コランダムと類似石
うちの師匠はパワーストーン業界に喧嘩を売って回る人である。
「石からナニカが出ているとしたら、それは気じゃなくて放射線だ」
アルステラ一族は、大いなる方にお祈り申し上げても、化学物質のかたまりに、神秘的パワーがあるとは信じない。
ゴロゴロと、おじいさまのコランダム・コレクションが並べられます。
冷静に考えると、とんでもないお宝の陳列なのですけれど、この一年間ずっとコランダムと格闘してきた私は、何とも思わなくなっていました。
「こんなにも大きなサファイアがあるなんて……!」
「そうだな。この青なら、青玉と呼ぶにふさわしい」
お姉さまのピュアな心を、私も取り戻さねばなりませんね。
この石の一つ一つを掘り出すために、鉱山労働者たちは、何百倍もの土砂を掘り、選別を行っています。いえ、技術が未発達なこの世界では、もっと非効率的かもしれません。
文字通り、血と汗と涙の結晶。それが宝石なのです。
とりあえず、世界最悪の仕事の一つを挙げろと言われたら、鉱山労働は、間違いなく候補に出てくる……というぐらいの苛酷さです。
16世紀にスペインが管理していた銀山の労働者については、銀山についてからの平均寿命が3か月だったという話さえあり……まさにこの世の地獄。
近世世界経済を揺るがした「メキシコ銀」の多くを産出した、ポトシ銀山の異名は「人を食う山」でした。
先住民インディオたちは、コカの葉を噛んで感覚を麻痺させながら、過酷な鉱山労働と、インフルエンザや天然痘といった旧大陸由来の疫病で、ばたばた死んでいったとのこと。
それで激減した労働力を補うために、アフリカから奴隷を連れてきたわけで……大航海時代以降の世界史というのは、本当に何もかもが連動しています。
銀に本当に魔除けの力があるなら、銀山なんて退魔のパワースポットですよね。人がばたばた早死にすることはないですよね? あと、富をもたらすパワーストーンが実在するなら、それを採掘している鉱夫は、この世で最も富裕でなければ、話の辻褄が合わないのでは? と思うのですが。
その業界の人が聞いたら、激怒しそうな話ですけれど。
あれ? そういえば、私はアルビノアの宝石業界の、かなり中枢に近いところにいるわけですが、今までパワーストーンとか、そういう話は全然聞いたことがありませんね?
これも、科学を重視する、アルビノア国教会のおかげでしょうか。
「迷信深い大陸の人間たちは、サファイアを『天啓を導く石』だと考えている」
アッ、大陸部にはあるのですね、パワーストーン的な概念。
「石を持った程度で天啓が得られるのならば、学者は血反吐を吐きながら研究をする必要はないし、為政者は何一つ失政をしないし、軍事指揮官は的確な作戦を立てて百戦百勝できるだろうな。実にばかばかしい」
おじいさまの言葉に、私とお兄さまは、うんうんと頷きます。
科学の申し子、アルビノア学術貴族は、迷信なんて信じません。
「まぁ、気休めとしてはお洒落で良いと思いますがね」
肩を持つのは軍功貴族のお姉さま。それだって「気休め」呼ばわりですが。
「美しいことは良いことだが、そこに科学的根拠のない信仰心を持ち込むから、ばかげた商売になる。この石を買えば悩みが解決するだとかな。わしの若い頃の主な仕事は、そういう迷信を、アルビノアの宝石業界から排除・撲滅することだった……まぁ、おかげで大陸部の一部商人からは激しく憎悪されたが」
エスターライヒで、エレンお姉さまの大叔父上がうっかりして、おじいさまが巻き込まれた事件というのは、何となく「それ」絡みのような気配がします。
お姉さまが、露骨におじいさまから、視線を逸らされました。
「さて、この美しいサファイアとルビーは、鉱物学的には同じ『鋼玉』だ。発色の原因は、微量に含まれている金属元素の違いによる。
サファイアが青くなるのは、チタンと鉄による。ルビーはクロムによって赤く発色する。
他の元素が含まれるなどすれば、違う色も出る。ただし、それは微量の不純物による相違でしかなく、鉱物学的特性は『コランダム』として全て共通だ」
オーギュスト・ヴェルヌイユによる「ベルヌーイ法」での、コランダム合成の成功が1905年。
ベルヌーイ法の歴史においては、まずルビーが合成され、その後、様々の試行錯誤を繰り返した結果、チタンと鉄がサファイアの発色原因だと判明した……という展開のはずなのですが。
まぁいいか。
「先年、わしはアリエラの協力を得て、宝石の名称に関する、アルビノアでの統一基準を設定した。赤いコランダムがルビー、青いコランダムがサファイア。そしてそれ以外の色のものは、全て『カラー・コランダム』と呼ぶ」
そのとおり。だから「オレンジ・サファイア」などというものは、こちらの世界には存在しなくなりました。
「昨日のアリエラの発表でも言われたように、このコランダムには、スピネルなどの似た石がある。コランダムが高価なので、安価なそれらの石をコランダムだと偽って販売する輩がいて……で、昨日そやつはしょっ引かれたわけだが」
昨日の捕り物を思い出し、お姉さまがニヤリと笑われます。
「リテラ=チェンバレンのロイド様ですね。そういえば、あの方、大学入学と同時に、庶民籍に移られるそうですよ」
「え? 大学に行かれるのに、わざわざ庶民に?」
私にとって大学とは、学びを深めて、学術貴族の地位を保つ、あるいは学術騎士の称号を得るための、業績を上げる場所、でしたが。
「法学部で学位を取得し、警察官僚を目指されるらしい」
なるほど、キャリアというやつですか。それなら納得です。
そして、そんな進路志望だから、昨日バークスを捕まえる時に、あんなに生き生きとしていらっしゃったのですね。きっと天職でしょう。
「ちなみに、学術貴族の子弟が、貴族籍から庶民籍に移って大学に通う場合は、庶民の後見人が必要なのだが……ロイド君の後見は、誰が?」
「サー・ギルバート・トラヴァーズです」
ああ……なるほど。トラヴァーズ財務大臣が。
それで、あんな昨日の今日という急な話で、王国経済裁判所への出頭命令書を手配できたのですか。納得です。
「まったくもって、抜け目のない男だな……どっちも」
おじいさまは、半ば呆れたようなお顔です。
「知力のリテラ=チェンバレン、武力のアルマ=チェンバレン、ですから。あ、アルマ=チェンバレンといえば、昨日の捕り物に参加していたコネリーも、ロイド様と一緒に庶民籍に移るそうです」
ここで、お姉さまよりの爆弾発言です。
えっ? えぇっ?!
業績を挙げなければならない学術貴族の地位を捨てるのは、まだ理解できます。
でも軍功貴族は、よほどのことをしない限り、安定した地位なのですよ?
軍功貴族出身者というだけで、一生政治に関わることはできないというのに、わざわざ年金などの特権を捨てても、庶民になるのですか?
「コネリーは、ロイド様の『相棒』のままでいたいのだそうだ。ロイド様が庶民籍に移られれば、軍功貴族より身分は下になる。対等の立場であり続けるために、彼は、庶民への戸籍変更を希望しているんだ」
コネリー・アルマ=チェンバレン様は、ロイド・リテラ=チェンバレン様と、堅い絆で結ばれているのですね!
「ところで、では、コネリー様の後見人はどうなるのです?」
お兄さまの疑問で、我に返ります。
そう、貴族が庶民の戸籍に移るためには、庶民の後見人が必要です。
「相棒と同じく、サー・ギルバート・トラヴァーズだそうだよ。あの二人は、庶民籍に移ったら、書類上は兄弟になる」
つまり、義兄弟というやつですか。
「トラヴァーズは、子飼いの有能な部下を増やしたいわけだな……大方、対抗勢力の不祥事でも暴かせる魂胆だろう。まぁ、組閣に口を出すこともできない我々からすれば、権力闘争など勝手にやっておれ、という話だ」
フン、とおじいさまが鼻を鳴らされます。
やっぱりあるのですね、権力闘争というものが。
我々には、政治的実権はありません。一票を投じることもままならない、人権の制限された存在です。
日本に生まれ、アメリカで生涯をとじた「ウェンディ」の感覚では、人権が保障されていないというのは、どうにも落ち着きませんが。
しかし年金を支給され、研究に没頭できるという状況に、あえて睨まれるような声をあげるつもりは、今のところありません。
「我々の使命とは、正確な知識をもって、国を支えることだ」
んっ? でも学術貴族だって、議会で予算案の審議が始まる季節に合わせて、予算確保のために公開シンポジウムとかしていますよね?
……それとこれとは話が別かな。別ですね、うん。
「コランダムの類似石として、しばしば『ニセモノ』扱いを受けている、代表的な石が、尖晶石だ」
化学式:MgAl2O4
結晶系:等軸晶系
劈開:なし
硬度:7.5-8
光沢:ガラス光沢
比重:3.6
「化学組成を見ると、スピネルとコランダムの違いは、マグネシウムを含むか否か、という点にある。きわめて簡単に言うと、結晶する際にマグネシウムがあったか、なかったか、という『材料の配置のムラ』によって、コランダムになるかスピネルになるか、の差が出てくる……きわめて簡単に言うと、な」
結晶の生成には、温度や圧力などの変化が、非常に大きく影響します。
たとえば、バークスが「サファイア」のラベルを貼って寄こした、あの青い宝石、藍晶石ですよね。
「生成条件の差によって、同じ化学組成式にも関わらず、異なる結晶構造になるものを『同質異像』という。黒鉛とダイアモンドは、どちらも化学式Cの元素鉱物だが、結晶構造が異なるために、あのように差ができる」
炭素の立体的な共有結合からなるダイアモンドと、各層が微弱な分子間力によってのみつながる黒鉛とは、まったく特性が異なります。
「昨日、あの阿呆にアリエラがとどめをさした、産地の問題……あの時に話題にあがった、藍晶石は、この『同質異像』という、材料は同じだが性質の違う仲間を持っている」
紅柱石と、珪線石ですね。
アンダリュサイトは、発見地であるスペインのアンダルシアにちなんだ命名であり、シリマナイトは、アメリカの鉱物学者ベンジャミン・シリマンにちなんだ命名です。なので、この世界では違う名前かもしれませんが。さて。
藍晶石は、高圧下でできます。
紅柱石は、低温・低圧下でできます。
珪線石は、低温・高圧下でできます。
「……なるほど?」
「つまり、スクランブル・エッグと、茹で卵とは、別の料理でしょう? 材料は同じでも、調理の方法によって、仕上がりが違うということです」
「なるほど! さすがだね、アリエラ!」
だからお兄さま。お姉さまに、殺意をこめた視線を向けないで下さいまし。
カルタヘナの銀山の鉱山奴隷の平均余命が3ヶ月というのは『十三世紀のハローワーク』より。古代ギリシアはアテネのラウレイオン(ラウリオン)銀山の鉱山奴隷も、過酷きわまりない労働環境で有名。
鉱山労働というのは、基本的に、今も昔も「ブラック」という形容さえも明るく見える、ハイパーブラックダークマター的な凄まじい劣悪環境。危険・暗い・臭い・汚い・苦しい・稼げないの6K。
マダガスカルのイラカカ然り、タンザニアのメレラニ然り、正直、やばくない鉱山ってどこやねん、って勢いで、ろくでもない労働環境しか思い浮かばない。
支柱つきの広い坑道を掘ると、金がかかるし掘り進むのが遅くなるので、なるべく狭い坑道に、なるべく小柄な人間を押し込んで掘らせる。子どもの方が、小柄だし、大人より安い賃金で済むしで、児童労働の話が絶えない。
聞いた話では、これで落盤事故などが起きて子どもが死んでも、親に見舞金25000円ほどを支払っておしまいサヨナラ、だそうである。
石が幸せを運び、富をもたらすというのなら、こんな地獄は生まれるまい。
……と師匠は仰っていた。
私も、ラピスラズリが平和をもたらすパワーストーンだという話を聞いた時に、でも最高品質のラピスラズリの産出地って、アフガニスタン(コクチャ渓谷サーレサン鉱山)だよね? と思ったわけですが。
アフガニスタンが平和ですって??




