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子爵令嬢の地学満喫生活  作者: 蒼久斎
§3.アリエラ6歳、念願の初外出
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美味なるオルハン

諸君、私はトルコ料理が好きだ。諸君、私はトルコ料理が好きだ。諸君、私はトルコ料理が大好きだ。


フランス料理の本は持っていなくても、トルコ料理の本は持っている。中華料理とフランス料理は材料に戒律の制限がないが、トルコ料理はイスラームの戒律に従って食材を制限したうえで「世界三大料理」にカウントされるほどの美味を誇っている。つまり私の中では、世界最高の料理とはトルコ料理だ(※あくまでも個人の感想です)





 私は地理と地質の調査をしたいわけですが、その調査に赴くためには、この光線過敏症の体質と折り合いをつけねばなりません。

 まぁ、呼吸器疾患の方は、また何とかするとして。


 そこでフォースター家がユリゼン大陸で使用した装備を、融通してもらいたい。

 そのゴマすりのために、手土産のジュエリーのデザイン画を描いている、というわけです。現状。


 迂遠な道のりのような気がしますが、気にしてはいけません。急がば回れ。

 迂遠過ぎて、私自身も色々と見失いそうですけれども、とにかく課題を達成し、どこに出しても恥ずかしくない学術貴族に認められなければ、私の「見知らぬ大地を調査する」という野望には、手が届かないのです。

 何故なら、地図は国家の最高機密であるからして。


 一日前倒しに成功したこのペースならば、なんとかなりそうなので、夕食は自室ではなく、おじいさまと共にいただくことにしました。

 本日も略式の夕食。白いソースのサラダ、具だくさんのトマトスープ。

 そして、パエリア! アルビノアにもお米はあったんですね!!


「今日も賄いと食材を交換したのですか?」

「うん。だが、このピラウについては、かしこまった食事にしなくていいのならと、わしが希望を出したものだ」

「ピラウ?」


 あれ? パエリアとは別の料理ですか?

 いえ、米も食べられなかったウェンディにとっては、パエリアとはまさに伝説の食べ物であり、実物なんて写真でしか見たことなかったのですが。


 ……我ながら、今生は伝説の食べ物を食しまくりで、なんと素晴らしい人生を生きているのだろうかと、思い返すたびに感動が止まりません。


「ピラウはオルハンの料理だ。米を小さなパスタと共に、ブイヨンで炊き、バターと塩、胡椒で味付けする。今回は、具として一緒に魚介を炊き込んである、冬のごちそう版だ。臭み消しの香辛料が華やかだが、オルハンでもっともよく食されるピラウは、米に小さなパスタを混ぜた、シンプルなものだ」


 わざわざ鼻を動かさなくても、十分に刺激的な香りが漂っています。


「本日、ピラウを希望された理由を、お聞きしても?」

「昨日のブイヤベッソを、非常にうれしそうに食べていただろう。魚介類が好きなのかと思ってな。それと、オルハンの料理に興味を示していたから、ならば両方を一皿で味わえれば嬉しかろうと」

「嬉しいです! ありがとうございます、おじいさま!」


 私は本当に、何という幸せ者なのでしょう!

 そして、オルハン料理も作れてしまうとは、うちの料理人は本当に優秀なのですね。


 ああ……これが、これが、米なのですね!

 日本人なのに、生まれてから死ぬまで一度も米を食べなかった前世ですが、なので味が違ってもちっともわかりませんが、しかし、今、私は米を食しているのです!!

 はぁ……そのうち、米だけを炊いて、いわゆる「日本人のソウルフード」的な味も、味わってみましょう。どんな味なのでしょう?


 日本のソウルフードといえば、味噌と醤油が欠かせませんが、こちらも味わったこともないし、加工工程もよく知りませんので、そっちは諦めます。

 日本食を味わったことがなかった、というのは、私がこのアルビノアの食生活を満喫するために、非常に効果を発揮していると思います。

 食への要求ハードルが低いのですよね、私。


 おじいさまには、そうは思われていないかもしれませんが、365日プディングでも、私は平気ですよ!

 それはそれとして、ピラウ美味しいです。バターのコクが意外と癖になる。


「肉料理もオルハンのものだ。挽肉に炒めた玉ねぎと小麦粉を加えて練り、各種の香辛料とヨーグルトを混ぜて、形を整えて焼いたものに、チーズをかける。オルハンでは、多くの料理にヨーグルトを用いる」


 はあぁぁ……美味! 美味です!!

 アルビノア料理とは違う美味しさ……よし、何としてでも私は海外に出られる身分になって、他国の美味しい料理も味わいまくるのです!




 睡魔が押し寄せてくる寸前まで、ひたすらデザイン画の清書。

 彩色は失敗すると取り返しがつかないので、慎重に線画を全て完成。


 翌朝起きたら、なんとなく怖くなって、確認。

 良かった、線画が完成していたというのは、私の夢じゃなかった!


 少し余裕があるので、ゴロゴロします。

 ベッドに引きこもる生活なんて、最早御免こうむりますが、冬の朝のお布団には、離れがたい魅力があることに、異論はありません。


 アルバート様の領地、スノードン特産のラヴェンダーで除虫した、清潔な寝具は、快適な睡眠環境を私に与えてくれます。

 ふわふわの毛布は暖かく、羽毛布団は軽くて負担になりません。

 寝る環境一つとっても、本当に、私は恵まれていますね。


 で、お布団にもぐって遊んでいたら、ばあやにバレました。

 だって! お布団があまりにも気持ち良いから!


 トーストにオレンジのマーマレードを塗り、トマトとシシトウの入ったスクランブル・エッグに、オリーブオイルをかけたキュウリと葉物野菜のサラダ。人参と玉ねぎのスープ。濃く入れた紅茶。


 食事途中でお風呂に行くのは、もはや慣れたものです。

 きっとこれは、温泉好きのお母さまによる、入浴英才教育だと信じていますが……


 お母さまの北東部オルクネイヤ諸島での火山調査は、いったいいつ終わるのでしょうか? 娘のこと忘れてらっしゃいませんよね? ね?

 物心ついて以来、お母さまのお顔を拝見したことがありません。寂しい。


 ……いえ、条件はお兄さまだって一緒なのです。私の前世の記憶のような慰めもないのに頑張っていらっしゃるのです。耐えねば。

 しかし、こういう寂しい環境を、私より長く過ごされれば、そりゃシスコンを拗らせもしますね。ええ、間違いありません。

 頑張れアリエラ。中身は二十代女子大生ウェンディ! 寂しいのなんて慣れているじゃない。夜の無菌室を思えば、ここは天国よ!


 と内心で騒いでみます。6歳幼女の体が親を欲しがるんですかね。あれ? だとしたらこの私の……ウェンディの意識って何? 肉体と記憶、身体と精神の関係とは……いかん、これは哲学だ。私の苦手なアレだ!


 ……よし! 考えるのはやめましょう!


 そもそも人生の意味とか、考えるの面倒くさいのですよ。

 人生に意味があるのか悩む暇があったら、意味のある人生になるように生きるべきですよね。あるかないかすら定かじゃない意味を探すより、自分で意味を作る方が百億倍確実ですよ。少なくとも私にはね!


 そんなわけで、実用主義プラグマティズム以外の哲学とは相性が悪かった前世です。

 大学の教養で哲学がありましたけれど、思いやりという倫理以外に、何を悩む必要があるのかと思ったものです。状況に応じて、思いやりはお節介になるわけですが、そこらへんはどうしても生じるものですよ。


 文系理系の区別は日本の物差しですが、前世の自分たるウェンディはどっちだったか、と問われると、答えに窮します。いえ、大学がアメリカだったとか、そういうことではなく、いわゆる文系科目も、理系科目も、突出して得意とか苦手とかいうことがなかったのです。

 つまり、文理総合系だったのかなと思うのですが、哲学との相性の悪さから推して、少なくともそっち系統の才能だけは壊滅的になかった、というのは、確かでしょう。


 6歳幼女にあるまじき思考をしながら……ロイの素直な姿を思い起こすと、いくら学術貴族とはいえ、こんなに物の考えが拗れていていいのかと思わなくはありませんが……お団子頭で朝食の続きです。

 このスクランブル・エッグ、スパイシーで独特。初めての味? ポタージュスープも、これ、裏ごしじゃなくて、崩れるまで煮込んである?


「昨日の夕食がお気に入りだったようなので、今朝の食事はオルハン風のものを用意させたのですが、いかがですか?」


 道理で美味しいわけですよ。

 コランダムの鑑別技術を磨いたら、エメラルド鑑別の修行と言い張って、絶対にオルハンに行くのです! 世界の美味を味わうのです!




 昼食まで、全力でデザイン画の清書。

 お昼の声が掛かったので、清書したデザイン画を抱えて、食堂へ。


「おじいさま、デザイン画が描けました!」

「そうか。だが食事が先だぞ」

「はい。まずはご報告をと思いまして」


 さらっと終わる枚数ではない自覚はありますし、丹念に見ていたら、せっかくのゴハンが冷めてしまいますからね。

 もしかして、昼食もオルハン風なのでしょうか?


「あの、おじいさま、今日の朝食がオルハン風だったのですが、お昼も?」

「嫌だったか?」

「いいえ! とっても嬉しいです!」

「お前はオルハン料理が気に入ったのだね」

「美味しいですから!」


 美味しいものは素晴らしいのです。料理人の料理はいつでも美味しいですが、オルハンの料理は目新しい美味しさです。

 一般的6歳児の味覚かどうかは分かりませんが、香辛料が新鮮。


「美味しい食事でしたら、どこの国のものでも食べてみたいと思います。オルハンだけではなく、フランキアでもゲルマニウスでも、エスターライヒでもルシオスでも、それこそヒンディアでも」


 他にも国はありますが、私が日がな眺めている地図は200年前のもの。

 ちなみに「ウェルスフォルカの悪夢」が約250年前なので、多分あれは内乱の決着後に、統治の確立を明示する意味も込めて、製作されたのでしょう。


「オルハンの料理で、もう少し味覚を鍛えたら、より本格的なヒンディアの料理を作らせても良いかもしれないな」


 つまり、もっと派手にスパイシーなのですね、インド料理のごとく。

 いえ、別にインド料理だって、全部が全部辛いわけではありませんけれど。

 ……食べたことはありませんけれどね!


「この料理は、何というのですか?」

「タブックル・パタテスイェメイ」


 ?????

 わんす・もあ・ぷりーず!


「タブックル・パタテスイェメイだ……パタトとは馬鈴薯ポテトのこと。サーマスから持ち込まれた多くの食材は、今やオルハンにも定着した。ちなみにこれは、ポテトと鶏肉の煮込みだ。玉ねぎとトマトも使うぞ」


 ふんわりと、口の中でジャガイモが崩れます。コンソメの深みが飽きません。ただ、オルハン料理というわりに、あんまりスパイシーではない気が。


「物足りないか?」

「いえ、オルハン料理は、香辛料をふんだんに使っているイメージでしたので」


 インド料理=全部スパイシー、の図式を否定しておいて、どの口が、という話ですけれども。思い込みっていけませんね!


「これは、胡椒と月桂樹ぐらいしか使っていないからな。一般家庭の味で、よくロカンタに食べに行った。オルハン人も、毎日毎食スパイシーな料理ばかり食べているわけではないのだ」

「ロカンタ?」


「大衆向け食堂のことだ。調査に熱中すると、決まった時間の食事は、たびたび食べ逃してしまってな。街中の食堂をあちこち食べ歩いた」

「うらやましい」

「ハズレに当たったこともあるぞ」

「それは、ご愁傷様です」


 外食産業が発達する程度の都会ではあった、というわけですね。

 そういえば、おじいさまが行かれたのって、どちらなんでしょう? トルコでいうイスタンブル的な所でしょうか?


「おじいさまが行かれた、オルハンの町の名は?」

「いくつか回ったが、長く滞在したのはイスティンポリンだな。オルハンの帝都だ。宝石学の研究蓄積は、ムスル地方のイスケンデリンの研究所が一番なのだが、実物はやはり帝都の方が揃っている。滞在期間は、イスティンポリンが一番長く、その次がイスケンデリンだな。あと、観光と文化財の確認に参加して、古都のエスキシェヒルにも行った」


 うらやましい……うらやましい……!!





アリエラの食していた、トマトとシシトウの入ったスクランブル・エッグは、トルコ料理「メネメン」。ひき肉が入ることもあり、トルコ風スパニッシュオムレツとか言われるが、トルコ風スパニッシュとかもはや意味が分からない。


イスティンポリンは、ギリシャ語で「町へ」を意味する「イス・ティン・ポリン」より。イスタンブルの語源だという説もあるが、20世紀初頭の中央アジアの「イスラム双六」石碑に、普通に「コスタンティニエ(=コンスタンティノープル)」と出てくるので、いつからイスタンブルという呼称が使われるようになったのかはよく分かりません。歴史学では便宜上、1453年のコンスタンティノープル陥落以後は、イスタンブルと呼んでいます。


ちなみにギリシャ人に「イスタンブル行きの列車チケット」(※ギリシャからトルコへは陸路で行くことができた。今は難民で封鎖されているかもしれない)と言うと、窓口のおいちゃんが「コンスタンティノポリス!」と訂正を求めてくるのが面白い。


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