お兄さま現る
ようやく登場した、アラン・ローリン・アルステラ。
妹のためなら、課題の前倒しもいとわない。
半分眠りながら夕食を終えて、夢の中へダイブ。
朝起きたら、寝ぼけ眼で朝食の前半戦を終え、ゆっくり覚醒しながらお風呂タイム。多分、浴槽に放り込まれている薬草の効果もあるかと。
幼女向けブレンドの気分転換薬草茶を飲み、実験の続きです!
朝日が昇ってくるまでは、タスクリストを整理。小さな石を中心に、カットの図面を作っておきます。
太陽光が差し込み始めたら、日焼け対策ローションを塗って、光学的特性に関する測定を開始します。
雨が降ったら、プリズムによる分光測定に必要な太陽光が得られません……晴れている日にしかできない仕事は、晴れている日に徹底的に片づける!
アルビノアの冬のお天気の悪さを、あなどってはいけません。
作業を始めると、びっくりする勢いで眠気が吹っ飛んでいきます。
番号をふった石ごとに、計測結果を書き込むシートをつけます。そして、測定結果を順番に書き込んでいきます。余力があったら、カットの図面をスケッチしてつけて、とにかく基本データを揃えます。
ところで、クレリチ液はこの世界に存在しませんでした。
ギ酸タリウムとマロン酸タリウムを水に混ぜた溶液で、あると大変便利だったのですが……まぁ、タリウムという時点で、毒物の気配しかしませんし、なくても別に良かったんでしょうかね。
ちなみに1907年の発明です。名前は、発明者であるイタリアの化学者エンリコ・クレリチに由来。
クレリチ液が存在しないとなると、ヨウ化メチレンで対処できない比重の石については、他の測定器で頑張るしかありません。
クレリチ液があったら、石を放り込むだけで、ある程度までは比重を絞り込めたんですけどね……まぁ、ないものは仕方ない。わざわざ毒物を調合する気にもなれませんし。
日が高いうちに片づける! 特に分光と屈折率! 密度は別に後でもなんとかなる! メスシリンダーと精密(※当時代比)天秤があればね!
昼食の呼び出しが来るまで、我を忘れて計測に没頭しました。
気合いと集中力って大切ですよね。好天もあいまって、びっくりするほど作業がはかどりました。ひりひりするお肌も勲章なのですよ。とりあえず抗炎症のローションを塗り足しておきます。
薬草のにおいを漂わせながら昼食の場に現れると、おじいさまが少し驚いたような、呆れたような目で私をご覧になりました。
アリエラは「学術貴族」のつとめを果たそうと、自分にできる最大限の努力をしているだけですよ。幼女の限界一歩手前に挑むんです。
ところでおじいさま、私の日焼けより、気にすべきことがありますよね。
何故、食卓には、三人分の食事が用意されているのでしょう?
と思っていると、背後の扉が開きました。
「アリエラ! 会いたかったよ! 個性的な髪形が可愛いね!!」
油をさし忘れたカラクリ仕掛けのブリキ人形のように、ギギギとぎこちなく振り返ります。
そこには、枯草色の髪に、青灰色の目をした貴公子が!
……アラン・ローリン・アルステラ。
私の、お兄さまです……
いつでも寝オチできるように、頭の上にお団子にまとめた、まぬけた髪型。
私のバカ! おじいさまがあんなお顔をされたのは、薬草のにおいでも、日焼けでも、格段に手抜きの服装でもなく、この頭が……
いや違う。全部だ。全部総合して、インパクト極大だったんだ!
非常に恥ずかしい姿を目撃されてしまい、レポートに集中するあまりに、見栄えを微塵も気にしなかった今朝の自分を、ぶっ飛ばしたい衝動に駆られること、しばし。
起き上がり小法師のまぬけ頭で、それでも、淑女の礼を取り繕います。
「あー、アラン……アリエラは、昨日から、誕生日会のためのレポートの作成と、そのための実験に集中しているのだ」
おじいさまのフォローが、かえって私の心に刺さります。
実験のために女子力を投げ捨てた現実……
いいんですよ! だって私は「学術貴族」ですもの! 綺麗に着飾るのは「軍功貴族」の仕事ですもの!!
「アリエラ……おお……」
お兄さまの評価が怖い。
どんな変な格好をしていたとしても、おじいさまは私を努力ともども認めて下さいますけれど、お兄さまとはこれが初対面……
見た目でゲンメツされたとして、「別に?」と開き直れるほどには、私のメンタルは鍛えられていないのです!
「なんて素晴らしいんだ、私の妹は!」
ええーっ?!
戸惑っているうちに、お兄さまはぺたぺたと私のお団子頭を触り、お団子の形や角度について、目測をされたようです。
「うん。これなら起きている時は実験作業の邪魔にならず、眠いと思った時には、すぐに枕を使える。時間を最大限有効に活用できる、非常に合理的な髪形だ!」
「お、お褒めにあずかり、光栄で、す?」
「だめだよ、アリエラ。私はお前の兄なのだからね! そんなにかしこまられると寂しくなってしまうよ」
こ、これは、いかにもな妹キャラを求められている、のですかね?
「お兄さま、ありがと、う?」
「完璧! あああ! 私の妹はアルビノア一可愛い! 世界一可愛い!」
むぎゅっと、全身を抱きしめられます。はわわわわ。
……お兄さまがシスコンでらっしゃることは、よくよく理解しました。
そして「素晴らしい」の判定基準は、合理性であるようです。
うぉっほん、という咳払い。
はっ、として離れる、お兄さま。
「アラン、アリエラ。とにかく、まずは食事だ」
「はい。いただきます」
できたてが美味しいとして提供されているのなら、それこそ、長話はコックに失礼というものです。
美味しいものは美味しくいただくことが感謝!
とりあえず、お兄さまは身内であるせいか、お食事中の会話はありませんでした。しかし、何も話さなくても、お兄さまが何かを口にされるたびに、非常にうれしそうに目を細め、ゆっくり噛みしめるように味わわれるのを見れば、ああ、美味しい食事がお好きなんだなぁ、と分かりました。
食事を終えたら、作業着に戻って、申し訳程度につけていた髪飾りも引っこ抜いて、ティールームで実験の再開です。
お兄さまが、サポートを提案して下さいました。
「あの、でもこれは、私の業績にしたいのです、が……」
お話はとても嬉しいのですが、兄のサポートが入ってしまったら、このレポートは兄に代わりに書いてもらったとか、そういう誤解を生んでしまいはしませんかね? 一応「デビュー戦」のつもりなのですが。
「もちろん! 私はお前の助手だ。完成まで時間がないのだろう? 一人でできる実験の量には限りがある。レポートの基本の方針の立案者はお前だ。私は、お前がそのレポートを執筆するために必要な、基本情報を収集するだけだ」
データを並べただけでは、論文にはならない。
そのデータの整理の仕方、そこからの論の立て方で、自分の研究であるというアピールをすれば、問題ないということのようです。
では、お願いしましょう。
偏光器は一つしかないのですが、と思っていたら、手に小さな器具が。
「二色鏡だ。フィルターとして方解石を仕込んであり、きちんとした角度から複屈折の石を見ると、色が二つに分かれて見える。単屈折の石では、どの角度から見ても色は分かれない」
サンプルで示されたピンクサファイアを、光源の中でくるくる回していると、ピンク一色だった視界が二つに分かれました。半分はピンク色ですが、もう半分は赤紫色です。これが、複屈折によって生じる「二つの光」の色!
「わあぁ……いいですねぇ、これ。携帯もしやすそうで」
「なら、アリエラの分も拵えようか。簡単に作れるからね」
「えっ? これ、お兄さまが作られたのですか?」
「お父さまが教えて下さったのだ。遠隔地の調査に行く場合は、どれだけ荷物を減らせるか、というのも大切なことだからね」
なるほどたしかに。軽量化はフィールドワーカーの宿願ですよね。
ああ、お兄さまはフィールドワーカーになれるんですねぇ。
……凹んでいる場合じゃありません。
きちんと呼吸器疾患を改善して、あと良い紫外線対策が開発されたら、私だってフィールドワーカーになれる可能性があるのです。
ならばそれまでに、研究室の中で研鑽を積んでおくべきなのです。
いざ、第一歩なのですよ!
洗浄液から引き上げ、水に浸けっぱなしにしていた「比重2.7」グループの石を、よくよく観察します。
見る角度によって色が変わるのは、複屈折鉱物の一部にしか見られない「多色性」によるものも、もちろんあるのですが。
もっと初歩的な、色ムラに起因するものもあるんですよ。
水の中に入れて見るのは、最も基本的なチェック法。
色ムラが生じやすい宝石は、コランダム、トルマリン、ガーネット。そしてアメジストなどのクォーツ系鉱物。
紫色の石を、入念にチェックします。
「わーお」
「ひどい色ムラだね。いったいどこの店の石だい?」
「ロンディニウムのバークス商会です」
「ああ、あそこね……最近、たしかに評判悪いけど……ついにおじいさま直々に、制裁を科されることになったのかい?」
私はしっかと頷きました。
「はい。そして私は、性悪業者に言い逃れを許さないための、科学的なレポートを用意しようと思ったのです」
二色鏡は先日はじめて覗いてみました。ピンクサファイアを見ましたよ! 見えたのは文中の通りのものです。
カルサイトなら、この時代だって簡単に作れるだろう、と判断。
クレリチ液でさっさと分類してしまえよ、と思ったのに、発明されたのが1907年で、しかもタリウムの水溶液って……先生、そんなブツを使って、サファイアの検査をずっとやってたんですか?
なお、クレリチ液は、さわると皮膚が白く腐食する。




