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子爵令嬢の地学満喫生活  作者: 蒼久斎
§3.アリエラ6歳、念願の初外出
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たくらむ幼女

いやぁ、パソコンは吹っ飛ぶし、ワードは動かなくなるし、本当に災難だった。ていうか、実を言うとまだワードは死んでいる。おのれ!





 マーガレット様は海がお好き。だから、今回のテーマは海です。

 ジュエリーのデザイン画というのは、大きな石の場合は石に合わせて、一から描き起こします。でも、小さな石の場合は、デザインに合わせて、石を探してくるのです。大丈夫、カイヤナイトならきっと見つかります。多分。きっと。

 インディコライトも、頑張って調達してもらいましょう。

 エクセター伯爵夫人のジュエリーなのです。軍功貴族は、学術貴族より百倍はお得意様になって下さるはずなのです。


 人目を引くデザインをお望みならば、やはり枠ですかね。強度は多分プラチナはまだ使えないので……ホワイトゴールドと、イエローゴールドと……ふふふ、二種類のゴールドで、きらめく細波を表現するのです。

 中石は敢えて置きません。左右非対称のバランス感覚が、私の持ち味、かつ、おじいさまにさえ認められた強み。ならば、これこそが私の土俵。


 カイヤナイトとインディコライト。二種の異なる青の濃さで、海の深さの違いを表現。留め爪は先端を丸くして、泡を表現するのです。職人さんの頑張りに期待します。たがねで切ってからやすり仕上げですかね。

 あっ、鏨といえば、ここに小さくお魚を入れちゃいましょう。

 魚はたくさん卵を産むので、豊穣の象徴でもあるのです。


 なんだか、中国絵画か、浮世絵の風景画みたいな構成になってきましたよ。

 そのうち苔瑪瑙モスアゲートでも使って、本当に風景画みたいなジュエリーでも作ってみますかね。多分、原価がお安く仕上がるので、パリュールまではいかなくとも、シリーズで作ったりしたら面白いはず。

 あと、風景を写したジュエリーといったら、アール・ヌーヴォーのエナメルですかねぇ。水面や木漏れ日の表現は、本当に繊細で。


 エナメル細工もいいと思うのですが、所詮はガラス……いえ、技巧をこらした職人の技術は超一級の芸術品ですけれども、エナメル細工の頂点って、19世紀末から20世紀初頭にかけてのファベルジュ工房のギロッシュとかですよね。

 推定19世紀半ばのアルビノアで、宝石を押しのけて主役を張れるような技量をもつエナメル細工の職人がいるのかどうか……多分いませんよ。


 魚、サカナ、さかな~。

 なんだか、気づいたら魚モチーフだらけになってきましたね、机の上のラフデザイン画。架空の魚を捏造しつづけるのはいけませんね。

 図像象徴の事典と、魚の図鑑を探しましょう。忌まれる魚とか、好まれる魚とか、きっと区別があるでしょうから。


 うん? そういえば、私は人類の進化に関してはせっせと考察しましたけれど、魚類の進化とかは全然気にしませんでしたよね……地球とは違う魚が発生しているかもしれません。前世が魚類学者だったなら、きっとわくわくできる展開だったのでしょうけれど、生憎と病室の住人だったウェンディです。


 セヴァン川でカーマーゼンと通じているこのクライルエンですが、扇状地というのは、川の中流域に形成されるもの。

 したがって、私は海を見たことがありません。エクセターも内陸地ですし。

 それどころか、ついこの間まで外出したことがなかった私は、お料理の形でしか魚を見たことがないという箱入り。

 ……海に切り身が泳いでいる、なんてことは思っていませんから!


 さすがはおじいさまの蔵書。魚類なんて専門外のはずでしょうに、ありましたよ、最新版ではないとは思いますけれど、魚類図鑑が!

 私は生まれて初めて、タラがいかなる姿をしているのか知りました。

 これが地球において、イギリスとアイスランドの紛争の種にさえなったという、海の恵み……あの美味しい白身魚の本来の姿……いえ、地球と同じ姿かどうかは、私には判断できませんが。

 うっ、お腹がすいてきました。




「しょっぱい」

「つまり、経過は順調ということでございますね」


 いわく、昨日までと加減は変わらないそうなのですが、今日の食事は塩気が強く感じられます。

 つまり昨日は、高熱によって発汗が促された結果、体内のミネラル成分……きわめて端的に具体的に言えば塩分……が失われていたということですか。

 それを補給するだけだったから、昨日は平気だったけれど、回復した今日は塩が強すぎると。なるほど。


 ここまで理解を深めてらっしゃるとは、マイア様は、やはり相当に人体の仕組みなどにお詳しいと思われます。さすがはアルスメディカ一門。

 ……その息子のファーガス様が、血も見られないという現実には蓋をします。


大豆ソイカード、すりおろしリンゴと生姜蜂蜜のシロップがけ、です」

「んっ?!」


 眼前にデザートとして出されたのは、どうにも豆腐のようなもの。

 ……日本の豆腐は独特に発達したものですけれども、起源は中国のはずですし、大航海時代を過ぎているだろう今のこの世界に、それが伝来しているだろう可能性は十分にあるので、不自然ではないですが。

 しかし、よもやアルビノアで豆腐とご対面するとは思っていませんでした。


 豆腐……前世ではついぞ食べることのなかった食品です。

 スプーンを突き刺すと、伝説に違わぬ、柔らかな……というか、全く抵抗なく割れて崩れて……ひっ、何これ、柔らかすぎて怖い!

 口に含むと、大半が水分だからか、舌をのせるだけで潰れて、蜂蜜の甘みと、生姜の熱い辛い刺激が、口いっぱいに広がります。すごく喉に良さそう。


「美味しい……」

「ソイカードは病人や高齢者向けに、近年注目されている食品です。柔らかいので、噛む力の弱い人でも食べやすいのです」

「私は体が弱いけれども、今まで食べたことはなかったわ」

「現在はまだ、アルスメディカ系列の病院でしか、取り扱われておりません。原料となる大豆の栽培そのものが、研究途上ですので」


 大豆って、根粒菌があるから、痩せた土地でも育ちやすかったような? あれ? でも東アジアが原産地の作物だから、西ヨーロッパ的なアルビノアに波及するのが遅くなるのは、まぁ理解できますね。

 アグラ=アルスヴァリ家の皆さまは、はやく大豆の生産量を増やして下さいまし。そして、私にもっと豆腐、もとい、ソイカードを!


 でも醤油は無理でしょうね。鰹節はもっと無理でしょうね!

 つまり私は未来永劫、醤油と鰹節をかけた、日本の冷奴を味わうことはできないのです……まぁいいんですけど。おろしリンゴ蜂蜜生姜、美味しいですし。

 そもそも、醤油も鰹節も、もともと味を知りませんから、懐かしいとか恋しいとかいう感情とは、無縁なのですけれども。


 ぱくぱく食べると、あっという間になくなってしまいました。

 このふんわりした食べ心地、いくらでも食べられそうな気がしますよ。

 おかわり……ないんでしょうか? ないんですね、はい……


「ごちそうさまです」

「はい、食後の薬草茶ですよ。健胃作用に鎮静作用、栄養の補給と、指示された通りの効能の薬草を、飲みやすく合わせましたよ」

「……マイア様は、薬草にもお詳しいの?」

「ええ。さすがはハルバ=アルスメディカの伯爵様のご友人、ですね」


 初恋のお方です、とは、さすがに言えません。私はそっと目を逸らしました。私は思慮深い幼女なので、人の古傷を抉ったりはしないのです。


 それにしても、つくづく、マイア様は何故。表舞台に出られないのか、不思議になってきます。大豆の研究成果を発表すると、アグラ=アルスヴァリの領分を侵犯することになるからでしょうか。でも栄養価なら……いや、でも、多分この時代は、栄養価の計測方法が確定していないのですよね。

 必須栄養素は経験則で分かっても、それだけでは理系の論文にはなりません。栄養学の論文には、大規模な対照実験が必要……やはり、予算の壁が厚い。




 描き散らかしたラクガキを、いくつかは真面目なデザイン画に。

 水晶は、クリスタ=イグナ=アルステクナの「家系の石」ですが、脇石になら伝統的に使われているそうです。ならば遠慮は無用ですね。

 地球とそっくりに妄想したこの星は、同じく酸素とケイ素が大量に存在します。すなわち、二酸化ケイ素である水晶など、良質の結晶に限定したって、世界中から採れるのです。


 やはり屈折率と分散率は重要ですよ。輝きの強い石を脇石にしたら、よほど色が鮮明とかでなければ、中石がくすんでしまいます。

 ホワイト・トパーズは、フッ素を含んでいる場合、屈折率の割に明るく光るので、やはり水晶の方が輝きのバランスを思うに、使い回しやすい。

 しかし、あまり光らなくて、ガラスと思われてもいけません。


 私は、コンパスと分度器と曲線定規を駆使しながら、陰謀をめぐらせます。

 手元には大きな紙。そして、極細の線で、ラウンドカットの面の切り出しについて、図と注を描き込んでいます。

 パッと見は何てことのないラウンド・ファセット・カットですが、これは秘密兵器。

 よく見ると、不自然なカーブを描く面があります。


 コンケーブ・カット。

 日本の某社が開発した、特殊なカットです。

 平面の組み合わせを「ファセット・カット」といい、一つ以上の曲面を磨き出したら「カボション・カット」というのなら、コンケーブ・カットの分類はカボションです。

 ざっくり言うならば、パビリオン部分を、石の中心方向に凹むように、曲面に磨くのです。これにより、石の内側からの輝きを増強します。


 地球でやったら特許権侵害ですよ。なんというズル。ふふふ……

 問題は、真っ当な研磨装置で削れるのか。

 工業用ダイアモンドなんて夢のまた夢な推定19世紀。いかな水晶がモース硬度7しかないとはいえ、つまり硬度8以上はだいたいが宝石。

 研磨用ダイアモンド・パウダー、ありませんか? ありませんよね!


「硬度10とまでの贅沢は言わない……せめて硬度9……」


 硬度9とは、すなわちコランダム。おじいさまのコレクションに唸っている、私のデビュー戦のテーマでもあった美しい石……ああ、でもアルビノア製宝飾品のサファイアとかルビーとかって、ほぼ輸入でしたよね!

 国産コランダムは、南部低地ロウランド北部高地ハイランドの境界近くのスカルン鉱床から、少量の研磨砂利エメリーでしか……


「それだ!」


 エメリー。工業用の研磨材料に用いられる、コランダム。

 モース硬度9です。まぁガーネットとかも、混じっているそうですが。これなら、国内で調達できます。アルビノアの鉱工業を掌握する、イグナ=アルステクナ家の許可をもぎ取る必要はありますが、無理ではない。


 よし、とりあえず、彼を呼ぶのです。

 クレイグ・ターナーを!


 元・バークス商会の腕利き研磨職人カッターにして、現在は、私の研究助手という名のげぼk……部下です。

 どんな面倒くさい石の研磨でも、彼ならたいていこなしてくれます。

 二硬性ディスシーン藍晶石カイヤナイトだろうが、四方向完全劈開かつ硬度4の蛍石フローライトだろうが、それどころか、硬度1の硫黄サルファーだろうが、きっと彼なら研磨できる! はず!!


 さぁ、エドウィン・バークスに賭博の借金を肩代わりしてもらう代わりに、胡散臭い石を磨き、奴がそれを宝石と偽って販売することを知っても止めなかった罪を、私のデザインに貢献することで償うのです。





蜂蜜と生姜のシロップをかけた豆腐は、自分で考えたのですが、ベトナムのおやつに、タウフー・ヌォックドゥオンという、かなり近いものがありました。やはり先人は偉大だ。


大豆ソイの語源は醤油だという説もあるが、広東語で「シヤユ」って言うから、そこを起源にして訛りを重ねれば、日本が無くてもきっと大丈夫!

意外なことに、大豆はヨーロッパにはなかなか普及しなかった。まずアメリカで油の材料として栽培が増え、ヨーロッパで食用と認識されるのは1930年代ぐらいから(初収穫が1929年)


イギリスとアイスランドの紛争は、全3回にわたる「タラ戦争(Cod War)」として知られ、アイスランドのたくましさに驚くこと請け合いです。軍隊のない小国は、いかにして七つの海の覇者だった大英帝国に競り勝ったのか。

死者0名、転倒による負傷者1名。火山噴火あり、火事場泥棒あり、漁師の逆襲あり。劇的だけど悲劇的じゃない。海洋資源は大切に! 乱獲、ダメ、絶対!!


エメリーの記述は、第54話「スカルン鉱床と硬度の話」に出てきます。

コンケーブ・カットは、検索すれば特許取った会社が出てきます。規約で宣伝をしてはいけないことになっているので、宣伝にならないように伏せました。元は違う命名だったそうな。

硫黄のファセット・カットを初めて見た時は、カッターの正気を疑いました。あんな割れやすい柔らかい、しかも臭いブツを、よくもまぁ磨いたものです。すごいわ。色んな意味で。


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