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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

なかよしでおやすみっ!!

作者: 箒星 影

 わたしはこの部活が大好きだ。


 たった四人しかいないけど、だけど、こんなわたしに居場所をくれた、何よりも大切なもの。


 部室は思い出の宝箱。遊んで、笑って、喧嘩して、泣いて、仲直りして、また笑って。


 わたしたち四人は、そうやってこれからも、ずっとずっと―――!



「ちぃっす……おっ、相変わらず早ぇな部長!」


「やっほ、谷串(たにくし)さん! 早ぇなって、もう部活開始時間過ぎてるよ!」


 聞き慣れた低めの声がした部室の入り口に、わたしは満面の笑みで振り返った。そこにいたのは同じクラスの谷串さん。ボーイッシュで強気で、喧嘩っ早いのが玉に(きず)。可愛いものが大好きなんてギャップも兼ね備えた、この部活の副部長。



 わたしの、一番の友達。



 基本的に誰にでも喧嘩腰だけど、わたしには打ち解けてくれているらしく、今もポケットの中に手を入れて部室に気だるそうに入ってきた彼女は、わたしを見るなり白い歯を見せてニコッと笑いかけてくれた。黒の短髪がフワッと左に揺れた。


 わたしたちは二人並んで窓の外を見ていた。サッカー部が梅雨に濡れて柔らかくなったグラウンドを縦横無尽に駆け回り、ボールを奪い合っている。少年達にタライ回しにされている白黒のサッカーボールは、大地の上を覚束なく転がり、泥団子のように真っ黒になっていく。


「もうすぐ引退かぁ……早ぇもんだな! 部活ができたのが、つい最近のことみてぇだ!」


「本当だよね! ホント、高校生活は早かった! 音で表すならこう、ビューンって感じ!!」


 谷串さんの言うことにわたしは、身振り手振り、少しオーバーにリアクションしてみせた。谷串さんはその様子を見て、一人ではしゃぎたてる子どもに送るような、どこか慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。


 この顔はよく目にする。わたしがおかしなことを言っても、バカにするでもなく首を傾げるでもなく、ただこうして優しく微笑みかけてくれるのだ。谷串さんのこの顔が、わたしは大好きだった。


 わたしと谷串さんは、今から二年ほど前……高校一年生の頃に、この部活を作った。この学校での部活の設立にあたっての条件は三つ。部室、三人以上の部員、そして、顧問の先生の確保。


 部室探しには、さほど苦労は要さなかった。部室棟内の総部屋数に対して、使われているのはごく僅か。そのうちの一つを拝借しますと言って怪訝な顔をする人はいなかった。


 一番大変だったのは顧問の先生探し。いかんせん活動内容が活動内容なので、協力的な大人は当然ながらゼロだった。押せば押し切れそうな先生を何とか説得し、了承を得た時の喜びは、何とも言い表せない。


 部員の最低人数である三人は、我ながらビックリするくらいスムーズに集まった。わたしと谷串さん、そして三人目は……。



「おーほっほっほ!! お二人とも、ご機嫌麗しゅう!! あいにく天気は優れませんが、本日も活動の方、張り切っていきますわよ! おーほっほっほっほっぬっっっげほっごほっ!!」


「遅れてすみません……はあ、はあ……」


「いらっしゃーい、二人とも!」


 噂をすれば影。金色の腰まで伸びた髪の毛をわっさわっさと揺らして噎せ返りながらも、天を衝くような圧巻の高笑いをあげ、堂々たる風格で入ってきた彼女が、この部の生死を決めた三人目の部員、阿娜羅(あだら)さん。


 ただ偉そうにしているわけじゃない。実際問題、偉いのだ。大手洋服会社のご令嬢。わたしが言えた義理じゃないけど、いつも騒がしい。でもとっても優しい。わたしが手当たり次第に勧誘しているときに“部員がいなくて困っている”と言ったら、第一希望の茶道部への入部届けをその場でビリリと引き千切り、すぐに仲間に加わってくれた、とてつもなくいい人。うるさいけど。


 ここまでが三年生。阿娜羅さんに続いて息を切らしながら入ってきたのは、この部で唯一の二年生、板共(いたども)さん。学級委員長と生徒会役員を務める、部の中で一番の働き者。ひょんなことから阿娜羅さんに気に入られ、中学校から行動を共にしている、生真面目な子。この部活とは正反対の位置に立っていると思われる彼女は、阿娜羅さんが半ば無理やり引き込んだご様子。今はなんとか溶け込んでいるみたいだけど……。


「さてと、これで四人揃ったな! どうする、顧問が来るまで待つか? 来るか分かんねぇけど」


 谷串さんがわたしに問い掛けてくる。


「うーん……活動に入りたいのは山々だけど、もう少し待ってみよっか! 仲間外れにしたら先生、傷付いちゃうから!」


 そう言ってわたしは、小学校の給食の時みたいに隣接した、五つの机のうちの一つに座った。


「だな! いつも通り雑談でもしながら時間潰すか!」


 他の三人も、わたしに続いて席に着いた。


 と思うと板共さんが立ち上がり、ポットの方に歩いていった。彼女はいつもわたしたちに美味しいお茶を淹れてくれる。彼女が心を込めて作ってくれたお茶と共にのんびり雑談するのが、わたしたちの楽しみであり、日課だった。



 でも、今日は。



「板共さん! その仕事、わたしにやらせてほしいなっ!」


「え? ですが部長……」


 板共さんは眼鏡の向こうで困惑した目をしていた。


「なーに、これぐらい楽勝楽勝! たまには部長のお手製のお茶を、皆にご馳走しようではないか! はっはっはっは!」


 板共さんもこれ以上の遠慮はかえって失礼だと思ったのだろう。


「分かりました。お言葉に甘えさせていただきますね!」


 そう言って一礼すると、席に戻っていった。


 紙コップを袋から丁寧に四つ取り、中身をお茶で満たしていった。淹れた順番に一つずつ、コップを皆の机に置いていく。板共さん、阿娜羅さん、そして、谷串さん。当然、自分のものは一番最後に。料理も何もできないわたしの淹れた一番のお茶を、最後に皆に飲んで欲しかった。込み上げてくる寂しさとやりきれなさを堪えつつも、わたしは再度、ニコッと笑って席に着いた。


「それにしても、この部活動にいられるのもあと一週間かぁ……アタシら四人中三人が三年生だし、実質この部活自体がなくなっちまうんだよな。なんか実感わかねぇわ」


 谷串さんの言葉に、わたしは過剰に反応してしまう。わたしたちの高校では、三年生は六月に部活動を完全に引退する。引退試合の日程によっては七月まで、なんて所もあるけれど、わたしたちの部活にそんなものはない。




この……“睡眠部”には。




「私も最初はビックリしましたよ。まさか阿娜羅センパイに誘われたのが、ただ寝るだけの部活動だったなんて……」


「あら、いいではありませんの! 近頃の若者は睡眠が徹底的に不足していますわ! 睡眠不足は美容の大敵! 美を追求するのなら、ひたすらに寝ることですわ!」


「あたし、この部に入ってから、その、病気とか……全然しなくなってさ! マジで睡眠の力って偉大だよな!」


 とまあそんな感じで、皆が皆、部室に集まり、敷いてある布団に入り、部活動終了のチャイムという名の目覚まし時計が鳴るまで、とにかく寝続ける。それが“睡眠部”。部員数は先ほども述べたようにたったの四人。


 顧問はバレー部との掛け持ちをしている女の先生で、基本的には向こうに顔出しすることが多いけれど、ハードな練習に疲れた時は、時々ここにやってきて、一緒に眠ることがある。


 四人……ときどき五人の寝息だけで満たされる学校のとある一室……なんて、シュールでしかないよね。


 でもわたしはここが大好き。両親の離婚で遠くの町から引っ越してきて、右も左も分からなかったわたしに手を差し伸べてくれた谷串さん。わたしみたいな女の子にも明るく優しく話し掛けてくれる阿娜羅さんと板共さん。



「無くなっちゃうの、寂しいよね」



 無意識にそう言葉が出ていた。他の三人はビックリしたようにわたしを見ると、ほぼ同時に少しだけ俯いた。まさかわたしからかくもマイナスな言葉が出るなんて、想像だにしなかったのだろう。自分でも驚いている。


 いつもは笑い声か寝息で包まれていたこの部室に、雨音だけが響き渡った。急に湿気が鬱陶しくなったわたしは、腕に吸い付いたカッターシャツの袖を、ピンと張り直した。


 無くなっちゃったら……どうなるのかな? みんな、離れ離れになっちゃうのかな?


 嫌だな、そんなの。せっかく見付けた居場所なのにな。


「おっ……おいおい暗ぇぞ、お前ら!! そうだ、せっかくだし、一人ずつ、この部の一番の思い出を言っていこうぜ!」


「やめなさいな! そんなこと言ったら、今日で終わりみたいじゃありませんの!」


 谷串さんのいきなりの提案に真っ先に反対したのは阿娜羅さんだった。



「いいんじゃないですか? 先生もまだいらっしゃらない事ですし!」


 板共さんは賛成みたいだ。


「そうだよ、明るい思い出話で、この暗い雰囲気も梅雨も、全部吹っ飛ばしちゃうのだぁ! おーー!! ほれほれ、誰からいく!? 語れ語れ部員たちよ! 語り尽くすのじゃ!!」


 過剰に明るく、両手をバタバタとして、わたしは皆に昔話を促した。もう少し、皆とお話していたい。



 今日はちょっと……目が冴えてるから。



「しっ……仕方ありませんわね! ではワタクシから失礼しますわ! ワタクシはなんといっても去年の夏に行われた校内合宿ですわね!」


「あったあった! 皆で花火とか肝試しとかして、スッゲェ楽しかったな! 夜の学校ってテンション上がるし! あんときゃ逆に寝付けなかったよ! 睡眠部の合宿なのにな!」


 谷串さんが手をパンと叩いて嬉しそうに思い出を振り返った。


「あれ? 副部長が寝付けなかったのって、肝試しのせいで夜中トイレに行けなかったからじゃなかったですか? 限界が来たのか夜中の三時くらいに私を起こして“トイレついてきてよぉ……”って! 私はその時の副部長の顔の方が怖かったですよ!」


「あははははは!! だっ……ダメですわよ! その話だけは何回聞いても……あっははははは!!!」


「ほんと、やめてあげてよ板共さん! さすがにもう谷串さんが可哀想……ぷっ、あはははは!!」


 お嬢様キャラを忘れて大笑いする阿娜羅さん。わたしもそれに続いて、転げ回って笑った。


「てっ……てめえ板共!! その話、何回すりゃ気が済むんだよ!! お前らも笑ってんじゃねぇ!!」


 赤面して板共さんに食って掛かる谷串さん。やっぱり可愛いなぁ。


「はははは……まあまあ、次は私が行きます! 私は文化祭ですかね! ほら、私たちが最初から作ったオリジナルの劇! 演劇なんかやったことなかったので緊張したけど、楽しかったです!」


「うわ、懐かしいな! 題名は何だっけ……そう“眠太郎”だ! いつも寝てばっかりの眠太郎が、使うと究極の眠りにつける“金の枕”を探しに行くストーリー! 無茶苦茶な内容だったけど、割りと評判良かったよな!」


「役割はどうでしたかしら……ワタクシが眠太郎で、板共がナレーション?」


「はい! 副部長が照明係で、部長が確か……そう! 眠太郎と同じく金の枕を手に入れようとする、悪の親玉でしたよね?」


 板共さんはわたしを見て確認を取る。そんなこともあったなぁ……と、楽しかった過去に思いを馳せる。


「そうだったそうだった! 悪役は楽しかったなぁ……!」


「そういや、こん時は阿娜羅が恥かいたんだったよな! 一番大事なラストの戦闘シーンで、緊張してセリフ忘れちまうんだもん!」


 去年の事なのに、まるで今、舞台に立っているみたいに、谷串さんの台詞が示す場面が鮮明に思い出された。


「なっ……仕方がないでしょう!? 舞台の経験なんてなかったんですもの!」


「その時の部長の対応は流石の一言でした! 話を上手く纏めあげ、迫真の演技で場を持ち直した時の部長、輝いてましたよ!」


「だよな! あの演技力……特に眠太郎に剣を持って襲い掛かる所なんか、マジで一瞬、作り物の剣が本物の刃物に見えてよ! 思わず止めに入るところだったぜ!“殺しなんてバカなマネ、絶対にやめろ!”ってな!」


「くっ……悔しいですが、確かにあの時は部長に救われましたわ。悪役に助けられた、なんておかしな話ですけど……この場を借りてもう一度、お礼を言っておきますわ」


「ちょっ……ちょっとやめてよ阿娜羅さん、今さらそんなの、照れるよぉ……えへへ……」


 真剣な顔でわたしに頭を下げた阿娜羅さん。わたしはさすがに恥ずかしくなってしまい、ポリポリと頭を掻いた。


「部長は最後にするとして、次はアタシだな! アタシはそうだなぁ……やっぱこの部を作った時かな!」


 心臓がビクンと跳び跳ねるのを感じた。思わず自分の左胸に手をあてがった。


「知ってると思うけど、アタシ、中学の頃は陸上一筋でさ! 部活動といえば体を動かす……みたいな、勝手なイメージが体に染み付いていたわけよ! だからこんな部活、考えたこともなかった!」


「それなのにどうして……そういえば、どのようにして睡眠部ができたのか、まだしっかりとは聞いていませんでしたわね。この機会に、話しておいてくれませんこと?」


 言われてみれば、本当だ。阿娜羅さんと板共さんに、この部の設立した経緯、おおまかにしか話してなかった。


「そっか……そうだな! あれは確か……」



「皆、お待たせ」


 谷串さんが話を始めようとすると、波一つない水面に雫を一滴落としたかのような、透き通った上品な声が、狭い部屋中に染み渡った。


「あっ、遅かったですね、先生! バレー部の練習ですか?」


「そうよ。引退試合も近いから練習もスパルタ式にしているのだけれど、先生が真っ先にバテちゃったから、ちょっと休みに来たの。歳は取りたくないわねぇ……」


 この人が睡眠部の顧問。良家のお嬢様みたいな丁寧な物腰でちょっぴり天然だけど、練習になるとスパルタな指導者に早変わり。生徒からは“鬼”と恐れられている。もっとも、睡眠部にはスパルタもへったくれもないので、鬼の出る幕はない。こんな事を言っているが、身長も高くスタイルもよく、おまけに美人なので、その人気は学校一。男女問わず幅広いファンがいるらしい。わたしもその一人だ。


 先生はアクビをしながら用意されていた布団にゴロンと横になった。ここでは先生も自然体でいられるらしい。


「皆……あと一週間だけど、この部活はどうだった? せっかくだし、何か思い出話とかしようかしら?」


「もうしてるよ。今から後半戦で、アタシがこの部ができたきっかけについて話そうとしてたとこ」


「ええ!? それは残念。最初から聞きたかったなぁ……」


 形のよい眉毛を下げて残念がる先生は、その後で天井を見つめながらフッと小さく笑った。その顔がどこか寂しげで、心がキュンと切なくなった。


「終わっちゃう……のよね。先生も三十年近く生きてるけど、睡眠部なんて斬新すぎる部活、見たことも聞いたこともなかったわ。だから“睡眠部を作りたい”って言われたときは“何だそりゃ”って椅子から転げ落ちそうになっちゃったわ。ふふふ……」


 先生の笑い声は乾いていた。


「あまりこういう話をするのは良くないと思うけれど……皆、部活動がなくなったら、どうするの? 進路とか、色々……」


 暗い暗い、大人の女性の声色。部室を再びどんよりとさせた雨音は、さっきより大きくなっている気がした。


「ワタクシは、お父様の仕事を本格的に手伝おうと思いますわ。部活動が終わったらそうするって、約束でしたもの。大学に行く予定はありませんわ」


「私も実は……来年度の生徒会長に就任してみないか、ってお誘いが来ているんです。断る理由もありませんし、他に立候補者がいなければ、やってみようかな……と。まだ二年生ですが、大学に行くつもりは……父が病気で、母が住み込みで働いていまして、これ以上の負担はかけたくないので……」


「アタシ……アタシは……」


 谷串さんだけが、口をつぐんだ。


「あっ……ごめんね谷串さん。言わなくて大丈夫よ。でも、そうか……あと一週間で、皆が“バラバラに”なっちゃうのね……」



 瞬間、わたしは机を握り拳で力の限り叩いていた。



 世界が止まったかと勘違いするほど、周りが静かになった。雨の音すらも、聞こえなかった。衝撃で手がヒリヒリする、痛くて涙が出てきそうだ。


……いや、強がるのはやめよう。涙が出そうなのは、痛いからじゃない。わたしは我に返った。


「あ、えっと、その……ごめんなさい! ちょっと取り乱しちゃって! 寝不足かなぁ? あっはっはっは!!」


「わっ……悪いのは先生の方よ! 言い方が悪かったわね! 大丈夫よ、ほら……長期休暇とかに、皆で会えばいいじゃないっ! そうよ、谷串さんのことだって、きっと……」



江洲路(えすろ) 芽瑠(める)先生、お電話です。至急、職員室までお越しください】



 わたしに精一杯の励ましの言葉を送る先生の名前が、校内放送で流された。


「もう……何かしら、こんな時に……! ごめんね皆、すぐ戻るから!」


 “至急”と念を押されたこともそうだろうが、何より居づらさがあったのだろう。先生は足早に部室を出ていった。


 残ったのは睡眠部部員の四人。誰も、何も、喋らない。



 心臓が張り裂けそうだった。刻一刻と、その瞬間が近付いてくる。


 今ならまだ、後戻りはできる。



 いや、もう……遅いかな。




「あれ、何だか私、急に眠たく……」


 始まった。


「ワタクシもですわ、何故かしら……」


 来てしまった。


「アタシもだ……ヤベェ、もう限か……い……」


 来てほしくなかったし、早く来てほしくもあった。



 全員が眠気と戦いながら何とか布団に入ったのを確認すると、わたしは部室の鍵をしっかり閉めた。何度もドアを押し引きして、開かないように。


 部屋の電気を消した。カーテンのない部屋に、赤い西日が差し込み、すうすうと寝息を立てる三人を幻想的に照らし出している。


 自らのカバンを探った。用心深く、一番下に入れていたものを、震える手で取り出した。


 深呼吸をした。何度も何度も。不思議なもので、すればするほど心は平静から遠ざかっていく。



 覚悟を決めた。


 こうするしか、ないんだ。わたしには、こうするしか……。



「―――――――っ!!」







 わたしは包丁(それ)を、板共さんの体に突き刺した。








 一回、二回、三回、四回、五回、六回、七回……ああ、十回、越えちゃった。



 でもまだ、だめ。



 だめなの。



 しっかり、殺さなくっちゃ、だめなんだよ。



 ジワリ、と赤黒い液体が真っ白な布団をとてつもないスピードで侵食していく。ビリビリに破れた掛け布団からは真っ赤な羽が飛び散る。


 頬を、一筋の涙が伝う。わたしの? ううん、板共さんの、だよ。痛いよね、ごめんね、ごめんね。



 ああ、わたし、今、人を殺しているよ。大好きな仲間に、こんな恐ろしいものを、突いては抜き、突いては抜き、もう、おかしくなっちゃいそう。



 手首を握った。板共さんの、細くて白い、手首を。板共さん、動かなかった。それって、そうだよね、死んじゃったんだよね。わたしに、殺されたんだよね。


 ハンカチで包丁に付着した血を拭き取る。刃の部分に映し出されたのは、わたしの顔。恐怖に歪んだ、わたしの顔。


 変なの。刺される方が、何倍も痛くて、苦しくて、怖いはずなのに、ね。



 阿娜羅さんも、刺した。胸の部分を、心臓の部分を、何回も。


 胸の大きさ、自慢してたっけ。校内合宿の、お風呂の時に。モデルみたいだなって、ちょっとだけ、憧れたっけ。


 穴だらけに、なっちゃったね。



 阿娜羅さんが死んじゃったのは、すぐに分かった。虚ろな目で上向いてて、口もポカンてしてるんだもん。



 電気が点いた。白目の阿娜羅さんがパッとハッキリ現れて、少しビクッとした。


「ア、アンタ……いったい何してんだよ……!?」


 点けたのは谷串さんだった。壁にもたれかかって、顔がサーって青ざめてて、寒いのかなって思って顔を覗き込んだら、汗だくで。まるで今から食べられちゃうみたいに、ビクビクしながら、わたしの目をジッと、見てくるんだ。


「良かった。上手く調整できて。谷串さんのは“ちょっと少なめに”したんだ」


「なっ……アンタまさか、あのコップに何か……ガアアッ!!」


 足を刺した。かつて陸上部で鍛えあげられたものとは程遠い、谷串さんのほっそりとした足を。


「これでもう、完全に逃げられないね」


 わたしはそう言って、笑ってみせた。上手く、笑えてるかな? 血、付いてないかな?


「アンタ、何でこんなバカなこと……つっ……」


 悲痛に悶える谷串さんの顔を見ているうちに、わたしは“あのこと”を、思い出していたんだ。


 最初に、わたしたちが出会った時のことを。



『ってえ……ヤッベ、しくじった。カッコよく助けるつもりが……おっと、大丈夫かアンタ?』


 あなたは、車に轢かれそうになっていたわたしを、初対面のわたしを、何の躊躇もなく助けてくれたよね。


『アンタ、確かクラス一緒の……ちょっ、いいよ、肩なんて! 一人で歩けるからさ! それより本当に平気か?』


 あなたはあんな時でも、わたしの事を気遣ってくれたよね。


『部活を作りたい? なんだよ、今ある奴でいいじゃんか! アンタ運動苦手そうだから、調理部とか……え? 料理できないし、部員が多いから嫌だって? じゃあ帰宅部でいいじゃん! そんな奴いっぱい……なに? アタシと一緒に……何かをやりたい……って? ったく、しょうがねぇな! どうせこの足じゃ陸上はしばらく出来そうもねぇし、いっちょ付き合ってやるかな!』


 あなたはそうやって、わたしの我が儘を笑顔で聞いてくれたよね。


『つってもどうするよ? 今この学校にないもの……ん、オカルト研究会? いやいや、それはちょっとパスだわ……こっ、怖いとかじゃねぇからなっ!? じゃあ演劇部にしようって? いやいや、もうあるだろ。やるとしても、アタシはあんま動き回ったり出来ねぇから、照明とかナレーションを……ちっ、ちげぇよ! 別にアンタのせいじゃねぇよ! 泣くな、もうっ!』


 あなたはあの時わたしを助けたせいで、もう足が前みたいに動かせなくなっちゃったんだよね。


『睡眠部ぅ? あははっ、何だよその力の抜ける部活は! 部活って言えば体を動かしてナンボだろ! え? アタシのため? アタシの足に、なるべく負担がかからないように、って……ああ、もう! まだ気にしてんのかよ! だから大丈夫だって……はあ、しゃあねぇなあ、全く! アンタがやりたいようにしたらいいよ! よっしゃ、今日からアンタが睡眠部部長、アタシが副部長だ! サポートは任しときな!!』


 あなたはどんな時でもわたしの背中を押してくれたよね。



 そこから阿娜羅さんが、先生が、板共さんが加わって、今の睡眠部が出来たんだよ。


 あなたが居なかったら、睡眠部じゃ、なかったんだよ。


 あなたが居なくなったら、わたしはもう、だめなんだよ。




 なのに。



 なのに。



 なのになのになのになのになのに。




『落ち着いて聞いて。谷串さん……(がん)なの。もう、助からない。ご両親にさんざん入院しろって言われてたんだけど“まだ部活は終わっていないから”って、“最後まで皆と一緒に居たいから”って、絶対に言うこと聞かなかったの。全部、部活の皆のため……なのよ』



 それを先生から聞いたのは、つい昨日のことだった。




「何で……何で本当のこと、言ってくれなかったの……谷串さん……!?」


今度ははっきり分かった。わたしの顔、涙でぐしゃぐしゃになってる。二人の血をたっぷり吸った包丁を、谷串さんの喉に向ける。



「待て、話を聞いてくれ!! 助け」



 後はそれを前にグイッと押し出しただけ。ただ、それだけ。


 谷串さんの赤い血が、滝のように流れ出す。止まらない。カッターシャツを染め上げても、床に血溜まりになっても、まだまだ溢れ続ける。



 わたし、皆が好き。大好き。大大大大好き。狂ってしまいそうなぐらい、この部活が好き。でも、もうすぐなくなっちゃう。


 そんなの絶対に許さない。


 睡眠部が終わって、四人が“バラバラに”ならないためには、こうするしかなかった。板共さんと阿娜羅さんは大学には行かない。睡眠部をやり直すことはできない。


 何より、谷串さんがいなくなっちゃったら、もう……四人で一緒になんて、不可能だもの。


 だから、止めてやるんだ。わたしの……睡眠部の時間を、永遠に。



 広がってくる血溜まりを避けるように、急いで立ち上がった。


 わたしは自分の腹部に刃を向けた。


 大丈夫、あの三人と同じように刺すだけだよ。すぐに、終わるよ。あの永遠に続くかのように思われた、長く苦しい日々に比べたら、一瞬で終わるから。



 お母さんが出ていって、あんなに優しかったお父さんはおかしくなってしまった。お酒に溺れて、娘のわたしを殴って、蹴って、わたしが泣き叫んでも、誰も助けに来てくれなかった。身体中は傷だらけな上、こんな性格だから、入学早々クラスから孤立して、助けを求めようとしても、できなくて。気持ち悪いって、皆がわたしを避けて、嘲笑って、いじめて。


 死を決意した。家にも学校にも、わたしの味方なんていない。わたしの居場所なんてない。


 赤信号の横断歩道の前で、出来るだけ嫌な思い出ばかりを頭にギュウギュウ詰めにして、それらに背中を押してもらった。後は死ぬだけ……そう思っていた時に。


 あなたが、助けてくれたんだよね。


 もうこれ以上、あなたの顔は見ないことにするね。見たらこの手、震えちゃって、上手く、死ねないから。



 わたしたち四人はずっと一緒。いつまでも一緒。永遠に、一緒。


 家でも、クラスでも、死ぬことを望んでいるわたしは、もう“ここでしか生きられない”の。


 それすらも、なくなっちゃうなんて、絶対に嫌。


 わたしは、わたしの居場所を守りたいから。


 そのためには、こうするのが一番でしょ?



「っ……ぐあっ……!!」



 あーあ、刺さっちゃった。



 皆を刺した包丁が、わたしにも。



 ほら、見てよ皆。



 わたしのお腹からも、皆と同じように、ドクドクって。



 変な感じ。



 ああ、わたし、ついに死んじゃうんだなぁ。



 今度はもう、誰も助けに来てくれないね。



 でも、怖くない。



 皆と一緒なら、ここなら、もう、怖くないよ。



 大好き。





 「ダイスキダいスキダイすきだイスキだイすキダいすきだイすきだいすキだいスキだイスきダイスき……あはははははははは!! 大好き! だーいすきだよ!! 谷串さんも、阿娜羅さんも、板共さんも! みんなみんなみんなみんな、大好き! だいす……き……」





 だいすき、だから。







 わたしは





 野安(のやす)部長は





 睡眠部の皆のことが





 大好きだからね





 ずっと







 ずっと






板共 →ITADOMO

谷串 →TANIKUSI

阿娜羅→ADARA

野安 →NOYAS


 ITADOMO TANIKUSI ADARA NOYAS

         ↓

  ITADOMOTANIKUSIADARANOYAS←

         ↓

  SAYONARADAISUKINATOMODATI

         ↓

   さよならだいすきなともだち

          


江洲路 芽瑠→ESRO MER

         ↓

       ESROMER←

         ↓

       REMORSE

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[良い点] いい話だなぁ…… ↓ !? ↓ い、いい話……だなぁ……
[良い点] 読ませて頂きましたー!私は先に感想から入るエキセントリックな性格なので、皆さんがおっしゃっている衝撃展開に至るまでワクワクと読み進めていました。期待を裏切らない衝撃が脳裏を駆け巡り、とても…
[良い点] RT~のツイートから来ました! この度は、RTしてくださりありがとうございました! 物語が進むにつれての展開の加速が、 素晴らしいです! 見習いたいくらい! [一言] これからも頑張って…
2017/05/06 13:02 退会済み
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