火山とともに生きる少年
ようやく完成しました! そして第3部もあと少し!!!!
しばらくネッドとお喋りをしました。窓ガラスに灰色の塊がぼつぼつぶつかっていることからは、ちょっと目を逸らします。Cfb気候のアルビノアは、冬に降水量が増えます。つまり雪も降れば雨も降り……そして火山灰。アッ、もう考えたくない。
ちなみに二人の姓はダグラスだそうです。地球だとケルト系語源で「黒い小川」ですが……チェシャーの先住民ってシムス? セルト? ピクティがいたのは確定ですが。
「さっきからダンを見ないけど……」
「親方たちと、町長さんの所に報告に行ったぜ。お嬢は御館様のお客人なんだろ? 町役場に言っとかなきゃ、お叱りを受けちまう」
「普通の宿じゃダメだったって、そういう理由?」
「うん。それにほら、地元の連中はこんなの慣れっこだけど、よそから来た人なんてそうとは限らないからね。あんまりピリピリした空気の中には、いたくないだろ?」
たしかに、アルビノアは火山国ですが、博物室の地図でも、火山の少ない地域というのはありました。あれで見た感じ……25、6万平方キロメルト、あるかどうかなぁ? というくらいの面積でしたね。本州と四国の面積を足したより、もう心持ち広いくらいです。
ちなみにエリン地域はもちろん入っていませんので、真のアルビノア本土領の面積が明らかになる日は、多分、来ないような気がします。
閑話休題。
なるほど、近畿の人が鹿児島に来てびっくりした、みたいなことは、十分あり得ますね。
お気遣いありがとうございます。多分、言うべき相手はバーナード氏ですが。
「ところで、なんであんな山の坑道ン中にいたんだ?」
「キーウ大学の論文の検証実験をしてたの」
「はぁ……なんか分かんねーけど、すごいんだな」
ふふん、と私は胸を張りました。幼女はどれだけえらそうに胸を反らしても許されます。
「実験は噴火で強制的に打ち切りになってしまったのだけど、これから本格的な検証を開始する予定よ。私だって、学術貴族の端くれ……うまくいけば、末席とはいえ論文に名前を載せてもらえるわね! ……家業とは関係ないけれども」
「お嬢の家系って、何を担当してるんだ?」
「地図の作成よ。そのために必要な、測量技術もウチの管轄ね。レポートと発表はもうやったけど……とりあえず、自分の名前でも書き始めてみないとね、論文」
隣の気配が収縮していくのを感じて、ネッドの方を向きます。
あれ? ヒかれちゃいました? 物理的距離が広がっていますね??
「お、お嬢って、何歳?」
「6歳」
途端、ネッドは形容し難い、悲鳴とも言い難い、謎の絶叫を轟かせました。
「ガクジツ貴族の遺伝素マジで怖ぇ!!」
遺伝子が人間の全てを決定するわけではないと思いますし、そしておじいさまやアルバート先生という環境要因に恵まれたということも大きいと思いますが、これはもう、何も言わない方が良さそうです。そっと目を逸らしておきましょう。
それにしても灰がすごいです。
「ネッドは灰かき、慣れているのかしら?」
「そりゃあ! チェスターの男は、灰なんて楽勝さ。今日はいつもより多いけども」
「あら、やっぱり多いのね」
「そうだな。チェンダースクートの噴火は久しぶりだ」
では、どこがよく噴火するのかしらと問えば、フィーンズ山だそうです。
たしか標高2093メルト。ビーコン山地の最高峰のはず。なるほど?
フィーンズ山の名前を口にしたネッドは、何か忌まわしそうに、ぶるっと肩を震わせました。
「……どうしたの?」
「いや、あの……あそこには悪魔が住んでるっていうんだ……もちろん、おとぎ話だろうけども! でも、フィーンズには誰も住まないんだよ」
「え? 本当に誰も住んでいないの? 噴火が多いから、とかじゃなくて?」
「違う……頭がイカれちまうんだよ。それは昔話じゃないんだ」
ネッドはひどく恐ろしそうに、声を潜めました。ひょっとすると、彼の知っている人が、フィーンズ山に関わって、精神に異常を来たしたのかもしれません。そんなぐらいの口ぶりです。
「昔話って、どんなのなの?」
「いいけど……でもお嬢、迷信だってバカにしないよな?」
「当たり前でしょう。伝説は伝説よ」
そして時には、言い伝えの中にも、科学的な根拠があったりするのです。
ネッドは口を開きかけ、それからもう一度ぶるっと震えました。どんなホラーが繰り出されるのでしょうか?
「昔々、フィーンズ山には剣のように鋭い牙を持った竜が住んでいたんだってさ。その竜には大勢の、薄気味悪い化け物の仲間たちと……それから美しい恋人がいた。その恋人は森の精霊だった」
わぁ。生まれ変わってから初めてですね。竜とか精霊とか、ファンタジーな単語を聞くのは。この世界にも存在したのですね。
「竜と仲間たちは楽しく暮らしていた。征服王ウィリアム1世が、このアルビノアに来るまでは」
「えっ? 結構、最近の話なのね?」
「いや、800年前って最近か?」
ネッドは困惑したように言いましたが、地質学的には誤差の範囲では??
「えっと、続きを聞かせてくれる?」
「……輝く星の力に守護されていたウィリアム1世は、アルビノアを瞬く間に支配した。竜と仲間たちは、抵抗むなしく倒されてしまう。森の精霊は竜の死を嘆き、フィーンズの全ての草木は枯れ、山は呪いで包まれた。ウィリアム1世の部下たちは、次々に正気を失ったり、立つことも出来なくなってしまった」
ふむ、よくある話ですね。
「それで?」
「ウィリアム1世は、己の功を示すために、竜の死体を持ち帰ろうとしていたけれど、出来なくなった。それで、フィーンズ山の麓に竜の墓廟をつくった。森の精霊は少しだけ、山の緑をよみがえらせた。それでも、悲しみが癒えたわけではなく、今でも竜が倒された場所に近づく者は、呪いで正気を失うんだってさ」
言うほどホラーな内容でもないような気がするのですが。
えー、そんなに恐ろしいかなぁ? と首を傾げていると、ネッドがこわいほどの真顔を、ぐっとこちらに近づけてきました。
「いいか、お嬢……呪いは昔話じゃないんだ。俺の愚かな叔父は、肝試しとかいってバカな仲間たちとフィーンズの『呪われた深淵』に行って……それで、そこに入って発狂したんだ。立ち上がることも出来なくなった。一緒に行った仲間が引き上げた時には、もう正気を失くして、それからほどなく死んだ。俺は叔父貴が死ぬのを見た」
そう言うと、ネッドは目を剥いて、ひひひと引き攣った笑いを浮かべました。そして、ヒィッと叫んで、全身をぶるぶる震えさせ、がくんがくんと体を揺らし……そして、倒れました。
「ネッド!?」
「……こんな風に死んだんだよ」
「心臓に悪いでしょ!」
「でも、怖かっただろ?」
むくりと起き上がった顔は、さっきの様子が嘘のようです。演技派ですね。そう茶化しでもしないとやってられないぐらいでしたね、さっきの様子ときたら!
「俺は元々の叔父貴も知ってたから、なおさら怖かった。親父の言うこととかまるで聞かなくて、いつだって、この世に怖いものなんて何もないみたいな顔をしてた。悪いことと良いことの区別もあやしい人で、鉱山でも暴力沙汰の常連だった。叔父貴が現場に入るってきくと、ほとんど誰もが嫌そうな顔をした。いつだって苛立っていて、笑うのは悪い連中とつるんでる時ぐらいだったよ」
わぁ。それは江戸時代でいう「札付き」ってやつですか?
あと不良とか反社会的勢力的な存在って、こっちの世界でもつるむんですね! どうしてああいう連中は徒党を組むんでしょう? 前世も今世も、私の理解から宇宙の彼方です。
「そんな叔父貴がさ、もう何も分かんなくなって、ヘラヘラ薄笑いしながら、ヨダレ垂らして、骨が抜けたみたいにグニャングニャンして……俺にはもう、精霊の怒りに触れたとしか思えなかった。精霊は、竜の倒れた場所を誰にも踏ませたくなくて、入ったら上がって来られないような深い穴にしたっていうのに……そんなところに入るなんて。呪われて当然だろうなって」
待って? その「深い穴」のくだり、さっき省いたわね??
そうですか、深い穴……発狂して、立てなくなる……アー、なるほど。
「その深い穴って、風がすごく強く吹き抜けるところにあるの?」
「あー、聞いた話だと、多分そう……え? お嬢、なんで分かったんだ?」
「地形学的に仮説を立ててみただけよ」
澄ましかえってうそぶきましたが、いえ、知ってるんです、似たような話を! 真偽については真面目な論文をついぞ読まないままでしたので、半分は与太話なのですが!!
フィーンズと条件が全く同じとは思いませんが、物理学の法則は同じですし、似たような事例は参考にしてもいいですよね?
前世に聞いた似たような話は、インドネシアはスマトラ島のシバヤク山でした。その山の南側の中腹に、直径2km、深さは最深部で300mもあるとかいう穴があるそうです。すり鉢状の。別のネット記事では、中にはさらに蜂の巣状の横穴構造があるとか。どういう条件で形成されたんでしょうね? 火山の中腹の穴というと、富士山の宝永大噴火……あれで出来た側火山の宝永山が思い浮かびますが……
おっと、話がそれました。
それで、そこは「スアラナラカ」と呼ばれているそうです。地元の言葉で「地獄の声」を意味するとか何とか。地元の言葉って何語なんでしょうね? インドネシアにはインドネシア語がありますが、あれはオランダからの独立の際に形成されていった共通語ですし。
アア、また話がそれています。
それでその「スアラナラカ」っていう穴にも、フィーンズと似たような話があるんです。1956年にアメリカの会社だかが地質調査をしたところ、穴に入った二人が発狂したと。そして病院で検査をしたところ、三半規管が壊れていたと。
ちなみに原因は超低周波だそうです。それが穴の構造で増幅され、人間の耳には聞き取れないものの、人体構造の一部を破壊するほど強力になっていたとか。
エェー、ホントカナー??
とは思いますが、低周波音に物理的圧があるのは確かなはず。太鼓の鼓面に小さな球をのせ、スピーカーから低周波音を流すという実験動画を見たことがあります。
音は聞こえてこないのに、鼓面が共鳴しはじめ、球はぶるぶる揺れ、しまいにはビョンビョン跳ねさえしたのです。
では、聞こえないその低周波音が、幾度も反響を重ねながら、爆音で響き渡っていたとしたら?
それはさながら、デスヴォイス響き渡り、チューニングがぶっ壊れたかのようなアンプを通じて、爆音のギターだベースだの演奏が聞こえてくる、恐怖のライブ会場!!!
うーん、私なら発狂しますね。別に聴覚過敏ではありませんが……うん? つまり、聴覚過敏の人というのは、常にこのような苦痛を味わいながら生きているということですか? おおお、なんと恐ろしいことでしょうか。いえ。あくまでも私の想像ですけれど。
さて、そして、ネッドの不良叔父御殿は、いわばその音源の至近距離にまで近づいてしまったわけで……ええ、ダメージがない方がおかしいです。
しかも、フィーンズの「穴」が、風の吹き抜ける所にあるというなら……嫌な予感が追加されます。
前世、日本の中等教育課程には、物理分野の実験として、試験管に水を入れて、気柱の長さを変え、固有振動数を変化させ……そんでもって、管の長さと振動数の関係を調べよ、という実験があったそうです。私はアメリカの、しかも無菌室内で教育を受けたので、そんな実験はしていませんでしたが。
転生して、前よりは強い体になりましたので、お兄様におねだりして試験管を手に入れ……私も、吹いてみました。ちょっとコツが必要ですが、鳴りました!
そうなのです。深い穴の気柱は、試験管の比ではありません。水を入れて気柱を短くしていくと、吹いた時には鳴る音は高くなっていきます……ということは、「穴」の共鳴は、何オクターヴも、いえ、下手をすると何十オクターヴも低い音になるはず。人間の可聴域20Hzを下回っても、何も不思議じゃありません。
それから、火山性鳴動……端的に言えば地鳴りも、関係あるかもしれません。噴火の時期だったかは知りませんが、「七人の騎士」はよく噴火するようですし。
火山活動に伴う磁気異常もちょっと考えましたが、あれは非常にわずかなものなので、関係ないでしょうね。ナノテスラレベルのはず。10の-9乗テスラ。統合失調症やうつの治療に使われるrTMSで1.5~2.0テスラ。うむ、ナノテスラの磁気異常が、脳に影響などあってたまるか、です。
そもそも、火山活動の磁気異常ごときでいちいち発狂していたら、桜島に人が住めるわけなどないわけで……
「……お嬢の仮説って?」
「音よ。観測機器を穴に吊り下げる、ぐらいは出来るかもしれない……」
「え?」
「アルバート先生にお手紙を書かなきゃ。仮説と、その証明に必要な機器の大雑把でもいいから構造と……アルスメディカ一門なら、この事例の研究に興味を持つ人もいるかもしれないし……あ、ネッド!」
「うん、何?!」
そんなに驚かなくたっていいじゃないの。
「その叔父さんの診察記録とか、残っているかしら?」
「診療所に残ってると思う。医療記録の破棄は、法律で禁止されているから」
なんですって? そんな法律があるのです?
「捨てたらかなりの罰金があったと思う。うっかりでも」
「え? じゃあ、たとえば診療所が、土石流とか火砕流に襲われて、なくしちゃった場合は? それでも処罰の対象になるの?」
特に火砕流とか、1000度を超えるんですよ? 紙の記録とか秒殺ですよ? いえ、瞬殺ですよ?
「火……なんとか、流? よく分かんないけど、年に何回か、役所に写しを提出するから、被害は多くないんじゃないかな?」
めちゃくちゃ念入りに医療記録を集めるじゃありませんか、アルビノア。
なんでそんな法律や義務があるのでしょう? アルバート先生にお聞きしなければ!
法律の中身自体は、きっとおじいさまの図書室で調べられるでしょうけれど、物事には因果、すなわち原因と結果があるのです。
「ネッド、私のトランク持ってきてもらえる? 青い札がぶら下げられているんだけど……」
「あ、あー……とりあえず、全部持ってきた方が、後々便利だと思うぜ? ほら、もう空が真っ暗だ。新しい着替えとかあるだろ?」
「……そうね。じゃあ、お願い」
なーるほど、納得しながら、私はテーブルの上を整え、書き物の準備を万端にしました。手元を照らすデスクランプに火を入れ……るのはまだ、やり方を教わっていないので、ネッドにお願いしましょう。
戻ってきたネッドに、このトランクはここ、このトランクはここ、と指示をして置かせます。そして、ランプに火を入れてもらいました。あと、ちゃんと消し方も教わりました。
「眠くなったら、書きかけでも、ランプを消せよ!」
「わかったわ!」
まだ夕方にもならない時間なのですがね。高緯度地帯アルビノアでは、毎年冬の日没なんて、こんなものです。
……いや、私が、幼女だからか。だから寝オチすると思われているのね?
私はトランクから、便箋や封筒、封蝋の一式を取り出し、ペンを手にしました。
長らく書きかけですみませんでした。
Jul.22, 2023. ケッペンの気候区分記号を修正。
《参考》
阿蘇山火山防災連絡事務所、用語解説「地磁気観測」
(https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/fukuoka/rovdm/Asosan_rovdm/tijiki.html)
小山薫,笹原昇,熊川浩一:航法測地室「三宅島火山の地磁気異常と磁気構造」『海洋情報部技報』(海上保安庁 海洋情報部)Vol.27, 2009年
(https://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/KENKYU/report/tbh27/tbh27-12.pdf)




