現状と目標
アルビノアの暗黒面に触れないで、話を進めることはできない……
冷静に考えるとディストピアな国です。あからさまに劣悪ではないけれど、真綿で首を絞めるようにじわじわ居心地の悪い世界への、貴族令嬢転生モノなんて書く人は、たぶん相当に珍しいと思う次第。
ところで、百合の花は咲きません。咲いてないったら、咲いてない!
あと、更新は本日でしばし停滞の予感。いやさすがにストック尽きました。
「学術貴族の食事というのは、ああいう難しい裏話も、すべて理解しなければならないのかい?」
おじいさまとお兄さまのやりとりに、ぽかんと口を開けていた私とお姉さまは、食後、女性貴族らしく、一緒にお着替えをしています。
面倒くさい習慣だと思っていますが、お姉さまと内緒話できる機会です。おじいさまにも、お兄さまにも聞かれずにね!
「誕生パーティーの『洒落』だったと思いますよ? 私も、そんなこと気にしたこともありません。でも、それを気づかなければならなかったのだとしたら、私は間抜けな学術貴族ですね……」
まさか、今の今まで気づかなかったなんてことはあるまい? というプレッシャーの産物として、あのやり取りが発生していたのだとしたら、私はベッドにもぐって寝込みますよ。これはきっと夢なんです!
「気に病むことはないよ、アリエラ。貴女はまだ6歳だ」
「同じ6歳でも、きっとファーガス様なら気づいたんですよ、きっと!」
「ファーガス? 高地地域の貴族かい?」
第一子に、セルトの神話の人物から名前をつけるのは、北部高地地域の貴族の特徴です。お姉さまもご存じなのですね。
「はい。アーガイル子爵の長男の、ファーガス・マーカス・ノヴァ=アルスメディカ様です。私の主治医が、スノードン伯爵のアルバート・ヒール・ハルバ=アルスメディカ様なのですが、その甥なのだそうです」
マーカスという、ファーガス様のお父さまのお名前は、ラティーナ系。ということは、確実にファーガス様のお父さまは、先代アーガイル子爵の第一子ではない、ということで。
……考えるのはよしましょう!
「アルス家系の学術貴族か……うん、あるかもしれないね」
「ファーガス様は6歳にして、周期表に自分の名前の元素を載せてみせる、というぐらいに、優秀な方でいらっしゃるのです」
「最近の医者は、元素の研究までするのかい?」
アッ……そうですね、アルスメディカ一門といえば、まず医療ですよね。
いいえ、ファーガス様のお父上、当代アーガイル子爵様は、アスベストの粉塵による公害の対策がご専門です……って、これも医療ですね。
「ファーガス様は、血を見るのが苦手でらっしゃるのですよ……」
「それじゃ、医者にはなれないじゃないか」
「だから別の分野で、場合によってはアルステクナに籍を移して、業績を上げるおつもりなのですよ……内緒にして下さいましね?」
ファーガス様が血を見るのが苦手なことは、本来、あまり言いふらすべきではないでしょう。
「ああ、アリエラのお願いなら、もちろんだが……しかし、虚弱体質で軍功貴族に生まれるよりも困難な人生だね、それは」
「軍功貴族家で、体が弱い場合、どういう人生を歩まれるのです?」
お姉さまが、元気満点軍人志望なので、あまりイメージがわきませんでしたが、どの血統であろうと、疾患の可能性はつきまといます。先天的なものもあれば、後天的なものもあるのですし。
「んー……古い時代だと、弱い子どもはそのまま捨てていたらしい」
「なっ!」
どこのスパルタですか! 軍事国家の発想ですね!
「今は、せめて学術騎士称号は取れるように、教育を徹底する方針が主流だね」
「あのぅ……障害を持った子どもが生まれた場合は?」
ものすごく聞きにくいですが、聞けるとしたら今だけでしょう。
「即、養育院だ。軍功貴族というのは、華麗で勇壮な姿を示す存在だ。健康でなければならないし、頑健でなければ務まらない仕事だ。私たちは、生まれながらにそういう仕事に従事しているんだ。不向きな仕事を無理に強いるのは、資源の浪費というものだろう?」
経済主義が浸透しすぎていて怖い……
基本的人権という語が遠い! ものすごく遠いです!!
「アリエラは学術貴族家系の生まれで、すでに優秀な頭脳を持っている。だのにそうでなかった者の心配までするだなんて、心が柔らかいのだねぇ」
「……褒められているのですか? 貶されているのですか?」
お姉さまは、柔らかに笑って、私を抱きしめられました。
「私がアリエラを貶すわけがないだろう? 褒めているんだよ。アルビノアは、一応は強国ということになっている。けれども内実は、常にギリギリの綱渡りの覇権だ。それを支えるために、常により優秀な人材を求め、多くの人間が、他者を蹴落とすことを考え、見捨てることにも躊躇いがない……」
暗黒面が! 闇が深いですよ、アルビノア!!
なんというディストピアですか!!
「その優しさは、貴女の体質からくるものかもしれない。私とは違って、貴女のその柔らかな心を、無駄なものだと責める人もあるかもしれない。でもアリエラ、エレンお姉さまは貴女の味方だよ。そういう優しさも含めて、アリエラの可愛いところだと、私は思うからね」
チュッ、と、おでこにキスをされます。
うう、お姉さま……イケメンすぎる。
「士官学校に入ったら、そんな柔らかな心の持ち主とは、もう絶対に知り合いになることはないだろう。そういう人間は、軍人には向かない……でも、そういう優しい人がいるから、世界は温かいのだと思うし、私の世界の温かさは、是非ともアリエラに守ってほしい」
「……はい」
残念ながら、お姉さまは女性です。
これが男の方なら、熱烈なプロポーズと取れなくもないのでしょうが。
しかし、私は6歳幼女なわけで、幼女にプロポーズなんて犯罪。
美少女と幼女で良かったのです。これで良かったのです!
「私たちは、貧しい庶民よりは経済的に恵まれた環境にあるけれど、生きていくことそのものが、すでに生存競争だ。強くない者は淘汰される。賢くない者は淘汰される……私たちは、特権を持つ存在ではあるけれど、同時に、常に主権者である庶民によって、品定めされている存在でもある。だからこそ常に、努力をし、研鑽に励み、怠ってはならない」
より強い国アルビノアであるために、私たちは、主権者である庶民たちに、有用な資源として「飼育」されている、というわけですね。
ああ、本当に、真面目に考えるとディストピア……
それはそうと、お姉さま。抱きしめて下さるのはうれしいのですが。
息が! 息が!!
「……ああ、すまない!」
「次は、お気をつけ下さいまし」
お姉さまは、身体壮健であることを求められ、またその通りである軍功貴族であるせいか、発育がよろしいようで。
私も14歳になったら、ああいうナイスバディになれるのでしょうか?
前世は色々あって痩せっぽちでしたしねぇ……
「そのうち育つさ」
平坦な両胸に手を当てていると、お姉さまは笑ってそう仰いました。
そうであることを願います。切に願います。
健康であることこそが何よりの財産ですが、より美人に、よりナイスバディになることを願う程度には、私も欲深い人間です。
泥のように寝たのは、間違いなく、昨日の疲労もあったと思います。
起きると、空は素敵な紫。
おじいさまと、こっそり基準を定めた「ウェンディ・コランダム」、つまりパープル・サファイアの色をしています。
ばあやに、おじいさまやお兄さま、お姉さまはどちらにいらっしゃるのか、と尋ねると、さぁ? という答えが返ってきました。えっ?
お姉さまは、食後に動きやすい服装に着替えてらっしゃいましたが、あれはトレーニングのためだったようです。走り込みの後、剣術と、体術の基礎練習をしていらっしゃったとのこと。
軍功貴族も大変なのですね。少なくとも、志高い人というのは。
あてもなく探しはじめたのですが、ほどなく声が聞こえてきました。あれは、お姉さまの声! お兄さまもいらっしゃる!
「……なかなかやるじゃないか、アラン」
「我がアルステラ家の本分は測量。実地調査は、体力がなければ務まらないのです!」
「ふふっ、まだまだっ……まだ私は、本気を出していないぞ!」
何をやっていらっしゃるんでしょうか、お二人は。
神妙な顔をして、審判を務めていらっしゃるおじいさまも、ですよ。
お兄さまとお姉さまは、客間の机を闘技場にしていました。
とかいうと大げさですが、つまりは腕相撲で対決中。
お兄さまも大人げなければ、お姉さまも大人げないし、止めないおじいさまも完全に同罪です。何をやっていらっしゃるんです!
お互いに、額に玉の汗を浮かべながら……いくら室内とはいえ、11月ですよ……どれだけ本気なのです?!
「そこまで!」
あまりのアホらしさに、私がわなわな震えていると、おじいさまが中断の指示。
ええ、お兄さまのペンを握るための大切な手も、お姉さまの剣を握るための大切な手も、どちらも、こんなことで傷めてよいものではありませんよ!
「アリエラ!」
「ああ、起きたんだね」
「お兄さま? お姉さま? 何をやってらっしゃったんです?」
ばかげたことをしていた自覚はあるのか、二人とも、視線がさっと見事に逆方向に逸らされます。この無駄なシンクロ能力よ。
「若者が交流を温めていたのだ」
「おじいさまも! どちらかが万が一手を傷めたらどうするのですか!」
「すまなかった……」
幼女のお怒りに、揃って頭を下げる面々。ふんっ!
「お兄さま、お姉さま、お手は大丈夫ですか? お兄さまの手も、お姉さまの手も、本来はそういう使い方をするものではないのですよ?」
私は、まずはお兄さまの手を取り、しげしげと観察しました。パッと見た限りは無傷。
そして次に、お姉さまの手を取って、同じく確認。
それから両手を背中で組んで、つかつかと澄ました顔で部屋を闊歩。6歳幼女に醸し出せる、限界いっぱいの威圧感の演出を狙います。
「アリエラは、おじいさまの孫娘として、このアルビノアの宝石学界に、名前を轟かせる学者になってみせます」
唐突な私の将来の野望宣言に、お兄さまもお姉さまも、驚きに目を瞬かせています。
今更の話だと思われているのかもしれませんが、明言したのは初めてのハズ。
ええ。決めました。
やりたいこと、やってみたいことはたくさんあります。
けれど、アルビノアで最高の宝石学の教育環境を与えられているのに、そして、私にはこの学習環境を生かせる能力と興味があるのに、それをあえて拒否する理由はありません。
学術貴族だとか何だとか、そういうのはさておいて。
私は宝石が好きですし、学ぶことそのものが大好きなのです。
そして、決して義務感からではなく、自由意志の元に、活躍を望みます。
「お兄さまは学問で、お姉さまは軍事で、そんな私と釣り合う『貴族』となれるよう、それぞれの分野で力を尽くされますように!」
だから、腕相撲で競い合うなんて、あほらしい真似は金輪際、禁止!!
転生幼女が主人公なら「……(ションボリ)」は外せないと思ったんだ。
作中では書いていませんが、お姉さまはこの時点で165センチを超しています。アリエラの身長は110センチぐらい。背をかがめて幼女に配慮してくれる、イケメン(※女性)です。




