昼食会の世界地理
前の話がとっても重かったので、今回は飯! メシ!! めし!!!
ゴハンが美味しいことは幸せ。
私は何も、不愉快で重苦しいだけの話を書くつもりではないんだ。この世はキレイなだけじゃないけど、幸せなこともあるんだよ、って思っている。
さて、午前の講座は切り上げて、昼食です。
ひょっとしたら、昨日の残り物を加工した、素敵な料理が出てくるかも。
パスタ! パスタ!!
……いえ、私は別に、大陸人になるつもりはないのですよ? 大陸人なんて、赤毛を魔女だと考える、非科学的な文化の人々ではありませんか。
でも、それはそれとしてパスタは美味しいのです。
「おおお……」
素晴らしい……なんということでしょう!
薄くスライスした玉ねぎ、人参、そしてきゅうりと、小さく切ったハムに、茹でたショートパスタ。これらを、潰した茹で卵を加えたマヨネーズペーストで和えた、マカロニサラダ!
マヨネーズは、卵黄に食用油脂と酢を混ぜ合わせて乳化させた、半固形のソースで、この名前で文献にあらわれるのは19世紀中ごろですが、18世紀半ばには存在が確認されているので、こちらの世界にあっても不思議ではない。
不思議ではないのですが、材料を混ぜ合わせて、完全に乳化させるためには、ものすごく手間がかかるので、非常な贅沢品です。
しかも、今は冷蔵庫もない時代。作り置きなんて恐怖。
昨日のパーティーがあったからこそ出てきた、贅沢品の中の贅沢品です。
前世は卵アレルギーだったので、マヨネーズを食べたのは転生してからの話ですが、なるほど。人々が夢中になる絶妙な味わいですね。
ちなみにアルビノアでは「メイジャー・ソース」といいます。
レタスとカラーピーマンに、紫キャベツの鮮やかな色どり、油漬けのオリーブに、薄切り玉ねぎ、ズッキーニのピクルスに、くし切りのトマトを添えた、野菜のサラダ。二種類のサラダをあわせて、オードブルです。
スープは、これもまた輸入の贅沢品である、とうもろこしのポタージュ。裏ごしの手間を惜しまない、滑らかな口触り。にじみ出る野菜のうまみ。
おかわりしたいほどの美味しさですが、まだまだ! アルステラ家お抱えの中でも、随一の腕を持つ料理人の力作は、まだまだ控えているのです!
お次は白身魚! 私は少量しか食べられないので、蒸し焼きを一切れ。他の皆さまは二切れです。クリーム煮かと思ったら、チーズソース……しかも、なんだか、いつもよりもスパイシーな味付け?
「アリエラ、どうした?」
「いつもより……味付けが刺激的なような気がします」
「ああ、ヒンディアや、ルヴァ東南部の香辛料を使っているのだ」
つまり、インドとか東南アジアのエスニック料理……カレーですか?!
ああ……これが夢にまで見たカレー……香辛料自体はアレルギーがないものもありましたが、ブレンドされたカレー粉は危険なため、前世では一生口にすることはありませんでした……その、カレーが、ここに!
いえ、カレー風味のチーズソースに過ぎないのではありますが。
「美味しいです……」
香辛料の刺激的な香りが、食欲を限界まで引きずり出します。
そんなものなくても、私はいつだってゴハンを楽しみにしていますが。
そういえば、日本のカレーは、イギリス経由で入ってきたものなので、いわばイギリスとは、カレーの第二の故郷。
世界に植民都市を持つアルビノアに、カレーがあるのも不思議ではない!
お口直しに、レモン味の甘いドリンク。フランス料理のコースではソルベといい、またシャーベットのことも指す言葉ですが、まだ雪の積もっていない季節に、そんな氷菓子は出せません。
料理人は「シェルベット」と言っていました。なんでも、ルヴァ大陸との境界地域をまるごと支配する、オルハンのお菓子が起源だそうです。
カレーとチーズの後味が、爽やかなレモンの風味で流されていきます。
メイン料理はお肉!
肉汁たっぷりのお肉は、香草と香辛料を利かせ、果実の風味も混じったソースをかけてあるものの、基本的にはそのまま焼いた感じです。
つまり、これは素材が良いということですね! インゲン豆やルッコラの緑に、人参のグラッセのオレンジ色、さらに、蒸した後に焼いたジャガイモを飾り切りにしたものを添えて、見た目に華やか。
6歳児の歯で噛み切れる柔らかなお肉! ああ、美味しい……
お姉さまは、いちいちに目を丸くして驚きながら、それでも成長期で食べ足りないのか、何度もパンをおかわりしてらっしゃいます。
お兄さまも、お姉さまほどではありませんが、おかわり3皿目。
私とおじいさまは、ゆっくりいただいています。幼女と老人なもので。
客人がいる時は、コースの料理が出ていようと、おしゃべりに花を咲かせて良いというのが、少なくともこの家のルールなのですが。
全員が、おしゃべりもせず、ひたすらに料理を堪能しています。
おじいさまは、子どもたちが美味しそうに料理を平らげていく姿を楽しむために、あえて何も話してらっしゃらない感じですが。
おそらく晩餐だと、ここでまたサラダ、そしてチーズになるのですが、生野菜のサラダはオードブルに混じりましたし、チーズも魚料理のソースに使われていましたので、すべてすっ飛ばして、デザートへ入ります。
……な、なんということでしょう!
チョコレートケーキです!!
チョコレート……それは、前世ではアレルギーのために、一度も食べることの叶わなかった、伝説のスイーツ……
乳製品も小麦も卵もアレルギーだった私にとって、チョコレートケーキというのは、ドラゴン肉のステーキ並みの幻の品でした。
記憶がしっかりしてきて1年近く経ちますが、チョコレートケーキを見るのは初めてです。存在したのですね!
「ふうう……美味しいです……甘い……」
「食べ過ぎないように、しっかりと気をつけるのだぞ」
「はい!」
分かっています。分かってはいますよ。
でも美味しいのですよ……フランボワーズ・ソースと、チョコレートのコラボレーション……甘酸っぱさと甘さの、絶妙なハーモニーに、ふわっとした口当たりの生クリームと、ミントのさわやかな味わい……オレンジのほろ苦さも含む、ほの甘い酸味……これぞ、美味のシンフォニー!
最後は、一口サイズの小さな焼き菓子。フィナンシェですね、きっと。
そしてお好みの温かい飲み物です。おじいさまはコーヒー、お姉さまもコーヒー、お兄さまは紅茶、私は薬草茶。
あああ~、ごちそうさまでした! ごちそうさまでした!!
「はあぁ……美味しかったですぅ……」
料理人に感謝、感謝。いくら昨日のパーティー用に仕入れた食材の使い回しがあったとはいえ、こんなごちそうはそうそうありません。
マヨネーズ! カレー! そして、チョコレート!!
こんな世界の食材オールスターラインナップみたいな食事が、まさか推定文明水準19世紀イギリス、なアルビノアで食べられるとは。
イギリス料理といえば、不味い料理の代名詞ですが、世界中に植民地を持っていたならば、世界中から美味しいものが集まったって良かったはず。
現に、かのローマ帝国は世界中から珍味を集める、美食の国でもありました。
パクス=ロマーナと、パクス=ブリタニカ、どこで差がついたのか。
何故イギリスは、世界から美味しい料理を集める国ではなく、世界に不味い料理を輸出する悪夢の国になり果てたのか。
……なるほど、分かりません。
アルビノアは美味しい料理の開発に余念がない様子。
本当に、この国がイコールでイギリスではなくて良かった、と、心の底から思う次第です。
まぁ、前世が前世な私は、1年365日三食プディング・マーチでも、さして苦痛ではありませんけれどね!
「いやぁ、驚嘆しましたよ……」
お姉さまが、ようやく一息をついたように、そう仰いました。
「アリエラは、いつもこんなすごい料理を食べているのかい?」
「いいえ……あっ、いえ! いつだって料理人の作ってくれる料理はとても美味しいですけれど、今日の料理は特別にごちそうですよ! きっと、昨日のパーティーの料理の残りだと思いますけど……アッ」
うっかり、残り物発言をしてしまいました。
こら、とおじいさまに、たしなめられてしまいます……すみません。
しかし、お姉さまは、別に気を悪くした様子もありません。なるほど、と納得されただけです。
何が「なるほど」なのでしょうか?
種明かしを求めるように、私はおじいさまの顔を窺います。
……ものっすごく、得意げです!
「宝石は世界中から産出する……その全ての地域と、つながりを持っていることを、料理で示すように、わしは指示したのだ」
「それで世界中の料理が出てきたのですね。こんな略式のコースの中に」
地理学も専門であるアルステラ家らしく、お兄さまがそうおっしゃいました。改めて口元をナプキンでぬぐい、解説を下さいます。
「前菜のメイジャー・ソースは、フランキアなどが位置するアーソナ大陸と、ユリゼン大陸との間に浮かぶ島で生まれたソース。野菜もサーマス大陸原産のものを多く使っていました。スープのとうもろこしもそうです。これは我が国が、サーマスに進出していることを示すものです」
そう言われれば……日本の感覚で、何とも思っていませんでしたが、トマトもポテトもとうもろこしも、全て新大陸原産!
「魚料理に使われたのはタラ。アーソナ北部の海でよく採れる魚で、スカンジアやルシオスの主食の一つです。使ったチーズはシュヴィーツ産。そして味付けのベースは、ヒンディアの伝統料理。なおかつルヴァ東南部産の珍しい香辛料を、多々含みました。ルシオスはガーネット、シュヴィーツは水晶、ヒンディアはダイアモンド、ルヴァ東南部はコランダム……これらの地域は、いずれも良質の鉱山を有することで有名です」
あっ、そういうことだったのですか、あの食材の組み合わせは!
「口直しのシェルベットは、宝石流通の拠点でもある『エメラルドの帝国』こと、オルハン起源の料理。甘みを出すために使われた蜂蜜は、その隣国であるカルパティアの特産品として有名です。レモンも東方から、オルハンを経由して、アーソナの食品に定着したもの……あのシェルベットは、東方から西方への物流を象徴する一品ですね」
あの一杯の甘い飲み物に、まさか、そんな奥深い設定が!
「肉料理の香辛料も、ルヴァ東南部のものを使用していました。果実のソースはフランキアで考案されたもの。グラッセもフランキア料理の技法です。我がアルビノアにとって、フランキアは宝飾品輸出のお得意様です」
そして、と、お兄さまは確信をこめて、言葉を続けられました。
「チョコレートの原料であるカカオは、サーマス原産。現在の主要産地はユリゼンです。アーソナ北東部のフランドルの職人たちが加工し、エスターライヒの菓子職人の手で仕上げられる……これは、ダイアモンドの象徴でしょう?」
えっ? ナンデスッテ?!
「オルハンは豊かな大国であり、宝飾品の需要も膨大です。そのため、ヒンディアからのダイアモンド供給には、おのずと限界がありました。その状況を打開したのが、サーマスでの鉱山発見です。ほどなく枯渇しましたが、今度はユリゼンで新規の鉱山が開発されました。供給されたダイアモンドを研磨するのは、フランドルの研磨職人たちです。そして、フランドル産のダイアモンド・ジュエリーを御用達にしているのは、エスターライヒ王室」
なんということでしょう! ぴったり、カカオがチョコレートになって、さらにお菓子に加工されるルートに重なります!
おじいさまも、非常に満足そうに頷かれました。
「満点の回答だ、アラン」
「ウェンディ」時代に大量のアレルギーがあったため、日本メーカー並みのクォリティのカレーなんて味わったこともないので、とにかく美味しい。そして幸せ。
アランお兄さまの驚異的な味覚が判明。実地測量の携帯食料にチーズは不可欠。黒パンでチーズをサンドしてピクルスを添え、スープと一緒に食べます。
今回出てきた地名の元ネタ
・シュヴィーツ:スイス。スイス連邦の州にある地名。
・オルハン:オスマン帝国。オスマン帝国の名前は、建国者のオスマン1世に由来。オルハン1世は、オスマン1世の息子で、2代目の君主。
・カルパティア:ルーマニア地域の山脈。名前の由来は詳細不明。ルーマニアは、ローマのトラヤヌス帝の時にダキアと呼ばれていた。ルーマニアの名は「ローマ」に由来。
・フランドル:ベルギーからオランダにかけての、オランダ語が使われる地域。ベルギーの首都アントウェルペンと、オランダの首都アムステルダムは、ダイアモンド取引の拠点として有名。




