発表概要スタンバイ
宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』で、主人公のジョバンニが、活字を拾うシーンが最初の方にありますね。あのシーンを見ると、活字を拾うというのが、必要な仕事であるにもかかわらず、あんまり評価されていなかったんだろうな、と思います。
戦前の新聞用の版を見ると、まるい構造に活字を埋め込んでいて、なんでかな? って思ったら、平らな面に活字を埋めるより、均等に力を掛けることができたから、だそうな。
多分、アルビノアのは、まだまるくないと思います。
観察記録を取り終えたら、計算、計算、計算。
お兄さまの暗算速度が、尋常じゃなく速い。電卓なんてないけど、心配なんて要らなかった。理系お兄さま素敵です!
検算は自分でしますよ。私のレポートですもの。
「これで統計の数値は出ました! あとは統計図表作成!」
「どんなグラフを使うんだい?」
「実際の数値と、百分率を併用して、棒グラフを何種類か」
混入率のパーセンテージなら、円グラフの方が見やすいと私は思うのですけれど、コンパスと定規だけでは、正確な作図をできる自信がありませんので。
「下書きができたら、是非見せてくれ。助言はしないけれどね」
「はぁい」
そう言って、私とお兄さまはお別れ……しませんでした。
お兄さまは何故か部屋に残って、ペンを動かし続けておられます。
学校の課題でしょうか?
気になりますが、私は私の課題を優先しなければ……
アメリカの大学で、英語でレポートを書いたことはありますが、アルビノアでアルビノア語で書くレポートは、生まれて初めてです。
アメリカとイギリスで、レポートや文献引用などの作法が違うように、アメリカとアルビノアでも、諸々の作法は異なると推察されます。
そんな初心者な私のために、おじいさまやお兄さまは、レポートや論文の執筆の作法書を貸して下さったので、それに従って、章立てをします。
章や節の専用記号があるのですね……しかも、章立ては専用のアルビノア数字を使うのですか……うーん、面倒くさい。
アルビノア数字は、算用数字とは異なって、論文専用の記号です。自国の論文であることを示すために用いられています。元は業績を他国に盗まれないための予防措置の一つだったそうですが、現在ではただの様式美ですね。
カリカリとペンを動かしていると、もう昼食の時間です。
今日は久しぶりに、おじいさまとも一緒に、三人で食べるのです。
レポートの修羅場であるので、お団子頭に申し訳程度の髪飾りをつけ、見苦しくない程度にショールを羽織っていきます。
学術貴族の娘に、女子力など要らないのですよ!
家族との食事中には、会話をしないのがお作法なのですが、レポートの締め切りも近付く今日は、珍しくおじいさまから話しかけられました。
「レポートの進捗状況は、どうかね?」
「おかげさまで、あとはグラフの整理をすれば、一気に書けそうです」
「あの参考書は役に立ったかな?」
「大いに。おじいさま、本当にありがとうございます。お兄さまも、実験器具の準備などで、たくさん手を貸して下さって、本当にありがとうございます」
やきもち焼きなお兄さまには、妹スマイル。0ソヴリン0シリング0ペニーですよ!
案の定、ふふんと満足そうなお兄さま。
よし……ファーガス様への飛び火は、絶対にさせませんよ……
本日の昼食は、まずは日本風に言うところのロールキャベツ。ひき肉に、みじん切りにした玉ねぎと人参を加えて、コンソメで味を調えたトマトソースで、じっくり煮込んであります。パンが進みます。でもサラダは別につきます。それとチーズ。お口直しはいつものリンゴ。
ああ、美味しい料理、最高。
電卓を叩きたい気分になりつつ、筆算で検算を重ねました。
……よし! 終わった! 終わったのです!!
そんな本日は10月30日です。
そう、誕生会は11月1日なので、まさかの一日の余裕が!
「お兄さま! レポートが仕上がりましたよ!」
助言は絶対に下さいませんし、もらっても困るのですが、見せると約束いたしましたので、お兄さまにまずお見せします。
「ほほう、これが初めてのレポートだなんて、素晴らしいじゃないか! 統計図表も見やすいし、どこで不正が行われ、どのような措置を取るべきだったのか、指摘も簡潔で要領を得ている」
面映ゆいほどのべた褒めです。
お兄さまはシスコンさんですけれど、学問に関しては、兄の贔屓目だけで褒めることはしないでしょう。たといたったの10歳でも、すでにお兄さまも、心構えは立派な「学術貴族」の一員ですから。
中身が女子大生(仮)なので恐縮しきりな気もしますが、今度の人生は研究者として生きていきたいので、明後日6歳になる幼女ですが自重はしません。
ほら、私は「アルス」家系の娘ですからね!
「このレポートを、おじいさまにお見せして、誕生会で、宝石商組合の関係者に渡しても良い出来かどうか、判断していただこうと思います」
「大丈夫だと思うけれどね」
私も大丈夫だろうとは思っています。
中身が大学にまで行った20歳超えなのに、6歳のレポートとしても通らないのだとしたら、アルビノアの学術貴族への要求水準は高すぎますよ。
でも、念には念を入れなければ。
「レポートに関しては、お兄さまが公平であると信じておりますけれど、やはり、大先輩で師匠でもあるおじいさまのお言葉は、別格なのです」
気を悪くなさらないでください……と思ったのは、お兄さまが、ん? と何か引っかかったように、私の顔を見直されたからです。
「レポートに関しては?」
アッ、そこか。
「私はお兄さまが大好きですが、もしもお兄さまのレポートに、納得のいかない点を見つけたとしたら、きっと質問攻めにいたします。なぜなら、お兄さまは頭脳で国家に貢献する『学術貴族』なのですから」
「……うん?」
「だからお兄さまも、アリエラが立派な『学術貴族』になるために、私のレポートに欠点があったとしたら、きっと指摘して下さると思うのです」
「今回は助言なし、と言ったはずだよね?」
「ええ。そうですけれど……でもそれでも悪い出来でしたら、きっとそんなには褒めて下さらなかったと思うのです」
幼女の無邪気なほほえみ攻撃!
お兄さまは顔を覆い、耳を真っ赤にして肩を震わせられました。
「私の妹がこんなにも可愛い……こんなにも賢い……」
シスコンのストライクゾーンを、直撃したようです。
とりあえず、お兄さまは放っておいて、おじいさまの所に行ってきます。
おじいさまから無事許可をいただき、お兄さまと二人で、せっせと印刷のための清書原稿を書き上げます。
印刷用活字は当然のように発明済みです。
でも、グラフの印刷までは難しいでしょう……と思っていたら、さすが学問で戦う国アルビノア。
「統計図表用活版?」
「そう」
慣れた手つきで、お兄さまが、グラフに細かな数字を書きこまれます。
「我がアルビノアでは、毎年、特に庶民院での予算案の審議が始まる前になると、活発に公開シンポジウムが行われるだろう?」
「はい。自分たちの研究分野への予算を獲得するためだとか」
「知識を国民に還元するため、というのが、まぁ第一の大義なのだけれど」
それもおろそかにはしませんが、何にしたって予算は大切ですよね。
で、と、数字を書きつつ、お兄さまは言葉を続けられます。
「もちろん、国家プロジェクトの報告冊子などは、一枚絵で図表の版を作るよ。でも、小規模な研究会でも百人ぐらいには報告概要を配布する必要がある。その程度の規模の報告会で、全てのグラフを一枚絵で発注すると、費用がかさみすぎるだろう? そこで、グラフ専用の活字ともいうべきものが発明されたわけだね」
ほら、と示された図面には、グラフの横に、赤インクで「h:○○pt.」「w:○○pt.」「w-A:○○pt.」などと、枠の大きさを指定する数値が。
「見やすさと正確さを両立するために、ポイントと百分率の換算表もあるのだけれど……私は暗算でできるので、不要だね」
頭の中で軽く計算してみると、たしかに、比率はそのままに、読み取りやすい大きさに設定し直されています。
私一人では、ここまで読みやすいグラフの指定を、こんな短時間にすることは、まだ出来なかったでしょう。いずれはマスターしますけれどね!
「お兄さま、ありがとうございます!」
「これで明日は自由だから、一緒に実験でもしないかい?」
「喜んで!」
理系お兄さまは本当に最高ですね!
「何の実験をしましょうか?」
「蛍石は冬の実験というのが決まりだそうだし……そうだねぇ。お誕生日会も近いのだから、お前の興味のある分野で」
「えっ? 良いのですか?」
いざそう言われると、どうしたら良いのか……かえって迷います。
うーん。
「紫水晶の加熱実験をしてみたい、ですかね?」
「ほう? 何か変化のあてがあるのかい?」
ええっと……どう言ったらいいのでしょう……
宝石が加熱することで色が変わったりする、というのは、21世紀の地球では完全に常識でしたが、ここはアルビノア。文明水準推定19世紀。
「火山から生まれる宝石があるのですから、宝石を加熱すれば、何か不思議なことが起きるのではないかな、と思うのです……紫水晶なら産出量も多いし、原価も高くないので、子どもの実験でも許されるかな、と……」
言っていることが、すでにお子さまではない思考回路を暴露している感じですが、大丈夫、私は「アルス」家系の娘。
お兄さまは、私の妹は何と素晴らしいんだ! と叫びながら、私を抱きしめられました。
年がら年中レジュメを刷っている国アルビノア。
レジュメのために、グラフの印刷方法まで考案されてしまう国。
でも英語でresumeって、履歴書って意味なので、多分アウトライン(outline)が、もっとも正確であろうと判断しました。
大学時代に「ハンドアウト」って言うように先輩に言われたんですが、翻訳を調べると、あんまり「ハンドアウト」とは言わないようで……うーん?




