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ねえ、ママ  作者: カワラヒワ
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6

 第三木曜日。

 今日はチエが月に一度、カルチャーセンターへ行く日だ。

 チエは「エッセイを書こう」という講座を受講している。

 普通ならわくわく、どきどきして楽しい気分なのだが、今日のチエは電車に乗っていても行きたくないなあという気分だ。

(また、今回も送らへんかった)

 チエは目を閉じて腕を組んだ。

 講習を受ける三日前までに自分で書いたエッセイを、カルチャーセンターへ送ることになっている。

 その作品を講習を受ける人数分コピーして、先生の批評をみんなできく、という仕組みになっている。

 絶対に書いて送らなければならないというわけではない。人の作品の話しを聞くだけでもいい。そういう人も何人かいる。

 だけど、やっぱり自分の書いたものの批評が聞きたいとチエは思う。

(先生はいつも、私の書いたものをほめてくれるし、それが自信にもなるんやけどなあ)

 二回も続けて送らなかった。そんなのは初めてだ。

 なんでこんなに書けないんだろう。書きたいことも思いつかない。何でもいいはずなのに、言葉が出てこない。最初の一行すら。小説だって・・・。

 もう、一生書けないのかもしれないと思うと、余計に焦って、どうしょう、どうしょうとパニックになってしまう。

 あ~あ、いややなあ。

 電車が降りる駅に近づくほど、引き返したくなってくる。

 でも、もうここまで来たんだし。

 向こうへ行って、いつもの顔ぶれに会えたら、楽しくなるはず。

(内藤さんにも会えるんやし)

 祇園四条~。車内にアナウンスが流れた。チエは席を立った。


 教室へ行くと、三人の人たちが席に座っていた。

「こんにちは」とチエが言うと、声を合わせて三人が返事をした。

 コピーされた用紙を取り、代金を箱に入れる。

 チエはコートを脱いで、いつもの席に座った。暖房が心地よい。

 鞄から筆箱を取り出していると、何人かが一緒に部屋に入ってきた。

「こんにちは」お互いに挨拶を交わす。

 その中に内藤さんがいた。

 内藤さんはチエに手を振り、急いでチエの隣りの席にやってきて、荷物を置いた。

「元気やった?」

 内藤さんはチエににっこりと笑いかけた。チエも笑ってうなずく。

 内藤さんは財布を持って、コピーを取りに行った。

 内藤さんはチエよりも、少し早くからこの講座を受講している。チエがわからのことを色々と教えてくれた。年も同じで、主婦をしているという環境も似ていて、話しも合い、すぐに仲良くなった。

「ふう~、あったかいな。天国やわ」

 席に戻ってきた内藤さんは、座りながら笑った。

「そやろ~」

 チエも笑う。

「出した?」

コピーを少し持ち上げて内藤さんが言う。

チエが首を横にふると、

「そっか~、チエさんのエッセイおもしろいから、読みたかったのになあ」

 他の人が言えば、ちょっと嫌味に聞こえそうだが、内藤さんが言うとそうは聞こえない。

「内藤さんは?」

 チエがきいた。

「一応出したけど、なんか上手く書けへんかったわ。ぎりぎりまで書かへんかったし、やっぱり慌てて書いたらあかんなあ」

 ふふふと笑いながら、内藤さんはノートと筆箱を鞄から取り出した。

「ちゃんと出してんねんし、えらいやん。私はあかんわ、ぜんぜん書けへん」

 チエがまた首を振ると、

「そんな時もあるわ。私もそれに近いしな」

 あははと内藤さんは笑った。

 内藤さんはいつも明るい。顔つきや態度に明るさが全部出ている。それに比べて私はなんて暗いんだろうとチエは思う。特に最近、一段と暗い気がする。

 内藤さんだって色々嫌なことがあるはず。笑って話していても、家では・・・。

 時間になって、先生が来られた。出席を取って、講習が始まった。

 二時間はあっという間。最後の方は楽しいおしゃべりになっていたけれど。

 みんなと一緒に、わらわらと教室を出る。

 内藤さんの隣で靴を履いていると、

「ごはん、食べに行かへん?」

 と、内藤さんが誘ってくれた。

「行く、行く」

 チエはもちろん二つ返事だ。

ここんとこ、毎回、講習の後、内藤さんと昼食を食べに行っている。これがなかったら、チエはもうとっくにここをやめていたかもしれない。

 内藤さんは面白い人だし、自由な考えを持っているなあと、チエはちょっと、内藤さんを尊敬している。

 いつも行くお店は決まっている。百貨店の三階のレストランだ。

 定食を頼んで、まずはビールで乾杯する。

 チエはこの時、いつも、やっぱり休まずに来てよかったと思う。

「ぷふぁ~、ああ、おいしい」

 二人は同じように、グラスから口を離して言った。

「今日はちょっと少なかったなあ、出したはる人。みんな不調なんかなあ」

 内藤さんが唇についた泡を指で拭きながら言った。

「寒いからかな」

「そんなん関係ある?」

「ないか」

 ふふふと内藤さんが笑う。

「でも、内藤さん、娘さんと仲直り出来てよかったな」

 今回の内藤さんのエッセイに高校一年生の娘さんと、けんかしたことが書いてあったのだ。

「うん、まあな。一緒に住んでるねんし、いつまでも気まずいのはいややしな。旦那とは違う。ははははは」

 内藤さんはビールを一口飲んで言った。

 内藤さんは今、けんかしたご主人と冷戦中で家庭内別居をしているらしい。ご主人のごはんも作らないし、もちろん一緒に食べることもない。

 お互い顔を合わせないようにしていて、それが二か月以上続いているという。

「思ったより快適やねん」

 先月会った時はそう言っていたけれど。

「ご主人といつまで続けんの? 冷戦」

 チエもビールを一口のんで言った。

「わからへん。でも、このままでは危ないかもしれへん。離婚かも。ふふふ」

 内藤さんは笑ったけど、心は穏やかではなさそうに思う。

「暴力も、ギャンブルも浮気もしいひん、おとなしい人。他人からみたらいい人なんやろな。でもな、一緒にいてもぜんぜんおもしろないねん。こっちから話しかけても、うわの空のから返事。あの人私の事ただの女中やと思ったはるねん。私のことなんてどうでもいいと思ったはるねん」

 内藤さんの目が少し潤んだように見えた。

「そんなことないと思うけどな」

 チエは内藤さんから目を逸らし、鞄をごそごそやりながら言った。

「そうやて。別にあの人からひどい仕打ちをされたわけでもないんやけどな。でもな、ひどい仕打ちをされた人と比べて、あの人よりまし、なんてゆうて暮らしたないねん。私は上を見て暮らしたいねん」

 内藤さんが力強く言った。

「そ、そうやな。本当に、そうや」

 内藤さんの言うことはもっともだと思う。けれど、私はそういう人たちよりも恵まれているんだから、と思ってしまう方なのだ、とチエは思う。

 向上心のある人はいいなあ。きっと、内藤さんはいいように変わっていくんだろうなあ。

「もう一杯、飲もうかな」

空になったグラスを置いて、内藤さんが言った。

「早っ!」

 チエのグラスには、まだなみなみとビールが入っている。

「すみませ~ん、おかわり」

 店内に内藤さんの声が響いた。


 買い物をして帰るという内藤さんと、店の前で別れてチエは百貨店を出た。

(仲直りできひんのかなあ)

 チエは四条通りを歩きながら考えていた。

(別れたらきっと大変やろうなあ。ずっと専業主婦やった内藤さん。働きにいかなあかんし、高校生の娘さんはどうしはんねんやろ)

 そんなことを考えながら歩いていたら、もう京阪電車の乗車入り口についた。

 もうちょっと歩こうかな。チエはそのまま東に向かった。

 花街、祇園の花見小路通りは、行き交う観光客でいっぱいだった。

舞妓さんが観光客と写真を撮っている。こんな早い時間に舞妓さんが舞妓の格好をして、歩いているわけないし、本物ではないな。

 そんなことを思いながら、通り過ぎる。

 八坂神社まで行こうかな。でも、この人混み。面倒になってきた。

 チエは人混みの中、邪魔にならないように回れ右をした。

 



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