落ちる
駅で電車を待つ。いつもは通りすぎるだけの駅、久しぶりのホーム。待ち合いには少女が一人。一瞬、二人きりになる空間に躊躇うが、外は寒かった。暖房がきいているはずの待ち合いへ。
少女は舞い込む冷たい空気に目をやることもなく、ただスマートフォンを横にして両手の親指で画面をリズミカルに押していた。リズムゲームでもしているのだろう。耳は自由で、無音。
二つ空席をとって、座る。次の電車は十分後にしか来ない。ちらと横目で少女を見て、少女というほどの年齢ではなさそうだと思った。華奢というわけではなく、あか抜けないというわけでもなく、きっと何かに熱中する様を幼いと無意識で判断したのだ。
きれいな子、いや、きれいな女性。顔立ちが、艶やかな黒髪が、赤い唇が。触れてみたいと思わせる象牙のような白い頬。たとえば、顔をあげて、こちらを見たら。ドラマのように、話しかけてくれたら。運命を空想する。
でも、どうせ。
彼女はこちらを見ない。だってゲームに夢中だ。冷たい冬にさえ動じない。同級生だった過去もないようなただの通りすがりが声をかけたところで、せいぜい無視されるか雑に流されるかだ。期待するな。ドラマティックを求めるな。現実に希望はない。
電車が来る。
待ち合いを出る。彼女は変わらず、ゲームに夢中だ。そもそも、存在にすら気づかれていなかった。声をかける勇気も、きっかけも、ない。できるだけ呼吸をしないように、隠れるように、気づかなくていいから、離れる。きっと永遠に出会わない、別れ。目を閉じる。電車が来る。アナウンスが聞こえている。もうすぐ。
彼女が顔をあげた。
きれいな目だ。吸い込まれそうな、ブラックホールのような。見いられている。視線に誘導されるように、前へ進む。体が勝手に、制御できず、足を進める。ふわり、ため息を吐くように彼女が笑った。気づく。彼女はゲームをしていて、私はまるでフィクションのように。線路へ。
線路へ落ちる、前に。腕を、体を後ろに引かれた。
「ごめんね。冗談だったの」
待ち合いでゲームをしていたはずの彼女が私のすぐ後ろで言った。振り向いた途端すっとその姿が消えて、探すように視線をさ迷わせているうちに、私は電車に置いていかれてしまっていた。