悪魔的な気づき
相変わらず好奇心がとっ散らかっている主人公。
1923年9月1日に関東大震災から、9月1日は「防災の日」です。
この話、進んで行ったら、地震起きるんですよねぇ……
マイア・ノヴァ=アルスメディカ様が栄養監修をされた食事で、私は無事に回復しました。マイア様の手紙が、おじいさま宛に届いて、そこから料理人へという迂遠なルートです。
なお、その料理を食べた私の感想は、なんだか懐かしいなぁ、でした。
あれです……病院食……。
やはり、病人向けかつ栄養十分ということを考えると、古今東西似たようなブツになるのは避けられない、ということでしょうか。
あれ? でも、21世紀地球の最先端栄養学に近い味を、19世紀水準アルビノアの食事で実現していると考えれば、確かにマイア様はきわめて優秀な栄養学者なのかもしれません。
ばあやによれば、調理法まで指示があったそうですから、水溶性のビタミンの流出や、加熱による栄養素の減少なども、経験的には理解されているのかも。
それほどの結論に達しているとしたら、いったいどれほどの臨床実験を、実行されたことでしょう。あと、さすがにこれは大規模な対照実験もしなければ、確証は得られないのではと思うわけですが。
あれ? しかし、仮にそのような実験を実施しているのであるとすれば、少なからぬ予算が回るはずですね? まったく同じ2種類以上の食事を、被験者の数だけ毎度用意する必要があるのですもの。
……でありながら、論文も出されず、発表にも出られずでは、金食い虫扱いされるのもやむなしですね。そして息子のファーガス様が焦る、と。
引っ込み思案も度が過ぎれば大問題ですね。
まぁ私は大々的に目立つ予定です。目立った業績を上げて評価されて、そしてオルハン帝国にエメラルドの鑑別の旅に行きつつ、現地の美味しい料理を存分に堪能する予定なのです。
……政治情勢には、何としても安定していてもらわねば。
ゲルマニウス、特にプルーセンの動向には、神経を尖らせておいた方が良いのかもしれません。
しかし毒ガスをばらまく発想はあれど、戦争を防ぐ方法なんて知りませんよ、私は。知っていたとして、一介の病弱学術貴族の幼女に何ができるものかと。
そも、戦争というのは高度に政治的な行動であって、つまり政治である以上、庶民主権のアルビノアでは、貴族に口をはさむ権利はないのです。
まぁ、軍功貴族ではなく、学術貴族ですから、アドヴァイスという名の抜け道は存在しているのですけれども。
これはつまり、所有する情報量が多ければ、対処の方法が見つかるかもしれない、ということなのでしょうか……
……おっと。このままでは、ドーヴァー侯爵の陰謀に巻き込まれて、エスターライヒへの療養旅行が、本当にスパイの旅になってしまいます。
私は、平凡な人生はかなえられない身の学術貴族ですが、やりたいことは地層を分析して、気候や地殻変動を推定してニヤニヤすることです。
ロイド様とコネリー様が、サー・ギルバート・トラヴァーズの手先になって政敵の追い落としに奔走しようが、エレンお姉さまのお父上であるウォルター様がうっかり政治への不満を口にしようが、私は関与致しません。しません!
目下の仕事は、寝込んでいるうちに積もった、マーガレット様からのご依頼の確認とタスクリスト作成。
社交を武器にして世を渡っておいでの方は、さすがにお顔が広い。そして、お顔が広いが故に、あまり何度も同じジュエリーは使い回せないという。
マーガレット様は、アルビノアの服飾業界に与える影響も並々ならぬものがおありの、ファッションリーダー的存在の一人でもおありとのこと。
ここで私デザインのジュエリーを広めていただき、スタンフォード商会から私に謝礼と報酬が入ってきたならば、その資金で加熱黄変アメシストや、あのタンザナイトの謎を解く……よーし、やる気が出てきましたー!
しかし、家系の石って、面白いけれども面倒なシステムですね。特定の宝石が特定の身分の人にしか使えない、というのは、別段珍しいことでもないでしょうけれども、そういう家系が複数あるというのは、規制が多くて……
……やはり、新宝石を発見するしかありませんかね。
でも20世紀以降に発見された宝石って、やはり産出量が少なかったり、加熱などの処理をしないと見劣りがしたり、割れやすかったり柔らかかったりで、取り扱いが面倒なのですよね……
ん? いや、少ない分には問題ないのですかね。そもそも、ジュエリーというのは、量産前提の品ではありませんでしたよね。スイートにもできないぐらい産出量が少なかったら……それこそ、エレーメージェバイトとか、エレーメイェファイトとか、ジェレメジェバイトとか言われる、例の激レアストーンみたいなものだったら、困りますが。
私の中の激レアストーン三巨頭は、ターフェアイト、エレーメージェバイト、グランディディエライトです!
見つかってもいない新宝石のことはさておき、とりあえずイメージカラーを青で、デザインラフを描きはじめます。
マーガレット様のお名前は、つまり「真珠」という意味ですので、もちろん真珠も使う予定ですが、ポイント・カラーは青を使いたい。
サファイアはバーミンガム公爵家の「家系の石」なので、これは避ける。
菫青石は我が家の石ですから譲れません。
藍銅鉱はよく採れるし、良いものならば透き通って美しいのですけれども、硬度が4しかありません。
燐灰石は、テラ=イグナ=アルステクナ家の「家系の石」ですが、ネオンブルーならアリかもしれません。硬度5ですが。
二硬性でカットが難しいけれども、藍晶石が妥当なところでしょうか。元バークスの彼なら切れる。きっとやれます。
珪孔雀石とか瑠璃みたいな不透明石は、今回の目当てではないのですよね。
あー、そうか……インディコライト・トルマリンというのもアリか。
いや改めて思い返すと、トルマリンって本当に優秀な宝石ですねぇ。硬いし、大きいのもわりと採れますし、何より色のバリエーションが豊富。
21世紀日本で、お手頃価格の青い宝石といえば、まずブルートパーズが挙げられましたけれども、あれは放射線照射による処理石。天然の青いトパーズは、ほぼ無色のような淡い青です。
入手は、まず無理ですね!
トパーズを青くするためだけに、ウランを掘ってくるつもりはありません。健康被害レベルの放射能なんて御免こうむります。
ちなみに21世紀地球での簡単なブルートパーズの作り方は、無色のトパーズを用意して、箱に入れて原子炉の中に置くだけ。放射能がなくなったら販売して大丈夫。万が一を防ぐため、アメリカには非常に厳格な基準があります。
……まぁどっかの国から、放射能が抜けきってないブルートパーズが流れてきたとか、そういう騒ぎもあったそうですけれどもね。かの国では、何だかわからないけれどもきれいな石があったので仕入れて、後でガイガーカウンターを当てたら針が振り切ったとか、恐怖の話が後を絶ちません。
まぁ、この文明水準には無関係でしょう。あはは。
……待って、私、何か大変重要なことを忘れているような気が。
えーと、ヴァセリングラスの製造開始が……19世紀ですね。1830年代ぐらいだったような……アッ。やばいですよこれは!
そう、そもそもキュリー夫妻が、ポロニウムとラジウムを見つけたのも、ガラス工場でウランを使った残りカスのピッチブレンド、つまり瀝青ウラン鉱。
キュリー夫妻によるポロニウムの発見が1898年だから……うーん、ひょっとして、これは放射性元素発見ラッシュと、私の人生が重なる……かも?
ギャー! 科学の発展のためには必要ですけれども、素手でラジウムに触るとか、そういうレベルの安全意識の世界ですか?! ダメ、絶対!!
そういえば……ヴァセリングラスの本場って、チェコですよねぇ……当時はハプスブルク帝国ですが……そこの、ヨアヒムスタール鉱山から、ピッチブレンドが採れていて、それが材料になっていた、と。
ハプスブルク的な国家は、こちらの世界ではエスターライヒ。
同じくチェコのボヘミア地方で採れていた、パイロープ・ガーネットが、エスターライヒでも産出するのは、アルバート様が仰っていた話です。
で、パイロープは、生成条件が、案外と珍しいガーネットです。
ということは、パイロープが採れるような地理的要件を有するエスターライヒには、地球のハプスブルク帝国と同様に、ウラン鉱脈が存在する可能性も?
……療養旅行で高濃度ウラン使っている工場にでも出くわしたら、終わりじゃないですか。きっと安全意識なんかゼロですよ、この世界!
よし、後でおじいさまに、ヴァセリングラスの存在を……無理です!
存在しているかどうか分かるわけがない、という設定なのに、ありますか? なんて質問をしたら、頭がおかしい人に確定です。
本を! 本を読んで、ヴァセリングラスに該当するガラスの存在を確認して、それから工場を割り出し、そこに近寄らないようにすれば!!
それなりには健康体で生まれた今生、放射能で死んでたまるものですか。
ところで私、気づいてしまいました。
とても悪魔的なことに。
ファーガス様の新元素発見というもくろみは、ピッチブレンドを教えれば、後は気合と根性で片付くのですよ。
もちろん、被曝と引き換えですが。
友人の野望と友人の命とを、束の間、天秤にかけて、私は口をつぐむことに、アッサリ決めました。
ファーガス様が放射能で死ぬとか、絶対に嫌ですから!
ポロニウムがアルビニウムになるチャンスなど、私の友情の前では意味はないのです。ラジウムは……あれは放射能が語源だから、ラジウムのままだろうと思いますが。
しかし、油断しているとどんどん残っている元素が、危ない放射性物質ばかりになってしまうわけで……つまり、比較的安全性の高い元素で、未発見のものをピックアップして、それが含まれた鉱物を、さりげなく「調べられました?」といいながら、ファーガス様にお伝えするか、お渡ししないと!
ボヤボヤしていたら、ファーガス様が新元素を求めて、放射性物質の研究を開始してしまうかもしれません!
よし、まずは友情が最優先です。マーガレット様のご依頼は、幼女が風邪をひいて寝込んだのですよ、とかごねれば、締め切りはきっと延びる!
大丈夫、大丈夫。最新の元素周期表を確認するだけ。
ばあやに「安静にしたいから本を読みたい」と伝え、ファーガス様が送ってくださった化学の本を見ます。
メンデレーエフ(仮)氏の元素周期表に、燦然と輝く「エリスロニウム」の文字。こちらの世界での、バナジウムの呼称です。
ここは地球ではありません。地球にあちこちよく似ていますが、別々の歴史を歩んできた世界です。
しかし、この世界の元素と物理法則は、基本的に地球と同じ設定。同じ宇宙のはずですからね。多元宇宙ならどうか分かりませんが。
でも演算は地球があったのと同じ宇宙の設定でやりましたよね……
まぁいいのです。そんなことは、どうでも。
元素周期表には「エカ○○」という予想元素があちこちにあります。
私は、そのうちの一つに目をつけました。
原子番号31番、ガリウム。
生体内での振る舞いは未解明でしたが、顕著な毒性の報告はなかったはず。
ドミトリー・メンデレーエフの元素周期表発表が1870年。
ポール・ボアボードランのガリウム発見が、1875年。
メンデレーエフが予想した「エカアルミニウム」の特性と、ガリウムの実際の特性や諸数値の一致が、周期表の評価を高めたのは周知の話です。
この周期表は、たしか去年に出た最新版のはず。
かなりの綱渡りの勝負ですが、ガリウムは未発見のはずです!
よし! では、ガリウムを含む鉱物ですよ……ボアボードランは、ピレネー山脈産の閃亜鉛鉱の分光分析によって、ガリウムを発見……
……ピレネー山脈に該当する地質的要件を有する地域が分かりません。
いや待て、うなれ私の記憶バンク……ガリウムは高品位の鉱石がない元素で、亜鉛もしくはアルミニウムの精錬をする過程で、副産物として回収され……アルミニウム! ということは、ボーキサイト!!
……で、この世界のボーキサイトの産地って、どこですっけ?
地球ならまずオーストラリアなのですが、アメリカに相当するであろうサーマス大陸の調査も途上という現在、オーストラリアに該当する大陸なんて発見済みでしたっけ? いや、惑星が違うから、存在しない可能性も?
いけません。このままではファーガス様が放射能を研究してしまう!
やはり最新の地図情報は、おじいさまの書庫に入れなければ、閲覧できないということでしょうか……そのためには、評価されるだけの業績を上げる必要が……その研究のためには資金も必要で……
……よし、デザイン画の仕事に戻りましょう。
幼女が主人公の話で、まさか放射能の話になるなんて誰が思っただろう。
ファーガス様にピッチブレンドを与えたら、10トンでも20トンでも頑張って分離を続けて、ポロニウムとラジウムの単離に情熱を傾けそう。危険しかないぞ。
ブルートパーズですが、アメリカの原子力安全委員会が、残留放射能については、厳しい基準で審査をしておりますので、真っ当に市販されているものはまぁ大丈夫だろうかと。
……過去には、まだ放射能を持った状態のブツが出てきて、問題になったことがありますが。
Aug. 17, 2023. プロイセンをプルーセンに変更。




