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「国防海軍…いえ、皇国海軍の第一艦隊から第五艦隊の装備一新と、第六艦隊から第十艦隊の新設、ですか。空軍と陸軍も…なるほど。財源などは?」
皇国の与党総務委員長を務める男は、空飛ぶ首相官邸にいる。
「あとは議会さえ通せば、それで完成する。物はできているよ。」
「…はい?」
百戦錬磨、党務を取り仕切る総務委員長といえど、与党党首にして皇国首席大臣たる男のたった今の発言には耳を疑うしかない。たった今成立したばかりの新法、議会の事後承認待ちの緊急立法によらなければ存在してはいけないはずのものが、既に完成しているというのである。
「財源ね…うちが政権を取って何年になる?」
「20年ですね。」
現与党は、20年前までは二大政党の一つに過ぎなかった。数年に一度は入れ替わる与党、そのうちの一つであった。しかし20年前、もう一つの大政党が大分裂をおこした。ここぞとばかりに現与党は分裂した勢力をいくらか引き込み、二大政党に入れない弱小政党も引き込み、安定して与党を取るようになったのである。
「前任者から引き継がれた計画で、この20年間、あらゆる機密費用のほとんど、そして膨大な政治献金と裏金が新国防計画のために溜められ、使われててきた。さらに、我が国が裏で手を染めてきた奴隷労働や孤児の引き取り。その総額や労働が産んだ価値は、国家予算総額の7年分にも及ぶ。同盟国の技術提供や、敵国からの秘密裏の情報収集を行い、我が国の軍事技術は、実は世界最高峰の某国に近い位置で保たれていたんだよ。」
あまりの壮大な計画に、総務委員長はしばし絶句した。これだけの大計画が、与党総務委員長ですら知らないレベルの情報統制のもとに行われていたのである。先の野党大逮捕劇を思い起こし、彼は自らのあずかり知らぬ国家の側面を目にしたような気がしていた。
しかし、総務委員長とて海千山千の大議員である。すぐに意識を正常に戻す。
「承知しました。速やかに議会で事後承認を取ります。」
「我らが副党首殿、いや、警察相殿とも綿密に連携して、反論を許さず、国民への広報も含めてうまくやってくれ。」
総務委員長は、黙礼して退出していく。
空飛ぶ首相官邸への来訪者は後を絶たない。次に執務室に入ってきたのは、皇国軍幕僚本部長、皇国陸軍総司令官、皇国海軍総司令官、皇国空軍総司令官、そして皇国研究開発機構長である。
「やぁ、諸君。待ちに待った皇国軍大改造のお披露目が近づいているわけだがね。緊急立法のほうは我が党の優秀なる総務委員長がじきに承認を取ってくれる。後顧の憂いなくやれるわけだ。」
「はっ。必ずやご期待に沿って御覧に入れましょう。では、ご報告申し上げます。」
先の面会時には真っ青だった幕僚本部長も、顔色を取り戻して、信頼も取り戻すべく、職務に励んでいるようである。
「先の交戦で損害を負った第一艦隊から第三艦隊までは、被害が甚大であるため、第十艦隊を解体して補強に充てております。また、陸海空全軍において、新装備の配給は1週間以内に完了する予定でございますが、旧国防軍部隊においては順応に一定の時間を要すると考えられます。現時点では、直近1ヶ月で陸海空全軍休みなく演習を行い、それにて順応を完了させる予定であります。また、新設部隊においては完全に順応しておりますので、即時展開可能です。現に、第六艦隊から第八艦隊までは航空母艦を中心とする攻撃部隊として展開を開始しており、第九艦隊は第一艦隊から第五艦隊を補うための遊撃防御部隊として展開しております。空軍第二軍団については、第六艦隊から第八艦隊に随行させており、空軍第三軍団は首都と主要都市に高密度展開、空軍第四軍団は領空内を常時観測、空軍第五軍団は我が国周辺地域の状況把握のため散開して情報収集にあたっております。陸軍第六から第八軍団までは国内に散開して警察機能の補助を行っており、陸軍第九軍団は首都近郊に常駐、陸軍第十軍団は第六艦隊から第八艦隊に揚陸部隊として随行しております。陸軍第十一軍団から第三十軍団は未だ待機中です。
先の交戦で敵対した艦隊については、ある国家に所属する艦隊であると思われ、未知国家Aと呼称しております。未知国家Aにおいては、個人運用のいわゆる『魔法』のような技術が用いられているらしく、先の交戦で我が方に甚大な被害が生じたのは、この技術による貫通攻撃、粉砕攻撃、爆発攻撃、シールドのようなものによると推測されます。攻撃については、いずれも秒速500m程度の光線が発生し、着弾と同時に効果を発揮するものと考えられますが、詳細については情報と検証が不足しております。シールドについては、ガラスのような球状のものが艦の周囲に発生し、物質の侵入を阻むようです。こちらについては、瞬間出力に上限があるらしく、飽和的に攻撃し続けている間は消失させることが可能です。映像分析等によれば、先の交戦時における艦隊程度であれば、新艦隊の装備で完勝し撃滅できるものと考えられます。陸戦の特に歩兵戦については、弾速については我が方の装備が上であるものの、魔法については貫通力や破壊力の減衰がないまたは非常に小さいと考えられるため、やや不利である可能性が高いでしょう。未知国家Aに戦車があるかは不明ですが、やはり戦車による攻略も難航することが予想されます。未知国家Aの国土に対する測量は現在も行っておりますが、当方に対する攻撃はなく、人為的な飛行物体も確認できません。制空権の確保は可能であると考えられます。
現在のところ、未知国家Aは大規模な艦隊を展開させている模様です。先の交戦では見受けられなかった大型の艦も見受けられます。現時点では我が方と未知国家Aの接触は避けており、未知国家Aも自らの周辺海域のみに限定した高密度な展開としている模様です。ご命令があれば、1時間以内に交戦を開始することができます。」
「陸軍といたしましては、揚陸作戦は犠牲を免れないものと考えております。海上で撃滅できる戦力は最大限撃滅し、空軍による高高度からの一方的な攻撃によって、絶対優位を獲得したのちの掃討戦程度に留めたいところです。」
「海軍といたしましては、新艦隊による攻撃は絶対的な優位のもとに行われると考えられますので、ご命令があれば直ちに敵戦力を撃滅する所存です。」
「空軍といたしましては、空戦の必要がないため諸目的を極めて容易に完遂することができるかと思いますが、地上への接近は撃墜されるリスクが高まる恐れがあるほか、撃墜された場合の技術流出を危惧しております。」
首相は、ふむふむと頷き、思案する。
「上空は我々のもの、上空から攻撃すれば容易に国ごと滅ぼせる、という理解で良いのかな。」
「そのご理解で大丈夫です。」
「わかった。詳細は、今度国防委員会を開いて決めるが、とりあえず未知国家Aに対する攻撃は開始せず、警戒監視と情報収集に努めてくれ。演習は速やかに実行。第六艦隊から第八艦隊、それとそれらに随行する空軍は、遊撃防御部隊と、空軍第五軍団による情報収集の補助に適宜割り振り、陸軍第十軍団は回収して主要都市の警戒でどうかな?」
「問題ありません。第八艦隊から空軍第二軍団を引き上げて第六艦隊、第七艦隊と第九艦隊に割り振ってこれを遊撃防御部隊とし、第八艦隊に余剰の航空母艦3艦を全て投入して速やかな世界情勢の把握に努めます。第六艦隊と第七艦隊、第九艦隊の運用については、第一艦隊から第五艦隊による監視対象区域の外側に配置し、周辺海域の重点的哨戒を行います。脅威の排除についてはいかがされますか。」
「各艦隊司令官は信用できるんだね?」
「海軍と空軍の合同部隊になりますので、各部隊におかれる統合軍司令官が指揮を司っておりますが、もちろん特に有能で命令に忠実な者を選任しております。ご安心ください。」
「では、直ちに対応する必要がある場合は統合軍司令官の裁量で、急ぎだが直ちにというほどでもない場合は幕僚本部長の裁量で、排除して構わない。それ以外の場合は、少なくとも私の判断を待つように。」
「承知いたしました。次に、衛星打ち上げの話に移ろうと思いますが、よろしいですか。」
「うん、よろしく。」
皇国研究開発機構長が、初めて口を開く。
「では、私から。
これは衛星打ち上げだけではなく、航空機や砲撃などにも当然影響いたしますが、現在の重力や大気密度は、地球とは多少異なるようで、いずれも地球より多少大きい値が示されています。現状配備されている航空機の離着陸に大きな影響はありませんが、例えば航空母艦からの発艦ですと、発艦に必要な滑走距離が多少長くなるため、現状の航空母艦において確保可能な滑走距離ギリギリで飛べるようなものを開発するといった計画は廃案となってしまいます。
また、衛生打ち上げについては、より精密な計算が必要になりますので、今しばらく観測とシミュレーションに時間を要します。ソフトウェア上の設定をいじるだけで早くとも1ヶ月、何らかの不都合によりハードウェアを作り替える必要が生じた場合は少なくとも1年はかかる見込みです。」
首相は目を瞑ってピシャリと頭を叩く。
目を開くと、軍の幹部たちも驚いたような素振りをしているので聞いていないのかというと、どうも今朝方判明したことらしい。転移から5日、まだ情報が不足している。
「現状出せる最大出力で一度打ち上げて…いや、衛生軌道を算出しないといけないのか?」
「恐らく最大出力で打ち上げれば、第二宇宙速度…いや新第二宇宙速度と言いますか、宇宙空間に出すこと自体は可能だと思いますが、結局衛生軌道というところになると難しいかと思われます。諸般の自動制御機能が大幅に損なわれるため、皇国が発揮可能な技術の程度は少なくとも10年分は一時的に後退するかと。」
一同が揃って唸り声を上げる。上げざるを得ない。
「ロケットを打ち上げて、有人制御で全球観測をすることは可能?」
「…パイロットが死ぬ可能性を否定できません。」
「「「………」」」
「いや、やろう。リスクを取らずにはいられない。」
鬼が出るか蛇が出るか、首相は決断を下した。非戦時の平和な国家の面影は、失われつつある。
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3日後、国会が急遽召集された。
庶民院貴族院合同会議、議場。
「諸君!静粛に!静粛に!秩序を守り理性をもって議論されたい!」
貴族院議長が、悲鳴のような声をあげる。議場は今や乱闘が始まらんというほどの騒乱である。
庶民院議長は、腕を組んで目を閉じていたが、カッと目を見開くと、握り拳で議長席を粉砕した。轟音が鳴り響く。議場は一瞬静まり返り、そしてその隙を逃す歴戦の猛者たる庶民院議長ではない。
「黙らんか猿ども!座って話もできんのか!世界の冠たる偉大な皇国の地位ある者どもが、死地にすらなく騒ぎ立てるな!死地にあっても粛々とあるべきものを、未だ一度たりとも敗北しておらんのに、狂乱しよって。辞めてしまえ!」
御年93歳。97年前に皇国が経験した最後の戦争における戦勝で醸成された愛国風を全身に受けて育った庶民院議長は、平均寿命を大幅に上回ってもなお頑丈な身体と精神を保ち続けている。日課のランニングは、体力の衰えを気力で克服して続け、食らう飯の量は学生もかくやというほどである。
「ぎ、議長殿、備品を破壊されるのは…」
そう声をかけたのは、貴族院議長である。こちらは気弱そうな小太りの男で、いつも額に汗を浮かべている。皇国五大貴族の一人、その従兄弟であり、爵位は伯爵である。
「いやはや、議長殿、これは失敬。怪我人が出る前にと思いましてな。弁済のうえ、懲罰を受けるべきと思われるようでしたら、謹んでお受けいたしましょう。」
庶民院議長に悪びれる様子は全くない。
庶民院議員は、貴族と対等の地位を有するとされる。とはいっても、大抵の庶民院議員は庶民らしく振舞うのだが、この議長は違う。それは、その生まれによるところが大きい。彼は、とある侯爵の弟、大商家の長男として生まれた。爵位こそないものの、育ちは貴族と遜色なく普段から貴族と交わって暮らし、低位の貴族からは、むしろごまを擦られて生きてきたのである。彼の自意識は、貴族とも対等だ。しかし、彼は庶民らしい生活、庶民らしい振舞いも知っている。それは、彼が成人してしばらくしたとき、父の逆鱗に触れて家を無一文で叩き出されたからである。彼は、家を追い出されたあと、市井の洗礼を受けた。彼の生まれ育ちは彼を守ってくれない。
彼は小さな商店で下働きを始めた。そんな彼には、確かに後ろ盾こそなくなったが、才気はあった。数年働いたのち、彼を雇ったその商店の店長は、彼に店を任せた。そこから30年、店は皇国の財界に名を轟かせる大商会の一端に名を連ねるに至り、彼は50代前半で庶民院議員に転身したのだ。財界で得た知己らの人脈を駆使して、70歳になろうというときには、「庶民院のドン」と呼ばれるほどの大議員となり、80代前半で就任した議長を既に10年近く務めている。
「い、いや、それほどは…。」
貴族院議長は、少し口ごもったあと、全体に向けて宣言した。
「議論を続けましょう。」
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