話すべきではないこと
ちゃんと叱る人がいないと、子どもは悪への道を進む。
アデル様のきわめてざっくりした地図でも分かったとおり、基本的にゲルマニウス連邦王国は、内陸国家です。
大規模河川も存在するでしょうが、河川と海では、航行可能船舶数は比較になりません。大量の物資を一気に輸送するという観点からすれば、海洋国家と内陸国家では、圧倒的に海洋国家の方が有利なのです。
また、陸路に比べ、海路の整備は資源の集中投資が容易です。つまり、非常に乱暴に言ってしまうならば、港を整備すれば良いのです。
対して陸路は、国境を越えた途端、管轄が変わります。国内の道路や鉄道網は整備できても、外国には手出しできません。
プルーセンを中心とするゲルマニウスに取れる手段は、一つ。
つまり、領土拡大です。
それはさながら、不凍港を求めて南下を繰り返したロシアのごとく。
「つまり侯爵は、ゲルマニウスの拡大政策の矛先が、エスターライヒのヴァルト文化圏に及ぶとお考えなのですね?」
「そのとおりだ」
アデル様から「ヴァルト」という語を教わっていて良かった! 恥をかかなくて済みましたよ、いやぁ、ギリギリセーフ!
「伯爵のお考えは?」
「リックに近い。ただ私は、プルーセンがゲルマニウスの連邦諸国に対し、さらに強権的な手段に打って出るのが先だ、と考えている」
うわぁ、この展開だと、十分にあり得そうですね。
「なるほど、つまり仮に名付けるとすれば『ヴァルト帝国』のような、より強力な中央集権的、一元的な国家の成立ですね?」
「今の連邦体制では、プルーセン一国の決定で全てが動くわけではない。それは迅速な軍事行動を制限する。軍人として、臨機応変の対応が議会の審議によって妨げられる鬱陶しさは理解できr……今の話は聞かなかったことに」
アルビノアの政治体制を批判するような発言を、軍功貴族がする、というのは、大問題です。かつての「ウェルスフォルカの悪夢」のように。
「私は何も聞いておりませんよ~」
「うん。そうだな! それで、拡大政策を軍事的に展開するならば、指揮系統の完全な一元化のためにも、政治体制の抜本的な改革が行われるだろう、というのが、私の予想だ!」
「私も同感です。6歳児の同意を得ても何にもなりませんでしょうが」
「いやいや、アリエラ嬢ならば話は別だ」
エクセター伯爵家の弱みが、また一つ増えました。うふふ。
まぁ、お姉さまにご迷惑をかけるようなことは、いたしませんけれど!
「とすると、戦争の勃発は……ゲルマニウスの内情が不明瞭なので、完全な当てずっぽうですけれども、内政改革に5年、と見積もって……まぁ10年以内、といったところですか」
「その根拠は何だ?」
リチャード様が、とても面白そうに目を輝かせていらっしゃいます。
先ほどからチラチラ思っているのですが、リチャード様の食いつかれるポイントって、割と物騒な話題が中心ですよね?
「人間が新しいシステムに慣れるまで、このぐらいはかかるかと……不慣れな兵を指揮する面倒くささは、侯爵も伯爵も、軍人でいらっしゃるのですから、お分かりでしょう?」
うん、と両者まったく同じタイミングで頷かれました。
「ということは、この10年が勝負ですねぇ」
「具体的に、作戦などは思いつくのか? まさかゲルマニウス全土に、二酸化炭素を撒いたりするのか?」
「そんな無茶な話がありますか。アルビノア兵も巻き込まれて全滅しますよ」
なんてこった。まさか、リチャード様、毒ガスに目覚めた?
でも毒ガスは実戦での運用は極めて難しいので、試して即座に挫折するはず。
試すまでもなく諦めてくれるのが最上ですが!
「というか、軍事行動以前に、軍事行動を起こせなくするのが良いかと」
「つまり何をするのかな?」
「ゲルマニウスの政治的統一を、徹底的に妨害するのです」
おそらくプルーセンも強国でしょうが、近隣諸国の統合を唱える程度には、国力には余裕はないはず。
一国だけで突出して戦闘を仕掛けてくる可能性は、ありますけれども。
しかし、統一を達成されるよりは、よっぽど安全です。
「アルビノアは決して大国ではありません。フランキアは依然として、政治的・経済的脅威として存在します。ルシオス帝国も、地理的には離れていますが、無視できない存在です。オルハン帝国も要警戒でしょう。そこへきて、さらにゲルマニウスに統一勢力なんて出現されては困ります。ましてや軍事的拡大を企図するような国など」
毒ガス作戦をほざいた口で、何を白々しいことをという話ですが。
いや、私は戦争とか嫌いですよ?
命にかけがえがないということを、私は他ならぬ自分の命で思い知っていますからね?
誰にもウェンディの代わりができなかったように、ウェンディも誰の代わりにもなれなかったように、全ての人間は、誰かにとってのかけがえのない存在なのです。そして、命は失えば、二度と戻ってこない。
生命活動は不可逆なのです。燃え尽きた蝋燭が蘇らないように。
「何をほざくかと思われるでしょうが、私は人死には嫌いです。二酸化炭素の話はきわめて過激でしたが、アルビノアに一人たりとも損害を出さない方法、というものを、徹底的に考えた結果です。そして出来れば、敵国の兵士も殺すべきではないと思うのです」
「何故だ?」
リチャード様の問いに、私は司馬遷『史記』の記述を思い起こします。
秦の猛将・白起。
趙軍を打ち破った長平の戦いで、彼は40万という多くの捕虜の食糧を賄うことができず、少年兵240人を除く全員を、生き埋めにしたと伝わります。
実際、長平の地では、信じがたいほどに多くの人骨が出てきます。
この戦いで、白起は自国・秦の宰相に警戒され、趙からは激しい恨みを買い、最後には自害に追い込まれます。
たとえ『史記』の記述が盛り増しをしていたって、それでも大量の捕虜の食事を用意するより、全員埋めてしまう方が効率的だ、というのは、理屈では分かります。
しかし記述を信じるならば、白起自身この所業を悔いていたようで、自害を命じられた際に、己の罪はまさにこれである、と言ったほどです。
つまり、殺して得られるものより、殺さずに得られるものの方が、この世界にはきっと多いと思うのです。
殲滅作戦を提案した私の言うセリフではありませんが。
「敵対者を単に殺すのでは、クローヴィス・ウェルスフォルカと変わりません」
軍功貴族にとって、最も忌むべき名を、敢えて口にします。
これで、毒ガス作戦なんていう思い付きへのやる気を、徹底的に削ぐ!
「彼は敵対者を抹殺しきれず、その結果、アルビノア史に並ぶ者のない大悪人となりました。殺すだけでは人心を得られません。国民を敵に回して、息のできる君主などこの世にはない……ゲルマニウスの指導者たちが、どれほどにアルビノアとの戦争を、あるいはエスターライヒとの戦争を望もうとも、戦場に出て戦うのは国民たちです。彼らの戦意をくじけば、戦闘は抑えられるはず」
「ほほう! で、具体的には?」
ぎろり、と、リチャード様の目が光ります。
ごめんなさい。殺さない方が得策だとは思うのですが、作戦は考案中です。
ウェルスフォルカの名前まで出しておいて、このオチはひどいと、自分でも思っておりますので、どうか責めないでください。
「この10年をかけて、それを浸透させて参ります」
「ハッハッハ! さすがにここで、秘策が出てくるほどではなかったか。貴様ならばよもや、と思ったが。ハッハッハ」
「ご期待に沿えず申し訳ございません……」
「良い。小娘に秘策など提案されては、吾輩の自尊心も傷つくというものだ」
アルビノア語の一人称は、基本的に全員同じなのですが、リチャード様の一人称が「吾輩」にしか聞こえません。態度かなぁ。雰囲気かなぁ。
「気に入った! 気に入ったぞ、アリエラ・アルステラ!」
満面の笑顔で、バンバンと頭を叩かれます。あうう……
リチャード様は、昼食の席でも終始上機嫌でした。
アデル様に対しても、「遮光装備は譲ってやることに決めたぞ」と、開口一番仰っていました。
「エレンめは、なかなか面白い『相棒』を得たな」
「娘は、口を開けば『可愛らしい』ばかり申しておりましたが、なかなかどうして、鋭い爪を隠し持っている子猫です」
軍功貴族の会話に、あらあら、とマーガレット様は興味深そうなお顔。
アデル様も、目をキラキラ輝かせておいでです。
「いったいどんな試験を課されたの?」
「机上演習だよ、マギー」
「まぁ! アリエラ嬢は、軍事にも造詣が深くていらっしゃるの?」
「いいえ、さっぱりです!」
マーガレット様の誤解を、全力で解きにかかります。
「そのとおり、軍事のことは素人だ。だが、政治に関しては、6歳とは思えぬ興味深い視点を持っておる」
リチャード様の言葉に、同席していたおじいさまの目が険しくなったので、私は背筋にぞっと嫌な予感が走りました。
昼食後、おじいさまに呼び出されました。胃が痛い。吐きそうです。
絶対に、おじいさま、怒っていらっしゃる……!
「おじいさま、アリエラ、参りました」
「座りなさい」
促されるまま、椅子に上ります。恐怖で心臓を吐けそう。
向かい合う席に腰を下ろしたおじいさまの目は、非常に険しく、声色もいつもよりもピリピリしています。
「ドーヴァー侯爵、エクセター伯爵と、政治の話をしたのかね?」
「あ、あの……」
「したのか、しなかったのか。どちらだ?」
ひぅっ、と身を竦ませながら、しました、と答える。
「お前は知っているな? 貴族は政治に関与できない……そして軍功貴族は、政治に関わってもいけない……」
「はい……」
「分かっているのに、政治の話をしたのか?」
「げっ、ゲルマニウスの政治情勢を……軍事的視点から解説いただいて……」
おじいさまのまとう雰囲気が、いくらか柔らかくなりました。
そうか、国内政治批判をしたのでは、と思われたのですか。
そんな自殺行為はしませんよ! アルビノアの血税で生きている身で!
「ドーヴァー侯爵閣下は、私に、アデル様の実家での療養を勧めて下さったのですが、近頃、エスターライヒとゲルマニウスの関係が、どうにもきな臭いらしいのです……それで、どうしてそういう事態なのか、解説をいただきました」
嘘は一つも言っておりません。まったく本当でもありませんが。
スパイに勧誘されたとか、今のおじいさまに言ったら、私はもはや永久に、クライルエンの屋敷で宝石の鑑別をするだけにされてしまいます、きっと!
「……それで、侯爵はなんと?」
「ゲルマニウス連邦王国の主力である、プルーセンが、拡大主義政策を打ち出している、と……そして、ザクセン王家を首班とする『原ゲルマン主義』のもと、エスターライヒ西部のヴァルト文化圏が、次なる攻撃対象に上がる可能性は、十分にありえる、と……」
「ふむ、そういう話の流れだったのか」
納得していただけたようです。
ほっと気を抜いた瞬間、おじいさまは軽く、私の頭をはたかれました。
「あうっ!」
「まったく、心配させおって……今度からは気を付けるようにな。我々は貴族院に助言者という形で関与するが、政治の知識は求められておらん……むしろ政治の知識を持っていれば、要らぬ警戒を招く。分かろうと、知っていようと、口をつぐむのも処世だ。いいな?」
ハイ……この頭の痛みとともに、肝に銘じます……
「女王陛下の御夫君アレクサンデル殿下は、ゲルマニウスの御出身だ。あの地域の話については、慎重の上にも慎重を期すように」
……ナンデスッテ?!?!
役割語に頼らないキャラ付けをしようと思ったのだけれど、リチャード・フォースター侯爵は、書いていくうちに、もうこの人は絶対に一人称「吾輩」しかあり得ない、って思えてきたんです。
おじいさまに秘密を抱えたアリエラが、これからどうなるのか?!
そして、エスターライヒへの出国許可は下りるのか?!
……続きは書けていません! ストックはここで尽きました!!
Aug. 17, 2023. プロイセンをプルーセンに変更。その他、微修正。




