窮迫!
ムソウの日常。
翌日。
キーンコーンカーンコーン……
ようやく一日の終わりを告げる鐘が鳴る。俺はずっと寝ていただけだが、それでも退屈極まりない一日であった。
むくりと机から上体を起こし、教室を見渡す。誰も俺と目を合わそうともしない。そりゃそうだな。俺は授業はまともに受けないし、学校の外ではケンカばかりで学校では評判が悪い。勉強がしたい訳でもないし、友達を作りたい訳でもない。それでも毎日学校に通うのは、師匠に怒られる(そして玖美にしつこくしつこく怒られる)のが嫌だからだ。
軽い鞄を持ち、教室を後にする。連中のホッとした空気を背に廊下を歩く。これが俺の日常だ。
俺がいない方が、上手くいく。そんなことは分かっている。
いつも通りの帰路。遠回りしながら歩く。いつも通り穏やかな景色を、いつも通り一人で眺めながら帰る。
誰もムソウの、満たされない気持ちに気付くまい。何に満たされていないのかも分からないでもやもやと抱え混み続けているのだ。誰にも相談出来ない。師匠にも、玖美にも。
ムソウの日々の苦しみなどさておいて、町並みはいつも変わらない。
今日は何も起こらない。その事に、ホッとする気持ちと、退屈さが入り混ざった気持ちが心に流れ込む。どろりとした感情だ。それは瞳に現れ、いつもの澱が瞳に宿る。
何かがあって欲しい。何も起こらない方が良い。綯い交ぜの気持ちに折り合いを付けていると、
「ひ、ひぃぃぃぃ!!」
裏路地から悲鳴が聞こえた。異常な事態だ。瞬間、ムソウは走り出していた。考えるより先の、条件反射であった。
裏路地のどん詰まりに着くと、男性が倒れていた。目立った外傷はない。気絶しているだけのようだ。ホッとしてから、周囲に注意を払う。この人を襲った輩がいるはずだ。
だが、全く不思議な事に気配が全くなかった。影も形もなかったのだ。
おかしい。ここは行き止まり。すれ違った人影もなかったのだ、必ずここにいる。注意深く観察するんだ……
倒れた男性を守るように背にし、構えを解かずにゆっくり見回す。誰もいない。
……本当に誰もいないのか?
気を緩めかけた瞬間、
「アー……」
と背後から声が聞こえた。
咄嗟に振り返ると、倒れていた男性の傍らに黒い人間が立っていた。いや、これは人間では断じてない。
その異様な姿に、ムソウの背筋に冷たい汗を感じた。
それは、黒いモヤのような物が、あやふやな輪郭で人型を為していた。その人型の中を赤い球体が、ちょうど頭の位置と心臓の位置に一つずつ浮かんでおり、まるで脈打つように明滅を繰り返していた。
体表は不定形で波打っている。向こう側が見える程のガス状の体だというのに、風にも流されずその場に不自然に留まっているのだ。
まるで、ひとつの生命体であるかのように。
「アー……」
意志を感じさせない、だらしない声。
あれは一体なんだ?まさか、玖美が言っていた変な人影か?対処法は……
ムソウが思案を必死に巡らせていると、ふと、モヤが立ち止まり、そして赤い球体がムソウを向く。
「アー……」
次の標的は俺か!?
身構える!が、果たしてこいつには拳が通じるのか?それに、ガスが俺を攻撃出来るのか!?
黒いモヤは緩慢に腕を振り上げ、力任せに振り回してくる!
動きが遅いのに、想像もしない動きで躱すべき方向が分からない!ムソウは咄嗟にガードした!
ゴッ!
想像よりも遙かに重たい一撃。ムソウは堪らず後方へ飛ばされ、距離を置く。
――当たるのかよ!?
動揺する。あれはモヤのように見えるだけで、実は触れる物体なのか?だとすれば……
「殴れるならば、怖くない!」
亡霊の類じゃないのなら、何とかなるはずだ。そう思い、距離を詰め、殴りつける!
「オオオォォォ!」
が、期待とは裏腹にムソウの拳は空を切る。確実にモヤに当たっているにも関わらず、だ。
「!?」
ムソウはいよいよ混乱した。殴られるのに、殴れない!?こんな一方的な話、あるだろうか!?
「アー……」
緩慢な動きで、しかし確実にムソウとの距離を詰めてくるモヤ。ムソウには為す術もなく、ジリジリと後退を強いられていた。
どうする、ムソウ!?




