4・俺が○○○になった朝
結局、俺の家に突然上がり込んだ(はずの)神様を自称するおかしな二人は、俺がいろいろと考え込んでいる間に姿をくらましてしまっていた。
まるでおかしな夢を見たようで両親に話をする気にもならず、俺は大学時代の友人にラインの返事だけして早めに休んだ。
もしかしたら暑気にやられたのかもしれない。うん、きっとそうだ。
いつものまどろみの中に僅かな違和感を覚えて、俺は意識を取り戻した。枕元のスマートフォンの画面を見ると、おおよそここ最近の起床時間である。
虫の鳴き声がやかましいのはもう慣れたが、慣れない違和感の正体が掴めず俺はゆっくりとベッドの上で身体を起こした。
スマートフォンの画面を再び確認する。
「あれっ……ロック画面……勝手に変わってんな」
俺が見たこともない、どこかの店のケーキのような写真に変わっている。白い生クリームがもりもりになった甘そうなそれ。見ただけで胸焼けがしてくる。
対して気にも止めずにそれを再び枕へ放ると、俺は汗でベタついた首元をかいた。
すると、おかしな違和感がいよいよ鮮明になって、俺はベッドを転がり落ちた。
「なんだ……なんだ、この髪!?」
慌てて部屋を見渡すものの、俺が高校時代まで使っていた殺風景な部屋に鏡なんて洒落たものがあるはずもない。仕方なく俺はスマートフォンのロックを解除し、カメラを起動させる。
「自撮りモードなんて……使ったこともねーけど……確かあったはず……」
すると、モードを変更させるでもなく起動したスマートフォンの画面いっぱいに、全く知らない顔をした女が現れた。
「う、うわっ!!!!」
俺は心臓が潰れるほどに驚いて、思わずスマートフォンを畳に投げ付けていた。
「なんなんだよ、これ!」
あらん限りの声で以って絶叫して、俺はそっとそれを掴んだ。肩にばさばさと掛かる長い髪はひどく暑苦しい。俺は自分じゃ見たこともーーもちろん履いた覚えもない、フリフリしてすべすべした素材で出来た淡い色のトランクスみたいなショート丈のパンツをはいている。
というか、全身に鳥肌が立っているがどうにもその身体そのものがおかしい。
ショートパンツから覗いた太ももは夕べベッドに入る前に見たそれより明らかに細いし、ふくらはぎには毛がないし、それよりなにより、さっきからぽにょぽにょ揺れているこの胸のこれは一体……
「こ、こんな映画があったぞ……そうだ、確か夢の中で女と男が入れ替わるとかそういう……」
俺が身に覚えもまったくないそれにそっと自分の手のひらを重ねた瞬間、荒々しい足音が聞こえて勢い良く部屋の戸が開いた。
「ちょおおおおっと! 一子!! 穀潰しがいつまで寝てんだい! 夏休みじゃないだろ、あんたは!!!」
それはいつもの母の怒鳴り声だったけれども、彼女にはよっぽど俺が奇異なる姿に見えたことだろう。
俺はわずかに背中を丸めて、そっと自分の胸をーーつまり、大きく丸く膨らんだ自分のおっぱいとやらに手を這わせる俺の姿を目の当たりにしたのだから。
「きゅ、急に部屋を開けるなって何度も言ってんじゃねえか!」
「無職の居候が何様だい。さっさと仕事探しなさいよ。まったく……東京なんか行くから婚期も逃しちまって……山脇さんのところの幸子ちゃんなんかはね、もう二人目が産まれるんだって話だよ!? あんただって聞いただろ?」
「はあ?」
だ、誰のことだ……“幸子ちゃん”というのは。
山脇、という家については俺も知っているが、幸子なんて人間は知らない。俺が知っているのは“山脇幸助”という名前の、対して仲良くもない幼馴染である。
「あんたは古いのなんのって言うけど、やっぱり女ってのはね、いい旦那さんのところに嫁に行って子宝に恵まれるってのが一番なんだよ。いい男がうじゃうじゃいそうな職場を見つけな!」
わけのわからない話をひとしきり勝手に喋り終えると、母は持っていた洗濯物を置いて、去って行った。
「なんなんだよ、一体……」
呆然と立ち尽くしていると、見慣れない物が視界に飛び込んできて俺はフラフラと近寄った。
それは背の高い錆びた銀色のロッカー。辞めた会社の事務所にも同じような物が置かれていた。女子社員が中に制服や私物を入れていた気がする。
ロッカーの扉には鍵が挿しっぱなしになっており、ちょうど俺の目線の高さくらいの扉部分に名札が付いていた。
カタカナで《ジーン》。
「……ジーン、て……まさかこれ、俺のこと? ジン?」
ともかく、昨夜自分がベッドに入るまではこんなものは部屋になかったし、先程ここへやって来た母も何も言わなかった。
わけもわからずロッカーの扉を開けてみる。
すると、扉の内側に付けられていた小さな鏡に、見知らぬ女が映り込んで俺は食い入るようにそれを見つめた。
「や、やっぱり……さっきの……」
俺の携帯電話の自撮りカメラに写り込んだ知らない女!!
焦げ茶色い髪の毛に、見たこともない色の瞳。顔の造作はそれほど彫りが深くはないけれど、日本人には見えないし、じゃあ何系と聞かれてもパッとは出てこない。
それなりには美人と思う見た目だけれども、それは俺の身内の女どもより目鼻立ちがくっきりしているせいかもしれない。とにかく、これは全く俺の知らない赤の他人の顔だ。
俺はなんだか頭がくらくらしてきて、額に手をやった。鏡の中の女もマネをする。
「あ、悪夢でも見てんのか俺は……」
そうして俺がロッカーの中へ目をやったその刹那、俺はぐらりと僅かに体勢を崩した。頭がくらくらしていたせいかもしれないし、ロッカーの扉に背中を押されたからかもしれない。
ともかく、俺はそのロッカーの中に広がる深い深い闇をしかとこの目に焼き付けた瞬間、悲鳴を上げる間もなくその闇の中に吸い込まれて行った。