生まれてから死ぬまでの人生で自分は何回キスをするのだろうかと考える日が年に1回ある
故郷・鹿児島県から、新茶の季節に知覧茶が届く、送り主は、祖母の家の隣の家の菊お婆ちゃん、届かなくなったら、菊お婆ちゃんの死を意味する。
菊お婆ちゃんを慕っていた私は、菊お婆ちゃんの家の縁側で、知覧茶を飲んで、菊お婆ちゃんの過去を知った時・・・
自分は生まれてから死ぬまでの人生で何回キスをするのだろうかと考えてしまうようになった。
そして毎年、知覧茶が届くと、自分は生まれてから死ぬまでの人生で何回キスをするのだろうかと、考える恒例行事となってしまった。
故郷・・・鹿児島県
新茶の季節に、祖母の家の隣の家のお婆ちゃんから・・・
知覧茶が送られてくる。
知覧茶が送られてこなければ、もう、この世の中に存在していないと言う事を意味する。
祖母の家の隣の家のお婆ちゃんと、私との唯一の繋がりである知覧茶、何故、知覧茶で繋がっているのか?
それは、私が小さかった頃のお話し・・・
そして・・・
知覧茶が送られてくると、自分は、生まれてから死ぬまでの人生で、何回キスをするのだろうかと考える、年に1回の恒例行事となっていた。
今年も、知覧茶が届いた。
私にとって、知覧茶、イコール、祖母の家の隣の家のお婆ちゃんなのだ。
祖母の家の隣の家のお婆ちゃんは、1人暮らしで、遊びに行くと、お菓子やケーキをご馳走してくれたり、いつも、お小遣いをくれるので、祖母よりも大好きだった。
名前を、田中 菊さんと言った。
私は、菊お婆ちゃんと呼んで慕っていた。
そして、自分が成長するにつれ、何故、1人暮らしなのかを、菊お婆ちゃんの家の縁側で、知覧茶を飲みながら聴いた事がある。
庭を眺めながら、知覧茶を飲んでいた菊お婆ちゃんは答えてくれた。
菊お婆ちゃんの家の仏間には、特攻隊員の遺影が飾られていた。
雨傘 完爾 少尉
享年 二十歳 戦死 二階級特進により 大尉 となる
私は、遺影の方を指差して、聴いた・・・
(菊お婆ちゃんの旦那さんかい?)
菊お婆ちゃんは、答えてくれた。
(あの遺影の人とは、接吻を1回しただけよ。)
接吻・・・?・・・つまり、キスを1回しただけ、何故、遺影が飾られている。?
ちんぷんかんぷんな私は、問いだだすことにした。
(旦那ではない、何故、遺影が飾られているのか?)
ちんぷんかんぷんな私の表情を察してくれた、菊お婆ちゃんは、優しい微笑みで答えてくれる。
(お婆ちゃんはね、生涯、ずっと独身よ、あの遺影の人とはね、恋愛する間もなく、特攻隊で出撃して戦死、出会って、キスを1回しただけ、愛を育む事なく、沖縄県の海に散っていった人なのよ。)
・・・
戦争?・・・特攻隊?・・・そうだった、ここ知覧は、特攻に縁のある場所だ。
私は、聴いてはいけない事を聴いたかも知れない。
しかも、この家の表札は雨傘となっている。
しかし私が、喋っているお婆ちゃんは、田中、興味深い、興味津々が勝ち、遠慮することなく菊お婆ちゃんに聴いてみた。
(キスを1回しただけって・・・それに、菊お婆ちゃんの名前は田中、しかし、この家の表札は雨傘、ちんぷんかんぷんなんですけど~)
菊お婆ちゃんは語ってくれた・・・
現在思えば、菊お婆ちゃんにとって、思い出したくもない過去の記憶だったかも知れない。
遠慮なく聴いた自分のデリカシーの無さを反省しなければいけないと思いつつ・・・
菊お婆ちゃんが語ってくれた事を思い出した。
菊お婆ちゃんは陸軍にいた、戦時中、陸軍に、女性だけの陸軍部隊が存在したことは、あまり知られていない。防空に携わる「女子通信隊」、女子たちの「憧れ」だったらしい。
東部1950部隊所属 西部管区 所属
軍事機密を扱っていた為、あまり記録が残されていない、菊お婆ちゃんがいた「女子通信隊」でのお話しが、私が、生まれてから死ぬまでの人生で、何回キスをするのだろうかと考える日になる。
「陸軍女子通信隊」・・・
立場は軍属、空襲警報を流す為、各地から集まった敵機の情報を司令室に伝える役割を担っていた。
イギリスの女子部隊をモデルにしたと言われている、カーキ色、将校と同じダブルボタンの制服は「贅沢は敵だ」の時代にあって、おしゃれ盛りの女子たちには憧れの存在だったらしい。
菊お婆ちゃんは、「女子通信隊」募集ポスターに、「生け花や茶道も習える」という謳い文句に惹かれて入隊を決意したな・・・っと記憶してると、私に教えてくれた。
菊お婆ちゃんの任務は、各地の防空監視哨やレーダーで集められた敵機の情報を司令部に伝えること・・・
※防空監視哨
防空監視哨は、大日本帝国陸軍の、敵機を遠く発見し、これを防衛司令官に報告する監視哨である。
ヘッドホンを通じ入った情報を、すぐに操作盤のスイッチに反映させると、司令部の地図に光りが点り、それを元に作戦や空襲警報の指令を決める仕組みだ。
(情報を耳で聴いて、口で復唱しながらスイッチを押す、敵機高度何千メートルなんというのを右手で入れて、左手で消していかないといけない。それが6時間、トイレにも行けない。復唱するだけでクタクタ、間違えると作戦室から、年中怒鳴る声が聞こえる。・・・の監視所は何をしているんだ、とかね。)
ちょうど、日本の本土への空襲が活発になる頃だった。
勤務は毎日6時間、24時間4交代制だ。
菊お婆ちゃんの1日は、朝9時に出動、6時間の勤務を終えると、午後3時から6時間は待機、その間は、畳張りの部屋で仮眠、または食事、夜9時から、また6時間の勤務、そして、午前3時から、また6時間の待機、そして翌朝9時、明るいなかで、ようやく家路に着く、地方から勤めた人たちは寮生活で、「生け花や茶道」をする時間もあったようだが、実家から通う菊お婆ちゃんに、「生け花や茶道」の余裕はなかった。
(警報がずっ鳴りっぱなしだから、夢中で勤務をしていた感じ、家と職場の往復で、友達も出来なかったんだけれども、その当時、少年飛行兵だった、雨傘完爾さんと知り会ったのよ。)
私は聴いてみた、忙しい勤務なら、会う事も会話をする事も出来ないだろう・・・と
菊お婆ちゃんの返答は・・・
(6時間の待機にね、しかし、刻々と戦況は悪化してね、少年飛行兵だった雨傘完爾さんも、特攻隊員として、少尉として、ますます、忙しくなった。)
私は、6時間の待機で、菊お婆ちゃんは、雨傘完爾さんと仲良くなっていったんだな・・・っと思った。
その頃、菊お婆ちゃんのいた「女子通信隊」は、鹿児島県・知覧から、急遽、万世飛行場に移動となった。
万世飛行場は、終戦直後、1945年3月から7月末までの約4か月間の幻の特攻基地だそうだ。
南北戦線の激化により、知覧のみでは運用にきたすようになり、急遽、ここ、万世に補助飛行場が建設、急造された為、土を固めただけの滑走路であった為、固定脚の飛行機しか離陸が出来なかった。
わずか、約4か月の間に、201名の特攻隊員が万世より沖縄県に向けて飛び立ち、沖縄県の海に散ったそうだ。
その頃の、菊お婆ちゃんは、第4地下防空壕通信室にいた。
勤務内容は、飛び立った特攻機からのモールス信号を受信する事に従事した。
特攻機が敵艦に突入する際に、戦果報告として、自らモールス信号を打電、突入する瞬間を知らせる為に、信号機のスイッチを押し続け、「ツーー」と信号を送り続けた。
つまり、突入の衝撃で信号機から指が離れて、信号機が途絶えた瞬間が突入の合図であり、特攻隊員が絶滅した瞬間でもあった。
特攻機からの信号を受信していた、菊お婆ちゃんは戦後も、モールス信号を聞くと胸が締め付けられる思いがしたと言う。
そして、菊お婆ちゃんは、一端、仏間に行き、雨傘完爾さんの遺影の後ろに手を伸ばして1通の手紙を持って来て、私に差し出した。
私は、無言で開封した。
無言で、黙読する。
僕はもう、
菊さんの顔を見ることが出来ないだろう。
菊さん、
もっと顔を見せてください。
しかし、僕は何んにも
「形見」を
残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから、
「形見」を見て
菊さんを泣かせるからです。
雨傘完爾は、
いよいよ出撃します。
この手紙がとどくころには、
沖縄の海に散っています。
菊さんを
一人残していくのは、
とても悲しいのですが
許してください。
雨傘完爾の名前の郵便通帳と印鑑を
送ります、
これからの菊さんの人生に
使って下さい。
軍刀と時計も送ります、
売ってお金に替えて
使って下さい。
雨傘完爾の人生より、
これからの菊さんの
人生が大事なのです。
家も買ってあります、
本当なら
菊さんと結婚して
夫婦になりたかった。
もう、プロペラが
回っています、
さぁ出撃です。
では、雨傘完爾は
征きます。
これからの
菊さんの人生に
幸あれ
雨傘完爾の遺書だった、驚いた、唖然、言葉も出ない・・・
そしたら、菊お婆ちゃんは言った。
(この手紙はね、特攻隊員として、死んで行った後に、郵便で届いたの、この手紙の家が、ここの家よ。)
無言の私に対して、菊お婆ちゃんは続けた。
(特攻隊員としての出撃は、6時間の待機で知っていたわ、冥土の土産に、お婆ちゃんから接吻をしたのよ。)
私は、驚いた。
菊お婆ちゃんから、キスをしていたなんて・・・
そして、菊お婆ちゃんの言葉に私は無言になった。
(モールス信号を特攻隊員から受信する事に従事してたでしょ、勿論、雨傘完爾さんのモールス信号も、お婆ちゃんが受信したのよ。)
好きな男性の最期・・・
私には耐えられない・・・
戦争の悲惨さが伝わる・・・
キク セップン アリガトウ ・・・
ワレ敵艦ニ突入ス・・・
「ツーー ツーー ツーー ツーー」
「・・・・・・・・・・・・・・」
雨傘完爾 少尉 二十歳 戦死
二階級特進により 大尉となる
菊お婆ちゃんは、言った。
(キク セップン アリガトウ・・・は、軍には報告をしていない。幾多数多のモールス信号の受信に従事していたけど、このモールス信号だけは、お婆ちゃんだけのモールス信号なのよ。)
たとえ、1回だけのキスとしても、菊お婆ちゃんは、雨傘完爾さんの妻なんだ。戸籍上は夫婦でなくても、妻として、ここの家にいるんだ。
だから、私は考えてしまう・・・
生まれてから死ぬまでの人生で、自分は、キスを何回するのだろうか・・・
そして、それから、就職の為に故郷を離れることなった私に、菊お婆ちゃんは言った。
ちょうど、新茶の季節だった。
(新茶の季節に、知覧茶を送ってあげる。知覧茶を飲んで、お婆ちゃんを思い出して、もし、知覧茶が届かなくなったら、それはお婆ちゃんが、もう、この世の中に存在していないと言う事、お婆ちゃんの死が、わかりやすくなるし、丁度、いいね。)
知覧茶が、とどくたび、このお話しを思いだし、考えさせられてしまう、だから、私にとっては、知覧茶は特別なお茶なのだ。
「終わり」
陸軍に、女子通信隊が実在していたのは事実、万世飛行場も存在した。
地下防空壕通信室で、特攻隊員のモールス信号を受信した防空壕もある。
そしてなによりも、戦争で散った英霊の数だけ、人生のドラマがある。
その人生のドラマの1つにしか過ぎない・・・
そして・・・
思うんです・・・
現在の平和は、戦争で散った英霊の数を犠牲にした分だけ、その上で成り立っているんだと言う事を、私たちは、忘れてはいけません。
そして、英霊たちの活躍を、後世に伝えていく努力をしなければいけない。
そう、私は、思います。