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子爵令嬢の地学満喫生活  作者: 蒼久斎
§3.アリエラ6歳、念願の初外出
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ひとりぼっち

転んで、立って、また転ぶ。それでもめげずに、また立って。





 夕食をいただいて、私は早めに就寝しました。

 今回は、おじいさまの鑑別のお仕事のオマケでついてきたので、2泊3日の非常に短期の旅行。つまり、また長距離移動が待っているわけです。

 寝るしかありませんよね!


 朝食の時に、お風呂がないことが違和感。お母さまの入浴英才教育がしみ込み過ぎて、お泊りに支障をきたすレベルになっています。

 夕食は正餐でしたが、朝食はそこまで堅苦しくない雰囲気です。


「リンゴはお口に合ったかしら?」

「はい、とても!」

「良かった。エレンがね、貴女はとてもリンゴが好きだと言っていたのよ」


 お姉さま……アリエラは大変うれしゅうございます。


 食後、着替えて、荷物を片づけて、侯爵夫妻と伯爵夫妻にご挨拶。

 リチャード様は、遮光装備用の布を、また送って下さるとのこと。ああ良かった、寸法直しでいくにも限界というものがありますものね。

 アデル様は、私の療養旅行の相談も兼ねて、クライルエンを訪問したいとのこと。一人旅になるようです。リチャード様は軍務がありますものね。


「貴女のブラック・スター・コランダムで、リヒャルトのことを思い出す、よすがが増えた。私は貴女の力になるよう努めます」


 あ、ヴァルト語で呼んでらっしゃるのですね。

 きりりとした眉を八の字に下げて、少し照れた顔のアデル様、実に愛らしいです。四児の母なのですが。


「また私も遊びに行かせてね。研究のお邪魔をしない程度に」

「ええ、マーガレット様、喜んで」

「よければ貴女もこちらに足を運んでほしい。エレンも貴女に会いたいと思っているだろうからね」

「はい、伯爵」

「もちろんエレンだけではなく、私も貴女に会いたいと思うわけだが」

「あら私もですよ? 貴女はもうエレンの妹のようなものなのですからね」


 どうにもお姉さまのご家族は、イケメンすぎていけませんね。


 しかし、こんな交流をしつつも、実父と実母の動向が気になる私です。お母さま、火山の調査はいつ終わるのですか? お父さまの新大陸調査は、それはもう相当の長期勝負になると見ていますけれども、お母さまにはそろそろ、さすがにそろそろ、顔を見せていただきたい。

 ふてくされてやる!


 これから、膨大な量のデザイン画をお届けすることになるのだろうなぁ、と思うと、背筋がなんだかぞわっとするのですけれども。

 遮光装備は手に入れましたし、お土産のデザイン画は良い評価を受けましたし、色々課題をクリアして、実りある旅だったと思います。


 ……スパイ勧誘のことは忘れましょう。そんな話はなかった!

 私は清く正しい幼女として、単なる療養でエスターライヒに行くのです。

 断じて、ゲルマニウスやらオルハンやらを探りに行くのではない!


 気を張っていたのか、がったんがったん揺れる馬車の中、酔い止めの飴も舐めることなく、ばあやの膝を枕にして沈没。

 夕方にはクライルエンの屋敷に辿りつきましたが、ジャムを塗ったスコーンと薬草茶だけ飲んで、またも就寝。

 しかし、散々っぱら寝ていたせいなのか、夜中に目が覚めます。


 そうだ!

 せっかく夜中に目が覚めたのなら、今までろくに観察していなかった、この世界の星座を見に行けばよいのでは?!


 いそいそと毛布を丸め、暖炉の火を蝋燭に移して、カンテラの中へ。

 夜間に窓から外を見ようとしても、明暗の関係で室内の光景が反射するだけになるので、寒かろうと外へ出るしかありません。

 大丈夫、私はもはや虚弱な5歳児ではなく、ちょっと病弱な6歳児です。


「おおお……」




 クライルエンの澄んだ空気を通して、きらきらと星が光っています。

 きっとロンディニウムなどの大都市部なら、煤煙で濁って、こんな美しい夜空は見られないでしょう。


 首を回し、青い光を探します。

 そう、ファーガス様との思い出の星、セイリオスです。


「あった」


 去年と変わることなく、焼けつくような青い輝きを放っています。

 黒い丸天井のような空を横切る、天の川。

 でもこれは、私が地球でついに見ることはできなかった「天の川」ではありません。つまり銀河系、天の川銀河とは、全く別の銀河なのです。


 ドーヴァー侯爵夫妻のために、星や星座に関係する文献は読みました。天文学のことはまだまだ分かりませんけれども、この世界ではどの星が、どんな伝説と共に語られてきたのか、そういう話は知りました。


 でも、そういう知識を蓄えて、また改めて空を見ると、言いようのない孤独感が募ってきます。

 冬の星座の代名詞だったオリオン座は、この空にはないのです。

 オリオン座を知っているのは、この世界には私だけ。


 だって、当たり前なのです。

 この世界は、ウェンディの妄想の産物です。

 一人ぼっちの病室を耐え抜くための、秘密の娯楽だったのですから。

 だから、他の誰かが知っているわけがないのです。


 ぎゅっと毛布を、体にきつく巻きながら、空を見上げます。

 見上げる空が、ぼんやりとにじんで、私の両目から、熱い涙がこぼれます。

 溢れた瞬間に冷えて、頬を伝い落ちる時には、もうすっかり熱を失っています。泣けば泣くほどに冷えていくのに、涙が止められません。


 今、私は孤独なのです。

 理解者と話ができた地球とは違う。

 この世界に、私のほんとうの理解者は、いないのです。


「うっ、うっ……ああ……うあああぁぁ……」


 パパにもママにも、先生や看護師さんたちにも、もう会えない。

 私のことを知っている人も、私のことを理解できる人も、いないのです。


「ふぅううぅ……」


 歯を食いしばっても、涙は次から次へとこぼれ、溢れます。

 こぼれる息は白くなって、濡れた頬から凍えていくように寒いのに、後から後から溢れる涙で、さらに冷たく冷えていくのに、それでも止まりません。


 星はもちろん、私のことなんて関係なく、きらきら光っています。


 泣いても、叫んでも、私が独りぼっちだという事実は揺らぎません。

 物を言うわけがない星に見下ろされながら、けれども、なおいっそう深まる孤独に押しつぶされそうで、泣くことをやめられません。


 泣いても解決なんてしない。

 涙は事態を好転させない。

 理性ではしっかり分かっています。

 分かっているのに、それでも、涙が止まらないのです。


 体の幼さ故なのでしょうか?

 それとも、あり得ないような事態に巻き込まれたことに対して、ようやく自覚と驚きとが追いついたのでしょうか?

 一人遊びの妄想の中に生まれかわっている。

 これは私の夢? ……私? アリエラは、ウェンディ?

 ウェンディ……私のあだ名……私の名前は……


“You’re a hero.”

“Hero.”


 誰の声だったのでしょう?

 看護師の一人だったような気はするのです……




 目が覚めると、ベッドの中でした。

 全身が、燃えるように熱いです。

 アアア……これは風邪をひきましたね、完全に。


 前世よりは頑丈ながら、抵抗力も体力も低い、さらには喘息持ちの幼女。あるいは、もうすぐ第二の人生も終わるのかもしれません。


 ……終わってたまるか。


 この世界が、私の夢であれ、妄想であれ、あるいは、未完了だったあのコンピューターの計算結果であれ。

 見知らぬ大地が存在し、それを探検し、分析し、考察し、確認できる。

 ならば、見なければ。歩かなければ。


 夢でもいい。妄想でもいい。

 今、熱を出した体は熱くて、汗は気持ち悪くて、喉が痛くて、指は震えています。

 この苦痛は、まぎれもなく私が今、生を知覚しているということ。あの無菌室での発作のように。


 これが「本物」か「錯覚」かなんて、どうでもよいことです。


 今度こそ、外に出るのです。外に出て、歩いて。

 世界に関するありとあらゆる探究に、存分に打ち込むのです。


「お嬢さま」

「ばぁ、や……」

生姜ジンジャーシロップです」

「ありがと」


 クッションにもたれかかって、状態を起こし、ほこほこと湯気を立てるマグカップを受け取ります。

 ふーっ、ふーっ、と息を吹きかけて、おそるおそる口を近づけます。


 お湯に溶かれたシロップは、砂糖の甘さと、生姜のピリピリした辛さとが調和して、こんな時でなければ、とても美味しいと素直に思えたでしょう。

 デンプンでか、とろみをつけてあり、飲み下す時にはゆっくり下りていくので、有効成分が喉全体に広がっていくような感じがします。


「入るぞ」

「大旦那様……」


 ノックもなしに、おじいさまが入ってこられました。

 そのお顔には、心配と、疲労と、それから怒りが浮かんでいます。


「アリエラ……死んではならんぞ」


 私は黙って頷きます。


「お前の人生は、これからようやく始まったばかりなのだ」


 また、黙って頷きます。

 私はまだ、何もできていません。本当にやりたかったことは、何も。


「ドーヴァー侯爵家から、外套が届いた」


 そう仰ると、おじいさまは、私が着られるサイズに直された、真っ黒な遮光外套を、私の視界に入るように掲げられました。


「病が癒えたら、今度はこれを着て、昼のクライルエンを歩こう」

「……絶対に」

「そう、絶対にだ」


 おじいさまの手が、私の手に触れます。

 矍鑠とした私の祖父の手は、けれど、肌にはもはや張りもつやもない、確かに年老いた人の手である、という事実に、目を見開きます。

 熱を出した子どもの高い体温に、その手はまるで冷水のように冷たく感じられました。


 ここで私が置いていかなかったら、やはり、おじいさまはやがて私を置いて先に逝く人間である、という自然の摂理に恐怖します。

 ぎゅ、と、握る力を強めれば、おじいさまも強く握り返して下さいます。


「一つ、尋ねたい……お前は、何故あんな所にいた?」


 私は、曖昧に微笑んで、答えました。


“I miss my dad and my mom.”





お父さま(father)、お母さま(mother)=アルビノアでの両親

パパ(dad)、ママ(mom)=地球での両親


……§1の最初のあたりに出ていますが、「ヒーロー」は「ウェンディ」というあだ名がつく前のあだ名です。元の名前に「ヒロ」が入っていることに由来するもの。


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