ベティはぐるぐると回り血の雨を避けようとしていたが突然力尽き、立ち止まった。

 ビューティーケアの必殺技を受け、ダイア・ベティは「タイガー・リリィ!」と叫んで失神した。

 倒れたダイア・ベティは古田サケルタの姿に戻った。しかしなにか様子がおかしい。へたくそな漫画みたいな形になっている。

 よく見ると、あれほど栄耀栄華を誇った古田の抜群のプロポーションが崩れ、あちこち歪みが生じていた。胸も肩も足も、あちこちむくんでいる。

 アクルトが重々しく言った。「今まで整形して保っていたプロポーションが、戦いの反動でいっきに崩れたミル。もはや修復不可能ミル」

 「無理な整形手術のツケか」

 おれたちは再起不能になった古田を残し、先に進んだ。


     *


 あたしたちは養栄学院の最奥にある学院長室へ入っていった。ロココ様式の部屋には重厚な柱や天井画があり、重そうなマホガニー材の家具が並べられ、床にはじゅうたんが敷き詰められている。

 壁には大きなデジタルサイネージがあり、「Dデイまであと 00:12:34」と表示されており、時間がカウントダウンされていた。

 あたしたちが入って扉を閉めるとデスクの後ろで立って窓の外を見ていた人物がゆっくりと振り向いた。

 理事長大和猛。

 「とうとう来たか」理事長は笑顔で言った。「よくぞここまで来たな」

 「理事長」阿須は一歩前へ進み出て理事長をまっすぐに見た。「質問があります」

 「なんだね」

 「どうしてあなたはこんなことをしたのですか」

 理事長は黙ったままだった。

 「養栄学院の理念は「健全な肉体に健全な精神が宿る」でしょう。自分の学院でメタボリックシンドロームを起こしたらせっかく育てた生徒たちの体形が変わり、先生たちの努力が水の泡じゃないですか。そんなことをなぜ学院長のあなたがやったのですか」

 「ビジネスのためだ」理事長は言った。

 「ビジネス」阿須が繰り返す。

 「大戦以来、世界は理念などではなくビジネスで動いている。人類の幸福のためとか正義のためとかの理念は後付け、お題目、単なる理屈づけだ。本音は金が儲かることが一番大事だ。世間一般でどう信じられているかはともかく、世界上位の金持ちたちはみな同じことを考えている。しかし金持ちたちは悪くない」

 理事長はデスクをゆっくりと回ってきた。

 「なぜなら世界中の人々もそれに乗っかっているからだ。人々の犠牲の下でネットで注文したものが翌日届けられるのをみなが当たり前と思っている。贅沢でおいしい食べ物を次々に味わいたく、しかしスタイルが悪くなるのはいや、なんとわがままなんだろうね、人間と言うやつは」

 「マッチポンプ作戦は、一方ではグルメやスイーツで欲望をあおり、太りやすい食べ物を売り込む。その他方では太ってしまったらダイエットするために特別な食事、ジム、運動器具、トレーニング教書などのビジネスを生み出す。こうして消費は際限なく続き、ビジネスは増え、雇用も増える。 いいことだらけじゃないか。まさに天才的だ」

 「人々の心をもてあそんだ、ということですか」

 「おいおい、きみもさ来年は成人する。成人には子供にはない権利と……それに伴う責任が発生する。わたしたちは誰一人として太ることを強制していないよ。ちゃんと理性を使ってよく考え、目の前にある快楽や短絡的なもうけが本当に自分のためになるかどうかを判断するのはそれぞれの大人の義務だ。メタボリックシンドロームというのは、人間の欲を実体化したものだから、各人が自分の欲を抑制していればメタボリックシンドロームは発生しない。つまりメタボリックシンドロームが発生するのは自業自得だ。例えば地球温暖化を防がなきゃとか言っても冷蔵庫の中に様々な食べ物が入っていなきゃやだ、コンビニは二十四時間空いているのが当たり前、毎年新しい服を買わなきゃ恥ずかしい、注文品は翌日に届け、車は大型のがかっこいい、連休には飛行機で海外旅行。それらを享受することは一切ゆずらず、二酸化炭素削減とか言っても無理だ。現に伝染性の病気が流行って初めて二酸化炭素の排出量は減った」

 理事長は立てた人差し指をくるくると回した。

 「古来人間社会には階級がある。かつては武力を持つものが他を支配した。それが血筋とか名家とか後で作られたものが権威を持つようになった。さらに学歴で優れた人間が他を支配するようになった。これは割と平等だね。でも生まれつきの頭の良さや勉強する環境にも差がある。では支配する者と支配される者とを分ける真の公平な方法はなんだろう」

 理事長は振り向いて眼鏡を直した。

 「それは自分の欲望を制御できるかどうかなのだ。そしてこれは完全に公平だ。誰にでもチャンスが与えられている。自分の欲望をよく制御できる者は支配者となる。自分の欲望を制御できない者は支配される者となり、支配者の提供するスイーツやダイエットや配信動画などを消費してせっせとお金を使う。実に公平だ。機会均等とはまさにこのことを指すのだ。素晴らしい。メタボリックシンドロームは時代の要請なのだ。邪魔をしてはいけない」

 「しかし実際にはメタボリックシンドロームの蔓延で人類は滅びようとしているミル」アクルトは前に進み出た。「人間は弱いミル。それを知っていてそそのかすのはずるいミル」

 「メタボリックシンドローム程度で人類は亡びたりしないよ」理事長はにこやかに言った。「一度経済が崩壊すればみんな貧乏になり、そうしたら食べるものが足りなくなって痩せるだろう」

 「実際には貧困層に肥満が多いミル。お前たちのようなビジネスを最優先にする連中が食品産業をつぶしてしまったから、肥満になる食品ばかり安価で売っているミル。メタボリックシンドロームは止めなければいけないミル」

 「そうか」理事長は遠くを見た。「どうしてもわたしたちは相いれないようだな」

 「そうミル」

 「では戦うしかあるまい」理事長はそう言ってポケットからペンダントを取り出し机の上に放った。ぽん、と煙が立ち、ポンポコの姿が現れた。

 「ビー・エム・アイ!」理事長は叫んだ。


 理事長のバトルスーツはさもありなん、ドラキュラ伯爵のような黒と赤を基調とした退廃的で金のかかってそうなスーツだった。それだけでおれは反感を感じた。

 「喜納! 行け!」

 「おらよっ! ビー・エム・アイ!」喜納はビューティーケアに変身した。

 理事長はそのまま窓から飛び出て中庭に降り立った。

 「逃げるのか!」

 「その部屋は狭すぎる。こっちへ来い」理事長は余裕の表情だ。

 おれたちは窓から中庭に降り立った。

 中庭はローマ帝国の闘技場コロッセウムを模した場所で、花壇は周辺のみ。中央にはイベントができるようになにもない空間がある。理事長とビューティーケアは間合いをとって対峙した。おれとアクルトは壁際でその戦いを見守る。アクルトがディスプレイを開くとビューティーケアの階梯は「4」、理事長は「5」だった。

 「いくぞ」間髪を入れず理事長の攻撃が繰り出される。光のげんこつをかわしてビューティーケアが右に左に跳んだ。花壇から花びらが散り、宙に舞う。

 「ケア・カーボンクラッシュ!」ビューティーケアも応酬した。自分にむかって来る光のげんこつを理事長はその場を動くことなくすべて受け技で止めた。そのままビューティーケアにお返しで投げる。同時に三つだ。

 げんこつの一つをよけられず、まともにくらったビューティーケアは吹っ飛んだ。「中破!」の文字がディスプレイに現れる。ビューティーケアはすぐに立ち上がり構えをとった。再び技を繰り出す。

 「ケア・カーボンクラッシュ!」

 単調な攻撃は前と同様に返され、ビューティーケアは再び地面に転がった。

 「なんとかならないのか。あんな単調な攻撃じゃ、いつも返されるばかりだ」

 「いつもならもっと多彩な攻撃をするミル。なぜ他の技を出さないミルか。あ」

 アクルトがなにか気づいたような顔になった。

 「どうした」

 「階梯が上がるにはもう一つ別の方法があったミル」アクルトが重々しく言った。「ビー・エム・アイ(戦闘筋肉界面)バトルスーツは疑似的に筋肉を強化するスーツなので、スーツは筋肉と似た性質を持つミル」

 「つまり」

 「筋肉繊維は適切なトレーニングを行うと破損し、修復を行うミル。それを一般的に筋肉痛と言うミル」

 「知っているぜ。筋肉は修復するときに、以前の状態を修復するのではなく、より強くなる。それがいわゆる筋トレだ。だがそれって時間がかかるんじゃないのか?」

 「通常の筋肉なら成長するためには一晩寝ないとだめミル。でもビー・エム・アイ・スーツは高速な筋肉の反応速度を再現しているので、修復と成長も高速ミル」

 「なるほど。じゃあ、戦闘中に破損と修復を繰り返すことで、どんどん強くなってゆくんだな」

 「それは理論上はそうミル。でも……」

 「でも? そうか!」おれは理解した。筋肉の破損と修復を高速で繰り返せば、強化はされる。しかしそれは筋トレによる筋肉痛が短い時間で波状攻撃のように襲ってくることに他ならない。いま、理事長と戦いながら成長しているビューティーケアがどれほどの苦痛を感じているのか、想像もつかない。

 「それをあいつは理解して戦っているのか」いやあいつの理解力じゃそんなことを計算しているわけじゃないだろう。おそらく本能的にやっているに違いない。恐ろしい子。

 おれたち二人は再び戦闘に目を転じてビューティーケアを見守った。

 「中破!」ビューティーケアが吹っ飛ばされ、地面に転がった。すぐに立ち上がろうとしたビューティーケアが苦痛に顔をゆがめ膝をついた。

 「ふはははは。どうした。もう終わりか。所詮、第四階梯があがいても第五階梯との実力差は埋められんのだ」

 おれは両手を口にあてて叫んだ。「喜納、がんばれ! これに勝ったら、今日はチートデイだ。なんでも食っていいぞ!」

 「言われなくても……」ビューティーケアは立ち上がり、理事長にとびかかった「そのつもりよ!」

 ビューティーケアのパンチを左手で受け、理事長は右手のこぶしをビューティーケアの腹にぶち込んだ。ビューティーケアは再び吹っ飛ばされて転がった。ディスプレイに「大破!」の文字が表示される。

 「終わりだな。自分の美しい体形にお別れを言うことだ」理事長はゆっくりと倒れているビューティーケアに近づいた。両手を天にかかげ、パワーをためるかのように待った。天に黒い渦巻きが巻き起こり、それが段々と大きくなっていった。

 「メタボリック・スーパーハイカロリー・ブラックサンダーストラック!」

 理事長の叫び声とともに黒い渦巻きの中心が開き、そこからいなづまのような黒い光線が発射された。光線はまっすぐビューティーケアの倒れている場所に落ちてきた。

 どーん! 激しい光と音に包まれ、おれとアクルトは思わず目を覆った。

 やられたか!? おれはぶくぶくに太ってフリル付きのスーツに身を包んだ喜納を想像し、目を背ける用意をした。美少女戦士を廃業しても、女子プロレスなら就職できるかもしれない。

 おれが目を開けると、異変が起きていた。

 理事長の目が驚愕に見開かれ、ビューティーケアの倒れていた場所が光、より正確に言えば光の網に包まれている。あれは確かダイエタリーファイバー・シールド。デーブと戦ったときに繰り出した技だ。その光のファイバー・シールドが割れ、中からビューティーケアが立ち上がった。あれ、太っていない。

 「覚醒したミル」振り返ると、アクルトは宙に浮いたディスプレイを食い入るように見つめている。改めてディスプレイを見ると、理事長の表示の「5」に並んでビューティーケアの表示欄にも「5」の文字が輝いている。

 機械音声が流れた。「ビューティーケア。第五階梯に昇格しました。新しい技……」


 「ふふ。ついに第五階梯に到達したか。だが、第五階梯の経験ではわたしの方が長いぞ」理事長は見直した、という表情をしてから改めて戦闘ポーズをとった。

 ビューティーケアも構えをとった。いつのまにかスーツも修復されている。

 「ケア・カーボンクラッシュ!」ビューティーケアの技で理事長が吹っ飛んだ。ディスプレイで初めて理事長のHPが減った。

 立ち上がった理事長にビューティーケアの次の攻撃が加えられる。「ケア・ファットスクロール!」理事長は両手を前に掲げて防ごうとしたが、そのまま回転し、地面にたたきつけられた。が、すぐに立ち上がる。「まだまだ」

 「ケア・ブラッディ・グルコースレベル!」天から血の雨が降り注いだが、理事長はそれを受けたまま立っていた。

 通常の相手なら決め技なのだが、理事長クラスになると効かないようだ。

 「まだまだ。そんなものではわたしは倒せんぞ」腕組みをしたまま理事長が笑う。

 「ケア・ブラッディ・グルコースレベル!&ケア・ファットスクロール!」

 ビューティーケアは血の雨を降らせ、それを竜巻で巻き取り、そのまま理事長へぶつけた。血の雨は一粒一粒がイワシの群れのように渦巻いてから弾丸のように理事長にぶつかって行った。

 「むあぁ!」初めて理事長の余裕がなくなった。血の雨は刃のように理事長のスーツに突き刺さり、切り裂いてゆく。次第に理事長のスーツがぼろぼろになった。

 「防御値が最低になったミル。今がチャンスミル!」アクルトが叫ぶ。

 「がってん」ビューティーケアは腰で両手を構え、溜めのポーズをとった。あのポーズは!

 すると理事長はいきなり壁についていたパネルを開け、中のボタンを操作した。

 地下から機械音が響き、地面が揺れた。

 ゴゴゴゴゴ

 地面が割れ、地下から何かがせり出してきた。

 これは! 明らかに予算かけすぎの巨大ロボットだ。

 理事長はロボットから吊り下がる簡易エレベーターに乗ると、そのままロボットの胸部操縦席へ上がっていった。ロボットの目が光り、両腕でガッツポーズを取る。

 しかしビューティーケアは臆することなく先程の溜めのポーズを取り続けた。

 「どうする! 大丈夫か?!」

 おれの叫びに正面を向いたままビューティーケアは言った。「ビーマンをね、ピーマンを無理して食べたから口直しにさっきエクレアを三個食べたのよ」

 「なるほどミル。今なら血糖値が瞬間的に上がるミル」

 なんと。掟破りの血糖値ドーピング。

 警戒音が鳴りひびき、ディスプレイが点滅する。

 機械音声が告げる。「カーボローディング急速上昇。カーボンハイドレイト値、マックス」

 ビューティーケアは両手をロボットに向けて突き出した。光の玉が超新星のように生まれる。

 「ケア・カーボンハイドレイト・ギャラクティカ・マグナム!」

 どーん。

 天に右こぶしを突き上げるビューティーケア。ロボットは爆裂四散し、そのはるか上空に吹っ飛ばされた理事長の姿があった。


     *


 アクルトは理事長の机にあるコンソールを操作した。デジタルサイネージのカウントダウンが止まり、Dデイの発動は止まった。

 「これでしばらくの間は大丈夫ミル。でも根本的な問題は解決していないミル。メタボリックシンドロームとの戦いはまだ始まったばかりミル」

 「でも今日はチートデイなんでしょ」

 「ああ」おれはにこやかにうなずいた。「今日はな。明日からメニューを倍にする」

 「えええー」くちをとがらせる喜納。

 おれたちは夕日に向かって並んだ。

 「メタボリックシンドロームは別の世界から来た怪物じゃない。人間の欲望がメタボリックシンドロームを生み出すんだ」


 一つの戦いに勝利した。しかし巨大な敵はまだ残っている。世界の未来を守るため、進めビューティーケア、戦え美少女戦士ビューティーケア。


 みんな好き嫌いせず、ピーマンもちゃんと食べようね。


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