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第一部

ふと思い立ち、王道ロマンスを書いてみました。

五部完結のストーリーとなっております。

ぜひ、お楽しみいただければ幸いです!

1, 命と回廊

「クランドール公爵よ、其方にカイゼル国ロードシュタイン侯爵への輿入れを命ずる。月末までに支度を整え出立せよ」

「御意」

 周囲が息を呑む中、クランドール公爵家の女主人ユーフェミアは、少しも表情を変えることなく淡々とその命を受け入れた。

 退室を許されると、片膝をついた騎士の最敬礼の姿勢からすっと立ち上がり、一度鮮やかに踵を打ち鳴らすと踵を返して部屋を出る。その颯爽とした立ち居振る舞いに、その場にいた全員が目を奪われた。


 政変に巻き込まれ失脚した、リルド国きっての大貴族クランドール公爵家の女主人は弱冠二十五歳。蜂蜜に例えられる見事な金髪に神秘的な菫色の瞳をもった美貌は、珍しい女公爵の称号とともにリルド国内に知れ渡っている。

 一方で二十五歳を超えてまだ独り身なのは、女性ながら国王軍の騎士として中隊を率いるほど腕が立つのを恐れて男どもが寄りつかないのだとか、士官学校時代に王子の強引な求愛を一撃のもとに返り討ちにしたのを逆恨みされて話を潰されているからだとか、十七の年に父親と一緒に幼馴染だった許嫁を不慮の事故で亡くし未だに喪に服しているからだとか、社交界には色々な噂が飛び交っていたが真実は定かではなかった。

 

 ユーフェミアが回廊に出ると、近くで待機していたパーシバルが大股でやってきて彼女に並んだ。

 六十近い歳に不釣り合いに鍛えられた長身に、白毛の混じった短い髪と口ひげを丁寧に撫でつけたパーシバルは、騎士であった彼女の父親が若い頃に出会った騎士仲間であり、その父の代からクランドール家に務める最も古参の筆頭執事である。そして大黒柱である前主を亡くして今なお、年若い女主人に支えてくれる忠実な家人でもあった。

 パーシバルは長身を屈めると、やっと聞き取れるほどの小さな声でユーフェミアに問いかけた。

 「若様、殿下はなんと?」

 彼は敬愛を込めて、ユーフェミアのことを姫ではなく若様と呼ぶ。

 「予想通りだ。ロードシュタイン辺境伯への輿入れを命じられた。出立は月末」

 「……左様でございますか」

 「急ぎ屋敷に戻ろう」

 「畏まりました」

 パーシバルは大股でユーフェミアを追い越すと、馬車の手配のために先に外へと出て行った。


 パージバルが姿を消すと回廊の円柱の陰から今度はアランが姿を現した。

 アランは騎士隊でユーフェミアの副官を務める男である。いや、王命の下った今はもう務めていたというのが正しいだろう。

 アランは怒りを通り越した蒼白な顔を強張らせ、指先が白くなるほど強く握りしめた手をブルブルと震わせている。

 「隊長、奴は貴方になんて非道なことを……」

 「アラン、決して来るなと命じたはずだ。いいか、すぐにこの場を立ち去れ。私と話しているところなど人に見られてはならぬ。……其方を巻き添えにはしたくない」

 「ミア……俺は……」

 この頼りになる副官が、とても誠実だが少々情熱家すぎることも、そして密かにユーフェミアに思いを寄せていることも彼女は知っていた。女の上官など誰も仕えたがらない貧乏くじを進んで引いて、それでもどんな時でも明るく支えてくれた心優しい男である。


「それにこのままここにいたら、きっと其方は、二人で誰も知らないところに逃げようなどと夢見がちな少女のようなことを言って、私を困らせそうだからな」

 ユーフェミアがほんのわずかに唇を緩めると、アランがハッとして顔を上げた。

 「アラン、礼を言う。隊の中で其方ほど信頼できる者は他にいなかった。その気持ちだけありがたく頂戴するよ。そして国を離れてもずっと大切にすると誓おう」

「ああ……ミア……君はもう決めてしまったんだな……」

 アランが柔らかな茶色の髪を掻きむしって両手で顔を覆う。

「政治とは、貴族とはそう言うものだろう? 生まれた時から分かっていたことだ」

 ユーフェミアは小さく肩を竦めると優しい目で項垂れるアランを見た。

「さあ、もう本当に行け。そしてこれが最後だな、アラン。どうか其方も達者で……」

 ユーフェミアは項垂れるアランをその場に残すと、姿勢を正し再び回廊を歩きはじめた。端まで来るとくるりと振り返って今来た道を見つめる。

 嬉しいことも悲しいことも、様々な思い出が詰まった王城は今この瞬間が見納めである。ユーフェミアはその光景を目に焼き付けるように一際強く見つめると、再び鮮やかに踵を返してその場を立ち去った。



2.死と失脚

 政変の発端は数月前、リルド国の国王と世継ぎであった第二王子が流行病で呆気なくこの世を去った時に遡る。

 リルド国には二人の王子がいたが、最初の王子は生まれつき体が弱く病気がちだった。そのため先を案じた国王は彼らが十の歳になる時に世継ぎを第二王子にすると定めた。しかし国王と第二王子の死によって王位の座は急遽第一王子が有することになった。


 二人の王子はそのように捻れた関係にあったため、当然ながら最悪と言ってよいほど仲が悪かった。それぞれが相応の理由を持った派閥に取り囲まれ、その派閥間のどこかで常に大小の諍いが勃発しているようなありさまだった。

 代々王家に仕える騎士を輩出するクランドール公爵家は、当然ながらこれまで後継と定められた第二王子の派閥に属し、その家柄から派閥の筆頭として様々な面から王子を支えていた。

 それ故に今回の政変によって、第二王子派の実質的な筆頭であるクランドール公爵家が、見せしめとしての処遇を申し渡されることになったのである。


 クランドール公爵家の女主人であるユーフェミアに命じられたのは、隣国、カイゼル国の貴族への輿入れだった。

 国境を接するリルド国とカイゼル国はここに数十年間は度々諍いが絶えない険悪な関係だったが、急死した第二王子の奮闘によって、先般ようやく停戦調停を結んだところである。

 そこでカイゼル国でも特に色濃く王家の血筋を受継ぐ名家ロードシュタイン侯爵家に、こちらもまたリルド国きっての大貴族クランドール公爵家から嫁ぎ人を出せば、大義も名分も立って見せしめも厄介払いもできるという、実に無駄のない解決策となるのだった。

 そしてそれは第二王子の死を知った瞬間から、ユーフェミアが予想していたことでもあった。


 ユーフェミアは頭の中で、目まぐるしく今後のことについて考えを巡らせる。今回の命で一番の問題は、嫁ぎ人である彼女自身がクランドール公爵家の当主であるということだった。

 血筋の近い親族は当然ながら同じ派閥が多く、今回のクランドール公爵家への仕打ちに恐れをなして金輪際ユーフェミアには近づかないことだろう。そうなると両親も兄弟も子もいない彼女には、国に残してゆく家督を託す相手がいなくなってしまう。その場合、ユーフェミアの嫁いだ後、適切な後継のいないクランドール公爵家の資産は全て国に返納されることになるだろう。

 つまりユーフェミアをカイゼル国へ嫁がせるというのは、クランドール公爵家を取り潰すのと同義なのだった。ユーフェミアはただでさえ慌ただしい出立の前に、全ての資産や使用人を整理していかなければならない。

 そしてそれは嫁ぐユーフェミアにとっても、もう二度とこのリルド国に帰る場所がないということを意味していた。


 

3. 暁と出立 

「では若様、参りましょうか」

「ああ……だがパーシバル、本当にいいのか?」

「もう何度その問答をいたしましたか?」パーシバルが芝居掛かった態とらしい溜息をついて見せる。「この老いぼれは、何があろうとも絶対に若様の側を離れるつもりはありませんと口を酸っぱくして申し上げておりますのに。好きにせよとおっしゃったのは若様でしょう?」

「そうだが……」

 ユーフェミアは馬上から抜け殻となった屋敷を見上げる。

 その隣には同じように騎乗したパーシバルがいる。

 そして本来であれば家人たちが勢ぞろいして壮麗な見送りをするはずのこの場にいるのは、ユーフェミアとパーシバルのそのたった二人だけだった。

 

 ユーフェミアは残された短い日々の中で、全ての使用人に暇をだし、希望する者には次の行き先を探し、売れる家財は売り払って資産を処分した。

 だからユーフェミアの当初の計画では、今この場に残っているのはユーフェミアただ一人のはずだった。しかしユーフェミアが何度説得してもパーシバルだけは決して首を縦に振らない。結局、根負けした彼女は好きにすればいいと半ば投げやりになって、渋々彼の同行を許すしかなかった。


 パーシバルはいつもに増して凪いだ瞳でユーフェミアを見た。

 彼の若草色の瞳の中には、彼女の期待するような迷いの影は微塵も見えず、この歴戦の執事であり老騎士が、すでにすっかりと覚悟を決めてしまっていることが分かった。そうなると頑固なパーシバルの意思を変えさせるのほとんど不可能に近い。

「この老いぼれのことなど気にせず、もっとご自分のことを考えてくださいませ」

「ふん、自分に考えるようなことなどあるものか」

 ユーフェミアは少々ふてくされたようにそっぽを向いた。彼女が唯一パーシバルの前でだけ見せる顔である。

 普段は女公爵として、とても二十五とは思えない貫禄を見せる彼女だったが、実際には年相応なところも沢山あった。しかしそれらは全て、十七の春に突然家督を継ぐことになった彼女の血の滲むような努力によって、はじめから存在すらしなかったように、女公爵という硬く冷たい仮面の下に完璧に覆い隠されていた。

 だから人々は彼女の目の覚めるような美しい姿と、人前ではほとんど表情を変えることのないつれない立ち居振る舞いの表層だけを見て、彼女を冷血だとか非情だとか噂していた。それがパーシバルには特に気に入らなかった。


「しかし若様が一人で行くと言張った時には肝を冷やしました。お分かりかとは思いますが、ここからカイゼル国の国境まで行こうと思ったら二ヶ月以上はかかる距離ですよ? いくら腕に覚えのある若様とはいえ、女性一人では危険すぎます」

「パーシバル、その説明は聞き飽きた。だからお前の同行を許したろう。仕方ないのだ……もうこれ以上他の者を巻き込みたくはない。無事に辿り着けるかも、辿り着いたところで返してやれるかも分からぬこのような不毛な旅に、誰も同行などさせられるはずがない。それに……」

 ユーフェミアは東の空を見ると朝焼けに目を細めた。

「嫁いで自由がなくなる前に、少しだけ見てみたいと思ったのだ。この国や彼の国の色々をな。父上の後を継いでからは必死で、旅行などしようと考えたこともなかっただろう?」

 パーシバルは若草色の瞳に労わるような優しい光を浮かべた。


 ユーフェミアはできるだけ目を逸らせていたこれからのことに少しだけ思いを馳せてみる。

 彼女は伴侶となるロードシュタイン侯爵を直接見たことはなかったが、伝聞によれば侯爵はすでに五十代の後半。代々優れた軍人を輩出する血筋らしく、非常に厳格な性格をした険しい顔つきの大男だという。彼女はその男の後妻として嫁ぐのだ。

 一方のユーフェミアはというと、こちらも似たり寄ったりだ。リルドの女公爵と言えば、軍隊を率いる女騎士として国内だけではなく周辺国にも広く知られている。

 いくら王命とはいえ、諍いの絶えなかった隣国のそれも元軍属の騎士の妻など、天地がひっくり返っても決して歓迎などされるずがない。相手は一体どんな阿婆擦れがやって来るのかと戦々恐々としていることだろう。さすがのユーフェミアも少しぐらいは拗ねてもみたくなるのだった。


「その話を聞いて、ようやく若様の御心が分かりました。だからこうして二人旅を了承したのです。辿り着けるかも分からぬ旅ならば、多少の寄り道をしたところで誰にも咎められますまい」

 パーシバルは大げさに肩を竦めて見せる。

 「ああ、そうだな」

 ユーフェミアも小さな笑みをこぼした。

「せめて道中、美味しいものを食べ温泉にでも浸かり、のんびりと参りましょう」

「ふふ、お前はいつでも前向きだな。……そういうお前にこれまでどれほど助けられたことか。……ありがとうパーシバル」

 パーシバルは大きな手でそっとユーフェミアの背中を押すと、二人は馬首を並べて朝焼けの美しい空に向かって進みはじめた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 公爵家の当主を他国の貴族へ嫁がせると、領地も持参金としてその貴族のものになっちゃいますよ。無主の地になったり国王のものになったりはしません。
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