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子爵令嬢の地学満喫生活  作者: 蒼久斎
§3.アリエラ6歳、念願の初外出
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不穏なるゲルマニウス

政治情勢の話です。アーソナは現在動乱の前触れなんだ……





 幼女なのに、ちっとも可愛げのない答弁で時間を過ごします。

 ニオス湖の災害を参考にした、二酸化炭素爆発攻撃のネタで、リチャード様の好感度はかなり上昇した様子。なんというひどい話か。


「では、この気象条件ならば……」

「地理的条件から総合して考えるに、雨季が近いのでは?」

「その通りだ。約1月後には雨ばかりになる」


 大量に地図を広げて、ああだこうだと、架空の作戦討議をしています。


「1か月以内に決着をつける必要があるのならば、敵補給線に損害を与えるのが当然の理かと存じますが、地元住民からの反感を増やす必要はありません。もしここの土壌が石灰岩質であるのならば……地図から推して、ほぼ間違いなくそうであろうと推測しますが……地下に数多くの空洞があるはずです」


 カルスト地形の下には、鍾乳洞ですよね。

 山口県の秋吉台とか。


「うん、その推察通りだ」

「うまいこと洞窟に閉じ込めた後、入り口の天井部分を崩落させれば楽では? ただ、このような地形は陥没しやすいので、そもそも進軍しないのが賢明であると思いますけれども」

「なるほど!」


 言っていることは、どれもろくでもなく、えげつない話ばかりなのですが、リチャード様のお気に召したのならば幸いです。


「あと、先ほどの湖の応用ですが、天井が崩落しても、空気穴があって、そして岩石の撤去に十分な時間があれば、敵兵を殲滅できません。硫化鉄を塩酸に入れますと、有毒な硫化水素が発生しますので、これで息の根を止めましょう」


 クソ外道なことを言っている自覚はあります。

 これが6歳幼女の発言だというのだから、本当に終わっています。


「アリエラ嬢は、有毒ガスに詳しいな」

「恐れ入ります、伯爵……私は呼吸器が弱いものですから、危険な空気については知悉しておきませんと。ロンディニウムの空気に放り込まれただけで、死んでしまうそうですから」


 もっともらしい理由をでっちあげます。


「ロンディニウムの空気の、何が貴女に有毒なのかな?」


 アルビノア語には二人称が二種類あり、リチャード様は私のことを格下相手の二人称で、ウォルター様は対等以上相手の二人称でお呼びになりますね。

 まぁ、侯爵と子爵令嬢ですし、当然ですね。ウォルター様は伯爵ですけれど、私は実娘の「相棒」だから、敬称二人称なのでしょう。


「調査を行ったわけではありませんので、まったくの推測になることをお許しくださいまし……祖父の話から、ロンディニウムの大気汚染が最も悪化するのは、冬であると聞きました。ならば、大気汚染の最大の要因は、暖をとるために燃やされる石炭などの煙でしょう」


 ほうほう、と、お二方とも、非常に興味深そうに頷かれます。


「非常に良質のコークスを除き、石炭には不純物として硫黄が含まれるのが通常です。すると加熱した時に、酸化硫黄……水に溶かすと硫酸になる、非常に危険な有毒物質が生じるのです」

「なんと! そのように危険なものが!」

「そうなのですよ、侯爵。この有毒物質が、呼吸によって体内に取り込まれますと、体内の水に反応して硫酸となり、人体組織を蝕みます」

「対策はあるのかな?」

「皆無ではありませんが、抜本的には暖房設備の改善が必要です」


 結局、粗悪な石炭を吹きさらしで燃やす人がいなくならない限り、この問題はどうしようもないのですよね。うーん。


「都市計画に絡む大掛かりな話をしてもよろしければ、我がアルビノアの地理的特徴である、温泉の活用も有効かと」

「それは、どのような?」

「つまり温泉の水をこのようなパイプに通して、都市の地下水道などを経由させて、熱を町全体に行き渡らせるのです」


 温泉水を利用した、全都市型暖房は、アイスランドで見られます。

 多分、大分県でも似たようなことはできるはず。別府とか、湯布院とか、温泉地ならば。そして、財源があれば。




「これは素晴らしい発想だねぇ」

「はぁ。しかし、既存のインフラを最大限に活用しても、多額の費用が掛かりますし、基本は夢物語であるとは自覚しています。それに実現できたとしても、他の問題が出てきますでしょう」

「他の問題?」

「温かくなれば、人間だけではなく、ネズミも喜びます。ネズミは様々の伝染病を媒介しますので、公衆衛生の観点から非常に危険です。しかし、奴らはきわめて繁殖力旺盛……駆除は困難を極めるでしょう」


 黒死病ペストは言うに及ばず、鼠咬症そこうしょう、サルモネラ症、レプトスピラ症、E型肝炎、パラチフス、腸チフス、ツツガムシ病、ハンタウイルスによる腎症候性出血病。

 特にハンタウイルスは、21世紀の地球でも対症療法のみ! ハンタウイルス肺症候群の致死率は30%を超します。

 ドブネズミは許しませんよ! 病原菌滅ぶべし!!


「貴様は実に興味深いな」


 ウォルター様と、都市開発計画の話で盛り上がっていると、カッカッとリチャード様が、とても楽しそうに笑われました。

 これは、褒められていますよね? ね??


「血も涙もない作戦を立てたかと思えば、一般庶民にまで恩恵の行き渡ることを考える。実に興味深い……その広範な知識、6歳とは思えぬ洞察力と発想力……良かろう!」


 ニヤァッ、と笑って、リチャード様は私の背中を叩かれました。


「我がフォースター家が代々継承し、改良を重ねた『遮光装備』一式、貴様にくれてやろう! 世界を股にかけて暴れるが良い!」

「ありがとうございます!」


 別に世界を股にかけて暴れる気はありませんが、言質は取った!

 恐れ入りますが、正式な証書を頂戴できますでしょうか……?


「どうだね、リック……我が娘の『相棒』は?」

「お高く止まった学術貴族は好かんが、アリエラ嬢はなかなか将来有望だな。のっけから400兵の作戦行動で7000の敵を殲滅するなど、大言壮語をするものだと思ったが、地理の知識はさすがアルステラだ」


 にまにま笑いながら証書を畳んでいる横で、軍功貴族のお二人が、そんな会話を交わされています。ふーむ、学術貴族の中に、軍功貴族を苦手にする者があるように、軍功貴族にも、学術貴族を苦手にする人があるのですね。

 アルバート様とリチャード様を会わせたら……大惨事の予感しかしない。


「この娘ならば、ゲルマニウスに怪しまれることもあるまい」

「実に、我が娘は良い人材を見つけてきた」


 んっ? 何か不穏な会話が交わされていませんか??

 ゲルマニウスに怪しまれる、とか、一体私をどうなさるおつもりで?!


「あの、私、いったい何をさせられるのでしょうか?」

「何、まずは我が妻アデルの実家、ザルツブルクの岩塩抗で、その呼吸器疾患の改善のために療養すれば良い」

「はぁ……」


 ニコニコ笑顔が怖いです、ドーヴァー侯爵様!


「その後、あわよくばゲルマニウス、ルシオス、オルハンとの国境地域をめぐって、地理的条件や戦略・戦術的に重要な地形などについて、報告書をまとめてもらえると有難いのだが」


 それってつまり、スパイ活動じゃありませんかああぁぁ!!

 ……うん、6歳幼女が専門知識を持っているなんて、大陸人どころか、多分アルビノア人でも、そうそう思い及びませんよ。


「どうしたのだ?」

「いえ、あの……そんな重責を6歳児に負わせて良いのですか?」

「何、他にも様々な人材が派遣されている。貴様はそのうちの一人に過ぎん。小娘一人に国家の行く末を委ねるほど、アルビノアの人材は払底しておらん」

「まったくもって、その通りでございます」


 ですよね。ですよね!

 国家予算をつぎ込んで、有用な人材を育成するこのアルビノアで、6歳幼女に重要任務を任せるわけがありませんよね!!


「あと、何故ゲルマニウスを警戒していらっしゃるのでしょう? オルハンとは宗教的理由からの緊張、ルシオスへの警戒も理解できなくはありませんが、エスターライヒとゲルマニウスは、基本方針こそ違え、同一の言語を違う、共通項もある文化圏ではありませんか?」

「ふむ。貴様は歴史には疎いと見た」

「恥ずかしながら、近代史は不得手でございます」


 仕方ないじゃありませんか。私が見ているのは二百年前の地図ですよ?




 ゲルマニウス連邦王国は、31の君公国と、4つの大自由都市圏の連合体です。これが成立した背景にあったのが、ザクセン王家が主張する「原ゲルマン主義」でした。

 ルシオスとフランキアという大国の狭間で、ゲルマニウス諸連邦は、めいめい勝手な方針で対応策を取っていたのですが、アルビノアのいち早い工業化、それに続くフランキアの姿を見て、我も習わねばと危機感を覚えた様子。


 しかし、ゲルマニウス諸国では最強のプルーセンも、現状の国家規模としてはフランキアに劣ります。手っ取り早く規模を拡大するために主張されたのが、原始ゲルマン民族への回帰を訴える、統合国家の成立でした。

 ようするに、ただの膨張的国家主義ですね!


 実質上のリーダーはプルーセンなのに、どうしてザクセンが名目上のリーダーに担がれているのかと言いますと、ザクセン王家の血統です。

 ザクセン王家には、古代ラティーナ帝国と戦った、伝説的な英雄の血が流れているとされます。古さだけなら、ルシオスに匹敵するのです。

 そしてプルーセンは、この伝説の英雄の家系を担ぎ上げ、統一ゲルマニウスの成立を目論んでいるわけです。いえ、過去形かもしれませんが。アデル様の話からするに。


「つまり、ゲルマニウス連邦王国の狙いは、拡大政策?」

「その通りだ。そして、文化的に近しいからこそ、エスターライヒは危険なのだよ。エスターライヒは多文化国家だが、西部はゲルマニウスへの親近感も深い。ここに付け込まれるのは、なんとしても避けねばならない」


 リチャード様が熱弁を振るわれます。

 なるほど。つまり第二次世界大戦前における、ドイツによるチェコのズデーテン併合的な。あるいは第一次世界大戦前のバルカン半島における、パン=ゲルマン主義的な。


「さらに問題なのは、プルーセンがオルハンとの友好関係を深めていることだ。オルハンとゲルマニウスの友好が確立すれば、エスターライヒは挟撃される。それは非常に危険だろう」


 げっ。私はいずれオルハンに、エメラルドの鑑別訓練という名目で渡航し、美味しいゴハンをたっぷり食べるつもりでいたのですが。


「アルビノアとオルハンの関係は、悪くはなかったのでは?」

「だが、特別に友好というわけでもない。オルハン帝国は、どちらかといえばフランキアと、海上友好条約を締結していたような国なのだが、このところ、ゲルマニウスが技術支援を活発化させている」

「なるほど、消極的友好ではなく、積極的友好、と……それは確かに、憂慮すべき事態ですね」


 なんてこった。まるで第一次世界大戦前夜ですよ。

 推定文明水準は19世紀だというのに、政治情勢がまるで20世紀初頭みたいじゃありませんか。世界大戦なんて、起きてたまるものですか!


 民族主義は世界史上で、あちこちに出てくるものではありますが、純粋に民族の何とかカントカというものは、極めつけに稀です。

 結局のところ、政治的独立、経済的独立など、生臭い事情が絡むのです。


 その生臭い事情をうまいこと料理できれば、人間は別に多文化国家でも不平は言わないはずです。豊かなアメリカでは、国家は多民族でも、致命的な問題にはなりませんでした。

 フランクリン・デラノ・ローズヴェルトが最も危険視した男、ルイジアナの独裁者ことヒューイ・ロングなど、不況下では過激な人が政治に出てくることもありましたが、それでも「多様性」というお題目が取り下げられることはありませんでした。まぁ、ロングは暗殺されたのですがね。


 基本的に、ゴハンが食べられれば、人間はあまり文句を言わない!

 しかし、国家間格差を甘受するかといえば、これはまた別の話です。


 ゲルマニウス、もといプルーセンが、性急な工業化を目指すのは、アルビノアとフランキアとの、格差の拡大が一因でしょう。

 帝国主義は、植民地を持つ国と持たざる国との間に、著しい経済格差を生み出します。ウォーラーステイン先生のいう「中心国家」「周辺国家」の差です。この間に「半中心国家」があり、おそらく現在のゲルマニウスはここ。ちなみにアルビノアは、中心国家の中でも最も強力な「覇権国家ヘゲモニー」。


 絶望的なことに、近代世界システム論では、一度周辺国家に転落すると、中心国家に這い上がる道が、非常に険しいとされています。

 プルーセン首脳部がそれに気づいているかどうかはわかりませんが、危険感は抱いていると思われます。つまり、このままでは転落すると。


「なるほど……なるほど……」


 こいつは厄介ですね。





この話は、幼女の成長期であると同時に、天災・人災の話です。

火山は噴火するし、地震は起きるし、紛争も発生するし。

ほのぼのな幸せ展開には、断じてならないのですよ……


Aug. 17, 2023. プロイセンをプルーセンに変更。

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