アルビノアのお酒事情
デザイン画の書き方は「ジュエリーコーディネーター検定3級」教本によります。
ジュエリーのデザイン画は、実物大です。
職人さんに、明確に出来上がりの形を示すためのものなので。
三角定規、分度器、雲形定規、円定規に楕円定規、硬めの鉛筆にナイフ、消しゴムに筆と絵の具でスタンバイ!
あ、あと、ぼかしをいれるための擦筆もですね。先端を糊で固めた、紙の筆です。美術のデッサンの道具。
21世紀地球では、それこそコンピューター制御による電気鋳造なんて技術もありましたが。あとで溶かせる型の上に、分厚く金属をメッキしていって、目的の形を作り出す手法です。
しかし、アルビノアにそんな技術はありません。
でも、消しゴムがあるのは少し意外でした。100年前には発明されていたようなのですが、これってアルビノアの世界進出による、ゴム資源の獲得によるものなのでしょうかね。何だか複雑です。
ラフデザイン画はすでにあるので、写し紙を用意。
いわゆるトレーシングペーパーです。パラフィン紙。
亜硫酸で煮込んだパルプを、高圧ローラーで伸ばして作った紙に、蝋をしみ込ませたブツなので、その亜硫酸の処理はどうしているのか怖いですが。
そういえば、結局ソーダはルブラン法で作られているのでしょうか? 塩化水素とかどう始末しているのやら……うっ、公害ダメ絶対!
パラフィン紙で透かした下図を写し取り、定規を駆使して、大きな石から順番に、正確に描いていきます。
今回はカボションを含むから楽ですが、ファセットはカットの線を全部正確に写していかなければならないので、本当にめんd……手間がかかります。
ホワイト・トパーズで巻くと決めたのは私ですが、テーパー・バゲット・カットを延々描き続ける……つらい。元石がない分多少は適当にできますが。
金属部分を描き足し、擦筆を使っていかにも金属な影を入れます。ジュエリーのデザイン画は、リアリティが大切!
元石を見ながら、石の部分を着彩。今回はスター石なので、後で白の油絵具でスターを追加で描き入れます。
ホワイト・トパーズに陰影をつけて、次は金属部分を着彩。
鉛筆で、全体のバランスを整え、めりはりを利かせて、完成です!
折れないように、台紙にトレーシングペーパーをつけ、さらに枠までつけて、ガッチリ補強。
これで一つ目なのですよ。ほほほほほ。
……あといくつかなぁ?
えー、夫人のイヤリングと、ブレスレットと、ブローチと、髪飾りと、公爵のカフ・リンクと、タイ・タックと……
頑張れ私! 少なくとも当初の予定よりは、早く進んでいるのです!!
当初の予定通りの展開だったら、確実に3日目は徹夜コースでしたね……幼女の体に夜更かしとか、無理に決まっているじゃないですか。
うん、私、頑張っています!
「お嬢さま、気が向かれたら、お茶にいたしましょうね」
ティーセットとお菓子を載せた台車を押しながら、ばあやが顔を出します。ばあやと二人のお茶って、ずいぶん久しぶりのような気がします。
「ウェンディ」の記憶が明確になる前は、結構ばあやと二人でのお茶をしていたように思うのですが。
単に、私がおじいさまとのお茶に同席できる程度には成長した、というだけのことかもしれませんけれど。
侯爵のタイ・タックのデザイン画を枠に収めたら、お茶にしましょう。
今日のお茶は、いつもより、渋みが濃い、ような?
ミルクも砂糖も、いつもと同じ量を入れたはずなのに……
「どうかなさいましたか?」
「このお茶、いつもと味が違うのだけれども、誰か違う人が入れたの?」
「ああ。今日は茶葉が違うのです。いつもはヒンディア本土産のものなのですが、今日のはセレンディープ産です」
「セレンディープ(Serendip)?」
何ですか、その、予想外のひらめきが下りてきそうな名前は。
つまり「セレンディピティ(serendipity)」ですけれども。
「ヒンディアの沖に浮かぶ島です」
と、いうことは……配置的に、スリランカでしょうか。
「現地の発音では『スリ・ディーパ』……『光り輝く島』という意味だそうです。実際、非常に有望な宝石の産地です。特にコランダムの」
やはりスリランカでした。
スリランカといえば、サファイア&ルビーの産地です。もちろんスピネルも採れます。他にもアクアマリンや、様々のガーネットに、トルマリン、ジルコン、トパーズに、ムーンストーンまで。
まさに宝石の島!
あ、そういえば、アレキサンドライトも採れましたっけ。
ひょっとしたら、バークスではなかった「コランダムではない石」は、セレンディープ産というので、うっかりしたのやも。
……うーむ、多分、品種としては同じ「カメリア・アッサミカ」なんでしょうけれども、このどっしりした渋み。やはり土地の差?
ワインおたくが言う「テロワールの違い」ってやつかもしれません。
まぁ飲酒できませんけどね、私は6歳ですし。
あれ? そう言えば、おじいさまがワインを飲んでいらっしゃるところを、私は見たことがありません。
「ねぇ、ばあや。私、気になることがあるのだけれど」
「何でございましょう?」
「私、おじいさまがお酒の類を口にされているのを、見たことがないわ。お酒は、このクライルエンの特産品なのに」
そこまで言って、私の中で、答えが出てきてしまいます。
問いながら答えが分かってしまった私に、ええ、とばあやは頷きました。
「旦那様が一滴も飲めないので、大旦那様もそれに合わせてらっしゃるのです」
「おじいさま、お酒がお好きだったりしました?」
「いえ、元々お付き合いで嗜まれる程度で、特にお好きというわけでは」
それは……お父さまとしては良いことだったかもしれませんが、クライルエンの領主としてはいかがなものなのでしょう。いえ、現在の領主はお父さまであり、おじいさまは隠居の身ですけれども。
「学術貴族には、そもそも飲酒量制限法というものがございまして、過度な飲酒は法的に禁じられているのです」
何ですか、その飲兵衛殺しのような法律は。
いえ、過度な飲酒は健康を害するので、ある意味とても合理的ですけれど。
「いつできた法律?」
「宗教改革期でしたかね。当時、アルビノアは大陸教会と関係が悪化していたため、大陸部からの穀物供給が滞っておりましてね。穀物を使った酒の製造に制限を掛ける過程で、まず貴族より範を示すべしとして定められました」
弱小国の貧相な農業事情が生み出した、変な法律の実例ですね。
はたから見ると珍妙でも、制定した本人たちは大真面目だったのでしょう。
「飲酒制限法は悪くない法律だと思うけれど、クライルエンの産業に問題はないの? あと、葡萄酒の醸造が家業の一つである、ヴィナ=アルステクナ家の人間は、どうなるの?」
「ヴィナ=アルステクナ家は、家業ですから適用外です。もともと果実酒は、穀物酒とは違って、取り締まりの対象外でしたし」
「なるほど……食糧確保という観点からなら、主食ではない果実は適用外ね」
「産業の観点ですが、特段問題はございません。現在のアルビノアの総人口は、王領エリンを除いて約2800万人。そのうち学術貴族の人口は、1万人にすら満たない、微々たるものです」
うわぁお。エリンの人口が伏せられているとはいえ、江戸時代の日本よりも小規模な人口!
これが、高緯度火山灰土壌の、噴火・地震・津波頻発国の限界ですか。
そしてやはり、想像通り、貴族ってものすごい少数派なのですね。当たり前の話ではあるのですけれど。
「あと、クライルエンの酒は、国内にも流通しますが、主な収益は輸出によって上げているのです。国内の購買層の財力はあてにできませんので」
「何故?」
「飲酒者は船乗りに多いのですが、彼らは到底富裕とはいえませんから。一回の嵐で財産を失うものも少なくありません」
なんという一か八か。
というか、あれ? お父さまは、お船でサーマスに行かれたのでは?
「お父さまの、サーマスへの航海には、問題はないのかしら?」
「学術貴族の船室に閉じこもっていれば、まぁ大丈夫でございましょう。むしろ旦那様が乗り込まれれば、その分の酒が回ってくると、船員どもはニヤニヤしておりましたから、歓迎されていないわけではなかったかと」
屈強な海の男どもに、ニヤニヤされる下戸の貴族……お父さま~!
「船乗りはどうして、そんなにお酒が好きなの?」
「船上では新鮮な真水を確保することが、難しゅうございます。そこで、腐敗しにくい酒が、飲料として用いられました。その結果、常習するようになってしまったものだと思われます」
たしかに、アルコールには殺菌作用があります。理に適ってはいます。
しかしお父さま、色んな意味で肩身が狭かったりしませんか? お酒が飲めないのは不利にならないとしても、アリエラは心配です。
「お父さまの、ご無事のご帰国を願うばかりです」
「まぁ、大丈夫ではないかと思いますが」
「……その根拠は?」
「ルビーナ様の御夫君が、航海程度でくたばるとは……おっと!」
ああ、はい……お母さまの夫ですものね、お父さまは。
数々の猛烈伝説でアルビノアの学界に嵐を巻き起こす女傑、ルビーナ・アグラ=アルスヴァリ・ポス・アルステラ。
その女傑と、建設的アカデミック・ロマンスを繰り広げたお父さまが、ただ者であるわけがありませんよね!
ん? そういえば、現在の文化的水準が19世紀前半、として。
中世のイギリスは、ブドウを栽培するには、あまりにも気候が冷涼だったような……21世紀に入ってから、温暖化で栽培が可能になったような……
アルビノアは高緯度地方ですが、ブドウを栽培できる程度には温暖なのでしょうか? でないなら、ヴィナ=アルステクナ家の「葡萄酒」って……?
今のこの世界は、推定文明水準19世紀だけれど、別に17世紀の危機とか、小氷期とかは関係なく、むしろ温暖化の状況にあるのでしょうか?
それとも、かつては温暖で、その後の寒冷化に対応して、アグラ=アルスヴァリ家が寒冷地対応の品種改良をした、とか?
これは、是非とも我が家系に蓄積されている、もろもろの地理・気候に関する諸資料をひっくり返して、調べなければなりませんね。
大雑把に言って、アルビノアは、地球でいう「西岸海洋性気候」に属していると思うのですが、ケッペンの気候区分の……Cfの何かまでは……うーん。
「お茶がお済みになったら、作業再開ですね」
アッハイ。
アルビノアの総人口は、ネタ元にしたイギリスのヴィクトリア朝期の人口を参考にしつつ、アイルランド分をマイナスし、さらに農業生産力を考慮してさらに差っ引いております。
ワイン生産に関する話は、そのうち出来たらなぁと思っています。予定は未定。オチしか決めていない行き当たりばったりだから。
セレンディピティの語源が、そもそも「セレンディップ」であります。
現実のスリランカは「スリ・ディーパ」ではなく「シンハ・ディーパ(=獅子の島)」です。
スリはシンハラ語で「聖なる」「高貴な」「輝く」の意ですが、ランカはとりあえずこの島を指す語として古くから使われているものの、意味は不明です。キラッ☆




