不穏なるゲルマニウス
政治情勢の話です。アーソナは現在動乱の前触れなんだ……
幼女なのに、ちっとも可愛げのない答弁で時間を過ごします。
ニオス湖の災害を参考にした、二酸化炭素爆発攻撃のネタで、リチャード様の好感度はかなり上昇した様子。なんというひどい話か。
「では、この気象条件ならば……」
「地理的条件から総合して考えるに、雨季が近いのでは?」
「その通りだ。約1月後には雨ばかりになる」
大量に地図を広げて、ああだこうだと、架空の作戦討議をしています。
「1か月以内に決着をつける必要があるのならば、敵補給線に損害を与えるのが当然の理かと存じますが、地元住民からの反感を増やす必要はありません。もしここの土壌が石灰岩質であるのならば……地図から推して、ほぼ間違いなくそうであろうと推測しますが……地下に数多くの空洞があるはずです」
カルスト地形の下には、鍾乳洞ですよね。
山口県の秋吉台とか。
「うん、その推察通りだ」
「うまいこと洞窟に閉じ込めた後、入り口の天井部分を崩落させれば楽では? ただ、このような地形は陥没しやすいので、そもそも進軍しないのが賢明であると思いますけれども」
「なるほど!」
言っていることは、どれもろくでもなく、えげつない話ばかりなのですが、リチャード様のお気に召したのならば幸いです。
「あと、先ほどの湖の応用ですが、天井が崩落しても、空気穴があって、そして岩石の撤去に十分な時間があれば、敵兵を殲滅できません。硫化鉄を塩酸に入れますと、有毒な硫化水素が発生しますので、これで息の根を止めましょう」
クソ外道なことを言っている自覚はあります。
これが6歳幼女の発言だというのだから、本当に終わっています。
「アリエラ嬢は、有毒ガスに詳しいな」
「恐れ入ります、伯爵……私は呼吸器が弱いものですから、危険な空気については知悉しておきませんと。ロンディニウムの空気に放り込まれただけで、死んでしまうそうですから」
もっともらしい理由をでっちあげます。
「ロンディニウムの空気の、何が貴女に有毒なのかな?」
アルビノア語には二人称が二種類あり、リチャード様は私のことを格下相手の二人称で、ウォルター様は対等以上相手の二人称でお呼びになりますね。
まぁ、侯爵と子爵令嬢ですし、当然ですね。ウォルター様は伯爵ですけれど、私は実娘の「相棒」だから、敬称二人称なのでしょう。
「調査を行ったわけではありませんので、まったくの推測になることをお許しくださいまし……祖父の話から、ロンディニウムの大気汚染が最も悪化するのは、冬であると聞きました。ならば、大気汚染の最大の要因は、暖をとるために燃やされる石炭などの煙でしょう」
ほうほう、と、お二方とも、非常に興味深そうに頷かれます。
「非常に良質のコークスを除き、石炭には不純物として硫黄が含まれるのが通常です。すると加熱した時に、酸化硫黄……水に溶かすと硫酸になる、非常に危険な有毒物質が生じるのです」
「なんと! そのように危険なものが!」
「そうなのですよ、侯爵。この有毒物質が、呼吸によって体内に取り込まれますと、体内の水に反応して硫酸となり、人体組織を蝕みます」
「対策はあるのかな?」
「皆無ではありませんが、抜本的には暖房設備の改善が必要です」
結局、粗悪な石炭を吹きさらしで燃やす人がいなくならない限り、この問題はどうしようもないのですよね。うーん。
「都市計画に絡む大掛かりな話をしてもよろしければ、我がアルビノアの地理的特徴である、温泉の活用も有効かと」
「それは、どのような?」
「つまり温泉の水をこのようなパイプに通して、都市の地下水道などを経由させて、熱を町全体に行き渡らせるのです」
温泉水を利用した、全都市型暖房は、アイスランドで見られます。
多分、大分県でも似たようなことはできるはず。別府とか、湯布院とか、温泉地ならば。そして、財源があれば。
「これは素晴らしい発想だねぇ」
「はぁ。しかし、既存のインフラを最大限に活用しても、多額の費用が掛かりますし、基本は夢物語であるとは自覚しています。それに実現できたとしても、他の問題が出てきますでしょう」
「他の問題?」
「温かくなれば、人間だけではなく、ネズミも喜びます。ネズミは様々の伝染病を媒介しますので、公衆衛生の観点から非常に危険です。しかし、奴らはきわめて繁殖力旺盛……駆除は困難を極めるでしょう」
黒死病は言うに及ばず、鼠咬症、サルモネラ症、レプトスピラ症、E型肝炎、パラチフス、腸チフス、ツツガムシ病、ハンタウイルスによる腎症候性出血病。
特にハンタウイルスは、21世紀の地球でも対症療法のみ! ハンタウイルス肺症候群の致死率は30%を超します。
ドブネズミは許しませんよ! 病原菌滅ぶべし!!
「貴様は実に興味深いな」
ウォルター様と、都市開発計画の話で盛り上がっていると、カッカッとリチャード様が、とても楽しそうに笑われました。
これは、褒められていますよね? ね??
「血も涙もない作戦を立てたかと思えば、一般庶民にまで恩恵の行き渡ることを考える。実に興味深い……その広範な知識、6歳とは思えぬ洞察力と発想力……良かろう!」
ニヤァッ、と笑って、リチャード様は私の背中を叩かれました。
「我がフォースター家が代々継承し、改良を重ねた『遮光装備』一式、貴様にくれてやろう! 世界を股にかけて暴れるが良い!」
「ありがとうございます!」
別に世界を股にかけて暴れる気はありませんが、言質は取った!
恐れ入りますが、正式な証書を頂戴できますでしょうか……?
「どうだね、リック……我が娘の『相棒』は?」
「お高く止まった学術貴族は好かんが、アリエラ嬢はなかなか将来有望だな。のっけから400兵の作戦行動で7000の敵を殲滅するなど、大言壮語をするものだと思ったが、地理の知識はさすがアルステラだ」
にまにま笑いながら証書を畳んでいる横で、軍功貴族のお二人が、そんな会話を交わされています。ふーむ、学術貴族の中に、軍功貴族を苦手にする者があるように、軍功貴族にも、学術貴族を苦手にする人があるのですね。
アルバート様とリチャード様を会わせたら……大惨事の予感しかしない。
「この娘ならば、ゲルマニウスに怪しまれることもあるまい」
「実に、我が娘は良い人材を見つけてきた」
んっ? 何か不穏な会話が交わされていませんか??
ゲルマニウスに怪しまれる、とか、一体私をどうなさるおつもりで?!
「あの、私、いったい何をさせられるのでしょうか?」
「何、まずは我が妻アデルの実家、ザルツブルクの岩塩抗で、その呼吸器疾患の改善のために療養すれば良い」
「はぁ……」
ニコニコ笑顔が怖いです、ドーヴァー侯爵様!
「その後、あわよくばゲルマニウス、ルシオス、オルハンとの国境地域をめぐって、地理的条件や戦略・戦術的に重要な地形などについて、報告書をまとめてもらえると有難いのだが」
それってつまり、スパイ活動じゃありませんかああぁぁ!!
……うん、6歳幼女が専門知識を持っているなんて、大陸人どころか、多分アルビノア人でも、そうそう思い及びませんよ。
「どうしたのだ?」
「いえ、あの……そんな重責を6歳児に負わせて良いのですか?」
「何、他にも様々な人材が派遣されている。貴様はそのうちの一人に過ぎん。小娘一人に国家の行く末を委ねるほど、アルビノアの人材は払底しておらん」
「まったくもって、その通りでございます」
ですよね。ですよね!
国家予算をつぎ込んで、有用な人材を育成するこのアルビノアで、6歳幼女に重要任務を任せるわけがありませんよね!!
「あと、何故ゲルマニウスを警戒していらっしゃるのでしょう? オルハンとは宗教的理由からの緊張、ルシオスへの警戒も理解できなくはありませんが、エスターライヒとゲルマニウスは、基本方針こそ違え、同一の言語を違う、共通項もある文化圏ではありませんか?」
「ふむ。貴様は歴史には疎いと見た」
「恥ずかしながら、近代史は不得手でございます」
仕方ないじゃありませんか。私が見ているのは二百年前の地図ですよ?
ゲルマニウス連邦王国は、31の君公国と、4つの大自由都市圏の連合体です。これが成立した背景にあったのが、ザクセン王家が主張する「原ゲルマン主義」でした。
ルシオスとフランキアという大国の狭間で、ゲルマニウス諸連邦は、めいめい勝手な方針で対応策を取っていたのですが、アルビノアのいち早い工業化、それに続くフランキアの姿を見て、我も習わねばと危機感を覚えた様子。
しかし、ゲルマニウス諸国では最強のプルーセンも、現状の国家規模としてはフランキアに劣ります。手っ取り早く規模を拡大するために主張されたのが、原始ゲルマン民族への回帰を訴える、統合国家の成立でした。
ようするに、ただの膨張的国家主義ですね!
実質上のリーダーはプルーセンなのに、どうしてザクセンが名目上のリーダーに担がれているのかと言いますと、ザクセン王家の血統です。
ザクセン王家には、古代ラティーナ帝国と戦った、伝説的な英雄の血が流れているとされます。古さだけなら、ルシオスに匹敵するのです。
そしてプルーセンは、この伝説の英雄の家系を担ぎ上げ、統一ゲルマニウスの成立を目論んでいるわけです。いえ、過去形かもしれませんが。アデル様の話からするに。
「つまり、ゲルマニウス連邦王国の狙いは、拡大政策?」
「その通りだ。そして、文化的に近しいからこそ、エスターライヒは危険なのだよ。エスターライヒは多文化国家だが、西部はゲルマニウスへの親近感も深い。ここに付け込まれるのは、なんとしても避けねばならない」
リチャード様が熱弁を振るわれます。
なるほど。つまり第二次世界大戦前における、ドイツによるチェコのズデーテン併合的な。あるいは第一次世界大戦前のバルカン半島における、パン=ゲルマン主義的な。
「さらに問題なのは、プルーセンがオルハンとの友好関係を深めていることだ。オルハンとゲルマニウスの友好が確立すれば、エスターライヒは挟撃される。それは非常に危険だろう」
げっ。私はいずれオルハンに、エメラルドの鑑別訓練という名目で渡航し、美味しいゴハンをたっぷり食べるつもりでいたのですが。
「アルビノアとオルハンの関係は、悪くはなかったのでは?」
「だが、特別に友好というわけでもない。オルハン帝国は、どちらかといえばフランキアと、海上友好条約を締結していたような国なのだが、このところ、ゲルマニウスが技術支援を活発化させている」
「なるほど、消極的友好ではなく、積極的友好、と……それは確かに、憂慮すべき事態ですね」
なんてこった。まるで第一次世界大戦前夜ですよ。
推定文明水準は19世紀だというのに、政治情勢がまるで20世紀初頭みたいじゃありませんか。世界大戦なんて、起きてたまるものですか!
民族主義は世界史上で、あちこちに出てくるものではありますが、純粋に民族の何とかカントカというものは、極めつけに稀です。
結局のところ、政治的独立、経済的独立など、生臭い事情が絡むのです。
その生臭い事情をうまいこと料理できれば、人間は別に多文化国家でも不平は言わないはずです。豊かなアメリカでは、国家は多民族でも、致命的な問題にはなりませんでした。
フランクリン・デラノ・ローズヴェルトが最も危険視した男、ルイジアナの独裁者ことヒューイ・ロングなど、不況下では過激な人が政治に出てくることもありましたが、それでも「多様性」というお題目が取り下げられることはありませんでした。まぁ、ロングは暗殺されたのですがね。
基本的に、ゴハンが食べられれば、人間はあまり文句を言わない!
しかし、国家間格差を甘受するかといえば、これはまた別の話です。
ゲルマニウス、もといプルーセンが、性急な工業化を目指すのは、アルビノアとフランキアとの、格差の拡大が一因でしょう。
帝国主義は、植民地を持つ国と持たざる国との間に、著しい経済格差を生み出します。ウォーラーステイン先生のいう「中心国家」「周辺国家」の差です。この間に「半中心国家」があり、おそらく現在のゲルマニウスはここ。ちなみにアルビノアは、中心国家の中でも最も強力な「覇権国家」。
絶望的なことに、近代世界システム論では、一度周辺国家に転落すると、中心国家に這い上がる道が、非常に険しいとされています。
プルーセン首脳部がそれに気づいているかどうかはわかりませんが、危険感は抱いていると思われます。つまり、このままでは転落すると。
「なるほど……なるほど……」
こいつは厄介ですね。
この話は、幼女の成長期であると同時に、天災・人災の話です。
火山は噴火するし、地震は起きるし、紛争も発生するし。
ほのぼのな幸せ展開には、断じてならないのですよ……
Aug. 17, 2023. プロイセンをプルーセンに変更。




