第2話
梅小路は数奇院の言葉の意味がよくわからないようだった。もちろん、いきなり"銀行屋"なんて聞き慣れない言葉を口にされて困惑するのは当たり前のことなのだけれど。
「文字通り、"銀行屋"は普通の銀行と同じく生徒からその資産を預かる業務を行っているわ。預けられた金は必ず保証するし、なんなら利息までつけているの。」
数奇院が梅小路から冷静な判断能力を奪うかのように矢継ぎ早に説明をしていく。転校してきたばかりで右も左もわからない少女を混乱させ、その間にすかさず契約を結ぶ、実に悪魔的な行いだ。
「この高校の風紀はあまりよろしくないわ。仕送りの現金をそのまま持っておくことはとても危険だから、こうやってわたしたちに預けることを勧めているの。」
梅小路は数奇院の策略にまんまとはまって頭から煙を出していた。目がぐるぐると回っている。が、すぐに再起動すると意味を咀嚼し始めた。
「ま、待ってや。普通の銀行と同じようにしとるっても融資先がないやんけ。利息つけるいうんならあんたらは赤字やないか。なんでそんなことすんねん。」
お、なかなか鋭い指摘だ。数奇院の言葉に惑わされずにこれほど冷静でいられた転校生は見たことがない。僕は眉を持ちあげた。
数奇院も感心したらしく、パチパチと拍手した。
「見事に本質をついた質問ね。でも心配しなくていいの、"転売屋"に融資しているから。」
「"転売屋"ってなんや?」
またも現れた聞きなれない単語に梅小路は困っているようだった。見かねてそっと耳打ちする。
「さっき話したでしょ、食料を買い占めていく人たちのことを。」
梅小路はじわじわと理解し始めたようだった。顔を俯かせて肩を震わす。
「か、完全なマッチポンプやないか! なんやそれ!」
その通りである。財産の保証とわずかな利息を餌にして生徒からお金をかき集め、それを"転売屋"に融資して食料の独占を可能にし、生徒を苦しめて得た利益で儲ける。
これを思いついた時点で実に性格が悪いが、実行に移すなどまさに悪の権化である。数奇院 静は天才であった。ただしよくない方向にであるが。
「あら、そこの泉くん。自分は無関係だなんて顔をしているけれど、あなたも加担しているんだから同罪よ?」
数奇院に痛いところを突かれて目を逸らす。弁明させてもらうと、僕も家にお金がないのでこうやって悪行に手を染めざるをえないのだ。
「泉……?」
僕を見つめてくる梅小路の視線で、自己紹介をしていないことに気がつく。
「あ、それは僕の名前ね。初めまして、同じ教室の二階堂 泉です。」
梅小路は何度か噛みしめるように僕の名前を口にすると、実にいい笑顔を僕に向けてきた。
「そうか、泉ちゅうんか。ちょっと聞きたいことがあるんやけど、ええか。」
「はい、なんでしょう。」
そこはかとなく伝わってくる梅小路の怒りに気がつきながら、僕は返事をした。
「もしかして、初めからうちをここに連れてくために学校の案内を申し出てくれたん?」
実に申し訳ないことであるが、正解である。僕が数奇院に命じられた《《お仕事》》とは、転校生である梅小路を"銀行屋"のある旧図書室まで誘導することなのだ。
「……その通りです。」
「ああ、せっかく友達できた思たのに!」
途端、梅小路が床に倒れこんだ。うがぁと声にならない呻き声をあげながらバタバタとカーペットの上を転がった後、上目づかいで僕を睨んでくる。
「でも、これ"銀行屋"に金預けたほうがええんやろ。」
「うん、それは間違いないね。この高校に倫理はあってないようなものだから。」
「……嘘ついとったら、全力の飛び膝蹴りをくらわすからな。」
結局、梅小路は僕たち"銀行屋"にお金を預けることに決めたようだった。起き上がった梅小路はのろのろと数奇院の指示に従って手続きを済ませていく。
梅小路が旧図書室から出た頃には、すでに窓の外は真っ暗になっていた。見送りにでた僕の腕を梅小路が恨めしそうに抓ってくる。
「責任とってもらうで、あんたは明日からうちの友達第一号や。」
梅小路をある意味で騙してきたわけで、僕に全面的な非があることは確かだ。だから、僕はなにも言い返すことができなかった。
「はい。」
「話しかけてくれた時、ほんま嬉しかったんやからな。」
「すみません。」
もう一生梅小路に頭があがらないかもしれない。僕はそんな予感に襲われた。梅小路も僕が十分に反省していると感じたのか、攻撃の手を緩めてくれた。
「まあ、ええわ。ところで寮ってどこにあるん?」
気を取り直したかのように梅小路が尋ねてきた質問に、僕はそこはかとない恐怖を感じた。もしかして、梅小路はこの神子高校について全くなにも知らずに来てしまったのではなかろうか。
「その、すごい致命的な思い違いをしているみたいだけどこの高校に寮なんてないよ。」
「は?」
裁判長に死罪を言い渡された瞬間の罪人にも匹敵するほどのすさまじい絶望をこめた声が、梅小路の口から漏れた。常識をガラガラと崩されていく梅小路を憐れみながらも、僕は言い直す。
「この高校にそんなお金のかかる設備なんてないよ。」
「じゃ、じゃあ泉はどうやって夜を越すいうねん!」
狼狽した様子の梅小路に見えるよう、僕は静かに旧図書室の扉を指さした。
「生徒はみんな徒党を組んで空き教室とかを勝手に占拠して雑魚寝するんだ。不安な人はお金を払って見張り番をたててもらうこともあるね。」
「あ、ありえんやろ……。ここはほんまに日本の高校なんか?」
実に残念なことに、これが神子高校の実態である。僕もつくづく教育委員会かなにかの問題にならないのか不思議なのだ。
「その、泊ってく?」
僕の提案に、梅小路は力なく頷くことしかできなかった。
僕が目を覚ますと、すでに朝日が窓から覗きこんでいた。寝ぼけまなこで起きあがると、数奇院の鈴のように軽やかな声がする。
「ちょうどいいわ、喉が渇いたの。紅茶を淹れてほしいわ。」
数奇院は椅子に腰かけて本を読んでいた。ペラリ、ペラリと陶器のように白く透き通った指先がページをめくっていく。
僕はむっとした。いつのまにか、僕ばかりが朝に紅茶を用意するようになっている。どうも数奇院はそれを当然と考えているらしかった。
「断る、たまには自分でお湯を沸かしてみたらどうだ?」
度重なる僕の抗議にようやく数奇院は本をバタンと閉じた。芸術品のような黄金の瞳と目があう。その奥底には泥のように濁ったなにかが見え隠れしていた。
「わたしは、あなたが準備した紅茶が飲みたいの。理解できるかしら?」
深淵へとひきずりこまれそうな瞳から臆病な僕は目をそらす。天才であることの弊害なのだろうか、数奇院は時折妙なことに執着する癖があるのだ。
しかたがない、僕は諦めるほかなかった。こういった時の数奇院に逆らうとろくなことにならないので、僕はいつも譲歩している。
横になっていた固い木の椅子から立ち上がると、体中がバキボキと音をたてた。
身体の節々が痛い。やはり、旧図書館備え付けのこの椅子はなにをどう頑張っても人の寝るものではないらしい。
「むにゃむにゃ、うへへへへ……。」
ちょうどそのとき、実にだらしのない寝言が聞こえる。そういえば、昨晩から梅小路が旧図書館で一番柔らかいソファを独占していたんだった。
その気の抜けた寝顔をみて、イラっときた僕は梅小路を叩き起こすのだった。