第二部
4, 道と野盗
耳をつんざく斬撃の音が森の中に木霊する。周辺には金物と血液の混じった生臭い匂いが充満していた。
ユーフェミアは絶妙な間合いで相手の一撃を受け流すと、隙のできた相手の脇腹を流れるような動作で切り捨てた。相手は獣じみた呻き声を上げながら地面に崩れ落ちる。周辺には他にも同様に切り捨てられた男たちが三、四人、森の中にぽっかりと空いた小さな広場のあちらこちらに散らばって息絶えている。
ユーフェミアは慣れた仕草で刀身についた血を払うと剣を鞘に納めた。足早に木の根元にしゃがんだ少女の元に近寄ると、彼女の前に片膝をついて屈み込んだ。少女は震える手を押さえ込みながら気丈にユーフェミアを見上げた。
「大丈夫か? 怪我は?」
少女はぶんぶんと勢いよく首を振る。ユーフェミアの顔を見て安心したのか、可愛らしい榛色の瞳にみるみると涙の雫が盛り上がった。それまでは恐怖で泣くのも忘れていたのだろう。
それを見るとユーフェミアも安心して、戦いの途中でいつの間にか外れてしまっていたマントのフードを目深に被り直すと少女に手を差し伸べた。
「さあ、皆のところに戻ろう」
今日の昼過ぎに、ユーフェミアは街道で乗り合いの長距離馬車を追い越した。その時、すでに嫌な予感がしたのだが、彼女は一旦先に進むと次の街で休憩することにした。しかし案の定、夕刻になっても後続の馬車は全くやって来る気配がなかった。
ユーフェミアが馬を駆って様子を見に戻ると、小さな森を抜ける途中で野盗に襲われる馬車を見つけたのである。
馬車に群がる野盗は二十人ほどいただろうか。すでに四、五人が馬車の護衛に切り捨てられて、あちらこちらに倒れていた。まだ乗客に被害はないようだったが、二人いる護衛はそれぞれ怪我をしたらしく動きが鈍い。このまま戦いが長引けば人数の多い野盗が確実に優勢だろうことは目に見えていた。
ユーフェミアは馬上で剣を抜くと馬車に向かって一目散に駆け出した。近づく蹄の音に野盗が気づいた時には、馬車によじ登って扉をこじ開けようとしていた男二人が、今まさに切り捨てられるところだった。
ユーフェミアは器用に馬を操ると、華麗という他はない剣捌きで馬車に群がる野盗を次々に撃ち落とした。
しかし途中でユーフェミアが三人がかりの攻撃に少々手間取っていると、背後で甲高い叫び声が上がる。振り返ると野盗二人が馬車の反対側の扉をこじ開け、十三、四歳の少女を引きずり出しているところだった。野盗は暴れる少女を乱暴に担ぎ上げると、一目散に森に逃げ込んで行く。木が生い茂る場所に逃げ込まれると少々厄介だ。
ユーフェミアは鮮やかに馬首を回すと馬車の護衛に向かって叫んだ。
「先に森を抜けろ、助けを呼びに行け!」
言い置くと、彼らの返事も待たず獲物を狙う鷹のような速さで森に飛び込んで行った。
5.森と黒髪
差し伸べた手を少女が掴もうとした時、ユーフェミアは殺気を感じて素早く横に飛び退った。その真横を一筋の閃光が横薙ぎに切り裂く。
ユーフェミアは素早く体勢を立て直すと、二撃、三撃と息つく間も無く襲いかかる剣戟をほとんど感覚と経験だけを頼りに打ち返した。非情とも言える正確さでユーフェミアの急所を狙う剣筋は驚くほど重い。刀身がかち合って夕闇に火花が散る度に、柄を握るユーフェミアの手にびりびりとした痺れが走る。
剣を取り落とすような無様なことだけはしたくないと、柄を握る手に力を込めると、ユーフェミアは一際低く踏み込んで、ほとんど有るか無きか分からない相手の隙をこじ開けるように、鋭い一閃で切り返した。
女性であるユーフェミアの剣には重さはあまりない。しかしその身軽さを最大限に生かした、目にも留まらぬ速さの縦横無尽な剣捌きには、最後にはいつも敵を地面に平伏させてきたという自負と自身がある。
ユーフェミアのまるで体重を感じさせない切り返しを受けた相手が、飛び退きながら驚愕しているのがユーフェミアにも伝わってきた。
木の根元にしゃがみ込んだ少女が悲鳴のような声を上げる。
「やめて! その人は私を助けてくれたの!!」
少女は飛び退った男のマントの端を掴んで勢いよく引っ張った。少女の力だから男が倒れるようなことはない。しかし驚いて一瞬迷った男の剣先が予想外にぶれた。ユーフェミアは危ういところを避けたが、男の剣先は彼女のフードの端を切り裂く。その剣圧でフードが外れ、ユーフェミアの素顔が夕闇の中に晒された。それを見て男は完全に動きを止めた。
「お願い、その人を切らないで! 私を助けてくれたの!!」
泣きながらすがる少女に困惑しつつも、男は少女とユーフェミアを幾度か交互に見ると構えていた剣を下げた。
男に合わせてユーフェミアも剣を下げる。
男は未だ警戒しつつも、しばらくユーフェミアを観察すると息をついて剣を鞘にしまった。
「……すまぬ。私の勘違いだったようだ」
「気にするな、馬車の救援に来てくれたのだろう?」
ユーフェミアも剣を払って鞘にしまった。少女はぱっと男のマントから手を離すと、急いでユーフェミアの背後に隠れた。
「大丈夫だ、もう剣はしまった」
男は降参するように両手を顔の横に挙げるとひらひらと振って見せる。
それでようやく先程までの殺気はすっかりと消え失せて、ユーフェミアも密かに息をついた。少女が止めてくれなければ何処かで自分の急所に剣が入っていただろう。ここ数年、負け知らずのユーフェミアだったが、久しぶりに肝の冷える戦いだった。
「乗客が襲われていると街に逃げてきた。俺は近くにいたので先に来たが、もうすぐ衛兵も駆けつけるだろう。……これは、君がやったのか?」
男は近くに倒れた野盗の側に屈み込み傷口を調べる。
「ああ。だが、数人は逃げたようだ」
ユーフェミアは取り逃がした野盗が逃げていった森の先を見つめていた。
「いい腕だ。女……だよな?」
男がほとんど夕闇に溶けそうなユーフェミアの顔をじっと見つめる。
それでようやくユーフェミアも男を正面から見た。
ぞんざいな口調とは裏腹に、男はとても洗練された顔立ちをしていた。歳は二十六、七とユーフェミアに近い。濡れたような漆黒の髪に晴天の空よりも鮮やかな青色の瞳をしている。男性らしい精悍さに高貴な優美さが程よく融合した、なんとも言えない甘い雰囲気の漂う美しい男だった。
その証拠に、先程まで毛を逆立てた子猫のように怯えていた少女が、男の顔を見た途端に蕩けるような目をして頬を染めている。
立ち上がると女性にしては背の高いユーフェミアよりも、さらに二回りは背も幅もある。騎士を見慣れた彼女には非常によく鍛えられた筋肉が彼を覆っているのが一目で分かった。こんな田舎にいるのが不思議なような男だ。
そして同じことを、男もユーフェミアに対して思ったらしい。
女の一人旅だけでも珍しいのに、この髪に瞳ではそう思うのも当然だろう。物言いや振る舞いも気をつけてはいるが、長年の習慣で身に染み付いたものはそう簡単には変えられない。その上剣の腕も立つのだ。いっそ不審と思われても仕方なかった。
中々視線を外さない男に居心地の悪さを感じ、ユーフェミアは外れていたフードをさっと目深に被り直した。男がああ、とさも残念そうな声を出したが気に留めないことにする。
「馬車のところに戻ろう。皆が心配しているだろう」
「仰せのままに、レディ」
男はわざとらしく優雅な礼をして見せると、先頭に立って歩き出した。ユーフェミアも少女を連れてそのあとに続く。
6. 兵と尋問
馬車のところに戻ると周囲には篝火が焚かれ、すでに衛兵たちが忙しく行き交っていた。フードを目深に被ったユーフェミアはその様子を、ほとんど闇に溶け込みそうな端に立って見守る。
衛兵の尋問を受けながらユーフェミアの様子を窺っていた馬車の護衛二人に小さく頷き返すと、彼らはすぐにユーフェミアが面倒事を回避したいと思っていることを察してくれた。
野盗の討伐をさも自分たちの手柄のように話しはじめたのが遠目にも分かる。実際、ユーフェミアが駆けつけるまで時間稼ぎをしたのは彼らなのだから全くの嘘ではない。結果的には馬車も乗客も皆無事だったのだから、少々の危険手当がついても誰も文句は言うまい。彼らは追加褒賞が得られてユーフェミアも面倒事を避けられる。誰も損をしない取引だ。
「いいのか? 彼らが君の手柄を横取りしているぜ」
いつの間にか隣に立った男が、ユーフェミアにだけ聞こえるような小声で話しかけた。ユーフェミアはしばらく前から近くに男がいることに気付いていたが素知らぬふりをしていた。男もそれを承知している。
「構わぬ」
ユーフェミアのそっけない返答に、男は察したように唇の端を歪めた。
「さっきはよく俺の剣を受け止めたな。男でも剣を取り落とすのに」
「全くの無事と言うわけじゃない。まだ指がじんじんする」
ユーフェミアがわざと真面目に答えると、男は声を立てて笑った。
「どんな訓練をすれば、あんなに重い剣が繰り出せる?」
「その質問はそっくりそのまま君に返したいね。俺はシュミオン、シオンて呼んでくれ。君は俺と互角にやり合った初めての女性だ。ぜひ名前を教えて欲しい」
シュミオンは好奇心に輝く青い目でユーフェミアの菫色の瞳をじっと見つめた。
「……ミアだ」
少々迷った末、ユーフェミアは簡潔に愛称だけを答えた。
「ミアか、素敵な名だ。念のために聞くが供はいないのか? 君の腕っ節の強さは身に染みて分かったが、それでも女性の一人旅はかなり危険だろう」
シュミオンはユーフェミアが馬に積んだ荷物に視線を向ける。周囲を見回しても彼女の供と思われる姿はない。
「……いたが、途中で逸れた」
再びユーフェミアは素っ気なく答えた。
「そうか」
シュミオンと名乗った男は腕を組むと何やら思案顔になる。
ユーフェミアが供と逸れたと言ったのは決して嘘ではない。
確かに数日前に国境を越えるまではパーシバルが一緒にいた。そして一緒に国境を超えて彼が油断すると、国境に一番近い町でユーフェミアはパーシバルを撒いてきたのである。彼女ははじめからそのつもりだった。
さすがにあの頑固な老いぼれといえど、異国の地で一人になれば頭も冷えるだろう。ユーフェミアが見つからなければいつかは諦めて帰るはずだ。彼には十分すぎるほどの恩賞を支払ってあるから、何処でも好きな所に行って何不自由ない暮らしができるはずだった。
「今夜はこの街に泊まるのだろう?」
シュミオンが空を見上げた。先程から西の方の雲行きがあやしいのだ。それにはユーフェミアも気がついていた。このまま行けば夜半には雨が降り出すことになるだろう。
「ああ、そうなりそうだな」
「宿は決まっているか? もしよかったら一緒に食事でも?」
シュミオンは少々悪い笑顔を浮かべるとぐっとユーフェミアに顔を寄せた。
彼の美男子ぶりでそういう顔をされると驚くほどの効果があるらしい。ほとんどの女性は今の一瞬で落ちるだろう。さすがのユーフェミアでもぐらりときた。
ユーフェミアの場合は、先ほど彼の戦いぶりを間近で見ているのも大きい。正直に言えば、彼女も彼にはかなりの興味を抱いていた。そして戦いの余韻もまだ彼女の中に残ってた。
しかしユーフェミアはすぐに冷静になる。彼の言う通り女性の一人旅は非常に危険なのだ。身の安全のためにもこの手の誘いは断るの一択である。
「ありがたい誘いだが、今夜は──」
言いかけたところで、衛兵の一人が二人の方にやってきた。腕章からしてこの隊のリーダーと分かる。彼は全身をマントで覆い隠したユーフェミアを胡散臭そうに一瞥するとシュミオンに話しかけた。
「シオン、やはり最近この辺りを荒らし回っている奴らだった。軽傷の奴を締め上げてアジトを吐かせたから、俺たちはこれからそこを潰しに行って来る」
「大丈夫なのか、ガイ? 今からじゃかなり遅くなるだろう。きっと今夜は雨になる」
「ああ。だが奴ら腹立たしいことに、コロコロとアジトを変えるんでなかなか尻尾を掴めない。今夜ここで情報を得たのはかなりラッキーだ。手下も大分殺られているし、今のうちに一気にカタをつけてやる」
「そうか……俺も行くか?」
「いや、お前の手を借りるほどじゃない。手こずっているとはいえ相手は野盗だからな。居場所さえ分かれば後はどうにでもなる。それと……」
ガイと呼ばれた衛兵隊長の男はユーフェミアの方を見た。
「あんたにも話を聞きたい。乗客の中には君が賊を倒したと言う者もいるんだ。俺も森の中の賊の死体を見たが、あれはシオンの剣筋じゃなかった。あんた一体、何者だ?」
彼は胡散臭げな顔でユーフェミアをフードの下から覗き込んだ。目が合うと慌てて顔を上げる。
「女……なのか。こりゃ、すげえ……」
ガイが瞬きしながらユーフェミアのフードに手を伸ばすと、シュミオンがやんわりと振り払ってユーフェミアの肩を抱き寄せた。
「ミアは俺の連れだ。事情ならば明日改めてうちに人を寄越せ。どうせ一段落するまでは街を出られないんだろう?」
「あ、ああ……。ああ、そうだ。目処が立つまでは街から出ないでくれ。宿はどこだ?」
「まだ決まってない。そうだろう、ミア?」
ユーフェミアは無言で頷いた。
「そう言うことだ。じゃあ頑張れよ、隊長さん」
シュミオンはガイに向かって片手を上げると、ユーフェミアの肩に腕を回したままその場を離れた。