チェスター子爵レイノルド・ハミルトン様
大遅刻ですが、明けましておめでとうございます。
ダラダラと冷や汗をかきながら、学術貴族式の挨拶をします。
「学術貴族41代目、アルステラ家現当主、カーマーゼン子爵エドワード・マーヴィン・アルステラが娘、アリエラ・ウェンディ・アルステラと申します。この度は私の治験のためご協力を賜りましたこと、心より御礼申し上げます」
本当なら昨晩しておくはずだったのですからね!
いかな幼女とは言え、それに甘えて無駄に失点をするわけにはいきません!
「復活者4名を含む学術貴族18代目、チェスター子爵レイノルド・ハミルトンだ」
……ああー、嫌味を言ったようで気まずい!
そう、チェスター子爵家は「イグナ=アルステクナ」系ですが、業績途絶により「アルス」称号を喪失しています。建国以来800年も、優秀な学者を輩出し続けている家系は、学術貴族の中でも少数派。ファーガス様のノヴァ=アルスメディカ、アルバート様のハルバ=アルスメディカなど、アルス称号持ちの家系の方に知り合いが偏っているので、ついうっかり忘れそうになりますが、そう! アルス家系はレア!
ちなみにかつてのばあやの説明には、不十分なところがありました。アルス称号剥奪のことです。業績が上がらない場合は称号が失われるけれども、死に物狂いで努力をして業績を上げれば復活できる、というくだり。剥奪決定の目安がありませんでしたね。
公の場で評価される論文を15年以上に渡って提出できない場合、です。評価に値する論文というのは、例えば王都ロンディニウムで発行される学術雑誌に掲載された論文。医学や物理学はもちろん、工学は機械分野から土木建築まで、何種類もあります。ちなみにおじいさまの縄張りは地質学。
もちろん800年前にそんな雑誌を発行していたわけがないので、時代により基準は多少変わっているのですが、ここ300年近くはずっとこの基準。
つまり復活者というのは、15年も上がらなかった業績を、その後の人生で挽回した、諦めない心の持ち主ということです。
「昨晩は旅の疲れもあったとはいえ、礼を失する真似を致しましたこと、お詫び申し上げます」
「いやいや。まだ6歳なのだから……いや教授、失礼ながら、本当に6歳ですか? 20歳ほど若く申告されているような気がするのですが」
ぎっくぅ! 鋭い! ええそうですよ、中身は女子大生ですよ! でも前世の分を足しても、まだ26歳にはなっていませんもん! いませんもん!!
「何をばかなことを。この子のどこがそんな年嵩に見える?」
「ははぁ……これならたしかに、5歳で論文をまとめたというのも納得ですね」
えっ?! せっかく積んだ私の業績が、疑われている?!
しかし、ここでいつもの「アルステラ家の娘なのですから!」を使うのは、非常に気まずい。アルス称号喪失家系の前で、その発言はきっとまずいに違いありません。
ダラダラダラ、冷や汗が背筋を流れ落ちていく気配。
「なるほど、これがつまり、アルス家系の『ジーナス』の発現、ですか」
ん? なんだか妙な単語が聞こえましたよ? ジーナス?
「それだけではない。わしが教育をしているのだ」
「なるほど、先天的な形質と、後天的な環境、と……教授直々の御指導あってこその、あの6歳での誕生日会、というわけですね」
なんとなーく、推測がつきました。遺伝子ですね?
「まさかもどきとは言え論文まで書くとは思わなかったがな」
「分野違いだったことを喜んでしまいますね。アリエラ嬢が論文の競争相手だったらと、想像するだに恐ろしい。私がようやく論文審査を通過したのが、成人して13年目……いよいよ年金も減額かと、心を細らせながらの投稿でしたよ」
うちの家系の取り得は、執念だけのようなものですからね。
そんなことを仰られても、どう反応すれば良いのでしょうか……おじいさま、お助けを!
「執念があるだけ良かろうが。マーカスの妻の、マイア……分かるか?」
「ええ、うちは鉱山労働者もおりますからね。アーガイル子爵の論文は毎回拝見しております。奥様の業績は、寡聞にして存じ上げませんが」
「じゃろうなぁ。マイアは論文を書かぬからな。夫と息子は『アルス』じゃが、マイア個人の『アルス』資格は、ほぼほぼ無くなると見て間違いあるまい」
ああ……ファーガス様が、業績を上げねばと思い詰めておいでの理由。
そうですね。ファーガス様はアーガイル子爵家の長男で、まだ7歳でいらっしゃるのですから、お母上は成人後まだ15年経っていらっしゃらない、というのもあり得ますよね。
「さて、堅苦しいのもこのぐらいにして、お茶にしましょう」
昼食前なので、本当にお茶だけですけれどもね。
それにしても、さすがおじいさま! チェスター子爵とは繋がりがない、と仰っていたのに、昨日のうちにすっかり打ち解けられたようです。何故わかるのかと言えば、レイノルド様が、おじいさまが寄稿なされた地質学の学術雑誌を広げられたからです。
「うちでも水晶ぐらいは多少採れるのですが、産業にするレベルはとても」
「火山地帯ならば、貫入などで珍しいものも産しておりそうじゃが……たしかに、宝石の産地としてこちらを調査したことは、なかったのう」
なるほど、それでですか。たしかに、様々のコランダムが採れるヒンディアやセレンディープの方が、おじいさまの興味の対象でしょう。
「あ、他にも採れる石がありました。ペンチで割れてしまうので、ジュエリーには不向きでしょうが、色は綺麗ですよ」
……もしや。
レイノルド様の指示で、標本を持ってきていただきました。綺麗な緑色の透明結晶……見間違いようのない、この劈開の線……
「蛍石ですね」
「さすが」
レイノルド様のお褒めの言葉に、ふっふん、と胸を張ります。
「硬度4、四方向の完全劈開、等軸晶系で、成分はフッ化カルシウムです!」
「素晴らしい。さすがはアルステラ教授の孫娘殿」
そんなにお褒めにならないで下さい……だって、もう少し言うべき情報があった気がするのです。おじいさまが、まだ不十分、という顔をしていらっしゃる……
「比重は?」
「3.2です!」
「条痕」
「白色です!」
「主な用途について説明」
「顕微鏡や望遠鏡のレンズに使われます! また、古代より製鉄における融剤として用いられてきました!」
「粉末状にした蛍石と硫酸を反応させると?」
「フッ化水素酸と石膏を生成します!」
「化学式を書け」
ペンを渡されて、目をぐるぐるさせながら、H2SO4だの、CaF2だのといった記号を並べて、各元素の数字を合わせます。よし、合ってる!
「できました!」
「よし、合格」
やったぁ! とバンザイして喜んでいると、レイノルド様が目を真ん丸に見開いて、ぽかんと口を開けてこちらを見てらっしゃいました。
「いやはや……これが『アルスの』教育ですか。6歳児相手とは思えない厳しさです」
あっ、やっぱり珍しいのですね。
おじいさまは、ふふ、と困ったように眉を下げて微笑まれました。
「『わしの』『アリエラへの』教育、と言うべきだろうな。ご存知の通り、体の弱い子だ。アルステラ家の家業であるフィールドワークに向いているとは、どうしても言えぬ……それでも生きていけるように、せめてわしの知識ぐらいは授けておきたくてのう」
私としては先刻承知のことではあるのですが、あらためて聞きますと、やはり、おじいさまの深い愛を感じずにはいられません。ありがとうございます、おじいさま。アリエラはおじいさまの孫娘に生まれられて、本当に幸せ者です。
一方レイノルド様は、素晴らしい、とか、感服いたしました、などと、しきりに頷かれました。何やら大層な感銘を受けられたようです。
「学ぶことは己の為、そして子の未来の為……このレイノルド、非常に重要なことを学ばせていただきました! 是非とも、私の子育てに生かしていきたく存じます!」
アッ、お子様がいらっしゃったのですね。あれ? 事前知識にありませんよ?
おじいさまが、苦笑なさりながら仰いました。
「まだ生まれてもおられないのに」
ああ、なるほど……まだ胎児なのですね。それもおそらく、分かったばかり。だから私の知っている情報の中から抜け落ちていたんですね。
レイノルド様は、満面の笑みを浮かべて、いえいえ、と仰いました。
「教育は母胎にある時からと、医師からも聞いております。妻には音楽を聴かせる他にも、学術書など読んでもらおうと、今、決めました! 生まれたら沢山の話しかけをして言葉を覚えさせ、文字と計算の基礎を学ばせ……」
日本では教育ママというものが有名でしたが、レイノルド様は、すでにして重症な教育パパの雰囲気を醸し出しておられます。
なんでしょう……この感じ……中国史で見たような……アッ、科挙! 北宋の科挙! 娘が嫁ぐ時には「五人男の子が生まれ、五人とも科挙に合格しますように」というお守り(?)を持たせ、胎教として四書五経を読み聞かせ、字を覚えると同時に受験勉強開始……の、アレです!
おじいさまは、何とも言えないような表情をされています。
私は、もちろん、生まれてくる子が勉強を好きになれることを祈りました。勉強が嫌いな人間にとっては、地獄そのものとしか言えない環境が整えられていくわけですからね!
いざとなったら、ロイド様に、「勉強が嫌いでも生きていける方法」について、お聞かせいただければ良い……はず。でもロイド様には、コネリー様という最高の相棒がいらっしゃる……だからこその、貴族籍離脱を視野に入れた行動……と、いうことは、やはり信頼できる相棒の存在は不可欠!
「アリエラ」
「あ、ひゃいっ!」
「随分熱心に『お祈り』していたが、いったい何を?」
「あ、あの……赤ちゃんが、無事に生まれて……」
そこで私は気が付きました。
生まれない可能性もあったのです。あるいは母胎の中では健康でも、出産時の何かで障害を負ってしまう可能性だって……障害……頭脳こそ「生きている価値の証明」である学術貴族に生まれながら、その唯一の価値である頭脳を持たない……
その語こそ聞きませんが、実質は優生学が常識と化しているアルビノアで、障害者に生まれるということは、いったいどういうことになるのでしょう? エレンお姉様は修道院送りと仰っていました。でもあれは軍功貴族の話。わたしたち、学術貴族は?
一瞬にしてそれだけのことを考えながら、私は即座に答えていました。
「無事に生まれて……そして、学問を楽しめますように、と!」
それから、にっこり愛らしい幼女スマイルを浮かべて、付け加えました。
「あと、私にとってのエレンお姉様みたいな、素敵な『相棒』に巡り合えますように、とも、お祈りしました!」
「あっはっは。アリエラ嬢は、欲張りさんだなぁ……しかし、ありがとう。そうなるといいな」
レイノルド様は、優しく頭を撫でて下さいました。
昼食会は、もっぱら鉱山に関する話で盛り上がりました。
イギリスの貴族がどうだったかなど知りませんが、アルビノアの、しかも理系の学術貴族同士ともなれば、話題の種には事欠かず、際限なく研究の話が続いていきます。近しい分野ならば議論を戦わせて長引き、おじいさまとレイノルド様のような畑違いの場合は、お互いの研究のことを知りたがって話が長引きます。昼食から午後のティータイム、夕方のティータイム、そして夜の晩餐会まで、話題が持たないなどということは、多分ありえません。
だって、これはいわば異分野研究者との交流会。そこから新たな知見が開かれ、人脈が構築され、専門外からの視点にたまに目からウロコが落ちることもある、大切なイベント!
昼食後は、子爵家ご自慢の図書室に案内されました。
「こちら、アルステクナ本家の方でまとめております、鉱工業に関連する論文集。創刊号からすべて揃えてあります。ここにあるのは、工業の発展の歴史資料、でもあるでしょうね」
文系の学術貴族の方のことは、まだろくすっぽ存じ上げませんが、歴史学を専門にしている方がおいででしたら、興味深い史料だと仰いそうです。
「アルステラは一家系しかなくて……あの、学術貴族家系では、本家の役割というのは、どのようなものなのでしょう?」
私の質問に、そういえばアルステラは特殊でしたね、とレイノルド様は今更のように手を打って、ええ、そうですね、とさっそく、図解を作って下さいました。
「アルビノア三大学術貴族家系は、『アルスヴァリ』『アルステクナ』『アルスメディカ』ですね。アルスヴァリは五家系の総体という特殊な組織をなしているので、省略しますね」
ええ、終わりそうにないですものね。
「まずはアリエラ嬢に最も身近な『アルスメディカ』。外科・内科・心理科・環境科という、大雑把な四分野に各家系で専門が分かれています。分野内でまた細かく専門に分かれていきますが、だいたいこの『分野』で班を構成します。例えばアリエラ嬢の主治医、スノードン伯爵アルバート・ハルバ=アルスメディカは、環境科分野所属ですね」
風土病がご専門なのは存じ上げていましたが、ははぁ、環境分野になるのですか。
「班の中でも身内の研究会などはあるのですが、外向きのものとしての業績は、班単位で論文を出します。連名になるかならないかは、研究の進み方で決まるので、一概には言えませんが……まぁ自分の名前一つの論文を出せて『一人前』ですね」
でもそれは『アルス』継承のためには、第一歩、なのですよね。
「班単位で提出された論文を、さらに選抜し、一門の業績として論文集をつくるのが、総本家『マグナ=アルスメディカ』の役割の一つです。一門の重鎮たちに査読させ、お眼鏡にかなったものだけを選抜します。これに掲載されたもののうち、二、三年分を概観してとくに期待が持てそうな者が、優先的に王都の王立学術会議が発行する論文集に推薦されていきます。ここで少し資金援助が増えます」
おっと、それは重要ですね。
「現実にはもう少し煩雑なのですが……で、私も末席の末端に位置する『アルステクナ』一門ですが、明白な『分野』区別はありません。班は、一門関係者の会合で組みます。組まない人もいますね。ちなみに私は最初意地を張っていましたが、成人6年目を過ぎたあたりで、観念して大御所の班に入りました」
工業は人手も予算も食いますので、一人で業績を上げられる者は少ないのだそうです。
なお、レイノルド様は当初、織機の改良がご専門だったそうですが、他の研究者に先を越され、論文が通ればいいんだと、別の研究に移動されたそうです。競合相手が多いアルステクナならでは、の話かもしれません。現在のご専門は動力機関。
「アルステクナの本家は、論文委員会を主宰しています。で、一門だけのシンポジウムが『シーズン』以外にも定期的にあるのですが、そこで委員が有望な発表を見定めます。声がかかれば、論文掲載の候補になった合図ですね。本家は委員会を通じ、論文の掲載誌を決定します。自分から『こっちに掲載して欲しい』という例もありますが、たいてい本家の決定に従います」
逆らったからといって不利になることもないようですが、まぁ、面倒なんですよね。
「ちなみに工業分野は近年発達が著しいので、面白い論文があまり多いと、特別号を刊行することもありますね」
それでも13年かかったのが私ですがねハハハ、と言われ、どう反応したものかまた困ります。
レイノルド様は、真面目なと言うよりは深刻な顔で、さらに仰いました。
「19代前の当主は、ついに復活することなく、我が家はアルス称号を永遠に失いました。以来、我々はもう二度と、姓を慶事以外では変えるものか、と決意してきました。だから、研究者としては邪道かもしれませんが、私は分野への執着は特にないんですよ。論文が評価されれば、それで良いんです」
年金や何やのことを考えれば、そういうスタイルも、ありなのでしょうね。
まぁ、私は地学から動く気はありませんけどね!
私は何としてでも呼吸器疾患を改善し、あらゆる地質を堪能するのです!
さぁ! 次回からいよいよ岩塩坑だ!! やっとここまで来た!!!
Aug. 07, 2023. レイアウトを修正。




