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第三部

7. 酒と夜風  

 ユーフェミアはシュミオンと馬首を並べてすっかりと日の暮れた道を街に向かって進んでいた。

 「悪いな、流れで勝手に俺の客にして」

 「いや、こちらこそ礼を言う」

 「なあ、やっぱり食事でもしていかないか? その方がもっと本当の知り合いらしい」

 ユーフェミアは先程からかなり後方で後をつける二組の騎馬の存在を感じていた。多分シュミオンも同じだろう。

 「一杯だけなら」

 渋々、ユーフェミアは了承した。

 「よし、そうこないとな! いい店を知っている」

 

 街に着いてシュミオンに案内されたのは、地元の人でなければ知らないような、裏路地にひっそりと店を構える洒落たレストランだった。賑やかだが騒がしくはない、確かにいい店だ。

 シュミオンは受付の男に銀貨を握らせると、一番奥の半個室のような席に案内させる。 

 「ここの料理はどれも美味い。おすすめは──」

 そう言って彼は適当に酒と料理を頼む。ウェイターが去るとユーフェミアの方にわずかに身を乗り出して、再び先ほどと同じ悪い笑みを浮かべた。

 「ここなら、もうマントを取ってもいいだろう?」

 少しの沈黙の後、ユーフェミアはマントを外した。

 濃紺のフードの中から、三つ編みにされた蜂蜜を集めたような素晴らしい金髪がこぼれ落ちると、シュミオンは息をのむ。ユーフェミアの全身が露わになると彼は目を見開いて感嘆の声をもらすと、溜息をついて首を振った。

 「まったく、一体どんな訓練をしたらあんなに剣の強い、こんないい女が出来上がるんだ」

 「その質問は、そっくりそのまま其方に返そう。一体どんな訓練をしたらあんなに重い剣になる? これは本当に知りたい」

 シュミオンはテーブルに頬杖をつくと物憂げにユーフェミアを見た。

 「しかも話題は剣術だって? 全く信じられないよ」


 それから一刻後、二人はテーブルを挟んで笑い合っていた。

 「ふふふ、それで其方はこの辺境伯領に逃げて来たと?」

 「ああ、決まってるだろう。誰が一度も顔を見たことないような相手と結婚などするものか。せめて一度は見たいだろう? 一度でいいのに……」

 「ああ確かに。良し悪しに関わらず、一度でも見れられば、心の準備ができるからな」

 ユーフェミアは態とらしく肩を竦めて見せると、目尻に溜まった涙を指先で拭う。結婚が嫌で逃げ出して来たと言う男は、その道中を実に面白おかしく語ってみせた。

 彼は散々に国中を逃げ回った結果、最終的にこのカイゼル国の国境最大の街、ブランティス辺境伯領に辿り着いたという。ここに遠縁がいて世話になっているらしい。


 「君は、ミア? なぜ旅をしているんだ?」

 「さてね、其方と似ている部分もあるかな」

 「貴族の令嬢が嫌な結婚を押し付けられて出奔したと?」

 「ふふ、別に出奔はしていないさ。ちゃんと目的地には近づいている。……ただその道のりを少々遠回りしているだけだ」

 「ははっ、ものは言い様だな」

 「嫌でも仕方のないことはある。ただ、少し気持ちを整理する時間が欲しいと思ったんだ……」

 ユーフェミアはグラスに口を付け急激に渇いた喉に酒を流し込む。まだ酔ったと言えるほどは飲んでいない。しかし素面ともいえない程度には酔っている。

 ワインから始まって、二人とも今は地元の名産だと言う蒸留酒を飲んでいた。男もきっと同じような感じだろう。酔って盛り上がっているように見せて、その実青い瞳は時折ごく冷静な光を宿す。

 だがユーフェミアは、そう言う抜け目のない男が嫌いではなかった。シュミオンはどうしようもない放蕩息子を装ってはいるが、実際には取り返しがつかないというほどの無茶はしていない。ユーフェミアと同じように、少し考える時間が欲しいだけなのだ。きっと彼も気持ちの整理がつけば、嫌がりつつも家に戻ることだろう。

 揺らめくオレンジ色の蝋燭の炎に照らされた彼が、夕暮れに見たよりもずっと艶やかに見えるのは、喉を焼くこの強い蒸留酒のせいだろうとユーフェミアは思うことにした。


 シュミオンはユーフェミアの気配を察してすぐに話題を変えた。その後は一切の詮索をせず、それぞれの武勇伝やこの辺りの観光名所など、心地よく当たり障りのない話題が中心になった。それでもユーフェミアにとっては十分に楽しかった。

  

 そろそろ店を出ようと二人が席を立った時、急に店の外が慌ただしくなって、泥まみれの衛兵が扉を蹴破るような勢いで店の中に転がり込んできた。

 「はあ、はあ、シュ、シュミオン様……。た、大変です! ゴ、ゴ、ゴースト・ハウンドが森に!!」

 ゴースト・ハウンドの名前を聞いた瞬間に、ユーフェミアとシュミオンは同時に椅子を蹴って店を飛び出した。



8. 傷と装備

 二人が駆けつけると、衛兵の詰所は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。

 「ガイ、ガイ! ゴースト・ハウンドだって? 野盗の討伐に行っていたんじゃないのか!?」

 床に座り込んで手当てを受けていた衛兵隊長のガイを見つけると、シュミオンが噛みつきそうな勢いで問いかける。


 ガイが語ったところによると、野盗がアジトで二頭の若いゴースト・ハウンドを飼っていたらしい。二頭がまだ小さい頃にどこかを襲撃した戦利品として手に入れ、護衛に役立つかもしれないと育てていたようだ。アジトを襲撃されて混乱に陥った誰かがその二頭を森に放したのである。


 ゴースト・ハウンドは北方原産の獣で、見た目は狼と豹を掛け合せたように精悍で美しい姿をしている。しかし見た目とは裏腹に非常に獰猛で足が早く危険な獣だった。その上、成獣になると馬ほどの大きさがある。

 ユーフェミアとシュミオンの二人がゴースト・ハウンドと聞いてすぐに反応したのは、その獰猛さと戦闘能力の高さから、ゴースト・ハウンドがしばしば軍用獣として用いられるからだった。二人ともその残忍性を戦場で身に染みて知っているのだ。

 しかしその飼育は非常に難しく、人の命令を聞くようにするのは至難の技である。そのため野生のゴースト・ハウンドはできる限り幼体のうちに駆除し、軍用として出回るのは完全に人の手で繁殖し訓練された成獣だけだった。それでも時に自軍を壊滅させるほどの危険な存在だった。


 幸いなのは、放された二頭がまだ若く成体にはなっていないことだろうか。それでも羊ほどの大きさはあるし、すでに人の血の匂いを嗅いで非常に興奮しているだろう。すぐに仕留められずに森で野生化でもすれば、どれほどの被害が出るか分からない。すでに詰所にはゴースト・ハウンドによって負傷した衛兵たちが次々に運び込まれていた。


 シュミオンは詰所で装備を借りると手早く支度を整えはじめた。

 「俺が行く、場所を教えろ」

 それまで見せたことのない、切れるような冷徹な眼差しで睨みつけられたガイがごくりと唾をのむ。

 「すまないシオン……君の忠告に従うべきだった。これは俺のミスだ。だがこの街にお前より強い奴はいない。どうか頼む……」

 「私も行こう」

 余分な荷物を降ろして馬を身軽にしたユーフェミアがシュミオンの横に立つ。

 「女性に怪我はさせられない……と見栄を張りたいところだが、手を貸してもらえると助かる。実際、役に立つのは俺と君ぐらいだろうから。ゴースト・ハウンドを見たことはあるか?」

 「ある。何度か戦場でな」

 「なら心強い。行こう」


 ひらりと馬に跨ると、二人は夜の闇に向かって駆け出した。



9.犬と暗闇

 ユーフェミアとシュミオンは暗い森の中を疾走していた。

 捕食者の獣の匂いに怯えて興奮する馬を宥めながら奔走し、先ほどようやく一頭目のゴースト・ハウンドを仕留めたところだった。

 しかし二頭目はかなりしぶとく頭もいい。一頭目が仕留められると気配を消して闇に潜んでしまった。

 障害物の多い森中を走り回された馬は息が荒くそろそろ限界が近いようだ。さらに間の悪いことに、予想していた通り途中から雨も降り出した。勢いのいい雨音が周囲の音や匂いを消し去るため、二頭目を見つけるのはさらに難しくなった。


 馬首を寄せてきたシュミオンが、相変わらずの冷徹な目でユーフェミアの馬を一瞥すると、一時撤退を提案してきた。

 相手は獣だ。時間が経つほど何処に行くかわからず非常に危険である。しかしユーフェミアの目から見てもシュミオンの提案は至極妥当と思えた。この雨で視界も最悪に近く馬も限界が近い。深追いしても自分たちの危険が増すばかりだった。

 しかしユーフェミアは首を横に振った。

 「もう一つだけ試してみよう」

 「ミア、これ以上だ危険だ。君なら分かるだろう?」

 拒否されると思わなかったシュミオンが驚いた表情でユーフェミアを諌める。

 「ああ、其方の提案は正しい。だが……」その時、ユーフェミアの鋭い勘が闇に潜む獲物の気配を捉えた。

 「シオン、援護してくれ!」

 短く叫ぶと、馬に鞭を入れて猛スピードで走り出す。背後でシュミオンが盛大な舌打ちをした。


 ユーフェミアは雨の烟る夜の森を疾走すると、背後に迫った獣に見せびらかすようにマントのフードを跳ね上げた。蜂蜜を集めたような金髪は闇夜でも燦然とした輝きを放つ。それはゴースト・ハウントの実にいい標的となった。

 「ミア、駄目だ! そっちは崖だぞ!! クソがっ」

 自分を囮にしたユーフェミアにシュミオンが怒鳴る。

 ユーフェミアにもそちらが崖なのは周囲の地形から分かっていたことだった。

 しかし彼女は少しも速度を緩めずに崖に向かって一直線に突進する。

 それでも疲弊した馬ではゴースト・ハウンドの早さには到底敵わない。ゴースト・ハウンドは血のような赤い目を光らせて狂ったようにユーフェミアの後を追いかける。ユーフェミアとゴースト・ハウンドの距離はみるみる縮まった。


 眼前に崖が迫ってきても、まだユーフェミアは速度を落とそうとはしない。

 「ミア、やめろっ!!!!!」

 シュミオンが血を吐くような叫び声を上げ、ほとんど獣が彼女のマントの裾に齧り付きそうになったとき、ようやくユーフェミアが手綱を引いた。

 馬ごと滑り込むようして崖の手前で急ターンをする。実に華麗な手綱捌きだった。まるで競技会で演技でもしているようにミアの目は冷静で凪いでいた。

 背後に迫っていたゴースト・ハウンドはそのユーフェミアの急旋回には到底ついて行けず、そのままの勢いで深い谷の底へと落ちていく。しばらくして子犬のような潰れるようなか弱い鳴き声が一度だけ聞こえ、そしてその後はもういくら耳を澄ませても葉を叩く雨音しか聞こえなかった。


 すぐに追いついたシュミオンは、呆然とゴースト・ハウンドが飛び込んで行った崖を見つめる。ユーフェミアと彼女の馬は、ほとんど崖から片足が飛び出すような位置に倒れていた。

 彼はすぐに正気を取り戻すと立ち上がったユーフェミアの元に駆け寄って、そして握りしめた拳で自分の馬の背を叩いた。

 「ミア……くそっ!! 説教は後だ」

 シュミオンは獰猛な顔でユーフェミアを睨み付けると、彼女の腕を掴んで自分の馬に引き上げる。

 ユーフェミアの馬は今ので限界だった。もう人を乗せて歩くのは難しいだろう。彼は自分の馬にユーフェミアを乗せ、彼女の馬の手綱をとって並走させると、すぐに森の道を引き返しはじめた。

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