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6・神さまジーンの初仕事(仮)


「こ、これで……いいんですかね?」


 書類をバインダーに収めようとすると、ニモツがそれをぱっと奪い取ってしまった。書類を眺めて彼は(彼女かもしれないけど)一言

「結構」

 と言ってフォルテにそれを手渡した。


「ようし! 雇用契約書の控えはあとで社員証と一緒に渡すから。サンガツ、お前が面倒みてやれや」

「おめでとう、ジーンちゃん。ジーンちゃんはあたしのアシスタントよ! 先輩がしっかり面倒みてあげますからね」

「はあ、どうも……よろしくおねがいします……」


 なんだか大変なことになったような気もしたが、こうなったらなるに任せよう。


 これまでだってそんな感じで生きて来たし、俺には別段夢もない。

 ただぼんやりと生きるために働くだけの毎日なら、人の世界の仕事も神様のそれも変わりゃしない。

 短時間で実入りの良い仕事があるなら願ったりだ。


「こんな世界があったなんて……」

 目の前に広がる異世界の景色は、今まで俺が見たどんなゲームやどんな映画の、どんな漫画のそれとも思い当たるものがない。人の想像など本当にちっぽけだ。

「ここも……誰か神様が作って……管理を公社に任せているってこと?」

「そう。大体《創造》のスキル持ちの神様なんてのは本当に特権階級の貴族さまでほんの一握りなのよね。それ以外の神様は金を払って世界の所有者オーナーになるの。オーナーになれば世界は自分のものなんだから、管理にしろリノベにしろ、好きなことが出来るのよ」

「リノベ……」

「リノベーション! 中古品を作り変えるってこと!」

 ああ、なるほど……確かにそういう意味だろう。

 これでも俺は不動産会社で少しばかり似たような管理の仕事をしていたことがあるからそういうことはおおよそ理解している。

 まあ……俺がやっていたのは居住用のマンションやオフィスビルの管理であって、異世界の管理なんてことはしたことがないけれども。

「それにしたって、5時間ぽっちの労働で320万円なんてなあ……」

「ね? いい仕事でしょ。ああ、でも5時間ってのはあんたんちの現地時間のことだから、念のためカペーの標準時間も見ておいが方がいいわよ」

 サンガツはそう言うと再びスマートフォンを取り出した。そんなもの持ってる神様がどこにいるんだ。


「……現地時間?」


「カペー領には沢山世界があるから、時間の流れもまちまちなの。それをご領主さまのお力でカペーの標準時刻に統一しているんだけれど、あんたのところの人外地はご領主さまの恩恵が最低限にしか届かないから、標準時刻とは時間の流れが違うのよね」

 最低限度に整っているというインフラの中にそうしたものは含まれないのか……俺は嫌な予感しかしなくなって恐る恐る尋ねた。

「どう違うの?」

「カペー領の標準時刻でも1日は24時間だし1時間は60分だけど、カペー領の1日はここよりずっと早いわ。あんたの世界の1時間は……だいたいカペーの標準時刻だと……確か……」

 サンガツはしばらくスマートフォンの画面を見つめていたが、不意に顔を上げて


「5544時間ね」


 と、笑った。


「はあ!? 5544時間!?」

「そうよ。ちゃんとアプリで計算したもの」

「そ、それって……つまり、うちの実家で1時間過ごしたらカペーの領内ではもう231日経っちゃってるってこと?」

「そうよ。でも逆に考えて? 他のカペーの領地で231日時が過ぎたとしても、あんたの家に帰ればまだ1時間しか経ってない。時間を有効活用出来るわ」


 俺は強烈な不安に襲われて、なんだかのどが苦しくなってきた。いつか職場でストレスが限界値を越えて倒れた時の感覚に似てる。


「ちょ、ちょっと待てよ……それじゃあ……さっきの、5時間勤務ってのは……」

「そうね。あんたの世界の時間で5時間勤務ってことは……カペーの標準時刻に直すと……」

「1時間が231日なんだから、単純計算でその5倍だろ。1155日!? 3年以上も働かなきゃならないってこと!?」

「あら、大丈夫よ」

 サンガツは勢いも付けずに地面を飛び上がった。そのまま宙で寝転ぶような体勢になって俺を見下ろす。


「だって、外で3年働いてもあんたの家に帰ってきたら5時間しか経ってないんだから。日帰りで戻ってこれるじゃない?」


「そ、それじゃあ日給320万ってのも……つまり……」

 俺は振り返ってフォルテを見たが、彼はニモツと話をしている。

「制服」がどうだとか「今からちゃんとしたのを作った方がいい」とか「あれでいいよ」とか……そんな内容だけが断片的に聞き取れた。


 二人に尋ねるとまた面倒なことになるような気がして、俺は我が身を掻き抱いた。記憶にある昨夜までの自分の肌より心持ちすべすべしたそれが今は一層忌々しい。


「……1155日働いて320万? ウソだろ……年間で割ったら百万ぽっちにしかならねえじゃねーか! それじゃあ何か? 1155日連続勤務!? それで231日休み? ンな馬鹿な!」


「大丈夫よ。制服が支給されたんだもの、土民だったころよりも身体がずっと頑強になってるわ。ちょっとやそっとのことじゃ疲れたり壊れたりしないから不眠不休で働ける。それに休憩時間だってちゃんとあるもの。休憩時間はいつ取っても構わないし、好きなことしていいわよ」


 俺はよろめいてがっくりと地面に膝を付いてうなだれた。

 サンガツが頭上から「パンツ見えてるよ」と声を掛けていたが、もはやそんなことはどーでもいい。

 すると不意にニモツがメガネの奥からサンガツに鋭い視線をぶつけた。


「それで? 研修もすっとばして、初日の今日はこの新人に一体どのような仕事を?」

「ああ、害虫駆除よ。この間退治したのにまたわいたの。超絶クレーム来ちゃったからさっさとやらないとね!」

 ほらーーとサンガツが崖の下を指したので、俺は膝を付いたまま地面を少しだけ這って、崖の下を見下ろした。

「が、害虫?」

「大丈夫よ。デキる女神がもうちゃーんとワナを仕掛けておいたわ!」

 えへん、と胸を張ったサンガツが右手を翻すと、彼女の手首が淡い色に輝いた。くるくると手首を回すと、辺りに落雷のような轟音が響き渡る。

「な、なんだ……なんだ?」

 心なしか暗くなったような気がして、俺は周囲を見渡した。

 

 刹那、俺の視界の端に飛び込んできたのは、虹色の雲の隙間から垂れ下がる大きな輝く鎖。長い長いそれが天から海面のその下にまで伸びている。

「あ、なんなものさっきまで何も……」

「馬鹿ねえ。ワナが目に見えたら仕掛けにならないでしょ。海の中に生き餌をまいておびき出しておいたのよ」

 目を凝らすとにわかに海面が騒がしいのがよくわかる。黒い影が無数に海面近くに蠢いている。轟音と共にまるで錨のようにそれが引き上げられると、餌を追ってその黒い物体が幾匹も幾匹も海面を飛び跳ねた。

 骨組みだけの檻のような球体に、無数に食らいついているのは大きな魚のような生き物だ。大きさだけながらシャチほどもあるかもしれない。ゴツゴツした固そうな鱗が龍のそれのように輝いているのがわかる。おまけにまるでトビウオのように大きく鋭い胸鰭で海面を叩きながら仕掛けた餌に鋭い歯で喰らい付いているその姿は、俺が見知った《魚》なんて生易しい生き物とは思えなかったけれども。

「ははあ……あれですか。まったく厄介ですな」

「そうなのよ。放っておいたら海の中でまたすぐ繁殖しちゃう。今度こそ根絶やしにしなくちゃね」

「ですが……彼には少々荷が重い仕事では? 右も左もわからない新人にいきなり実践経験なんか積ませてもいいことなんてありゃしませんよ」

「だーいじょうぶよ! 何事も経験ですもの。あたしが一緒に同行してあげるんだから、心配ないわ」


 俺はニモツやサンガツの言葉もほとんど耳に入らなかった。

 とにかく眼下で繰り広げられている激しい捕食活動に汗も出てきやしない。青く美しい海は大きな生き餌の檻が引き上げられた周囲だけぼんやり色を変えている。

「あ、あんなものを……退治する仕事? ウソだろ……害虫って……む、虫じゃねえじゃん……」

「それに、万が一のことがあったって労災もおりるんだし心配ないじゃない? 時間はたあっぷりあるんですもの。そのうち慣れるわ」


「おええええ!!! 信じられねえ!!! なんっちゅうブラックな会社だ、ちっきしょおおおおおお!!!!」


 自分でも未だ聞きなれないその女声は、カペー領の遥か外域の果ての更に端っこにあるという第四十二ペトルシアン領にほんの僅か響き渡った。

 

 記念すべき俺の神様アシスタント、初日の第一日目。


 ちなみに、今日の勤務はあと1154日残っている。


こちらの物語は短編のため、これにて一旦終了となります。

ご愛読ありがとうございました!

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